Day 28 photo / 0916

アーレスヤウレ→アービスコヤウレ

(詳細を読みたいならDay 28 textを)

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朝、トイレに行くと霜、、、

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ウナ・アラカスもきれいなとこらしい、、、でも、Kungsledenから外れずに最後の山小屋アビスコヤウレへ向かう

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後ろにサーミの集落が見える

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ハイシーズンには、この湖にボートのサービスがあり、5kmほど楽ができるとか、、、 今日の行程は22kmあるので楽したい人は乗るんだろうなあ、、、
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アンドレアスくんにまた抜かれた、、、

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もうすぐ昼なのに、日陰には氷が残っている。

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ブルーベリー食べ続け。軍手も染まる。。。
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リンゴンベリー(コケモモ)

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トナカイの柵を越えるゲート。ドア、横木、階段、、、と色んな種類がある。

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アーレスヤウレを早く出て、途中でテントを干していたおっさん二人組に抜かれたが、彼らもあまり早くないので、なかなか視界から消えない、、、
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またまた瞑想場所
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谷の向こうの斜面に一本だけもみじ。

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樹林帯に下りてきた。これより後はもう森林限界より上に行くことはない。

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すっかり日が傾いたが、高緯度なのでなかなか沈まない、、、

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ドイツ軍がノルウェーのナルヴィクを攻撃したことから、ナルヴィックからキールナ産鉄鉱石をドイツに積み出していた中立国のスウェーデンも、いつ責められるかと危惧してこのあたりに堡塁を築き、兵士を駐屯させた。とか、、、

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大きなメガホンのようなものが水流で回転していた。後で訊いたらアービスコヤウレの小屋に水を送るポンプだとか。電気無しで動く!他の山小屋では見たことがない。

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さあ、最後の山小屋。。。

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Day 28 text / 0916

アーレスヤウレ→アービスコヤウレ

昨日借りた、大久保さんが残していった資料をもう一度読み返してみる。大久保さんは、映画の画面から写した写真をもとに、スィンギなどで撮られたいくつかのシーンをここだと同定している。何年も何年も通いつめて、何日も何週間も滞在して探し当てたのだろうなあ、、、。凄い執念。僕も、同じ映画を観てここへやってきたのだけど、ただ通り過ぎるだけの旅人。脱帽。

資料を管理人のインゲル-リーゼさんに返して、出発する。今日は20km以上をカバーしないといけないが、、、夏ならモーターボートのサービスがあり、それに乗れば5kmほど楽ができるけど、今の季節はない。

アンドレアスくんが「また僕らが一番最後の出発だね」と言う。10時半に歩き始める。おそらく8時間はかかるだろう。

アーレスヤウレの小屋を出てすぐに湖沿いの道を歩く。対岸にはサーミの人たちが住んでいる集落がいつまでも見えている。道は岸辺の波打際まで近づいたり、少し高みを巻くようになったり、変化があり、対岸の山の形が歩くにつれてかわるし、飽きることはない。

鳥が鳴き、トナカイが草を食み、クモが地を這っている。Kungsledenに来て一番たくさん見かけた動物はクモ。石やぬかるみで足元が悪いので、下を見ている時間が長いが、それにしても忙しく地べたを這い回るクモは5分〜10分に一度は見かける。冬の準備で大変なのだろうけど、餌になる昆虫はまるっきり見かけない。彼らはいったい何を食べているのだろう。。。(夏の間は帽子に防虫ネットが必要なほど蚊が大量に飛ぶらしいけど、オフシーズンの今はまるっきり見かけない)

湖から道が離れる前に、トナカイの柵を越えるところで、昨日サウナであったスウェーデン人の中年二人組みを追い越す。のんびり日向ぼっこしながらテントを干してるんだとか。一人はザンビアに住んでいたことがあり、もう一人は北海道に行って釣りをしたことがあると言っていた。小一時間 もしないうちに彼らに追い越され、樹林帯へ降りていく頃にはその姿も見えなくなる。

過去歩いた中で、もっと地面の状態が良い。捻挫の危険はうんと減った。それでも、うっかりよそ見や、ぼーっと考え事もできない。時間はいっぱいあるのに、纏まった考えや、思いついたことを順序立てて整理したり組み立てたりは危なくて出来ない。京都の疎水べりの哲学の道を散歩しがら思索に耽るようにはいかない。。。本当は映画”Kunsleden”に織り込まれたユダヤ人とドイツ人、それにもちろんスウェーデン人、さらにはサーミの人たちの関係や、それらがストーリーを通じていかに第二次大戦中のドイツ・スウェーデンの関係を読み解くアレゴリーとなっているのか、、、みたいなことをじっくり考えたいのだけれど、、、。(中立と言いつつ、キールナの鉄鉱石をアービスコ経由の鉄道でノルウェーのナルヴィックへ運び、そこからドイツへとせっせと運んだ、スウェーデンの罪悪感や後悔が下敷きになっているのではないかと思っているのだが、、、それはまたいつか別の機会に書きたい)

長い長い行軍が終わりに近づいてきて、林の中から見上げる周りの岩山が、これまでの森林限界より上の世界とはまるでちがってみえる。吊橋をすぎ、コンスタントに下ることがなくなって、ゆるい登り下りしていると、不意に小屋が見える。6時半を回っているから、今日は8時間も歩いたことになる。

アービスコヤウレの小屋より少し手前に第二次大戦中の防衛監視土塁か陣地のようなものがあったらしい。先にも書いたが、中立国だったスウェーデンは、ドイツに向けてキルナの鉄鉱石をノルウェーのナルビックから輸出していた。東方へ移動するドイツ軍が自国内を通過するのも許したと以前、別の山小屋で聞いた。その一方で、ナルビックを攻撃、占領したドイツ軍に対する防衛の最前線として、アビスコヤウレに兵員を駐屯させて監視に当たったと、森の中の案内板に書かれている。なるほど、、、兵隊たちはまさに目の前の山小屋で寝起きしたとある。強国ドイツに対して中立国として寛容に接し、ある意味狡猾に立ち回りつつ、防衛は怠らなかったと、、、。

アービスコヤウレの小屋の管理棟でチェックインの時、日本人か、と訊かれる。管理人さんものボー(ボッセ)さんとマリガレータさんは大久保さんのことを知っているとか。何度かアーレスヤウレで会ったことがあると話してくれる。スィンギ以南、いや、それより北のセルカでもチェクチャでも、大久保さんのことなど聞いたことなかったのに、、、一度ヒットするとこれだ。。。生きる伝説なんだそうだ。

それどころか、食事を終えてのんびり雑談していたら、同宿のアメリカ人親子の息子の方が、去年Kungsledenで大久保さんに会って、東京にいったとき、大久保さんの家を訪ねたこともあるとか。住所を知っているので、見つけたら教えてくれるという。ちなみに親父さんのほうは、ウィスコンシン出身で、僕が居たマディソンの北、1時間ほどのところに住んでいたとか。大学も同じウィスコンシン大学。。。87年卒だから、ちょうど入れ違い。。。その後、カリフォルニアのLA郊外、トーランスで伊藤忠関係の仕事をしていたというからびっくり。僕も同じトーランスで1年間働いていた。かすりまくり。。。

そんな話を聞きつけて、食事の同じテーブルにやってきたデンマーク人のおじさんは、札幌と東京に住んでいたことがあり、海洋上から海底の地中深くボーリングをして地質探査をする、海底(地底?)探査船「ちきゅう」での職についていたという。マディソンのことも知っていて、どういうわけか僕の大学院での専門をサイエンスだと思い込んでいる。そうじゃなくて「けったいなオモチャ」だって作品の説明したらめっちゃ面白がってくれる。

スウェーデン北部の山の中でやたら日本色の濃い夜になる。。。日本に行った人たちは、日本人の間ではアービスコがとてもよく知られている、と言うが。。。知らなかっがのは僕だけ?何れにしても、日本人が大勢やってくるアービスコからここまで大した距離でもない。シーズン中はアービスコヤウレにもきっと日本人が溢れているのだろう。

さて、明日はほんの十数kmで終点のアービスコ。いよいよ文明への復帰。そこから先はまだはっきりしたプランを決めていない。ま、明日は明日の風が吹く。