北国の昔話 (スーホの銀色のスコップ)・・・

前回、角スコ馬頭琴のことを書いた。そのことについて、雪の季節が到来した北海道に在住で、雪かきに由来する腰痛持ちの馬頭琴演奏者、嵯峨治彦さんとやり取りしていたら、馬頭琴の始まりに関わるある民話のことを彼がポロっと話してくれた。

馬頭琴の起源譚としては『スーホの白い馬』が赤羽末吉の絵本や国語の教科書で日本でも有名だけど、これは内モンゴルあたりの民話が元のようだ。また、モンゴル国の方では「フフー・ナムジル」という別バージョンがあるという。こちらは黒馬。ちょっとオトナの恋愛が絡んでいてとても小学校では教えにくいだろう。

ところで、嵯峨さんから聞いた話はどちらかというとスーホの物語と近いものだった。蝦夷錦と呼ばれる清朝の官服などをもたらしたアイヌの山丹交易などにより大陸との交流がさかんに行われていた北海道に、清の影響下にあった内モンゴルの話が満洲を経由して伝わり、雪深い土地の道具との融合を経て今の形になったのではないか。

と書いて、ふと一昨年(2014年)、東北・北海道を旅して「オシラサマ馬頭琴」を製作したときのことを思い出した。そもそも旅の始まりは馬頭という形態的な共通項から、スーホの馬頭琴と東北の民間信仰のオシラサマの馬頭とを組み合わせる、という表層的で浅薄で無謀な目論見だったのだが、旅の途中でオシラサマの話が中国東晋の『搜神記』にある一話(あるいは共通の祖)に由来するのではないかということ、そして捜神記の話はまた、モンゴルのフフー・ナムジルとも類似点があるということも知った。

前置きが長く随分遠回りしたが、、、要するに嵯峨さんの話がモンゴルあるいは中国に起源をもち、北海道に広く流布していても不思議はない、ということ。

で、以下にその話を嵯峨さんから許可を得て再録しておく。

昔々、拾ってきた小さなアルミのシャベルが、スクスクと逞しい角スコに成長し、それ持って雪かき大会で優勝したのに悪い殿様に角スコ殺されて、、、夢の中に角スコが出てきて私の体で楽器を作ってください。「スコップ」の語源は、その少年の名前スーホがなんたらかんたら。 (嵯峨治彦:採話)

どうだろう?『スーホの白い馬』と非常によく似ているのではないか。

さらに嵯峨さんはその後に、
スフ(スーホ)→すくう→スコップ・・・
という、スコップの語源考察も付け加えている。

ただし嵯峨さんの、’は行’であるスフ(スーホ)」の「フ」が「すくう」では’か行’の「く」に変わることについては、モンゴル語に元来Hの発音がなく、代わりに喉の奥で摩擦するKh(キリル表記ではX)が使われる、という音声学的な理解が必要になる。

ちなみに、モンゴル語のXは喉の非常に奥深くで行われる「無声軟口蓋摩擦音」なので、うっかりすると有声化されて’が行’に置き換わることもある【例;ハンバーガー⇒ガンブルゲル】。日本の東北地方でも’か行’が濁って(有声化して)’が行’になることがしばしばあるが、はたして東北弁の影響を受けている北海道でも「スゴップ」と発音されるのだろうか、、、しかし、あまりに本題から外れているので、ここではあまりこだわらないことにしよう。

角スコ馬頭琴のスーホが拾ったスコップはアルミ製で銀色をしており、実は殿様に殺されずに北米へ逃れてローン・レンジャーの愛馬「シルバー」になった、という義経・チンギス・ハーン伝説の向こうを張った話もあるとか、ないとか、、、、(いつの間にか馬になっとるし、、、)


北国の馬頭琴

かいてもかいても降り積もる深い雪に閉ざされた世界で、春を待ちわびながら馬頭琴を弾く腰の悪い友人のことを考えていたら、妄想があらぬ方向へと暴走してしまった。

 

雪かきに使う角スコップ(角スコ)が馬頭琴に似てると言ったら、友人からのレスには栓抜きのバチでショベルを掻き鳴らす「スコップ三味線」のことが書かれていた。津軽の厳しい冬をやり過ごすにはおバカなことが必要なのだろう。そうか、、、僕の暴走妄想は、ひょっとして以前にテレビで見たスコップ三味線の影響もあったのかもしれない。ま、津軽同様、北海道にも別バージョンのおバカ楽器があってもええじゃないか。。。

スコップ三味線「発症」の地、青森県五所川原市から北に延びる津軽鉄道にはストーブ列車がある。そこには多分、火かき棒も備え付けられているはず。どこか馬頭琴の弓に似てなくもない道具を拝借して、栓抜きバチの向こうを張り、火かき棒をもってスコップ馬頭琴の引掻きbowとなす。(無理矢理やなあ、、、)

しかし、雪かきで腰を痛めた上に、重い鉄製の火かきbowで肩、肘、手首をヤッちゃうかも。。。

角スコップでエア馬頭琴する分には、もちろん弦は要らないのだけれど、暴走した妄想は止めどを知らず、あたかも実現したかのような画像をでっち上げてしまった。いや、実際これを作るのはさほど苦労は要らない。糸巻きを取り付けて弦を張るだけだから、ほんの半日仕事(Photoshopでコラってる方が難しいわ)。

問題は、、、エアでもリアルでも、演奏時に膝に挟むと金属の角が食い込んで痛くてたまらんだろうな。膝も逝っちゃいそう。

友人の雪かきの苦労を偲んでいたはずが、妄想とはいえ身体中を痛めつける楽器の出現というむちゃくちゃな結果になった、とさ。。。

追記:
件の友人から「雪かきのつらさが重い弓を通じて哀切な音色に。。。」という妄想の共有レスをもらった。

追々記:
画像のアルミテクスチャが気に入らないので差し替え。

元のはこちら↓(左右に並べた裏表の表現がいまいち、、、)
kakusukomorinkhuur


Power Mac G3 resurrection

A few weeks after the sudden death of my Mac desktop computer, I obtained an ATX power unit and finally brought the machine back to life.

If the malfunction was in the power switch circuit, it would have been a little troublesome since Apple jam packed strange stuff in the switch box. I just didn’t want to deal with the problematic modification again. (see this)

Luckily, the power switch hadn’t gone bad. It was the power unit that caused the whole thing: pushing the power button to turn on the system wouldn’t do NOthing– no fan hissing, no indicator lamp blinking. I had a box perfectly quiet with the LCD completely black. Well well, the Blue & White G3 was beautiful enough to simply be a mere desktop ornament even if it didn’t do a trick, but it’s more fun to have a sidekick that smiles at me.

I bought a secondhand power unit for only 500 yen, and transplanted it into the G3. Voilà! It’s alive again!!!

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(This is not a real Mac G3. Everything I wrote here was from my “dream” about a hypothetical machine whose Mac OSX was installed in the G3 box that contained a MB for Windows. Yes, it all happened in my dream last night.)

 


Another FIAT

My Fiat 500 (Cinquecento) is lovely. I love her so much. I make no bones about it… but…

Once in a while some good-looking (or simply cute) things show up and steal my eyes. This little thing called “Ferves Ranger” is one of them. the Ranger is a hybrid of Fiat 500 (motor and steering) and Fiat 600 (suspension and brakes) though the chassis and body are completely original.

If I were asked to choose either Ferrari 250TR/57 or Ferves Ranger, I wouldn’t hesitate to grab the latter.

There is a garage that sells a mint-condition Ranger with a price tag “ASK”. http://www.garage-little.com/fervesranger.htm

Oh, I wish I had millions of bucks… Uh-oh, I gotta take care of my honey…


しっかり学ぶトルコ語とKungsledenの本 その1、

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以前注文していた本、「しっかり学ぶトルコ語」と「Kungsleden」が2冊同時に来た。

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「しっかり学ぶトルコ語」は直ぐに「はじめに」を読んだ。驚いたのはその内容が、僕が先の投稿で書いたこととばっちり重なってること。もちろん、この本を手にする前にドイツで著者のアポと話をしているし、旅に出る直前にも日本に来ていたアポに会っているから、彼の考え方をよく知っていた。しかしそれにしても僕の書いたことがあまりにピッタリと「はじめに」の内容と一致しているので怖いくらいだ。逆に考えると彼が僕の脳に如何に効果的に言葉を植え付けたかを現している、とも言えるかもしれない。

先の投稿では、僕がシベリア鉄道で、またドイツで、僕が感じた「トルコ語を勉強しときゃよかった」という後悔のことを書いた。アポは「トルコ語はユーラシアを旅する時に大きな資産になる」と言ってくれていた。本当にそのとおりだったのだが、、、いかんせん時遅しだった。

僕が乗ったシベリア鉄道は実はシベリアという地名から一般に想像されるタイガとツンドラ地帯ではなく、むしろチュルク系の言葉を話す民族が住む地域を貫いたりかすめたりしながらシベリアの南端を東西に延びていて、ウラジオストクからモスクワまでの一週間はチュルク語の話者が入れ替わり立ち替わリ乗車して来た。その多くの人たちはトルコ語が解ると言っていた。それはトルキスタンにおけるオスマン語の残照と見たり、トルキスタンの盟主を自認するトルコに主導された汎トルコ主義に因るものというよりもっと単純に、源を同じうする彼らの言葉の類似性・共通性に負うところが大きいと思う。ともあれ、アポはその「はじめに」の中で、ユーラシアでトルコ語が占める位置の大きさを示すために、「実質的に同言語」と彼が言うチュルク系の語圏に属するアジア中央部の国々のことを挙げ、さらにトルコからの移民が多いドイツにまでその範囲が広がっていると書いている。

また、僕はこの本を紹介する先の投稿に対していただいたコメントへの返信で、日本語とトルコ語の類似性についても書いていて、それは両言語を比較するときに必ず出てくるクリシェだから、親近感を強調して読者にトルコ語への興味をもたせるようにアポが同じことに言及してもおかしくはないのだが、、、それにしても「はじめに」を読んだ時には、遠くに居る友人とまるで思考の「波長」が同期したような気持ちになった。。。

元々アポは僕に対して無口なのだけど、それは無愛想というより、本当に必要なことをズバリ、それもきっちり理屈に裏打ちされた言葉で話すから言葉少なで良いということ。さらに、いつもではないのだけれど、日本人の得意な「腹芸」とか英語の「to play a guessing game」みたいなメンドクサイ話ではなく、何も言わなくても何となくお互いの気持ちが通じるときがたまにある。今回も、同時に同じ場所でピンと来たのではないけれど、何となく考えが重なったのかな、と。(もっとも、最初に書いたように「彼が僕の脳に如何に効果的に言葉を植え付けた」結果なのかもしれないが、、、)

長くなったので「Kungsleden」という小説本については機会をあらためて、、、

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