しっかり学ぶトルコ語とKungsledenの本 その1、

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以前注文していた本、「しっかり学ぶトルコ語」と「Kungsleden」が2冊同時に来た。

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「しっかり学ぶトルコ語」は直ぐに「はじめに」を読んだ。驚いたのはその内容が、僕が先の投稿で書いたこととばっちり重なってること。もちろん、この本を手にする前にドイツで著者のアポと話をしているし、旅に出る直前にも日本に来ていたアポに会っているから、彼の考え方をよく知っていた。しかしそれにしても僕の書いたことがあまりにピッタリと「はじめに」の内容と一致しているので怖いくらいだ。逆に考えると彼が僕の脳に如何に効果的に言葉を植え付けたかを現している、とも言えるかもしれない。

先の投稿では、僕がシベリア鉄道で、またドイツで、僕が感じた「トルコ語を勉強しときゃよかった」という後悔のことを書いた。アポは「トルコ語はユーラシアを旅する時に大きな資産になる」と言ってくれていた。本当にそのとおりだったのだが、、、いかんせん時遅しだった。

僕が乗ったシベリア鉄道は実はシベリアという地名から一般に想像されるタイガとツンドラ地帯ではなく、むしろチュルク系の言葉を話す民族が住む地域を貫いたりかすめたりしながらシベリアの南端を東西に延びていて、ウラジオストクからモスクワまでの一週間はチュルク語の話者が入れ替わり立ち替わリ乗車して来た。その多くの人たちはトルコ語が解ると言っていた。それはトルキスタンにおけるオスマン語の残照と見たり、トルキスタンの盟主を自認するトルコに主導された汎トルコ主義に因るものというよりもっと単純に、源を同じうする彼らの言葉の類似性・共通性に負うところが大きいと思う。ともあれ、アポはその「はじめに」の中で、ユーラシアでトルコ語が占める位置の大きさを示すために、「実質的に同言語」と彼が言うチュルク系の語圏に属するアジア中央部の国々のことを挙げ、さらにトルコからの移民が多いドイツにまでその範囲が広がっていると書いている。

また、僕はこの本を紹介する先の投稿に対していただいたコメントへの返信で、日本語とトルコ語の類似性についても書いていて、それは両言語を比較するときに必ず出てくるクリシェだから、親近感を強調して読者にトルコ語への興味をもたせるようにアポが同じことに言及してもおかしくはないのだが、、、それにしても「はじめに」を読んだ時には、遠くに居る友人とまるで思考の「波長」が同期したような気持ちになった。。。

元々アポは僕に対して無口なのだけど、それは無愛想というより、本当に必要なことをズバリ、それもきっちり理屈に裏打ちされた言葉で話すから言葉少なで良いということ。さらに、いつもではないのだけれど、日本人の得意な「腹芸」とか英語の「to play a guessing game」みたいなメンドクサイ話ではなく、何も言わなくても何となくお互いの気持ちが通じるときがたまにある。今回も、同時に同じ場所でピンと来たのではないけれど、何となく考えが重なったのかな、と。(もっとも、最初に書いたように「彼が僕の脳に如何に効果的に言葉を植え付けた」結果なのかもしれないが、、、)

長くなったので「Kungsleden」という小説本については機会をあらためて、、、

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