【爾臣民と呼ばれる筋合いはない。】

僕は今の憲法の元で生まれ育った。明治天皇が何を言ったかなんぞどうでもよい。「爾臣民」つまり「お前ら下僕」というワタゴトが平気で書いてある教育勅語を、今の政府は教材として使うことを否定しないという。おそろし。

http://www.asahi.com/articles/ASK3045LBK30ULFA00Q.html?iref=comtop_8_01

教育勅語には個々に「良いこと『も』書いてある」からその部分は使ってもよい、とは絶対に思わない。それに「良いこと」といっても、何か事が起こったら義勇をもって国に奉仕しろなんてのは論外だし、一見よさそげな親に孝行し、夫婦が仲良くというのも、個人の家庭内のことにまであれこれ言う権利など元々誰にもないのだ。それを「良いことも書いてある」から復活させる、などという寝ぼけた(いや、悪意ある確信犯の)ヤカラが日本の政府をやってるんだからたまらない。

うわ辺の「良いこと」が乗っかっている基礎には権力の国民生活への介入の意図があるのだから、結局全部ダメなのだ。しかしうっかりそこんとこに気付かずにいると、部分的なら良いだろ、というすり替えに乗せられてしまう。

個別に「良いことならいいじゃないか」と言うのなら、短期間に失業率を改善し、一般市民の生活向上を成し遂げたナチスの社会福祉政策も「良いことであった」のだ。しかし、それはユダヤ人、身障者、性的マイノリティーなどの社会弱者の犠牲の上に成り立っていたとのだし、しかもナチスはそのツケを他国占領と戦争で辻褄を合わせようとしたのだから、いまそれをそのまま肯定したり褒め称えたりするひとはいないだろう(ネオ・ナチなどの極右を除いては)。

戦後ドイツはナチスの犯罪を否定/矮小化してはならない法律も作っている。日本の国会における「教育勅語等排除に関する決議」と「教育勅語等の失効確認に関する決議」はドイツの法律ほど強力ではないにせよ、教育勅語を憲法や教育基本法に悖るものとして否定している。それなのに平然と「憲法や教育基本法等に反しないような形で教材として用いることまでは否定されることではない」と言い張る政府は戦争への反省のかけらもないということを自ら証明しているのだ。やつらネオ・ナチか?