『絵で見る英語』English Through Pictures

ずっと探していた英語の教本『絵で見る英語』(“English Through Pictures”  I. A. Richards / Chirtine Gibson)をやっと手に入れた。

初版は70年も前だからもう出版されてないと思い、そのイラストを思い出しながら苦労して幾つかの人称代名詞の教材を作ったが、実際に本物を手にしてみたら、まずまず当たらずとも遠からずのものができていた。しかし、やはり本物にはかなわない。

この本はシンプルであるが故に時代を越えて今まで使い続けられてきたと思う。今、あらためてそのイラストを見ても古さを感じない。もちろん、描かれた自動車の型は時代物だし、パソコンやスマートフォンは出てこない(かろうじてテレビとプッシュフォンは改訂版で追加されているが、、、)。イラスト一つ一つが実によく考えられていて無駄がないのに、ときにはユーモラスでさえある。

僕がAmerican Cultural Centerの図書館で初めてこの本を手にし、どうしても欲しくて丸善で買ったのは中学生のときだった。学習の方法は誰かに教えてもらわずとも、ページをめくってイラストを目で追えば使い方など自明のこと。そんなことは子どもでもわかる。ていうか、子どものほうが直感的な理解を好み、おせっかいな使い方の手ほどきなど却って邪魔だと感じるだろう。事実、僕はそうだった。

日本語版として出ている『絵で見る英語』には著者による「初心者への提案」という、学習方法を記した前書きより先に、片桐ユズルの「この本の使い方」という説明が付いている。これははっきり言って蛇足だ。著者によるシンプルな説明があるのに屋上屋を架して長々と余計な説明をするのは、学び手の思考を制限したり固定化して自由な学習をスポイルしかねない。

たった850語で英語に取り組むというミニマルな言語である”BASIC English”などとも縁の深い片桐ユズルともあろう人がそんなことも気づかなかたのだろうか。それとも大人はこの手の「能書き」や「取り説」を必要としているとでもいうのだろうか。少なくとも日本の出版社はそう考えたのだろう。それに片桐というネームバリューを利用しようとしたのだろう。

片桐の説明のキモは「イラストを真似る『身ぶり手ぶり』を恥ずかしがるな、そしてCDの音声を真似て口に出せ」ということだ。赤ん坊は周りの大人の身振りや言葉を真似て成長する。彼の説明はそれと同じで理にかなったことなんだけど、それを敢えて言われないとできないような頭の固まった大人たちには、ハナからこの本で独習することなど無理な話だ。

いくら大人らしく「説明を理解する能力」があっても、子どものような柔軟性と洞察力と積極性がなければ、このシンプルな『絵で見る英語』で使われているせっかくのイラストもメソッドも役にたたない。そんなことに言われて初めて気づくようではこの本の中に埋まっている宝を嗅ぎ当てて掘り起こすことなど不可能なのだ。