中東のオイル

ばったり会った知り合いのひーちゃんから「中東のオイル」持って帰って、と小瓶をもらった。

彼は茶目っ気で「ちゅうとう」と言っていたが、自分の名前「なかひがし」の駄洒落。生油のままサラダにでも魚にでもふりかけて、というので、帰宅途中で生春巻きと生食用サーモン(スモークしてないやつ)を買って帰った。直前に別の友人からは漬けたばっかりの自家製福神漬をもらっていたので、それを付け合わせにしてミッドナイト・ブレックファスト。

この繊細な竹箸はたまたま家にあった花脊美山荘のお箸。どんなに細かい粟粒でもひとつづつ摘める先の細さが美しい。ちなみに美山荘は草喰なかひがしの主人、中東のひーちゃんが生まれ育ち、修行をした実家。

かけるのは鹿児島の壺造り黒酢だけ。そこへいただいた山椒油をたっぷりと垂らす。柔らかい酢の酸味と爽やかな山椒の香りがたまらん。生春巻きに添えられたパクチーが山椒と喧嘩するかと思ったけど、米油の仲立で意外といける。そのうえ黒酢が鼻にツンと来ない。ルイベを解凍したようなサーモンの切り身も黒酢と山椒油との相性が非常に良い。(即製のマリネみたいな、、、)

 

付け合せにした福神漬けは友人が昨日漬けたばっかりなので味はまだこれから練れていくんだろうけど、なた豆のパリパリ感が半端ない。柔らかい生春巻きやサーモンの歯ざわりと対比して味わうとベスト。そこに壺造り黒酢の旨味と高級山椒油の香り。なんとも贅沢な夜食だった。

たぶん、酒飲みならビールとか欲しくなるんだろな。。。

 


懐かしい、いやぁ、懐かしい

夜更けて、鹿ヶ谷へ人を送った帰り、銀閣寺道を西へ向かっていたら客が帰って暖簾を仕舞った割烹の前にスズキの赤いツーシーターが止まっていた。

ひーちゃんの車だ。昔、僕が花脊に居た頃、彼はまだ大悲山の実家で修行中だった。近所に住む僕の友人で彼の従兄夫婦と一緒に、よく徹夜でトランプして遊び呆けたものだ。みんな若かったなあ、、、

その友人とは先日も花背八桝の松上げで会ったばかりだけど、ひーちゃんにはもう何年顔をあわせていなかっただろう。この珍しい車に乗っているのは彼しかいないから、これまでも鞍馬や大原の街道ですれ違うことは何度かあったが声のかけようもないし、彼は僕の車を知らないし、、、

ひーちゃんが店を構えてしばらくして、早くもとんでもない人気店になっていたのを僕は知らなかった。遅まきながら開店祝いの賑やかしにと、おふくろを連れ予約もなしで、昼と夜の席の合い間にノコノコ顔を出した。あの時は「よう来てくれはりました」と何も知らない僕とおふくろを、暖簾を仕舞った店に招じ入れて昼のコースをご馳走してくれた。それ以来だから20年にもなるか、、、

よく見ると車の中にひーちゃんが座っている。奥さんを待ってるのかな、とやり過ごしかけた。やっぱり懐かしくて車を止め、駆け寄ったら向こうも憶えていてくれて、やあやあとなった。

店の前でしばらく立ち話をして、まあ中へどうぞと言われたのだけど、もう片付けた後だろうから申し訳ないので遠慮し、そのま表で話をしていたら奥さんのきみ子さんも顔をだしてくれた。彼女も憶えていてくれた。(ほ、)

ひーちゃんから、お互い歳とりましたなぁ、と言われた。写真を見ると案外そうでもないように写っている。(閉店後なので店の暖簾は仕舞われているが、懐かしいからみんなで写真を撮ろうよと言うと、きみ子さんが「草喰なかひがし」の行灯を付けてくれた。写真を撮れば、後で僕が彼らと知り合いであることを見せびらかすだろうって、ちゃんと心得てる。宣伝上手と言いたいのではない。宣伝など要らない店だもん。)

きみ子さんから京都市少年合唱団の指導に尽力された高名な音楽教者の福澤昌彦先生が2年ほど前に亡くなられたと聞かされた。昔、彼女と僕は偶然にも福澤先生のもとで一緒に働いた同僚だった。また、偶然といえばトランプ遊びしたひーちゃんの従兄も福澤さんの教え子だったりして、、、とまあ、ひとしきり懐かしい話、歳をとると出る寂しい話をした。

帰る前にひーちゃんから「中東(ちゅうとう)のオイル」なるものを土産にもらった。パレスチナ・オリーブが頭に浮かんだ。なんで???(ちなみに、それは米油)。ラベルをみると「山椒油」とある。あ、そうか、「草喰なかひがし」特製オイルだもんね(^^;)。ヲイヲイ、文化人だとか海外の有名シェフなどそうそうたる客たちにもこのオヤジギャク飛ばしてるんか?長らく顔を合わさないうちに、雑誌やテレビで見るだけのちょっと雲の上の人みたいに思っていたけど、、、ふつーやん。よかった。

 

別れを告げ、車に乗って走り始めたらバックミラーにひーちゃんときみ子さんの手を振る姿が写ってた。

今度はちゃんと予約をして来よう。