朗読劇『線量計が鳴る』を観て

友人からチケットをもらって観に行った。映画はよく観るのになぜだか知らないが演劇というものはこの年になるまで片手の指で数えられるほどしか観ていない。だから偉そうな演劇批評まがいのものを書く資格もつもりも毛頭ないが、中村敦夫という本物の老人の遺書のような、ある意味、代表作にするぞという気迫が感じられる作品だった。本人は、だれか代わりが出てきてくれないか、待ってるんだけど、、、みたいなことを言ってはいたが、彼流の照れだろう。

中村敦夫さんの実齢77歳の、そこらによくいる老人のように全く自然に背中をかがめ少腰を落とし、膝を曲げて振る舞っていたのは、演技とは思えないほど実に良い演技だった。舞台に現れた瞬間、木枯らし紋次郎も歳をとったなと、つい思わされてしまうほどだった。

福島双葉町出身の老原発技術者の独白は、少年期をいわき市で過ごした中村敦夫さんの迫真の会津言葉で語られ、実在する元技術者の悔悟と怒りの念を目の当たりにしているような錯覚さえ覚えた。

もちろんそれはフィクションであり演技であるけれど、それゆえよく整理されていて、原発事故を今一度思い返し、整理するのにとても解りやすい。ちょうど、何もかも正確に写り込んだ写真より、手書きの素描のほうがより解りやすく真実を伝えることがあるように、、、。

公演終了後のあいさつのときには対象的にシャキッと、いやシュッとしていたのが印象的だった。(いや、そちらのほうが「演技」なのかもしれない。どっちにしても素晴らしい。)

 その後、主催者のはからいでフォトセッションがあった。中村敦夫さんはちょっと戸惑ったような表情をしたが、すぐに書見台に歩み寄って公演の状態を再現してくれた。

花束を贈呈され舞台を去るとき、手を振る代わりに花束をさっと差し上げ振り向ないまま袖に消えていった。まるで紋次郎のような照れ屋さんぶりが背中に現れていた。


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