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Day 14 text / 0902

ヘマヴァン山岳ステーション→ヴィーテルスカール

朝メシのときにケイロンちゃんの歳が25と発覚。ケイロンさんと呼ばなきゃ。二十歳くらいの男の子だと思ったというと、しょっちゅうだから気にしないと。

まだまだ話し足りない気がするが、もう出なきゃ。日本語を勉強しているというボーイフレンドと一緒に日本においで、と言ってさよなら。

ヘマヴァンはKungsledenの出発点だが、スキースロープがめっちゃたくさんあるスキーリゾートでもある。ていうか、そっちが主たる産業なんだろう。飛行場もあるし、なんでも週末になるとノルウェーから買い物に来る人も多いとのこと。ヒッチハイクのケイロンさんはノルウェーに帰る車を捕まえて、ノルウェー経由で帰るつもりらしい。グッドラック。

僕は、スキースロープやリフトの保守道路や冬のレストランへの取付き道に騙されながらも、なんとかKungsledenのスタートをきる。

斜面を登りきると高原状の尾根になり、道はますますはっきりする。道標と岩に塗られたオレンジ色のペンキの目印で、もう迷うことはない。高緯度のこの辺りでは森林限界が800m前後。ダケカンバのような樹との中に針葉樹のが混ざる林を抜けると後はずっと紅葉した地這いの草や潅木ばかり。赤いベリーと青いベリーが混在している。食べてみたが赤いのは美味しくない。ブルーベリーみたいな青い方は、ほんのり甘い。しゃがみこんで食べていたらキリがない。お腹こわすかもしれないので、ほどほどにして、また歩きはじめる。

突然馬の蹄の響きに似た音がして、10mほど先に左手の斜面の下からトナカイが現れる。大きなオスがピンと尻尾を立てて僕の前を横切る。尻尾の裏側は真っ白で、多分それを目印にしているのだろう、2頭の子供と一頭のメスが付いていく。一度トレイル上でたちどまったて僕の方を見たが、すぐに右手の斜面の上部へと消えていった。まだ出会っていないがサーミの人たちの土地にいるのを実感する。

遠くの山々に雪渓が見える。地図によると山の北面には氷河があるはずだが、ここからは見えない。昨日の雨が標高の高いところでは雪だったらしく、山頂部だけ粉砂糖をまぶしたような山が1座、歩くにつれて行くて正面に見え隠れしている。かってに「カンリンポチェ(雪の宝、つまり西チベットのカイラス山のこと)」と名付ける。高原状の尾根を抜けU字谷に入ると、初めての場所なのにとても懐かしいきがした。カイラス山の周回巡礼路にどこか似ている。カンリンポチェと名前を付けたのも、あながち的外れではない。

ホンモノのカイラス山との違いは、もちろん形は全然似てないし、その上、道が山の向かって左から背後へ回り込む(仏教の巡礼者は寺や仏塔を時計回りに周回する)かわりに、山の手前で右に曲がってしまうこと。そのU字谷の曲がり部分に、今日の目的地ヴィッテルサルストゥガンの小屋がある。

小屋番のおばさん(Mia Buchtさん)は引退した教師で話好き。小屋近くにテントを張ると有料だがキッチンやシャワー(っても水浴び場のへやがあるだけだが)の設備が使えるとのこと。800m先に良いテント場があると教えてくれるが、初めての幕営なので、100クローナ(1200円くらい?)払って、近くの草地にテントを張る。

おばさんにお茶をご馳走になる。日本から来たのなら良いのがあると、出してくれたのはお抹茶!去年日本に行った時に買ったとか。ほほー「楽々抹茶」、茶筅なしでOK、フリーズドライしてあり長持ちする、みたいなことが缶に書いてある。おばさんは読めないので訳してあげる。

山小屋には十数人が泊まっている。女の子3人のグループはケイロンさん同様に昨日の雨でずぶ濡れだったとか。食堂へ行ってここで買ったものを食べる。ガスコンロと薪ストーブがあり、調理も自由にできるが、僕は面倒なのでお湯だけもらい、インスタントマッシュポテトと一緒に黒パンにトナカイの肉とチーズを混ぜたペーストを乗せて食べる。

食堂で話しているうち、400km以上北のアビスコまで歩くと言うと驚かれる。ここはまだヘマヴァンから一つ目の小屋だから、遠出しない人も多いのだろう。シベリア鉄道を通しで乗る人が少ないように。

テントに戻り寝るが、夜中にトイレに行きたくて目が覚める。手洗いの水が凍ってやがる!マジかよ。まだ9月になったばっか。これから北に向かうっていうのに、、、。



Day 13 text / 0901

ウーメオの駅で下車し、一緒のコンパートメントだったスウェーデン人とインド系イギリス人のコンビと同じバスに乗る。少し旅の情報の交換をしているうちに、彼らの下車地につく。僕はまだ数時間先の終点まで。

朝7時半から午後1時過ぎまで、思いの外長いバス。列車の窓から見える景色が朝起きたら一変していたが、バスの長い乗車の間にもいねむりからさめるたびに変化する。地図で見ると熊の爪痕のような、氷河湖の横をと通り過ぎる。アメリカのアップステイト・ニューヨークにあるフィンガーレイクスと同じようだが両手の指でも足りないくらいたくさんの湖が並んでいる。遠くに雪もみえる。いよいよスカンジナビア半島の中央、奥深くまでやって来たのを実感する。

Kungsledenの南の起点、ヘマヴァン着。直ぐにスウェーン・ツーリスト協会STFの山岳ステーションに行く。予想通りの綺麗さ、、、あまり僕向きじゃないかも。。。でも、雨も降ってきたし、地図や情報の入手、それにガソリンストーブ用に燃料も調達しないといけないので、今日はトレッキングを開始せずに、ここで泊まる。

立派な山岳ステーションはともかく、トレッキング途中で利用するかもしれない山小屋や避難小屋もSTFの管理なので、ユースホステルの割引が受けられるよう、ユースホステルには日本で前もって入会してある。会員証を送ってもらう代わりに入会確認メールをスマホで見せるだけでOK。時代が変わったな。。。そういえば、フェリーもシベリア鉄道も同じようにスマホでことが済むEチケットだった。ただ、僕はいつ壊れるかわからないもちろん電気機器は信じられないので、念のためにプリントアウトして持ち歩いているが、、、。話はそれるが、旅に出る時にトラベラーズチェックが日本では発行されなくなっていると知った。殆どクレジットカード決済かカードによる現地通貨のキャッシングになっている。

山岳ステーションのスタッフは皆親切で知識も経験も豊富のようだ。しつこくいろいろ質問しても丁寧に的確に答えてくれる。コースの予定を立てるにはスマホやタブレット用にダウンロードして使う電車地図が便利だと勧められた。早速入手するが、実際に歩く時に使うのはやはり紙の地図ででないと、、、。

一階の広間でのんびりしていると、Kungsleden全コースを歩き終えた人達が三々五々やってくる。泊まらないけど、雨に濡れた衣類を乾かし、体を休めてからバスに乗って帰るためだが、その中でボーイッシュな一人の女性(始め男の子だと思った、スンマセン)は雨の中外でテントを張って寝るそう。猛者やな。

彼女、ケイロン(Caylonは本来なら男の名前なんだけど、、、)という名のイギリス人で明日はヒッチハイクでドイツにある家に帰るとか。。。全然お金が無いと言う。トレッキング中は豆とパスタとサラミばかり食べていたというので、夕食をおごってあげることに。あれこれ話し込んでから近くのレストラン行ったらもう閉める時間なので、ピッツァしかできないと言われた。いや、もともとピッツァくらいしか食べる予定はなかったからいいんだけど。ケイロンちゃんにとっては久しぶりの、僕にとってはしばらくおさらばの「文明的」な食事。お互い食事の相手がいて楽しい時間になる。

ともかく、ケイロンちゃんは若いのに面白い娘で、インドやネパールが大好きで、行ったことある場所が僕と重なっていたり、またチベット仏教にも興味があり、いくらでも話が合う。しかも彼女もアーティストで油絵を描いていると作品の写真を見せてくれる。ちょっとイギリス人画家フランシス・ベーコンのキモい感触を持った人物画だが、僕は嫌いじゃない(でも、うーん、なかなかドロドロしたものを秘めてるね、この子)。人の作品を評するときに「誰々の絵に似てる」ってのは失礼なんで謝ったら、ベーコンは好きなので光栄です、って。僕も、電動マニ車、五体投地人形など彼女の好きそうな作品をYoutubeで見せびらかす。まるでアメリカの大学に居た学生時代戻っている気分。

ヘマヴァンで出会うまで、違う種類だけど、お互い長旅をしてきたので疲れている。これからも先が長い。話し足りないけど早く寝ることに。また明日、出かける前に。

追記:
ちょっと前に、Kungsledenの孤独な山歩きに向かって、自分の心も人から距離を置き始めている、と書いた。が、ヘルシンキでフェリーに乗る時に、何百人いる乗客の中からものすごく低い確率なのに日本人とぶつかって、旅好きの榊原さんたちと楽しく食事が出来たり、今日も「文明」最後の夜にめっちゃ濃い話題を、それも同じ土俵で共有できる人と出逢ったり、、、

前回、2年前の「オシラサマ馬頭琴」製作の長旅も、最初は意気込んで山中漂泊の民を気取り孤独な彷徨をするつもりが、次から次に人と出会い、お世話になり、想定外の旅になった。

どうやら、僕の旅は自分の意図とは別に「そういうこと」になっているらしいな。



Day 12 text / 0831

満員のシベリア鉄道の3等から、フィンランド行レフ・トルストイ号の実質二人の2等コンパートメント、そしてヴァイキング・ラインフェリーの一番安い二人部屋、と言ってもシングルで使える贅沢さ。どんどんグレードアップしている。。。けど、どんどん人との出会い関わりが減ってくる。

昨日、乗船時にぶつかった日本の女性たちとも船内で再会することもないまま。実際、朝から誰とも話していない。船は島や岩礁の間を抜けてストックホルムに向かう。ヘルシンキとの時差を知らず、早々とパッキングを済ませていたが、下船の案内で思ってたより1時間遅くなると判明。

下船口で昨日の日本の方に出会う。彼女らは6階デッキの部屋だから6階にある下船口から降りるはずなのにアナウンスが聞き取れず、乗船した4階まで来たのだとか。ひょんな事で出会い、またひょんな事で再会。昨日は恐らく、もう会う事はないだろうと思ったが、せっかくの縁なのでお昼を一緒にということになる。

彼女は退職してから旅行三昧だそうで、国内外を精力的に回られている。ピースボートで世界一周もしたとか。お連れの若い外国人女性はフィリピンの人。22歳で日本に来て27年!ん?30前後と思ってた。。。

港から駅へ移動して、駅前のカフェテリアで軽食を食べながら、旅の話がはずむ。昨日から今朝までの、あの「これからは独りだぁ〜!」的な気合はどっか行って、別れ際、ちょっと寂しくなる。

駅へ戻るり、いよいよKungsledenの南端ヘマヴァンまで切符をとる。夜10時40分発ウーメオ行、翌7時分着、それからバス。夜行列車は寝台か座席か迷うが、明日ヘマヴァンで直ぐに歩き始めるかもしれないので寝台に決める。

時間がたっぷりあるので、地下鉄で自然歴史博物館へ。ストックホルム大学に隣接しためっちゃ立派な建物。リアルな先史スウェーデン人の女の子の蝋人形が何とも、、、。スウェーデンの自然の展示を見る。主に動物の剥製だがよく工夫されていると思う。

帰りに大学のキャンパスを歩いてみる。起伏のある地形に今風のビルとレンガの建物が点在して僕の居たウィスコンシン大学のマディソン校を思い起こさせる。大学のサイズはマディソンほど巨大じゃないがそこら中に広がるやたらに大きい芝生が印象的。もうこの歳で学生に戻る事はないが少し昔の学生気分を味わってみる。

夕食のできそうな学食を地図で探して行ってみると、緑の古い木造の家に行き当たる。どこか、僕ら院生に当てがわれたスタジオのバーナードコートハウスに似てるな。パブ兼カフェテリアみたいなもんかな、と中を覗いていたら、仮装した若者たちがはしゃぎながら出てきて、ここは7時からオープンなので未だだよ、と教えてくれる。キャンパス中のパブで今夜はパーティらしい。ハロウィンにはちょっと早すぎね?いずれにしても飲まない僕には用がないので、飯を食えるところを教えてもらう。

芝生広場のすぐ向かい側にピザやケバブのあるカフェテリアでファラフェルプレート。ファラフェルの大きさとフレンチポテトの量に、またアメリカでの学生時代を思い出す。ていうか、自分が歳をとっていないで、まるで何十年前のままマディソンのキャンパスを歩いている錯覚に陥る。(おおげさじゃなく!)

思わぬタイムトリップで、さすがの高緯度でも陽が傾いている。駅に戻ろう。でも未だ明るいうちなら地下鉄よりもバスで景色を見ながらの方が楽しい。50番のバスに乗ると駅に行けるとおしえてもらい、すぐ来たので飛び乗る。

運転手にどうやって支払うか、クレジットカードは可能か?と尋ねたら、地下鉄の駅でパスを買わないといけないと教えられる。そりゃそうだな、京都の市バスでクレジットカード支払とか言っても、アホか、と言われるもん。戸惑って降りようとしたら、いいから乗って行きな、って。。。
!(◎_◎;)

運転の邪魔にならないよう赤信号の間に、この借りはどうやってかえす?と尋ねたら、いいからいいから、、、って。。。駅に着いたら教えてやるから、運転席の近くの席に座れって。彼は中東、アラブ系のお兄ちゃん。日本だったら職務に忠実じゃないが、と咎められるだろう。

子供の頃、用事でバスに乗り、目的のバス停をかなり乗り過ごしたことがあった。半泣きで子供料金の10円を払ったら、車掌のお姉さんが10円玉を返してくれて、これで戻るバスに乗りなさいって言ってくれたのを、思い出した。

何て事を考えていると、運転手の方からどこから来た?って話しかけてくる。「運転中は運転手に話しかけないでください」ってのが日本の交通機関には必ず貼ってある。多分、ここでもそうなんだろう。けど、運転手からこちらに向かってしゃべってるんだから、そのルールには当てはまらないっちゃあ、当てはまらないわけね。

日本のことは映画で見て知ってる。兄弟が日本に行って素晴らしい国だと言っていた。料理もうまいし、自分もいつか行きたいな、って。それから、モロッコて国を聞いたことがあるか?と。聞いたもなにも、アメリカに留学して最初に友達になった一人がナジャートという名のべっぴんさんのモロッコ人留学生。当時二十歳だったのにとても大人びて見えた。(今日はやたらアメリカ時代を思い出すね)。また、僕はいつかモロッコのフェズという街に行ってみたいと思っている、と言うと、彼の奥さんはフェズ出身なんだって。

そんな事話したり、クスクスやタジン鍋などアラブ・モロッコ料理屋なら僕も知ってるて言うと。そしたら、名前は忘れたけど熱い灰に埋めて何時間も調理するつぼ焼きみたいな料理ってが美味いとおしえてくれる。

話が日本の寿司に及ぶ。あれは美味いけど、こっちで出されるスシはやっぱ本物と違うんだろう?って。実は、昼間に怖いもの見たさで駅構内にある「Sushi Yama」というスシバーでテイクアウトを買って食べたんだけど、不味くはない。もちろん美味くもない。彼の言うとおり、似てるな非なるもの、と答えておく。ほんとは似てもいないんだけど、、、。同じ材料でも包丁さばきで味が違うよ、って知ったかぶりしてみたりして、、、笑。そしたらいい日本の刀の事も知ってるって。

停留所に停まるたび、どんどん人が乗り降りするのに、話はとどまるところを知らず、景色を見るどころではない。が、楽しいバスライドをしてるうちに駅。ありがとう。この借りは返せないけど、、、

10時半少し前にホームへ行き、定刻乗車。三段ベッドの6人部屋。僕は中段。朝7時過ぎ着だから寝るだけで、同室の客と話をする時間もない。荷物を放り上げてシーツをを敷き、直ぐに寝る。