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そば

2015-08-09 14.43.47昨日、ひっさしぶりに北山の「じん六」さんへ行った。

春に新店舗になってからは初めて。

以前と同じ場所だがマンションの1階。前の店の雰囲気を引き継いだシンプルなしつらえが好もしい。

たまにしか行かない客なのに、僕が蕎麦がきが大好きなのを知ってくれていて、顔をみたとたんから蕎麦がきを作り始めてくれた。相変わらず、もちふわの食感がたまらない。

もちろん蕎麦も変わらず美味しい。産地別三種をいただいた。群馬、北海道、福井の順で出されたが、後になるほど香りがたつ。意図的にそういう順なのだろうな。。。

そうそう、前に仮店舗で食べそびれていた鯖寿司にもありつけた。めちゃ旨いねえ〜。今、これ書きながら写真見てよだれが止まらん!!!

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昨日、雨ふれー、って念じたら、今日になって通じた。

2015-08-08 22.29.45Mod2015-08-08 17.42.06Mod 2015-08-08 17.42.47Mod 京大のカンフォーラに行ってゴリラのチーズケーキを食べ、それから一乗寺へまわり大西暢夫さんの

大西暢夫写真・映像展
『家族の軌跡』3.11の記憶から

を見ようと思ったら、原谷は雨。雷もなってるし、躊躇しているうちにカンフォーラが土曜日は3時までだってことが判明。スイーツ食いそびれてふてくされて雨の止むのを待っているうちに4時前になっちゃった。映画も間に合わない。。。

で、友人と明日、蕎麦を食いに行く相談のチャットしていて、彼女が出しっぱなしにした洗濯物を心配するので、僕は「雨は局地的だから大丈夫じゃない?」と自分で言った、で、そうか、止むのを待つ必要ないなと、はたと気がついて、表に出たら、止んでるやんかぁ。。。。

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遅れてもいいから、とCiaoを飛ばして一乗寺のBIT CUBEへ。30分遅れだったけど、残り1時間は観れた。

観始めてしばらくし、津波被害者のひとりの婦人が、、、小さなアオガエルが被災した住宅の窓にひっ付いていたので、こんなところには餌もなかろうにと草むらに持っていったけど、翌日もまた来て、今度は水のあるところに持っていったらまた次の日も、次の次の日も来て、あれは行方不明の娘だったのではなかろうか、今は仮設住宅に移って来てしまったけど、カエルになっていてもいいから娘に会いたい、、、、と言った言葉が忘れられない。

大西さんの映像は、冷たく通りすがりに眺めるのでも、熱く遮二無二ふところに跳び込むのでもない、淡々と、しかしやさしく被災者を見つめる。スチールの写真家の彼は映像の技術が無いというが、そんなものは僕にとってどうでもよかった。もちろん彼にはカメラマンとしての自負もあるだろう。けれど、慣れない媒体だからこその緊張感が画面から見て取れるほうが、このテーマにはふさわしいと思った。

明日、蕎麦に行く友人を誘ってもう一度BIT CUBEに行くことにした。その友人はアール・ブリュットに造詣が深いので、さっきのチャットで「あれ、このひと、アウトサイダーアートの作品も撮ってない?」と言っていた。僕は寡聞にしてしらなかったが、大西さん本人に聞いたらそうだった。明日も大西さんは在廊だとのこと、僕はそっち方面はちんぷんかんぷんだけど、彼女には面白いかもしれない。

大西さんに、秋田の共通の友人からこの展覧会のことを教えてもらったと話して、オシラサマ馬頭琴の東北の旅の帰りのレグで秋田に寄ったこと、その後に岐阜のスープ屋さんちにも寄ったことなどを話したら、スープ屋さんとも知り合いだという。。。

おお、コテコテと繋がるなあ、、、 帰り際に別の知り合いにも会い、なんか、面白い午後だった。。。

ゴリラチーズケーキは終了なのでもうも無理だけど、今日行きそびれたもう一つの本屋さん中京の「レティシア書房」にも近々、、、いや、明日にでも行ってこよう。

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レティシア書房のかわりに、恵文社一乗寺店に寄り道して、外へ出たらもう真っ暗だった。

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On The Atomic Bombs

Like Perl Harbor remembered as the one most unbearable  grudge by Americans, Hiroshima and Nagasaki are regrettably remembered by Japanese. However, we don’t blame Americans; we just denounce the use of the atomic bombs.

You may not know how much exhausted Japan was shortly before the end of the WWII. There was only nominal military strength left to Japan then. Along with the long-run indiscriminate bombing over cities on the main islands and the landing operations and the battles of Okinawa and Iwo-jima had given Japan the fatal damages.

By August, 1945, it had already been obviously a matter of time for Japan to surrender. It is often said the atomic bombs hasted Japan’s decision to give up, but I don’t agree with the erroneous idea. They might have shortened the period of the war, if they did, only by a few days or weeks at most.

Just two atomic bombs killed more than 200,000 citizens, and would give the survivors intolerable pains from severe burns and radiation sickness that still last to this day.

The entire number of US’s war dead counts about 110,000 on the Pacific Theater throughout the WWII. So, it makes no sense at all that more lives of people (US soldiers) than the victims of Nakasaki and Hiroshima would have been lost to the landing operations and the following battles of the main islands of Japan.

I want Americans to come away with the idea that the mercy shots with atomic bombs saved people. They simply massacred.

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Then, what was the purpose for the use of the atomic bombs? The answer is easy: the experiment. These cities, which hadn’t suffer extensive bombing with conventional weapons, were deliberately chosen as the targets so that the atomic bombs’ effects on intact urbs would be easily measured.

Did they need to give not just one but two satanic mercy shots? Of course not, but for the experiments’ sake, yes. “Little Boy” for Hiroshima was of uranium type and “Fat Man” for Nagasaki of plutonium type. Two different types of atomic bombs were tested in combat. (It was so easy even for the unarmed special B-29s, not escorted by fighters, to carry out the missions without having been intercepted by Japanese fighters, because Japan’s flying corps was near-extinct by then)

There was the predecessor atomic bomb called “Trinity”, which was detonated in the middle of a dessert in Nevada, demonstrated a mighty power of the nuclear reaction, but its result lacked information about its destructive ability against city buildings and radio-medical effects especially upon real humans.

The physical destruction was instantaneous but illness caused by atomic-bomb radiation lasts as long as the victim is alive and the radioactive damages on genes will be passed on beyond the generations…

I want you please to understand how inhumane the atomic bombs are.



夕立、こないかなぁ

暑いのでこのところ引きこもっている地下室には何故か広いベランダ(バルコニー?)がある。しかも高台なので見晴らしがいい。 う~む、矛盾するような表現やなあ・・・

ま、それはともかく、仕事の手を休めて外を見やると、向かいのお山にむくむくと積乱雲が湧き上がってきた。さっき雷とか鳴っていたから、ざぁっと一雨こないかな。

ベランダに出てみたらうちの上空にも雲がある。積乱雲だったらそのうち冷たい風を吹き降ろすだろうけど、外気はむっと暑いばかりで、そよとも吹く気配がない。早々に引っ込んだ。

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