映画「Kungsleden」(邦題:太陽のかけら)、その2

トレッキング中にそれほど大勢の人には会わなかったけれど、山小屋に立ち寄ったときなどには、小屋の管理人さんや他のトレッカーたちから、なぜこんな遠いところまで来たのか、と訊かれた。その度に、映画「Kungsleden(太陽のかけら)」を観たからだと答えたが誰もそんな映画のことなど知らなかった。

50年も前のマイナーな映画など簡単に忘れられてしまうのだな。。。と残念に思いながら歩き続けた。

今回のトレッキングでは山岳ステーションも含めて15ヶ所の山小屋に立ち寄ったり泊まったりしたが、Kungsledenの旅も終わりに近づいた13番めのアーレスヤウレという山小屋まで来た時にやっと映画を観たという人に出会えた。それは小屋の管理人さんで、僕より少し歳上と思われるインゲル-リーゼという女性だった。彼女曰く「まだ山小屋で仕事をするなんて夢にも思わない頃だったのでストーリーはよく憶えていない。ただ、風景がとても美しかったのははっきり記憶に残ってる」とか。

僕はもう舞い上がってしまった。Kungsledenへは人に会いに来たわけじゃない、わざわざオフシーズンを選んで、むしろトレイルで人がいないのを喜んでいたはずなのに、同じ映画を観た人が目の前にいると思うと、、、多分、僕は嬉しくてくちゃくちゃの顔をして笑っていただろうな。インゲル-リーゼさんも同じように喜んでくれた。

それだけではなかった。インゲル-リーゼさんが僕の興奮醒めやらないうちに、「あなたに見せたいものがある」と追い打ちをかけるように言った。「ここには毎年のようにやってくる一人の日本人がいて、彼はその映画を観て感動し、映画のあらゆることを調べ、こうやって資料を残してくれている」と紙が一杯詰まった分厚いファイルケースを2冊取り出した。そして「お貸しするから、今夜はゆっくりこれを読んでみて」と手渡してくれた。

その人は大久保信夫さんという方で、この20年間、毎年アーレスヤウレに来ては長い時は数週間滞在し、この辺りでは『伝説の人』だとか。彼は映画の舞台となったKungsleden北部一帯を歩いて、なんと映画のシーンから実際の撮影場所を特定されている。ファイルの中に映画の場面との大久保さんが撮った比較写真が何枚か並べられて、手書きの地図や説明も添えられていた。また、現地調査だけでなく、日本公開のために付け加えられたサウンドトラックのBGMについても調べられていて、楽譜や後に作られた歌詞に至るまで、コピーされた資料がどっさり。。。

さらに嬉しかったのは、パンフレットや雑誌での紹介記事のコピーがあったこと。公開当時僕はまだ中学生で何とか映画の入場料は捻出できても、いつもパンフレットを買えたわけではなかった。表紙のカラーコピー、解説やあらすじ、、、見たかったもの、読みたかったもの(それも日本語の!)がまさかこのKungsledenの山小屋で待っていたとは!!!

インゲル-リーゼさんが「残念なことに今年は大久保さんは来なかった。去年は来たんだけれど、、、」と教えてくれた。何があったのかは判らないが、もうあと3日でこの辺の山小屋は閉まってしまうから、今年はもう来られないだろうとのこと。僕も会えなくて残念。

「もしも大久保さんに何かがあって、今後も来られないことになったら、あなたが代わりに『伝説の人』になりなさい」という冗談をインゲル-リーゼさんだけでなく、次のアビスコヤウレの小屋でも彼に会った人たちから言われた。そのうちの一人はまだ二十歳そこそこのアメリカ人青年で、去年アーレスヤウレで大久保さんに出会い、その後日本に行った時、大久保さんの家を訪ねたこともあるとのこと。彼はアメリカに帰ったら住所を調べて送ってくれると言ってくれた。

山小屋を管理するSTF(スウェーデン旅行協会)は個人情報である大久保さんの住所などの連絡先を教える訳にはいかない。が、インゲル-リーゼさんは、大久保さんと長年個人的なつながりのある管理人仲間がいて、その人から「友人」の情報としてなら聞いておいてあげられるからメールする、と約束してくれた。

日本に帰りしばらくしたら、アメリカからの知らせより早くスウェーデンから住所が届いた。メールのフォントなのに判読に若干の問題があった。「・・・Yach 140-cho」とある。何かおかしい。。。

それが「Yachiyo-cho」だと解るまで少し戸惑ったが、、、欧米人の書く4は上の角所がかなり離れていて、横画の右端は縦棒から右へは出ない。そうすると「y」に見えないこともない。1は「i」と取り違えがちだし、、、(笑)

手書き文字読み違い→テキスト変換間違いの謎を解いて、大久保さんに手紙を書いたら、折り返し電話をいただいた。その後のやりとりで、来週、茨城県のお宅へお邪魔させていたくことになった。

大久保さんは、ストックホルムにあるスウェーデン・フィルム・インスティチュートで特別に彼ひとりだけのために「Kungsleden」を上映してもらい、オフィシャルにビデオコピーまで入手されている。おそらく、撮影シーンの特定にそのビデオを何度も何度も観られたに違いない。もう僕のような一丁噛みとは比べ物にならない情熱。恐れ入りました。。。

繰り返し観られた大久保さんは、主人公の幻想と現実が入り混じり、過去と現在が交錯するストーリーをどのように解釈されているのだろうか。。。

僕はKungsledenのトレッキングトレイルを忠実に辿っただけだが、大久保さんは長年繰り返し訪れるうちにバリエーションルートもたくさん歩かれている。僕が遠くから眺めただけのスウェーデン最高峰ケブネカイセにも登頂されている。僕の行けなかった場所、知らない景色などの地理的なお話しを伺うのが楽しみだし、第二次大戦中のスウェーデンとドイツの関係、さらにはユダヤ人やラップ人と呼ばれたサーミ人との関わりなど映画の歴史的、文化的背景について、お聞きしたいことが山ほどある。。。

かつて、こんなかたちで人を訪問したことなど一度もなかった。だからお会いするのが楽しみのような、怖いような、、、、

——

追記:大久保さんが今年Kungsledenに来られなかったのは、病気や高齢による体力低下などではなく、この夏中は車で四国を廻り、山も登っていたからだとか。一昨年、アーレスヤウレのスタッフにその旨を伝えてあったはずだけど、、、とのこと。

「ビデオも音楽もあるし、写真もや楽譜、見たいものがあれば何でも見せてあげますよ」と言ってもらえた。気さくな方で、少しホッとした。

僕の「太陽のかけら」を探す旅も大詰めに近づいている。


「映画「Kungsleden」(邦題:太陽のかけら)、その2」への4件のフィードバック

  1. うわ〜〜岡本さんだ!さすがやりますね〜

    東北のオシラサマ旅と言い今回のスエーデントレッキングもなんだか小説か映画を観てるようで・・鳥肌もん。

    落ち着いたら 報告会を是非。

    1. かさぶらさん、 ちょうど二年前オシラサマに導かれるように東北を旅したときも、先々月、氷河の削った岩肌を眺めながらブルーベリーで敷き詰められたU字谷の谷底を歩いていたときも、思い出したらまるで夢見てんじゃね?と思うほど現実離れしてます。ある友人から「このたび話もまた、『そういうこと』になってますね!」と言われましたが、毎度、孤独な旅人をイメージして出かけていくのにお決まりのように色んな出会いに「恵まれてしまう」んです。(かく言う「友人」もオシラサマの縁で東北で出会った人です!)

      大久保さんは年代からしてインターネットやEメールとは縁のない方のようで、紙のメール第一って感じで封書のやり取りをしています。嫌いといいつつFBで情報をばらまいている僕とちがい、SNSに関わられることもなく、スウェーデンに出かける前にいくらネットで調べてもヒットしなかったはずです。グーグルで調べ上げ始めから彼の存在を知った上で狙いをつけて行ったわけではなく、何も知らず実地にアーレスヤウレという山小屋まで行って初めて彼の残した資料に接し、今週末にはお会いすることにまでなったのですから友人の「そういうこと」という出会いの最たるものだと思います。

      よく考えたら、僕が自分の個人ブログならまだしもFBへ記事をリンクしていることは、大久保さんを迷惑をかける結果にならないか、、、心配です。
      もうかなり情報をばらまいてしまっていますが、FBへのリンクはあと2、3回で終わるこの旅の報告投稿でおしまいにしようと考えています。報告、という意味ではFBも知り合いに一挙に僕の旅をシェアできるので便利なんですが、、、その中で真逆の行き方をされている大久保さんをはじめ「リアル」に出会った体験を語るってのはどこか変だ、と思うようになりました。そんなとき、先日久しぶりに会った知り合いから「FBのことを悪く書きながら利用してる」とおしかりをちょうだいしてしまいました。確かに、、、。

      かと言って「リアル」な報告会をするか、と言われれば答えは「No」です。そんかし「本」でも書こうかしらね。(笑)

  2. なんと 劇的な展開で小説を読んでいるような気分です
    同じ気持ちを持った方がみえたんですね
    私にはそこまでの映画ってあったのかと 思うとお二人が羨ましいです
    ご縁ですね
    良かったですね

    1. 榊原さん、 「小説を読んでいるような気分・・・」。たしかに、、、、今、振り返ってあの時のことを書きながら、なんか出来過ぎていてウソみたい、と思えるんです。仕込まれたように旅の大詰めになってすごい出会いというかすれ違いというか、そんなことが起きるなんて、、、と。

      でもねえ、ほら、あのときの、、、日本人のほとんどいない外国で大きな客船に百人に二百人も乗るって時に、肘がぶつかってうっかり日本語で「すみません」って謝った相手がお互い日本人だった、ってのも、なかなか無い話しですよねえ。。。

      旅をしていると、ほんとに不思議な体験をいっぱいしますね。

chikako nakamura へ返信する コメントをキャンセル

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

画像を添付 (JPEG only)

このサイトはスパムを低減するために Akismet を使っています。コメントデータの処理方法の詳細はこちらをご覧ください