それぞれの旅

ここ数年、夏が終わりに近づくと旅に出ていた。今年は早々とまだ寒いうちから四国八十八ヶ所の霊場を歩き遍路で回りたいという願望に取り憑かれていた。しかし思わぬ定期の仕事が入ったために、当面は延期ということにしておいた。1年や2年延ばしたとしてもまだまだ体力は残っているだろうし、望外の収入を旅の路銀に貯めておけばいいやね、と。

しかし、また日が少しずつ短くなるのを感じる季節になり、どっかと地に据えていたはずのお尻がムズムズし始める。週にたった一度の仕事なんぞ打っちゃって、御免っ!と一言いって人でなしをやればいいんだよ、という甘い誘いが聞こえて来る。寒くなる前に出かけないと、、、と季節に駆られるように旅の妄想が始まる。

妄想だけではない。ふと気づくとスマホやパソコンで具体的な旅の算段をやっている。しかもそれは何故か四国遍路ではなく、去年行った北欧のトレッキングトレイルKungsledenへの回帰。あの旅で中学生の時に夢見た憧れのトレイルとの邂逅を果たしただけでなく、旅の動機となった映画『太陽のかけら(原題:Kungsleden)』に散りばめられた謎が、半世紀を経て旅路を辿る中で次々に解けたのだから、かの地への想いは十分に燃え尽きていたはず、なのに。2016-09-03-14-06-08

結局は今日まで人でなしの一言は切り出せず、スマホのアプリで見つけた関空⇔ストックホルム往復7万円という格安航空券も予約しないまま、9月下旬には全ての山小屋が閉鎖されるので丸ひと月かかるKungsledenの旅は幻夢に終わろうとしている。(まだ「今すぐ」なら間に合うぞ、という声も耳をよぎるのだが、、、)

そんな時、昨年来堺町画廊で行われてきた「民映研の映画上映会」で知り合った正木隆之さんの本『ちゃりんこ日本縦断』(副題:アクティブシニアの小さな冒険)が届いた。正木さんは長年の勤めを退職して、新たに起業する前の「垢落とし」として日本縦断自転車旅を敢行した人で、執筆から編集、装丁まで1人でこなされたとのこと。パソコンよる組版もそのためにIndesingを勉強して仕上げられたという。人当たりの良いやさしいオジサンの正木さんだが、見かけによらぬ(すんません、、、)情熱の持ち主なんだろうな。

まだ読み始めたばかりだが本の出来もすばらしい。「日本縦断」、「自転車」、「本の自力編集」、「自費出版」という頑張りの原動力はその情熱なのだろうけど、本の中身は好奇心に溢れた人らしいたくさんの写真とともに、自分自身をよく知る還暦過ぎた人ならではの適度に脱力した旅の体験談が淡々と描かれている。読み始めたばかりだが、ページをめくる度になんとも旅心をくすぐられる。

正木さんの本を注文してから届くまでの間に、東京の友人Tさんから彼のチベットでのフィールドワークとその後の研究の集大成の論文を読んで欲しいと連絡があり、ほどなくPDFファイルがメールで送られてきた。迂闊にも正木さんの本が間もなく届くことを失念していて、すぐダウンロードして読むよと気軽に返事してしまった。

しかし、Tさんの論文は本文だけでも5万文字と10ページ及ぶ注釈、さらに地図などの図表と現地の写真多数。ここに詳しくは書かないが、彼が長年断続的に行ってきた広範囲にわたる彼のチベット単独踏査行は標高4〜5000メートルの無人の荒野を補給なしに歩くなどサバイバルの極限と言っても過言ではない凄まじさだし、日本での文献調査も地理学書や地図は言うに及ばず仏典を含む専門書などを多岐にわたり、それらを深く読み込み考察してまとめた論文はフォールドワークに裏打ちされた圧巻の内容である。しかもTさんはその研究内容を弛まず吟味し続けているのだ。論文はこの数年の間に何度も改稿され、僕も節目には読ませてもらってきた。そして今回もまた感想や意見を求められたというわけだ。

だから、先にTさんの濃厚かつ膨大な論文を読んだらその後に正木さんの旅行記を読むエネルギーは残らない恐れがある。申し訳ないけどTさんには、後回しにするからと詫びを入れておいた。とまれ、期せずして全く性質も分量も異なる2つの「旅行記」を読むことになったが、読み耽って僕の旅行熱を冷ますにはちょうどいい時に来てくれたものだ。(逆効果の恐れも大なのだけど、、、)


追記:正木さんにTさんの論文のことを書いて知らせたら、ご自分の著書と比較して「満漢全席とお茶漬け」と表現された。「軽さだけがとりえ」、「ミントの効いたシャーベットくらい爽やかだったらよかったのだけど」とも。猫舌の僕には冷ご飯に鮭や海苔や霰やワサビを載せて冷茶をぶっかけた茶漬けが軽く爽やかで何よりも美味しい。正木さんの文章はまさにそんな細やかな具が散りばめられた茶漬けのように軽く、ミントシャーベットのように爽やかだ。

でも、その絶妙な喩えから窺えるように文章の具としての個々の表現は吟味されエスプリに満ちているし、紙面の半分以上を占める豊富な写真もなかなか味わい深いので、ついつい読みながら妄想の世界を漂ってしまう。お茶漬けのようにサラサラっと掻き込んではその美味しさを牛のように反芻していると思ったほど早くは読み進まない。これは望外に楽しい手強さだ。はたしてTさんの大論文に行く着のはいつになるやら。


追記の追記:Tさんとのやり取りで、正木さんの『ちゃりんこ日本縦断』の写真目次ページに使われた見開きの写真(海沿いの原野の中を走る一本の道路)を見て、これはサロベツ原野だろうか、猿払原野だろうか、という話になった。これが北海道のどこかであろうということだけを言い当てるのは、さほど難しい話ではないのだが、、、

本を手にしていないTさんは、僕が送った写真(上)から目次の端にかすかに写っている九州、中国、四国 近畿、北海道、東北、北陸、京都へ、と並んだ地方名から走行ルートやフェリーの航路を想定し、写真に写った道路の規格と彼の記憶と比較した考察をメールで送ってくれた。多分、かなりの時間を割いて彼の頭の中で旅をしたことだろう(いや、地理の専門家で博識、日本中を歩き回った彼にしたら一瞬のことかもしれないな)。読んでいるこちらも思わず彼の「その旅」に引き込まれる。普通の人には「何も写っていない」写真1枚(正確にはその写真が載った本の目次の写真)でこんなに楽しめて、また楽しませてくれる友人がいてくれて嬉しい。僕にも何かしら似たところがあるので、正木さんの本にも「手こずる」ことになるのは見え見えだ。

ちなみに、Tさんと正木さんには日本縦断という共通点がある。ただしTさんは歩いて。