「Kungsleden」カテゴリーアーカイブ

ガモフとの邂逅

ガモフはロシア生まれのアメリカ人物理学者だけど、東北地方のある地域ではうっかり口に出せない名前であるとか、ないとか、、、しかし京都人の僕にその意味は判らない。(フェラガモもいけないらしい、、、)

それはともかく、ジョージ・ガモフのことを知ったのは中学生の頃。京都の三条にあったアメリカ文化センターという、米国商務省の宣伝広報機関に併設された図書館に出入りして、メカ好き少年や飛行機小僧向けのPopular Mechanics、Aviation Week、ボーイスカウト向けのBoy’s Lifeなど珍しいアメリカの雑誌を飽かず「眺め」たものだ。(英語、読めんかったもんね、、、)

J.F. ケネディーが大統領だったころだ。。。アメリカ経済がベトナム戦争で疲弊する前で、アメリカ文化センターも潤沢に予算があったのだろう。図書館の書架には雑誌だけでなく、政治経済、科学技術、芸術文化、文学などの入門書から専門書まで、原書訳本取り混ぜて並んでいた。

その中に『ガモフ全集』という分厚くて黒い重厚な装丁の本が十数冊、セットで置いてあった。巻を取っ替え引っ替えランダムに取り出して、恐る恐る開いて読んでみたが日本語なのにちんぷんかんぷんだった。後に大人になってから読んだ『ファインマン物理学』のほうがまだ理解できた。まあ、勉強嫌いな劣等生だった中学生の僕に『ガモフ全集』は難しすぎた。それに懲りてガモフについては以後触手をのばすことはなかった。(あの敗北感は決して忘れることはなかったが、、、、)

昨年12月、大学院で宇宙物理をやっていた友人に「ガモフってどんな人?」っていう、まるで子供みたいな質問をしたら『不思議の国のトムキンス』という一般人向けの物理学啓蒙読み物を書いた人、と教えてくれた。ガモフはビッグバン理論の黎明期に関わった高名な学者だって。友人は、ビッグバン理論を支えた「アルファ・ベータ・ガンマ理論(α-β-γ理論)」という言葉も出してきたが、相変わらずちんぷんかんぷんのまま。。。(ただ、後から。α-β-γ理論の研究を論文化する時のエピソードなんかを知ったらガモフっておちゃめ、って思う)

帰ってから一般向け入門書の『不思議の国のトムキンス』くらいなら平易で読めそうかなと調べてみたら、なんと、それはあの『ガモフ全集』に収められていたんだって。全然憶えてない。十数巻もある全集を網羅して読んでいたら行き当たっていたかも。。。と思って、古書を当たってみたら全集の他の話もまとめて『トムキンスの冒険』とされた訳本をヤフオクで見つけた。全く競ることなく程度の良い一冊を落とすことができた。

実際手にとってみたら、『不思議の国のトムキンス』初版は戦前だったから、戦後の翻訳とはいえ文章の表現は古めかしい。中学生だった僕が『ガモフ全集』の中でこの話に行き当たっていたとしても、おそらく数ページも行かずに投げ出したことだろう。でも、あれから幾らも賢くなったとは言えないにしても、今なら湯水のように時間はあるし、根気だって少しはましになっている。四、五百ページはありそうだけど、パラパラめくってみたらそれなりに面白く読めそうな感じ。

今さら物理学を「啓蒙」されたくもないけど、半世紀も前のやり残しを反芻する、、、っての、どこかでやったなあ、、、(そっか、、、昨秋に行ったスウェーデンへの旅も、そういや中三の時に観た映画『Kungsleden』の舞台の地を訪ねるセンチメンタルジャーニーだったしなあ、、、)


角スコ背にした渡り鳥

角スコップ買うなら北国北海道、とやって来たのは誰も知らない礼文内で木工職人やってるKさんのうち。(この一家はクラフトパーソンと芸術家の宝庫なのに、、、欲がないというか、、、ま、それは置いといて)

おお、我が街、京都! 原谷も見えてる。。。

二年ぶりの友人家族と大勢のネコたち。イヌとウマさんもご無沙汰 !

人里離れた礼文内の心優しい人たちと居心地の良い手作りの家を寝ぐらに、遠くの街に出て店を回って日がな一日角スコップを探し歩き、翌日から友人の作業場を借りて 、ここんとこずっと妄想していた馬頭琴をでっち上げた。

 

Kさんたち以外、昔の友だちにはとうとう誰にも会わないまま。礼文内に別れを告げて角スコ馬頭琴を担いで列車とバスを乗り継いで、また別の友人家事のところへ転がり込んだ。

馬頭琴演奏家で友人の嵯峨治彦さんちでとうとう角スコ馬頭琴は「産声」をあげた。「ヒョウタンから駒」みたいにでっちあげた角スコップがか細いながらも、プロの手でしっかりといなないた。

しかも、翌日は雪に覆われた木立のなかの「オーリンホール」(モンゴル語で山の楽器、もしくはホール)で行われた喉歌デュオユニット「タルバガン」ライブで、楽器としてもデビューを果たした。モンゴルやカザフの文化を研究している西村幹也さんが羊蹄山の麓に開いた「北方アジア遊牧民族博物館」 のオープニング記念のコンサートだった。

北方アジア遊牧民族博物館

オーリンホール

演奏の翌日、ホールを去る前に演奏者の嵯峨さんと一緒に雪原を背景にして角スコ馬頭琴の撮影をした。その様子は別にアルバムとしてアップするが、最後には雪を掘るスコップに戻っていた。。。(楽器としての機能を得た後もスコップとしての機能を失ってはいないのだ!)

オーリンホールの閉門。一応これで角スコ馬頭琴の旅は終わり。

*追記:

さて、明日の午後には関西へ戻る飛行機に乗ることになった。モノがモノだけに空港では機内手荷物としては扱えないので預けることになるが、楽器だと申告すると預けるならハードケースがどうの、それが嫌なら座席に置いて料金割増がなんたらかんたら、、、とめんどくさいことになる。

今からはこれは角スコ馬頭琴ではない!!!馬頭琴角スコップなのだ。。。いや、馬頭は付いてないんだから、やっぱり角スコップ!!!

北国の養蚕に関わる民間信仰をモチーフにしたオシラサマ馬頭琴が関西の人間にはピンとこないように、角スコの持っている「冬⇒雪⇒辛い雪かき」という連想の働かない関西人にはこのパロディーの持つ悲哀感は伝わらないかもしれない。

思ってもみなかった馬頭琴に仕立て上げられたり、飛行機に乗るためにまた角スコップに戻ったり、、、角スコ馬頭琴はアイデンティティ・クライシスに直面していることだろう。

生まれてきた偽道具・偽楽器は、それ作るために旅をしている僕自身の鏡のようなものだから、同じ迷いは常に自分の中にも在る。

で、この秋に旅したKungsledenのある山小屋を去るときに、小屋の管理人のMiaがブロックフレーテで吹いてくれたNordmanの曲「Vandraren」の歌詞が浮かんできた。

放浪者は旅の終わりにたどり着いたら、もう行くところがない
・・・
辛いけど歩き続けろ、いつでも振り返れるんだから
辛いけど歩き続けろ、ここへは放浪者としてやって来たんだから

いや、僕は別に辛くなんかなく、めっちゃたのしかったんだけどね。。。


しっかり学ぶトルコ語とKungsledenの本 その1、

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以前注文していた本、「しっかり学ぶトルコ語」と「Kungsleden」が2冊同時に来た。

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「しっかり学ぶトルコ語」は直ぐに「はじめに」を読んだ。驚いたのはその内容が、僕が先の投稿で書いたこととばっちり重なってること。もちろん、この本を手にする前にドイツで著者のアポと話をしているし、旅に出る直前にも日本に来ていたアポに会っているから、彼の考え方をよく知っていた。しかしそれにしても僕の書いたことがあまりにピッタリと「はじめに」の内容と一致しているので怖いくらいだ。逆に考えると彼が僕の脳に如何に効果的に言葉を植え付けたかを現している、とも言えるかもしれない。

先の投稿では、僕がシベリア鉄道で、またドイツで、僕が感じた「トルコ語を勉強しときゃよかった」という後悔のことを書いた。アポは「トルコ語はユーラシアを旅する時に大きな資産になる」と言ってくれていた。本当にそのとおりだったのだが、、、いかんせん時遅しだった。

僕が乗ったシベリア鉄道は実はシベリアという地名から一般に想像されるタイガとツンドラ地帯ではなく、むしろチュルク系の言葉を話す民族が住む地域を貫いたりかすめたりしながらシベリアの南端を東西に延びていて、ウラジオストクからモスクワまでの一週間はチュルク語の話者が入れ替わり立ち替わリ乗車して来た。その多くの人たちはトルコ語が解ると言っていた。それはトルキスタンにおけるオスマン語の残照と見たり、トルキスタンの盟主を自認するトルコに主導された汎トルコ主義に因るものというよりもっと単純に、源を同じうする彼らの言葉の類似性・共通性に負うところが大きいと思う。ともあれ、アポはその「はじめに」の中で、ユーラシアでトルコ語が占める位置の大きさを示すために、「実質的に同言語」と彼が言うチュルク系の語圏に属するアジア中央部の国々のことを挙げ、さらにトルコからの移民が多いドイツにまでその範囲が広がっていると書いている。

また、僕はこの本を紹介する先の投稿に対していただいたコメントへの返信で、日本語とトルコ語の類似性についても書いていて、それは両言語を比較するときに必ず出てくるクリシェだから、親近感を強調して読者にトルコ語への興味をもたせるようにアポが同じことに言及してもおかしくはないのだが、、、それにしても「はじめに」を読んだ時には、遠くに居る友人とまるで思考の「波長」が同期したような気持ちになった。。。

元々アポは僕に対して無口なのだけど、それは無愛想というより、本当に必要なことをズバリ、それもきっちり理屈に裏打ちされた言葉で話すから言葉少なで良いということ。さらに、いつもではないのだけれど、日本人の得意な「腹芸」とか英語の「to play a guessing game」みたいなメンドクサイ話ではなく、何も言わなくても何となくお互いの気持ちが通じるときがたまにある。今回も、同時に同じ場所でピンと来たのではないけれど、何となく考えが重なったのかな、と。(もっとも、最初に書いたように「彼が僕の脳に如何に効果的に言葉を植え付けた」結果なのかもしれないが、、、)

長くなったので「Kungsleden」という小説本については機会をあらためて、、、

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Kungsleden ブログ 目次

2016-09-03-14-06-08

幾つか切れていたリンクを復旧しました。。。m(_ _)m
(*付きのタイトル)

DVD from Sweden via Germany 07/08

この線路の向こうには何があるの?  07/17

ロシアビザ  07/26

Barbour Jacket Reproofed バブアージャケットのリプルーフ  07/29
Optimus 123r Svea  08/02
Optimus 123R Svea クリーニング  08/05
Optimus 123R Sveaのカバー  08/08
ロシアビザ  08/10*
まだまだついてる!  08/11*
シベリア鉄道の車両と座席配置  08/12*
この線路の向こうには何があるの?  08/14*
その後いろいろ、、、  08/14*
なんか、夜中に洗濯とか始めてしまって、、、  08/20*

首途八幡宮(かどではちまん)  08/20

Day 01 text / 0820
Day 01 photo / 0820 京都⇒JR⇒境港⇒フェリー⇒東海

Day 02 text / 0821
Day 02 photo / 0821 東海⇒フェリー⇒ウラジオストク

Day 03 text / 0822
Day 03 photo /0822 ウラジオストク⇒シベリア鉄道

Day 04 text / 0823  シベリア鉄道
Day 04 photo / 0823 (アクバルくん)

Day 05 text / 0824  シベリア鉄道
Day 05 photo / 0824 (エヴェンキのアナトリーさん)

Day 06 text / 0825  シベリア鉄道
Day 06 photo / 0825 (ウラン・ウデ⇒バイカル湖)

Day 07 text / 0826  シベリア鉄道
Day 07 photo / 0826 (イルクーツク、オクサナさん)

Day 08 text / 0827  シベリア鉄道
Day 08 photo / 0827 (チュメニ、シン子さん)

Day 09 text / 0828  シベリア鉄道
Day 09 photo / 0828 (偽書『ちはやふる奥の細道』)

Day 10 text / 0829
Day 10 photo / 0829 シベリア鉄道⇒モスクワ

Day 11 text / 0830
Day 11 photo / 0830 ヘルシンキ⇒バイキングライン

Day 12 text / 0831
Day 12 photo / 0831 ストックホルム⇒SJ(スウェーデン鉄道)夜行

Day 13 text / 0901  Kungsleden
Day 13 photo / 0901 ウーメオ⇒ヘマヴァン

Day 14 text / 0902  Kungsleden
Day 14 photo / 0902 ヘマヴァン⇒ヴィーテルスカール

Day 15 text / 0903  Kungsleden
Day 15 photo / 0903 ヴィーテルスカール⇒スューテル

Day 16 text / 0904  Kungsleden
Day 16 photo / 0904 スューテル⇒テルナッヘォ

Day 17 text / 0905  Kungsleden
Day 17 photo / 0905 テルナッヘォ⇒セルヴェ

Day 18 text / 0906  Kungsleden
Day 18 photo / 0906 セルヴェ⇒アイゲルト

Day 19 text / 0907  Kungsleden
Day 19 photo / 0907 アイゲルト⇒アンマルネス

Day 20 text / 0908  Kungsleden
Day 20 photo / 0908 アンマルネス⇒ソルセレ⇒ヨックモック

Day 21 text / 0909  Kungsleden
Day 21 photo / 0909 ヨックモック⇒ポリュウス⇒リッツェム

Day 22 text / 0910  Kungsleden
Day 22 photo / 0910 リッツェム⇒ヴァッコタヴァーレ⇒テウサヤウレ

Day 23 text / 0911  Kungsleden
Day 23 photo / 0911 テウサヤウレ⇒カイトゥムヤウレ

Day 24 text / 0912  Kungsleden
Day 24 photo / 0912 カイトゥムヤウレ⇒スィンギ

Day 25 text / 0913  Kungsleden
Day 25 photo / 0913 スィンギ⇒セルカ

Day 26 text / 0914  Kungsleden
Day 26 photo / 0914 セルカ⇒チェクチャ

Day 27 text / 0915  Kungsleden
Day 27 photo / 0915 チェクチャ⇒アーレスヤウレ

Day 28 text / 0916  Kungsleden
Day 28 photo / 0916 アーレスヤウレ⇒アービスコヤウレ

Day 29 text / 0917  Kungsleden
Day 29 photo / 0917 アービスコヤウレ⇒アビスコ

Day 30 text / 0918  Kungsleden
Day 30 photo / 0918 アービスコ⇒SJキールナ・ナルヴィク鉄道

Day XX / 1019 (English) Looking back to Kungsleden

映画「Kungsleden」(邦題:太陽のかけら)、その1
(半世紀前の映画)
映画「Kungsleden」(邦題:太陽のかけら)、その2
(Kungsledenで待っていたもの)
映画「Kungsleden」(邦題:太陽のかけら)、その3
(茨城へ)

Reflection on the day I leave Oslo (actually posted a week later,
on the day I’m back to Gothenburg, Sweden)
 Norway(English)

オスロを去る日に思う
(投稿は一週間後だけど。しかも翻訳は一年後だし、、、)
ノルウェー

思春期 Puberty Oslo National Gallery

追記:
それぞれの旅


映画「Kungsleden」(邦題:太陽のかけら)、その3

50年前の映画の面影を追う旅が思いもよらぬ茨城県で終わることになるとは、、、

半月近くスウェーデンを旅しながら合う人に尋ねて来たけれど、古い映画のことなどスウェーデン人のだれもが忘れてしまっているようだったが、旅の終点アビスコから二つ手前の山小屋まで来てやっとその映画を観たという山小屋の管理人インゲル-リーゼさんに出会った。

そこで彼女から見せられた映画に関する大量の資料は、「太陽のかけら」を観た一人の日本人がこの20年間、毎年のようにこの地を訪れて残していったものだった。

その人、大久保信夫さんが関東にいらっしゃるということで、何度か手紙のやり取りをした後、お会いする機会を得た。

徹夜で車を走らせて東京まで来たところで、一眠りして起きたら昼飯を済ませて伺うつもりだと電話を入れたら、午前中からでもいいからいらっしゃい、と言われた。ワクワク感で眠気もとんで、一気に北へ向かった。

待ち合わせの場所へ大久保さんはネコ車に山盛りの資料を積んで現れた。予想外の展開。。。早速、映画のポスターやらパンフレット、日本の雑誌やスウェーデンの新聞記事の切り抜き、さらに大久保さんの写した写真の詰まったアルバムなどを開陳してもらう。「この中で気に入ったものがあったら、コピーしていいから、どんどん見て選びなさい」といってもらった。が、なにから手を付けてよいやら、、、

その間も、大久保さんは茨城弁で映画「太陽のかけら」について僕の知らない情報を話してくれた。それだけでなく、若い頃に見てすぐにもKungsledenへ行きたかったけど、なかなか実現できず、代わりに日本の山を登ったり、北海道で「カニ族」(わかるかなあ、、、w)をやっていたりしたとのこと。そして40代になってやっとその余裕ができて、夢を実現したのだとか。

僕の記憶では映画公開当時1960年代なかばには、ヨーロッパへの航空券が片道27万円だった。大久保さんも往復で50万円もする飛行機代はとても出せなかったとか。1ドル360円、外貨持ち出し制限が500ドルの時代、まだ10代だった僕たちには海外旅行は夢でしかなかった。

映画を観てからも山歩きを続けていたのは二人とも同じなんだけど、僕はあの映画の場所を歩くのはずっと「夢」のままだったが、大久保さんは生活に余裕ができるとほとんど全てのエネルギーをその夢の実現に注ぎ込まれた。そしてただ歩くだけでなく、自分が映画で観た場面をつぶさに調べ、場所を特定し、そこへ足を運んでいる。

今も大久保さんは英語が得意ではないとのこと。僕が少し英語ができると知って、羨ましいとおしゃるが、しかしそんなことは何の障害にもならないことを実証するような体験談をいくつも聞いた。(彼の朴訥な人柄で全ての困難を退けてきたのだろう)

初めての外国で、言葉に困らないようにと、近所の外国人牧師さんに、旅先で使いそうなフレーズを幾つか英訳してもらい、紙に箇条書きにして持って行ったそうだ。(「安い宿をさがしています」ってのは役に立ったそうだ)

ストックホルムに着いたとたん、入管でパスポートが無くなっていることに気づいたが、何故かそのまま入国を認められて日本大使館へ行くことができたとか。(鷹揚なスウェーデンとくらべて日本の在外公館の対応は最悪だったらしい、、、。ちなみに、パスポートは飛行機の中に落ちていたと後でわかったとのこと)

大久保さんのすごいのは、スウェーデン映画協会に行って映画「Kungsleden」(「太陽のかけら」の原題)を特別に試写室で観せてもらっているのだ。牧師さんに書いてもらった英語の紙があったのだろうけど、紹介状もなくよく交渉できたものだ。それに、日本からふらりとやって来た青年一人のためだけに上演し、研究用として資料映像まで渡してくれたスウェーデン映画協会も太っ腹だな。

今から20数年前は、まだまだおおらかな時代だったのだろう。(いやいや、スウェーデンと言う国は、60年代に日本のベ平連などの手引でベトナム戦争を忌避した「脱走兵たち」を受け入れているし、今でも移民や難民を多く受け入れている多民族が混じり合っている国なんだ。僕も、この旅で何度もその許容力の大きさの恩恵に預かった。)

大久保さんの資料の中に映画の原作となった小説があった。著者はBosse Gustafsonといい、映画の脚本も監督のGunnar Hüglundと共同で書いている。大久保さんは苦労して翻訳者を探し、大変な出費をしてその小説を読んだという。

単に50年前の映画の思い出を胸に一度切りのセンチメンタルな旅をした僕とは違い、大久保さんはスウェーデン映画協会からの資料映像を繰り返し観て、小説も読み込んだ上で、なおかつ現地へ20回以上足を運んで調査をして来た。むむ〜。。。恐れ入りました。

Kungsledenでもただ歩き回るだけでなく、山や谷の地形を熟知しているヘリコプターのパイロットに写真を見せたり、氷河の研究観測をしている大学の調査基地を訪れたりして、映画の場面に登場する地形の特定やそこへたどり着くための地理的な情報を取得したりされている。

たとえば、ヘリのパイロットに主人公が断崖を登り「殺人者」を追うシーンの写真を見せてその場所を探し出した。ケブネカイセ山の近くであるその場所へは氷河を横断しないと行けない。しかし氷河にはクレヴァスが数多く隠れていて危険だが、大久保さんは、その氷河を観測している大学の調査チームからクレヴァスの多く存在するエリアの位置や氷の状況を周到に尋ねてから、現地へ向かっている。スウェーデンのトレッキングコースを管理するSTF(スウェーデン旅行協会)からは危険だと止められたそうだ。2度その場所を訪れて2度隠れクレヴァスを踏み抜いたとか。3度目はないと思うのでもう行かない、とのこと。。。用心深いけど向こう見ず。。。(この辺りの行動パターンというか性格は、僕自身にも似たところがあるなあ。。。)

昼飯の時間を惜しんで、近所のラーメン屋で簡単に食事を済ませたが、その間ずっともKungsleden話しをし、午後も資料をめくっては話しを続け、気がつくと日が暮れていた。それでも、大久保さんはアルバムの最後の1ページまで丁寧に見せてくださった。

小説を読まれているので、僕がKungsledenを歩き始めて初めて「あ、そうだったのか」と理解した映画に埋め込まれた歴史、つまり鉄鉱石を運ぶ鉄道、第二次大戦で無傷だったはずのスウェーデンが持つ心の痛みなどについてもご存知だった。

また、話はオリジナルにはなかった、日本で後付けされた主題器楽曲「太陽のかけら」(実はMicheal Holm作曲の「Desert Island」)に、そのまた後付けの日本語歌詞を乗せて布施明ほか何人かの歌手が競作していたとの話を伺い、楽譜も見せていただいた。歌詞の出処を確認するためにJASRACまで問い合わせもされている。すごいなあ。。。

アーレスヤウレの小屋では大久保さんの訪問が途切れたので心配していたと伝えたら、「今年はちょっと浮気して、映画にもなった小説『旅の重さ』の舞台を求めて四国へ行ったけど、また来年からはKungsledenへ通いますよ!」とのこと。大久保さんのKungsledenへの愛情は変わらない。けど、ん?四国?実は僕もそのうち歩き遍路で四国巡礼に出たいと思っているんだけど、その「旅の重さ」って映画も気になるなあ、、、。「劒岳・点の記」も薦められた。。。。昔登った北アルプスの山にも行きたいなあ、、、大久保さんとの話は「太陽のかけら」だけにとどまらなくなて、時間がいくらあっても足りない。夕方6時。外が真っ暗で、7時間くらいぶっ続けで話をしていることになる。そろそろおいとましなくっちゃ、、、

おみやげにと家で採れた柿をたくさんいただいた。僕は何の手みやげも持っていかなかったから、資料の復元、複製などでコンピューターの画像処理などが必要ならいつでもお手伝いさせていただきます、と約束してお別れした。

往路で友人に東京までのライドをさせてあげたり、復路でまた東京に寄り別の友人と会って夜中まで与太話に付き合ってもらたりもしたが、本来は大久保さんに会うことだけが目的だった。そのために行き帰り1200kmを一人で運転しても苦にならなかった。

僕は元々夜型の人間で、昼夜ひっくり返った生活をしているが、ヨーロッパから飛行機で帰ってきて、時差ボケで常人と同じ生活パターンになるかと思いきや、なんか微妙にずれていて、妙な時間に突如眠くなったりしていた。大久保さんに会うために徹夜ドライブを二晩続けた後は、元通り正常に戻って「フツーに昼夜が逆転」している。

非日常から日常の生活へ、、、ああ、やっと旅が終わったのだなあ、、、

kungsledenbookcover
映画の原作となった同名の小説。著者は映画脚本の共同執筆もしている。英語版を探したが見つからない。
2016-11-06-16-50-25
Kungsledenのテウサヤウレの湖畔で出会い、シンギ小屋まで一緒だったサーミのシェルスティンさんと大久保さんは「必然的に」出会っていた。
2016-11-06-16-51-17
大久保さんとシェルスティンさんはいつ頃出会ったのだろう?聞きそびれた。ワンちゃんたちは少し若く見える。。僕は シェルスティンさんといっぱい話をしたが、連絡先の交換とかはしなかった。なんとなくまた会える、元気でいればね、みたいなことを話したっけ。。。でも、まさか茨城で再会とは、、、(笑)
2016-11-07-17-42-51
そこら中に柿がなっている。だれも取らないのでカラスの餌だそうな。。。もったいない。 このあたりはミカン栽培の北限でもあるらしい。。。でもみかん畑は観なかったなあ、筑波山の斜面にでもあるのか?

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追記:オオカミ少年のように、何度も何度も「旅の終わり」と言っては、その続きを書いてきた。今回のこれもまた、「一つの」終わりなのかもしれない。

TextとPhotoで綴った日記は、Day30のアビスコ到着(Kungsleden北端)で結了しているが、その後の物見遊山的な旅の記録も付録で書いたし、日記ではなく、僕と映画との関わりとその顛末を書いたこの「映画「Kungsleden」(邦題:太陽のかけら)」という駄文も「その1、2、3」までなっちゃった。

どれも、後先考えずにダラダラしたためたので、内容の重複も多いし、なにより満足に推敲もしていないから長くて読みづらい。そのうえ、特に日記部分はネット環境の悪さとタブレットの性能の悪さが災いして順序どおりにアップロードできていない。それゆえ、時系列に話を追うのが難しい。

いままで考えたことがなかったが、内容を整理し、一つのまとまった読み物になるように手を入れてみようかとも思うようになっている今日このごろ、、、

そんな絵空事より、とりあえず日記その他のブログ記事のタイトルを時系列順に並べてリンクを張ったページを次回アップするつもり。(なので、まだまだ、ちっともこの話は終わらない)