「旅」カテゴリーアーカイブ

Day 02 text / 0821

朝からチョンくん、チェさんとまた日韓文化、韓国政治(とくに政治家、つまり陸軍士官学校出の将校・将軍と軍人大統領のこと、またその後、、、)、鉄道その他、取り留めなくとめどなく、話しが弾む。あっという間に東海(トンへ)着。

とくに行きたいと思っていた場所ではなかったけど、ものはついで、地べただけではでも踏んでおこうと下船。東海上陸
通関後に少し街歩き。暑い。冷麺を食べる。まあまあフツーに美味い。麺が緑色なのは何故か?ききそびれる。というのは、上陸時に両替忘れたので円で支払い、レートが判らず食堂のおっちゃん、おばちゃんと三人でスマホ挟んで大騒ぎになってしまったから。無事支払いが済んで、また街へ。

そういやLightningケーブルが1本しかなく、iPadとiPhoneの同時充電ができない。マイクロUSBのケーブルは予備があるので、先っちょだけiPod用にすげ替えるアダプタを求めて東海の街をうろうろ捜すも、売っていそうな携帯屋いたいな店はあるにはあるが、全て日曜で休み。駅前のコンビニでケーブルはあったが、12000ウォンもするし、ケーブルはかさばるからパス。

ただ表通りだけを、ケーブルさがしてうろつくだけじゃ面白くない。横道に逸れてみよう。東海の、フェリーターミナルと駅に挟まれた街は表通りこそ商店が並んでいるが、一歩裏道にそれると古い家が並んでいて、雑然とした感じを受ける。そこここでコッチュ(唐辛子)干しをしていて、まるで赤い絨毯のように見える。

干していたおじさんに許しをもらって写真を撮った。角を曲がるたびに唐辛子の赤絨毯が敷かれている。またしばらく行くと屋台みたいな日陰のテラスというかあずまやというか、、、なんでもいいけど、おばさんがふたり手招きをしている。

ニコニコ「アンジュセヨー」って言ってくれる。一人のおばさんは少し日本語ができる。僕のカタコト韓国語とどっこいだけど、とても丁寧な言葉使いい。汗をかいている僕を見て、飲みなさい、と冷たいお水を出してれた。いにも韓国風にカネのお椀でおいしい水をいただいてしばらく話をする。

コーヒー淹れてやるから飲むか?って。ああ、うれしいな。でも船が出る時間が迫っているので、残念。3人で記念撮影。親切でよく笑うアジュマたち、さようなら。

しばらく迷ったけど、なんとかメインストリートに戻り、もう少し先、もう少し向こうまで、と探したが、ついにあらめてケーブルでもいいや、と思い始め、凝りもせずに迷うの覚悟(期待?)で、また裏街の狭く曲がりくねった道を彷徨っていたらフェリーターミナルまで戻って来てしまう。ちょうど前にミニストップをみつけたて入ってみたが、やはりケーブルしかなく、しかも18000ウォン。あちゃー、さっきの方が、、、でも、もう出航まで本当に時間が無い。

船にもどったら部屋替え。新場所は幼稚園の遠足か小学生の修学旅行のように、キャッキャ言ってる日本の大学生たちの大部屋に挟まれた二段ベッドの下段。引率の大学職員は大変だろうな。

向かいのベッドはキルギス人のムスリムくん。(しかしすごい名前。日本に「仏教徒」くんはいないやろ。彼は英語が話せないが、キルギス語、ロシア語以外に韓国語、ウズベキやカザフなど中央アジアのテュルク系の言葉を幾つも、さらにトルコ語も話せる。僕はもうほどんど忘れている韓国語とトルコ語を総動員して、なんとか会話。っても、名前をきいたり、出身地を尋ねたり、くらいの他愛ない話だけど。。。今時の大学生より話が通じるかも。


Day 01 photo / 0820

首途八幡宮さんにお参りして、西陣の茶店にバイクを乗り捨てて、黒門の図子(つじ)を抜けて、旅の始まり。

青春18切符で山陰本線に乗り境港に水笑ゲゲゲの鬼太郎の世界だった。

フェリーは幼稚園児みたいな大学生な団体でいっぱいだ。もちろん韓国人も大勢。

同室だった韓国人鉄ちゃんのチョンくんと島根の大学で韓国文化を教えるチェさんとのメッチャ面白い会話についてはまた書く。(面白すぎて書き起こしていない面白すぎて書き起こしていないかもかも)

やはり同室だったヨーロッパ人のうちイギリス人はおなじ列車に乗るそうだ。旅は道連れ、

友達からもらったお守りの首途八幡宮さん。かどではたまん
家からすぐの黒門通り
おなじみ仁丹の住所標識
早くも「この線路の向こうには、、、」
とか何とか言っているうちに、電車が来てしまった。
和田山の機関車庫廃墟、もったいない。
おじぞうさま、見えるるかな。
鳥取に入ると、モンスト光はゲゲゲの鬼太郎の世界。あ、邪魔!ホームで歩きスマホはいけません
こうやって見ると、ウラジオストックは近い。
バウチャー、乗船券、ビザ。
いよいよ出獄、じゃなくて出国。
元は日本の船だったフェリー。さすがに昔の中韓フェリーのように「和室」と書いた部屋はなかった。
さよなら日本。
今夜は8人部屋。僕は右手奥上段。仲良くなったチョンくんはその下、チェさんはチョンさんのとなり。居心地の良い部屋だった。

Day 01 text / 0820

以後、テキストと写真 は分けて投稿する。先の投稿と重複するところもあるが、覚え書きとして書いておく。シベリア鉄道内ではめっちゃヒマなので、ダラダラ書く。覚悟して読んでください。いやなら別にアップする写真だけ見てください。ただ、町やその近郊以外はネットが繋がっても非常に遅いので画像は遅れ気味になるとおもう。。。あしからず。

京都出発時、気温高く西陣で大量の汗をか く。理由は気温だけでなく、原チャリのCiaoを町家に乗り捨てたのに、バス停の手前まで行ってヘルメットを被ったままだと気づき、慌てて引き返しメットを投げ込んで、またバス停へ急ぐ、というドジを踏んだから。

発汗のせいで、それと朝ばたばたしていて痛風の薬を飲み忘れたし、その後、夜になって危うく痛風の発作が出そうになる。足の親指の付け根が微妙に痛む。まずい兆候。しょっぱなから、Kungsledenどころか韓国にさえ着いてないのに歩けなくなる可能性。ガーン!遅まきながら大めの水を飲み、薬を服用。血中の尿酸量を急激に変化させると余計に悪化するので、何となく経験によるカンでこれは治りそうと信じる。ていうか、信じるしかない。

前後するが、青春18切符の旅は以下の通り。

20160820時刻表

市バス203 05:58
今出川大宮→西ノ京円町JR

JR円町D0645

福知山A0838 D0854

豊岡A1009 D1011

浜坂A1118 D1120

鳥取A1207 D1215

米子A1401 D1431

境港A1514

JR境港駅 ⇒ 国際旅客ターミナル 無料シャトルバス JR境港駅発15:35

ともかく、つつがなくフェリーは出航し、いよいよ「海外」へ。

8人部屋の同室にはドイツ人とイギリス人のグループと韓国人3人、それに僕。僕の下のベッドには学校で日本語を勉強した若者チョンくん。彼は鉄ちゃんで、JRの車両を褒めちぎる。新幹線は韓国の高速鉄道KTXより良いとか、九州を旅して良い車両がいっぱいあったとか。たまに通じにくいところでは少し韓国語も交えながら彼と日本語で話していたら、隣のベッドの男性がほぼ完璧な日本語で会話に参加。

その人は、KTXはドイツから技術導入したが、始めは新幹線に傾いていてほぼ決まりというところで、ドイツが韓国にとって重要な歴史文物を返還するとか共有するとかの条件を出してきて一気にドイツに決まったというような事情を話してくれる。日韓の言語、文化に詳しいはずで、その人、チェさんは島根の大学で韓国語と韓国文化を教えてるそうな。まあ、仕事ですからねえ、と彼は言う。

夜遅くまで日本や韓国のあれやこれやについて熱く話し込む。足の痛みも忘れて、、、。



なんか、夜中に洗濯とか始めてしまって、、、

寝そびれちゃったのさ。

バックパックは1.7kgもあるバブアーのオイルジャケット込みで、15.3kgに収まっている。トレッキング途中で6泊ほど幕営するときはこれに燃料と食料が加わるのであと数kg重くなる。ただし、鉄道の長旅で読む本とか行きの夏服などはヘルシンキかストックホルムあたりから送り返すので、ほんの少しだけど軽くもなる。歩くときに総重量を15kgに収まるようにしたいなあ、、、

歩き始めるまでまだあと10日以上あるので、シベリア鉄道の中やKungsledenの南入り口のHemavanに至るまでの間に、荷物を吟味し、スリム化するつもり。

あ、写真撮るとき、ソーラー発電パネル付きサブザックが、恥ずかしそうに横に行ってしまってるの、気づかなんだ。。。

2016-08-20 01.14.37