山笑茶屋

先週、岡山牛窓の妹のところへパソコンの修理に行っていた。岡山には美作に従弟が工場を構えていて、彼の奥さんは近くですてきな「山笑茶屋(やまわらうちゃや)」というカフェをやっている。

カフェになる前の空き家は見たことがあったが、開店後は行ったことがなかったので、パソコンの用事の合間に妹夫婦と美作までドライブして閉店間際に滑り込んだ。

山笑茶屋は、周囲に何もない山の中の、森に囲まれた尾根というか峠のような所にぽつんと経っている。店の中にはタイに直接出向いて仕入れてきたという藍染の衣料や小物雑貨が置かれていて、以前のがらんどうだった時とは全然違う。街なかの喫茶店と違い、通りがかりの一見さんはあまり来ないだろうけど、何も知らずにこの山の中へ来て店に入ったら驚くだろうな。。。


Fiat 500のこと、、、

Fiat500に乗ると、小雨の日はワイパーに間欠作動機能がなくて困る時がある。しかも、ON-OFFスイッチがハンドルの向こう側にあり手動操作も不便。

そこで汎用のミツバ製コントローラーを取り付けた。(こちらの情報を参考にさせてもらった。いろんな人がいろんな事やっていて、それをネットに流してくれるのでホントに助かる。ただ、どんな情報でも鵜呑みにするこはないが、、、)

そういえば前に取り付けた電磁燃料ポンプもミツバ製だった。

前のオーナーによってダッシュボードにあるはずのイグニッションスイッチが別のとんでもない場所に移動されているので、キーホールはダミーだった。

使わないダミースイッチを外した後にフタ付きのシガーライターソケットを取り付けた。小学6年で禁煙してからタバコなんか要らない身体なので、これは単に電源のため。

あとは、灰皿いらないからそこんところに燃料計を取り付けたいな。(元々燃料メーターが無く、残り5リッターで警告灯が点くだけ。これは心もとない)

うちのチンク嬢は躰はFタイプなのに、何故か顔だけLタイプ(LuxuryのLかねえ、、、)で、FIATのバッヂが小さく少し間延びした感じ。(犬の鼻みたい)

これはまだやってないんだけど、カッティングシートで笑顔の口を付けてやりたいな。

赤いベロを出してるのも考えたんだけど、既に耳も赤いし、鼻も赤なんで、、、うっすらと微笑んでいるくらいがいいんじゃないかと。


四十ン年、、、

偶然出てきた引っ越しのお知らせ。息子が生まれるずっと前、花脊に建てた家だ。彼のお母さんは色白だったなあ。僕はあの頃いちばん太っていた。麦わら帽にデニムのオーバーオール、手には備中鍬。庭の畑の大根の葉が茂ってる。前に住んでいた団地の集合住宅で飼っていた拾い犬たちも写ってる。おお、1階のテラスに手すりがあったな。そういや風見鶏もまだ立てていなかったっけ。

やらせのニオイがプンプンする写真だな。(笑) だって、犬連れて小脇にバスケット抱えて、いったい何するのよ? 僕が備中鍬を手にしてるのは、ひょっとしたらAmerican Gothicという絵をパロっているつもりだったのかもしれない。思い出せないけど、多分そうだろう。
色白のおかあちゃんと、太ったおやじの間に出来た息子は色白で且つ太っている。

 


【爾臣民と呼ばれる筋合いはない。】

僕は今の憲法の元で生まれ育った。明治天皇が何を言ったかなんぞどうでもよい。「爾臣民」つまり「お前ら下僕」というワタゴトが平気で書いてある教育勅語を、今の政府は教材として使うことを否定しないという。おそろし。

http://www.asahi.com/articles/ASK3045LBK30ULFA00Q.html?iref=comtop_8_01

教育勅語には個々に「良いこと『も』書いてある」からその部分は使ってもよい、とは絶対に思わない。それに「良いこと」といっても、何か事が起こったら義勇をもって国に奉仕しろなんてのは論外だし、一見よさそげな親に孝行し、夫婦が仲良くというのも、個人の家庭内のことにまであれこれ言う権利など元々誰にもないのだ。それを「良いことも書いてある」から復活させる、などという寝ぼけた(いや、悪意ある確信犯の)ヤカラが日本の政府をやってるんだからたまらない。

うわ辺の「良いこと」が乗っかっている基礎には権力の国民生活への介入の意図があるのだから、結局全部ダメなのだ。しかしうっかりそこんとこに気付かずにいると、部分的なら良いだろ、というすり替えに乗せられてしまう。

個別に「良いことならいいじゃないか」と言うのなら、短期間に失業率を改善し、一般市民の生活向上を成し遂げたナチスの社会福祉政策も「良いことであった」のだ。しかし、それはユダヤ人、身障者、性的マイノリティーなどの社会弱者の犠牲の上に成り立っていたとのだし、しかもナチスはそのツケを他国占領と戦争で辻褄を合わせようとしたのだから、いまそれをそのまま肯定したり褒め称えたりするひとはいないだろう(ネオ・ナチなどの極右を除いては)。

戦後ドイツはナチスの犯罪を否定/矮小化してはならない法律も作っている。日本の国会における「教育勅語等排除に関する決議」と「教育勅語等の失効確認に関する決議」はドイツの法律ほど強力ではないにせよ、教育勅語を憲法や教育基本法に悖るものとして否定している。それなのに平然と「憲法や教育基本法等に反しないような形で教材として用いることまでは否定されることではない」と言い張る政府は戦争への反省のかけらもないということを自ら証明しているのだ。やつらネオ・ナチか?


おうまさんの里帰り

20年前に作って、広島へ送り出した「おうまさん馬頭琴」が改造依頼で二度目の里帰り。一度目は糸巻きを機械式のペグに換装するためだった。今度はネックを短くしてほしいとのこと。。。いや、しかし、弦楽器のネックってそう簡単に伸び縮みするもんじゃねえし、、、(汗)

オーナーの佐伯さんはやたら弦楽器がお好きで、ウードやらなにやらいろんな種類の楽器をお持ち。それも、ただコレクションするだけじゃなく、おうまさんの「もうひとりの生みの親*」である馬頭琴奏者の嵯峨さんたちとAsian Wingsというユニットに参加して海外まで出かけて演奏したり、最近では劇団態変の公演で音楽(各種弦楽器)を担当されたりと活発に演奏活動をされている。おうまさんも気に入って弾いていただけるのなら改造でもなんでもします。。。

* 嵯峨さんがマウス使って描いたおうまさんの元絵は嵯峨さんのCDジャケットの中で使われている。おうまさんの馬頭は僕がそれを立体化したもの ( 下左 “おうまさんドローイング” by Saga Haruhiko/下右 “おうまさん馬頭琴” by Okamoto Koji)

さて、馬頭琴のネックをぶった切って短くするのは、スカーフィングという斜めに切った斜面どうしを接着すれば事足りる。で、スカーフィングの斜面の傾きは10:1であれば木材の強度を損ねることはない。しかしネックの厚みが3~4cmあるとスカーフィング全体では30~40cmにもなってしまう。

そこで金輪継(かなわつぎ)という木材接合方法で切り離して短くしたネックをつなぐことにした。金輪継でも一番簡単なバージョンだが、中央に込栓(こみせん)というクサビを打ち込んで部材どうしが密着するようにするのは正規バージョンと同じ。

出来上がりはまずまず上手くいった。強度的には全く問題ないし、審美的にも許容できるレベルだと思う。音楽部屋に持ち込んでブリッジの調整したり試しにチューニングしたり、おうまさんの兄弟たちと再会させてやったり、記念撮影もしたし、明日は西へ帰る旅に送り出す。