思春期 Puberty

2016-09-27-17-44-11スウェーデンでKungsledenを歩いた後は物見遊山のオマケ旅のはずだった。だからノルウェーは、スカンジナビアのユーレイルパスがあるから、といった程度の「ついでに来た」国で、もっと言うなら、ドイツの友だちを訪ねるために南下する単なる通過ルート。ところがどうだ。。。日本を出るときには頭の片隅にも無かった季節はずれ(ここがミソね)のロフォーテン諸島とオスロの博物館・美術館は(個人的な趣味という意味で)大当たりじゃん!!!

オスロに来るほんの少し前、のんびり海を眺めたロフォーテン諸島での5日間でも未だそんなことは思いもよらず、まして博物館と美術館に行くためにここでの滞在をまた3日に伸ばすなんて考えもしなかった。。。

博物館で、実際に使われ後に埋葬に供されたバイキングの船やナンセンやアムンゼンが極地探検に使ったフラム号、太平洋を航海したバルサ筏のコンチキ号を見ると、この国が大昔から今に続く海の国だと知らしめられる。いや、その前からこの国の船については色々と興味をそそられていたから、オスロに着いてすぐ地図でこれらの博物館をみつけて観に行く段取りをした。そのことは前の投稿で少し書いた。

ところが、地図を見ていたら街の真ん中にムンク美術館と国立ギャラリー(美術館)もあって、ああ、これも行かないと、、、と。。。ともかく、オスロに着くまでムンクがノルウェーの画家だということもすっかり忘れていた。ていうか、ムンクのムの字も頭になかった。

で、ムンク美術館と国立ギャラリーのムンク部屋に行ってきた。後者では「思春期」の少女と再会。ベタにムンクと言えば「叫び」だけど、僕にとっては二十歳のときに彼女と出会って以来、この作品がダントツ。2016-09-27-17-47-44-hdrmod

45年前に初めて見た時、見開いた眼で僕をなじるような少女の視線は衝撃だった。でも彼女に責められる理由は解らなかった、、、。

彼女の背後に寄り添う不気味な影は、初潮を期に身体と心の変化を迎えた思春期の少女の不安を表しているとよく言われるが、ただそれだけのことをムンクがシンプルに扱うはずがない。彼の常套モチーフとしての血や吸血鬼をこの絵では描かず、観るものを安堵させておいて、イミジャリーの外に在るものを逆に意識させてる。が、まあ二十歳のときにはそんなこと考えもしなかった。

思いがけずの邂逅ではっきり見えたものもある。この黒い影の中に塗り込められた顔、、、苦しそうに、喘ぐように口を開き、上目遣いに虚空を睨んでいる。これは誰だろう。。。

今思うに、二十歳といえば思春期を過ぎてまだそう遠くない時期なのに、もう既にその時の僕は彼女との共通項を失っていたのだろう。汚れちまつた悲しみも何も感じることのない、ノーテンキな大人に成り下がっていたにちがいない。

だから 彼女から「お前のような者の住む世界には行きたくもない」と言われてしまったんだな、きっと。しかし僕は責められる理由もわからない情けない半大人だった。

彼女は自分の変化に恐れ戦いているだけなのかもしれない。しかし、その表情、とりわけ視線が、ノーテンキのくせにどこか後ろめたい二十歳の僕にとっては刺すように痛かった。(ちなみに、影の中の顔は、当時の僕にも見えていたような気もするが、後付けの記憶かもしれない、、、いずれにしても、あの時は視線を痛みとして感じるほうが勝ていた。)

15歳の時に映画「太陽のかけら」を観て、純粋に、、、というか単純にKungsledenの風景に憧れ、僕より少し年上の青年と更にもう少し年上の女性とのぎこちなく不安定な恋愛や、大人になった青年の追憶の旅を「かっこいい」と感違いしてスウェーデンへ行くことを夢見た。

はたして50年後にKungsledenを歩いてみて、その映画の背景にあるスウェーデンの戦争への関わりや悔悟、ストーリーの行間に埋め込まれたユダヤ、サーミのことなどが、僕なりの解釈ではあるけれど、ある纏まりをもって帰結した。

しかし「思春期」の少女がいずれ否応なしに背負う(または取り込み、取り込まれる)であろう不可解で不気味なモノ、つまりアレゴリーとしてムンクが描いたどす黒い影のイコノロジカルな解釈は、まだ僕にはできない。ていうか、一生できないだろう。

幼少期から社会に上手く適合できない子どもだったうえに、さらに思春期の心と身体のアンバランスにより生み出された不可解で不気味な不安はムンクが抱えていた心の問題ほどではないにしろ、僕にもたしかにあった。

僕自身がそれを飲み込んでしまう前ならムンクの意図をこの少女とその影を通して客観的に観察できたかもしれないが十代の僕には荷が重すぎただろう。絵を観た二十歳の時はすでに僕自身の「旬」を過ぎて眼は濁り感性は鈍り始めていて、かろうじて痛みとしてだけ受け止められた。今ならあれこれ解釈する力は有るかもしれないが、こんどは、観察者である僕自身がすでにどろどろを呑み込み観察対象と同質化してしまっていて、客観的なイコノロジー解析は不可能じゃん。。。

なんて、空虚な堂々巡りの対話を自分と、そして絵の中の少女と交わしているうちに国立ギャラリーの閉館時間になってしまった。

本当に「青春」とか「思春期」と呼べる短い期間の初期に観た映画が元で始めた旅を、まさにその期間が終わり大人の入り口に足を踏み入れようとする時に観た絵画と再会して締めくくることになるとは、、、


Reflection on the day I leave Oslo (actually posted a week later, on the day I’m back to Gothenburg, Sweden)

Until just ten days ago, I was walking on the path down in the U-valleys of Kungsleden up on the northern Swedish fells.

Thereafter, sitting on a shore, gazing at the sea, rowing a tiny boat and taking a cruise ship, I have been here in Norway with countless fjords, another U-valleys that are drawn in the North Sea.

I have enjoyed both.

On one of the Lofoten islands the other day, the old host of a hostel I  had been staying in– finding out I was doing nothing but sticking to my iPad all day– told me to go offshore in his little boat, which I would row all by myself. “It’s NOW for you to go out there as the weather is fine and the sea is perfectly calm. What else can your ask for? What are you waiting for?” said he.

I had been sick and tired of rowing since, at one part of Kungsleden, I had to row across a one-km-wide lake back and forth three times in order to secure at least one boat on each side of the lake after my crossing; the first time in a hurry to tell the hut warden that there were shivering old people waiting for the motorboat, the second time with an extra boat towed behind and to tell the people that the motor boat won’t come, and the third time with two of the old people and their backpack in the vessel; in a cross wind and rolling waves. When I finally reached ashore and landed, I had little grip power left in my both hands barely enough to grab and pick up my backpack on the beach, and swore I would never ever row any more for a while if not the rest of my life.

Nevertheless, I took the advice, or rather an order, from this old man who knows of everything about the beautiful (and sometimes treacherous) sea in front of us– how could I resist it?– and immediately set off… well, not too far off, though. Only for an hour or so around the harbor, I tried to make it just far enough to see the tip of Lofoten.

A couple of days later, I found myself on a cruise ship, one of the “Hurtigruten (Coastal Express)” fleet. I heard about the spectacular landscape of Trollfjord and the captains’ amazingly superb maneuvers (which I have already written about in Facebook). They never had me regret that I had taken this ship even if it’s a bit too luxurious for my trip standard and if only on the short legs partially of the week-long journey along the coast of Norway.

I have spent three nights in Oslo. I originally wanted stay here only for a day or so because everything is so expensive, but I extended my stay, like I did so on the Lofoten islands, for it turned out it would take me at least two days to cover what I really wanted to see in the museums here: the polar ship Fram, the Kon-Tiki raft, the Viking ships, Munch’s paintings in the Munch Museum and in the Natioal Gallery.

Beside Munch, my interest lied mainly in ships, since during my stay on the Lofoten islands I saw many local vessels– boats, yacht, ship, big or small, old or new, most of which were built in traditional styles (or classical, if you will) and retained a “smell” of the Norway’s maritime heritage. Here again in Oslo, I find many more ships of the same kinds I saw in Lofoten, and oh I like them all.

Now that the days of my journey are counted, I am heading for Hamburg, where I will see my friends. I am going to take off from Stockholm on Ocrober 5th  for London, HongKong and the Osaka. I wish I could take boats to go across the Oceans on. the way home….

I will later write about Munch.

 


アビスコ・ツーリストステーション→ロフォーテン諸島

9月17日、目的地のアビスコに到着。トレッキングを終了し、久々に文明の地に戻り、ツーリストステーションの快適なホステルで、野菜を食べ、ベッドの上で寝ました。

今は、ロフォーテン諸島の先端近くにある、Å(オー)という村に来ています。山から下りたら、いきなり海です。しかも、バスを降りたら夜中の11時20分。雨ざあざあでテントを張る気も起こらず、オフシーズンで閉まっている店だか博物館だか良くわからない建物の、鱈の干物がぶら下がる軒先で野宿。生臭い。

Kungsledenの行程が終了したので。ここから先は物見遊山。気が向いたら写真をアップしますが、もう旅の報告はありません。

ただ、トレッキングの前半途中に、抜けている日があるのを見つけました。また、後半の行程は書き溜めたものが全然ブログにアップできてないので、それらはこれからぼちぼち上げていきます。

写真は相変わらず未整理。どういうわけか、ロシアのSIMはスウェーデンでローミングできたのに、スウェーデンで買ったSIMはノルウェーに入った途端、働いてくれない。ヨーロッパ共通のローミングプランを買う必要があるのかな。今はWiFi頼りで不自由す。

なわけで、トレッキング後半の一連の投稿も途切れ途切れになるかもです。気長にお待ちを

この後、ロフォーテンの島々を船で「見物」し、Bodø(ボードェー?)へ渡り、ノルウェー、デンマークと、ユーレイルパスでしばらく鉄道の旅をして帰ります。

以上です。


Day 30 photo / 0918

アービスコ→SJキールナ・ナルヴィク鉄道

アービスコ・ツーリストステーション(Kungsleden終点) 

昨日、Kungsleden北端のゲートをくぐり出て、昔観た映画「太陽のかけら」の舞台になった道を歩くという今回の旅の目的はすでに終えている。

南から北へ、映画とは逆のコースを歩いてたどり着いたのは、アービスコという小さな街の外れにあるツーリストステーション。映画の冒頭シーンに登場する鉄鉱石を積んだ貨物列車もここを通っている。昨日はトレイル終点のほんの少し手前の木立の間から、ノルウェーの積出港ナルヴィクに向かう鉱石輸送貨車の列が通過するのを眺めた。

今日は、いよいよスウェーデンを離れる日。列車の時刻まで近くにある「キャニオン」を散歩。ここも映画の冒頭に映っていた。そのシーンには50年前の山岳ステーションが中世の城のようにぼんやりと霧の中に浮かんでいた。

出発の時が来た。旅の途中で仲良くなった友達に別れの挨拶をして一人で駅に向かう途中、また貨物列車が目の前を走り過ぎて行った。今度は鉱山のあるキールナに戻る空の回送列車。映画の始めに出て来るキールナ〜ナルヴィク鉄道の意味はKungsledenを歩く内に初めて理解した。その鉱石輸送列車には二度とも偶然行き当たったのだけれど、昨日、出迎えてくれて、今日は見送ってくれているように思った。

さよなら、Kungsleden。

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アビスコのキャニオン
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キャニオンからアビスコ山岳ステーションを望む。
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谷の向こうに、トレッキング途中で出会った人がいた。別ルートでここアビスコにやってきていた。

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シンギ小屋から5日間、同じコースをたどったオーストリア人青年アンドレアスくんと。

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アビスコ・ツーリストステーション駅
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東南のキールナ方面

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SJ(スウェーデン国鉄)の電気機関車。ノルウェー、ナルヴィク行に乗る。

Day 30 text / 0918

アービスコ→SJキールナ・ナルヴィク鉄道

昨夜のツーリストステーションのディナー、レストランの値段は高過ぎてパス。ショップで買った冷凍ピッツァをキッチンの電子レンジで温めて食べたが、朝飯はそれほど高くなく、しかもちゃんとしたものが食べれるのでレストランに行った。昨夜のメンバーとは違うが、道中の山小屋で顔を合わせた人たちとつるんで良く喋り、良く食べた。が、やはりアンドレアスくんの姿はなく、誰も彼を見かけなかったとのこと。やはり昨日早く着いて列車に乗っちゃったか?ただ、話をした一人から多分午後の同じ列車でストックホルムへ向かうだろうから、昨日のうちに帰ってしまったということはない、と聞いた。でも僕のナルビック行きの列車は彼らのより早い時刻に出るので、見送るわけにもいかず、このまま会えないかもしれないな。

皆にさよなら言って戻る途中に、レストランの反対側の席に一人ポツンと座っているアンドレアスくんを見つけた。なんかホッとした。黙ってこっちを見て、微笑んでる。いかにも彼らしい。そういうところがいい。チェックアウトの10時が迫っていたので「またその辺で」と声をかけて部屋に戻った。

荷物を預けにロビーへ行くと入口に、テント泊まりでコースもKungsledenのトレイル周辺を歩き、途中で僕と出会ったり、しばらく会わなかったりしてきたドイツとフランスのカップルがいて、彼らは今着いたばかりのようだった。彼らにも別れの挨拶をした。

さて、発車時刻までまだ3時間もある。暇つぶしに同じ敷地内にあるミュージアムへ行ってみた。ちょうどアンドレアスくんが、アビスコ周辺の自然や動物たち、サーミの人たちのことを説明する案内板を読んでいるところだった。ミュージアムは休館らしい。日曜日なのに!?シーズンが終わってる?でもオーロラはこれからなのになあ、、、。

まあ、屋外の案内板だけでもと読み始めたら意外と面白い。説明の中でサーミ語の地名表記に使われる単語の説明があり、興味深く見たた。最近は、地図の地名も道標もスウェーデン語化された綴り(ちょうど、和人がアイヌ語地名に漢字を当てたようなもの)ではなく、サーミ語のアルファベット綴りの表記に改められつつある。舌を噛みそうな地名ばかりだと思っていたが、チェクチャの管理人ステファンさんが説明してくれたことは、これを知っていたらもっと良くわかっただろう。

アンドレアスくんが昼飯までの間。「キャニオン」に行くと言う。食事の時は別にして、僕はこの旅で今まで一度も誰かと「一緒に何々しないか?」と言ったことはなかったが、この時は、一緒に行っていいか?と訊いてみた。この5、6日で彼の行動志向はわかっているし、また迷惑でもダメとも言わない性格の人間だろうと思うけど、まあ最後だし、、、

で、ツーリストステーションから歩いて数分のところにある、岩石のキャニオンへ行った。岩の裂け目の数十m下を流れる渓谷の水は昨日歩いてきたアービスコヤウレの湖から流れ出た川で、この高みから数km先に見下ろすさらに大きな湖にデルタとなって流れ込んでいる。

鉄道の駅のほんのすぐ近くまでほぼ手付かずの自然が迫っていて、アクセスに車やバスを使わなくていいし、半日歩くだけでKungsleden以外にもいくつもの山小屋があり、もちろん途中の景色も素晴らしい、とアンドレスくんはアービスコの立地が好きだと言う。オーストリアはじめヨーロッパのアルプスではこうはいかないらしい。手軽に行ける「山小屋」のレストランにはシェフがいて、ホールでは音楽が生演奏されている。山小屋らしい山小屋に行くにはずっと上まで登り、それなりの山の装備や技術がいるのだとか。

キャニオンには車椅子が通れる遊歩道が巡らされ、一般の人も気軽に「自然」を楽しめるように工夫されている。途中に「アービスコ国立公園のシンボル」と銘打たれた金ピカのデカイ「物」が鎮座している。野外彫刻とか記念碑とかが景色の一部となって自然と共存することに異存はないが、これはないだろう、、、。あまりに馬鹿馬鹿しいのでアンドレアスくんに写真を撮ってもらった。

ここからは遥か山の上にオーロラを観るためのスカイステーションが見える。アンドレアスくんにも「レーザー照射で偽オーロラのプロジェクションマッピングしたら、曇りの日でも日本人はじめ、オーロラを目的に来た人たちから料金とってガッポリ儲けるぜ(がタダ観も続出するだろう)」という話をしたら、やはり大ウケした。

対岸の岩壁の上で写真撮ってるのは、アービスコヤウレから別ルートを取ってこちらに向かったスウェーデン人のおっさんくさいお兄さん。アンドレアスくんも彼もサウナが大好きなので、山小屋のサウナに行くと必ず彼らがいた。アンドレアスくんとは対照的にサウナでもどこでも口が軽くて良くしゃべるが、面白い人だ。彼ともお別れの挨拶ができた。

やがて時間が過ぎて、僕の乗る列車の時刻が迫ってきた。アンドレスくんとツーリストステーションまで戻って荷物を取ってきたら、別のスウェーデン人で、映画のことならスウェーデン政府の映像アーカイブで調べてみたら、と教えてくれた人が山から戻ってきていた。旅の後半のそのまた後半で出会い、同じように北向きコースを取った人たちの大部分にさよならが言えるとは、、、

いよいよ、アンドレアスくんたちとも別れの挨拶をし、駅に向かって歩き出したが、すぐ思い直してとって返し、スウェーデン人くんにお願いしてアンドレアスくんとのツーショットを撮ってもらった。

Kungsledenでも、「あ、さっき会った人のところまで戻って、、、さっき見たあの景色のところまでとって返して、、、と写真を撮ることを何度も何度も考えたが、なぜか踵を返すことはなかった。ま、いいか、とそのまま歩き続けた。のんびりしていたつもりだけど、ほんとは余裕がなかったんだろうか。今回は特別。記念写真で本当に最後の最後。さようなら。どこかの道をゆっくり歩いていたら、また会えるかな。

駅までほんの200m。線路の高架に沿った道路を渡ろうとしたら列車の警笛が聞こえてきた。こんどは鉄鉱石の積み出し港ナルヴィックからの回送列車。昨日見た時、まるでフィルムを逆回しして映画の最初のシーンに戻ったような感じになったが、今一度、二重連の機関車に牽引されて空のバケットの列が西から東へ戻って行くのを見送ると、昨日Kungsledenの最後で出くわした時よりもっと強く、ダメ押しのように僕の「旅の終わり」を悟らされることになった。