「旅」カテゴリーアーカイブ

Vespaをもらってしまった。。。が

昨年亡くなった知り合いの奥さんから、いろいろ世話になったからお礼に、と愛車のスクーターをもらうことになった。

亡くなった前オーナーのお店の軒下に置かれたVespa PX200Eと僕のCiao。どちらもイタリアのPiaggio社製。

晩年、彼は体調がすぐれず、この7年ほどこのスクーターは全く乗られていなかった。当然、エンジンはかからない。それどころかタイヤがパンクしていて、修理するにも押して帰れるような状態ではない。さらに燃料コックは固着、タンクの中を見ようにもシートのロックが錆びついて外れない、、、という惨憺たる状況。

これは流石にプロに任せようと、鞍馬口大宮にある白井ベスパにエンジン整備をお願いすることにした。しかしこちら、超マイペースで商売やっていて、いつ開いているか判らない。何度行っても留守で埒あかん。さては廃業したのかと思ったけど、店の前に何台か転がってるベスパのシートにホコリが積もってないので、これはきっとやってるんだろうとメールと留守電でメッセージを残したら、翌日、電話がかかってきた。

白井ベスパの主人はなかなか軽いノリの、でも感じは悪くない兄ちゃんみたい。で、めでたく4月半ば頃には引き取ってもらえるとのこと。お店のクルマに積みにくいので、それまでにパンクは僕が直しておく。また、そのバンの屋根が低いので風防も外さないと、、、。(ていうか、普通、バイク屋さんって軽トラ持ってんじゃね?)

もらうことになったVespa PX200Eというスクーターは、ていうか古いVespaは皆、2サイクルエンジンだから構造的には妹のCiaoとさほど変わらない。4ストのXL250Sなんかよりずっと与し易い。なので僕でも修理できないこともないのだけど、やり始めたらキリのない作業がコテコテと何ヶ月も続くに決まってる。それはそれで楽しいのだけど、ここはひとつ専門家の手を借りて、前オーナーの命日までには走らせたいと思うのだった。

スクーターが走るようになったら一度だけでいいから後ろに乗せて欲しい、と奥さんに言われてるんで、なんとかそれを叶えてあげたい。気まぐれ営業の白井ベスパ、頑張ってくれるかな?


追記:
つい先日、母のために買ったAZワゴンを手放したばかりなのに、また乗り物が増えてしまった。。。
すでにウチには、台湾製なんちゃってマウンテンバイク、Honda ラクーンコンポ電動アシスト自転車、Piaggio Ciao、Honda XL250S、Fiat 500Fとトレーラー。。。がある。身体はひとつなんだけど、、、

AZワゴン

驚くほど写真が少ない。あれだけよく働いてくれたのに、僕は彼女をこき使っただけだったんだろうか、、、

一生乗ると思っていたホンダ・ビートを手放して、年とった母を乗せるために中古で買ったAZワゴンを、僕はどこかで歓迎してなかったのか。母が亡くなってから手に入れた趣味の車Fiat 500とは明らかに違う扱いをしてきた。

母を乗せた月日はわずかで、その何倍もの間、僕の馬車馬として故障もなく黙々と働き続けてくれた。

昨日、買ってから初めて室内を掃除し、外を洗った。洗車しないのは錆びさせないためで、20歳近い車齢で塗装は傷だらけ、それにずっと屋外駐車なのにほとんど錆びていない。

見た目の綺麗さには気を使わなかったけど、エンジンや足回りに機械的な負担をかけないよう、大切に扱ってきたつもりだ。日々最初のスタートはどんなに急いでいても暖機運転でエンジンにオイルを回し、街へ下りた帰り道はエンジンに無理がかかる原谷の峠越え急坂を避けて、遠回りでも谷底の川沿い道を通るようにしたので、バルブシールの経年劣化による僅かなオイル下がりがあるだけで、構造的にも機械的にもずっと好調を維持している。

決して可愛がったわけではないにしても、ムチ打つようなまねだけはしなかった。このまま潰されないで、誰かが乗り継いでくれるならまだまだ元気に走ってくれると思う。ぜひそうあって欲しい、、、

2013-03-06 原谷への引っ越し荷物はすべてAZワゴンで運んだ。何往復したことか、、、
2013-12-23 花脊峠にて
2017-10-10 大阪から貰ってきた引き出しの多いタンスを満載
2013-01-22 引っ越して早々のころはガレージに入ってた、、、チンクがクルマでは、、、

『沢田教一展 −その視線の先に』

沢田教一展 入り口ファサード ちょっとベトナム戦争戦没者記念碑を思い起こさせる。。。

久しぶりに街。それも繁華街の河原町。観光客いっぱいで目まいがする。高島屋でやっている目当ての沢田教一の写真展も結構混んでいて、やはりベトナム戦争を知る世代が多く来ていた。

沢田教一展のポスターを見る初老の婦人

三沢の米軍基地で駆け出しだった頃の彼自身の姿や妻のポートレート、子守をする子供たちの姿、東京五輪、ロバート・ケネディ来日の取材などなど戦場以外の写真も含め、沢田のカメラマンとしての一生を網羅するような写真展だった。とはいえ展示されたのは必然的にベトナム戦争の写真が主だった。僕の青春時代に彼の地で起きていたことを如実に伝えてくれた、今でもよく憶えている多くの写真が、あれも、これも、沢田の撮ったものだったのだ、と実感した。

有名な『安全への逃避』がピューリッツァー賞を取ったときの報道を今もよく憶えている。新聞で見て、生き延びようと必死で川を渡る家族の顔に見える具体的な恐怖の表情とは裏腹に、『安全への逃避』というどこか日本語離れして抽象的な表現の題名が中学生の僕には違和感があったのと、加えて「ピューリッツァー」という全く馴染みのない賞の名前が奇妙な響きに聞こえたこと、それらの不協和音が不思議に新鮮だったのだ。

彼は僕が二十になる前に戦場で亡くなった。その年、1970年にちょうど英語の授業でロバート・キャパの「Slightly Out of Focus」をクラスで共訳する合宿があり、初めてキャパの代表作である『波の中の兵士』(ノルマンディー上陸作戦)を目にした。その時『安全への逃避』がありありと思い浮かんできたことも、またよく憶えている。

爆撃を受け焼き払われる村から命からがら逃げる無力な女性と子供も、重武装で波間に沈みそうになりながら命を機関銃の弾丸のように消費する戦闘の真っ只中へ突き進む若い兵士も、水から頭だけを出した彼らの姿は、進む方向が真逆なのに僕にはよく似てると思えたのだ。

というようなことを回想しながら、一枚一枚の写真を見て、外へ出たら2時間も経っていた。お陰でいろんなことをすっぽかすハメになったが、かまわない。

高島屋一階 コスメティクスのフロアじゃ我に返れない、、、

しばしのタイムトリップから我に返り、喧騒の河原町を北へ上がって丸善へ向かう。そういや、あの頃もよく丸善の洋書絵本売り場をうろついたもんだ。それが現実逃避の手段だったなあ。。。ああ、10代へのタイムトリップは結構濃かったのに、2時間じゃまだ足りないのか。

同展の高島屋特設サイトは↓(割引クーポンあり)
http://www.takashimaya.co.jp/store/special/event/sawada.html