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終わらないと思った仕事の終わり

先月の半分を費やした仕事が終わった。(翻訳のプロがやれば数時間の事かもしれないが、表面的に整った文章を手早く仕上げられても、そこまで深くは考えずに終わってしまうだろう)

僕は遅読のうえに、或る種の学習障害か適応障害か知らないけれど、一つのことを考え始めると闇雲に枝道に入り込み、袋小路や堂々巡りのループに迷い込んでしまう傾向があるから、仕事はなかなか捗らない。まあ、面白くもない「出来高賃金の請け負い」のような仕事だったら、そんなことにもならないし、ハナから断っているだろう。

先に、途中経過(下にリンク)でも書いたけど、頭の良い学者の書く英語は何とも面倒くさい。そのうえ修士や博士の論文だったら恐らくダメ出しされるだろう、文法的に逸脱したり、していなくても長すぎて文や節、句の関係が一読しただけではまるで判らない代物だった。僅かな救いは、僕には不得手な哲学や社会学、政治などが中心だったけど、美術をネタに或る講演会に対する強力な皮肉に塗れたレビュー(或る種の文明批評とも言える)だったので、皮肉好きな僕には飽きることはなかった。

先の投稿と重複になるが一応書いておくと、、、僕は友人からある1冊の本の中の1章を訳すよう頼まれた。その本の著者は気鋭の文化人類学者で、Yale大学から蹴り出されるくらい(活動ではなく著述上で)急進てきなアナキストでもある。今はロンドンで教鞭をとっているが、そのロンドンで開かれたあるシンポジウムにイタリア労働者主義の重鎮たちが招かれ、芸術に関する講演と討論を行ったことへの、批判だった。

著名で有能な学者たちとはいえ、技術に何の関わりもない門外漢が、付け焼き刃(かどうか知らないが、少なくとも造形が深いとは言えない)の知識でダダやシュールレアリスム、ポストモダニズムを語り、デュシャンやはてはバンクシーまで持ち出して議論した様を、一体彼らはイタリアからやって来てこのロンドンで何をやってるんだ?というのがその論旨なんだけど、単に批判や貶しになってない。口汚いと言っていいほどの揶揄もあると同時にパネラーたちへの愛も感じられる。それが言い過ぎなら、少なくとも批判と同時に尊敬や評価がある。

アナキストとしての背景から、そこここにマルクスはじめ社会、政治、哲学的な比喩や考察が散りばめられていて、中には命題、対立命題、包摂という弁証法の話も頻出する。で、全体を見渡してみたら、そう、この章全体がその形を取っていることに気づく、、、という入れ子細工の仕掛け。

一度、通しで翻訳し終わって、そのことに気づいてから、また話の筋立てと文脈の整合性を考えてやると、最初にちゃちゃっと訳した各々の文が如何に適当(悪い意味!)で浅はかだったか、よーぅっく判った。(かと言って、それが解消したかどうかはわからないが、、、)

ま、ともかく、月末で、提出期限が来てしまい、それなりにこなれた日本語になった原稿を友人に渡すことができた。

そんで、それを挟んで、Skypeのテレビ電話で、夜中の11時から4時間15分に渡り、僕の訳や元の原稿の意味について互いの意見を交換しつつ、訳文の修正を行なった。僕も彼も夜型の人間なので平気だったし、それ自体は面白く、ためになることだったのでいいんだけど、、、やっぱ、これは「仕事」にはならないな、、、と思った。(笑)

終わらない仕事


終わらない仕事

友人から頼まれて、ある本の1章を訳している。原書は全6章、百十数ページ余りある中の1章だが、各章はそれぞれ平均して20ページ程なのに、僕の担当している章は28ページとやたら多い。送られてきたワード原稿では15ページだがそれは単にページ設定の問題で、文字数が減ったわけじゃない。

その英語の段落の間に対応する日本語訳を入れていくのだが、後で見直すために、英語の部分も消さずに置いてある。たまたま選んだ日本語フォントの行間設定がやたら広いので、訳を進めて行けば行くほどページ数が増えてしまう。元原稿で15ページのうち、9ページの半ばまで進んでいるから全体の6割方消化したことになるが、この時点で訳入りの方の同じ場所はぴったり23ページの終わり。面倒なので計算は省くが、最後まで行き着く頃には38ページほどにもなる。。。。(現状で30ページ)

行間の詰まっているのがオリジナルの英文。広いところが訳の和文。和文の面積が多いから、訳せば訳すほどページ数が増えていき、ゴールがどんどん遠ざかるようで、先が見通せず辛いなあ、、、

翻訳を始めたのが今月の15日で、締切は月末、つまり半月と少々しか時間が許されていない。今のペースだと一見余裕があるようにも思えるだろうが、まだ粗訳の段階だし、一目散に訳下しただけの文章の間違いを正し、スタイルを整え、何より意味が通じて、かつ読みやすくするには、それ相当の労力と時間が要る。はたして間に合うのか心配だし、それ以前に根が尽きるのでは、という恐れもある。

依頼主の友人は日本人ではないが、日本語の会話どころか漢字の読み書きもできて、助教授として大学で授業も行っている。日本語の他にも英語と彼の2つの母語(!)を含めてさらに複数の言語を自在に使い分け、年に1人か2人しか受からない非常に取得の難しい或る国の公式翻訳者の資格も持っている。しかも、それは彼の母語ではない、ときている。さらに、彼は語学だけでなく哲学や記号学にも精通し、音楽も理論だけでなく複数の楽器を演奏する、もうまるでルネサンスの天才はだし。(そう言えば、自分の本の表紙デザインもやっていた)

そんな彼が好む文章は当然のこと甚だしく難しく、依頼された原稿の著者は英語圏のアナキストで人類学者の大学教授だが、その文章は一般的な学術的文法の正確さをかなりの度合い無視して書かれているうえに、1センテンスが100単語+、10行+にも達する長大な文がぎっしりと散りばめられ、今回の原稿は一見すると芸術についてのものだが、内容も少しは美術史の語彙や文脈で語られることが多く、僕は一応美術が専門なので、それはまあ何とかなるとして、難解な哲学・社会学の専門用語も頻出する、というのも、元々は美術の門外漢である社会学者や哲学者の重鎮が集まって芸術を論じたあるシンポのような討論についての批評で、加えて批評している当の著者本人でさえも専門違いという何ともおかしなものだから、その内容の面倒くささときたら推して知るべしだろう・・・(と、その長さを実感できるよう、この段落は、それらの長大なセンテンスを真似てある。)

ここ数日、こんな文章(しかも英語!)にどっぷりの生活。果たして、オーバーヒートしてダウンするのは体が先か、頭が先か、それとも心が折れてしまうのか、、、(笑)


追記:
そういや、こんな感覚、どこかであったなあ、、、と思い返したら、ありました!

昔、今から30年近く前に、知り合いの理論化学の大学教授(当時はペーペーの講師か助教授か何かだったかもしれない)が、いくら論文を提出しても取り上げられない。つまり査読か何かのある英語のジャーナルに掲載されない、というので、僕が英語の添削をすることになった。

上述の本の元原稿は、人類学者が書いたとはいえ、少なくともそれなりに芸術に関するものだけど、こちらは科学の学術論文。難しいとかそういうレベルではなく、全ての単語、用語が理解の埒外。「ツィーグラー‐ナッタ重合」と「励起された電子による原子間の結合角度への影響」(今、思い出しながら書いているだけなんで学問的に正確な表現じゃないと思う)なんてのが英語で書かれているのだが、そこで何が起きているのか、なんて知ったこっちゃない。

知ったこっちゃないんだけど、文法が間違っているのは判る。でも、現象の意味を知らずに文法を直すと、書かれていることが事実と異なってしまうかもしれない。。。というジレンマ。仕方なく、科学のお勉強をした。当時はYahooもGoogleもWikipedia存在していなかったし、ネット上の情報も限られていた。どうやって調べ物をしたんだろう。思い出せない。(笑)(まともなネット環境が無くても何とかなるものだということだろう。。。そうそう、僕は高校の化学の授業で1を食らって落としそうになった劣等生だったんだ。今、思い出した!)

僅か数ページの論文だったけど、まる1週間はベッタリかかった。しかも、少し時を置いて2本。まるで強力に難しい試験を受けているようだった。苦労の甲斐あって(というか元の論文の研究内容が優れていたから)めでたく論文はジャーナルに掲載されたのだった。(その時は、もう二度と翻訳や添削なんぞやらない!と心に決めたんだけどねえ、、、)

追記の追記:

あれこれ書いているうちに、いろいろ忘れていたことが蘇ってきた。バケ学の知り合いは、僕が学部生としてアメリカの大学にいたとき、隣町の大学でポスドクしていた人だった。アメリカから帰ったあと、お互いに音信不通だったけど偶然にも阪急の梅田駅で出くわしたのだった。そういや、その後僕がL.A.の郊外に住んでいたときに、一緒にポール・ゲッティ美術館に行ったなあ、、、。懐かしい。同い年くらいだったから年齢から考えてももう退官しているだろうなあ、、、。どうしてるんだろ。酒井章吾教授。

この投稿のタイトルは「終わらない仕事」だけど、終わらないのは僕の回想。なので余計に仕事が終わらない。。。


英語の否定疑問に日本人がYes/Noで答えることは難しいか?

“Don’t you ever understand it?” と訊かれて、相手の言ってることが解ってるなら答えは“Yes, I do.”、判らなければ“No, I don’t.”だ。

しかし、答えるのが日本人の場合、質問を「お前、きっと理解してないんじゃね?」と和訳して、それに答えようとするので「いや、解ってるよ」となってしまう。さらにその答を英語に訳して“No, I understand it.”と返してしまうから、もう相手は “Wha???”、こちらも「え?え?え?」・・・ 答えが「うん、解らんもんね」の場合でも“Yes, I don’t understand it”としか出てこず、どっちにしても収拾がつかないか、気まずい思いで終わってしまう。

この混乱は、日本語の「はい/いいえ」と英語の”Yes /No”では、役割が全く違っていることに起因している。

(ただし、これは英語の「否定疑問文」に対する返答の場合だけで、素直な「肯定疑問文」ではこのような齟齬は起こらないので、ここでは例として取り上げない)

日本語の「はい/いいえ」が答えの内容に関わりなく、相手の言ったことに対しての表現であり、その後に自分の言いたい「答」を述べる。他方、英語の”Yes /No”は自分の返事が「肯定であるか否定であるか」の前振り、あるいは答の内容の端的な要約と言うべきものである。

言い換えると日本語の返事は、まず相手の思考を慮ってその関係における自分の立ち位置を示し、その後おもむろに胸の内を開くという二段階なのだ。しかし、英語の方は質問が肯定形であろうが否定形であろうがお構いなし。相手の立場など一切関わりなく、自分の言いたいことを言うだけになる。そしてYesは次に肯定文が来るぞ、Noなら否定文だぞ、と予め知らしめる役目を果たしているに過ぎないのだ。

とまあ、こういうことは中学や高校の授業で一通りは習っているはずなんだが、これがいっかな身についていない。この状態では、表題の『英語の否定疑問に日本人がYes/Noで答えることは難しいか?』の答えは「難しい」となる。

(アメリカに住んでいたとき、僕よりずっと在米期間の長い日本人を交えて英語で話す機会が何度もあったが、そんな人たちでも否定疑問に対するYes/No間違える人は多かった。)

たまに英語を教えるときに、ちゃんとした受け答えができずYesかNoかだけで話を済まそうとする場面に出くわす。フルセンテンス.の”Yes, I don’t understand it”や”No, I do.”は混乱をもたらすが、間違ったYes/Noだけを返したらまさに誤解そのもの。

そこで、日本語の思考回路の影響を受けずに、素のままで英語の返答(特に否定疑問文に対して)が正確にできる練習方法を考えてみた。要は、一気にYes/Noへ持っていったり、途中に日本語的な相手への同意/不同意の思考段階を踏まなければいいだけのこと。

例えば最初の“Don’t you ever understand it?”の答に至る段階とは:

質問:Don’t you ever understand it?
返答:
1,Don’t you ever understand it? (相手質問を復唱)
2,Don’t I understand it? (主語を変換し自問、everを省略)
3,I don’t understand it? (Don’tを移動して平叙文に近づける)

*ここで質問と自分の状況を照らし合わせて肯定/否定を判断し、肯定(理解している)なら
4,I understand it. (don’tを外して肯定の平叙文にした答)
5,Yes, I understand it. (Yesを先行させて肯定を明示した答)
6,Yes, I do. (代動詞doで簡略化した答)
7,Yes. (もとも簡略な答)

*肯定/否定を判断して、否定(理解していない)なら
4,I don’t understand it. (質問の否定形をそのまま継承)
5,No, I don’t understand it. (Noで否定を明示した答)
6,No, I don’t. (動詞を省た簡略な答)
7,No. (もとも簡略な答)

質問を受けたら、まず相手の質問を復唱することから始めて、各段階で一つか二つしか単語の移動や変化、省略を行わない。そのため、最後のYes/Noだけの簡略な答に至るには少し遠回りになるが、この方法で練習していけば「はい/いいえ」≠ “Yes/No”の混乱に巻き込まれることなく、自動的に英語的な思考経路をたどることができるというわけだ。

(7つも段階があるが、実は、Yes/Noを伴わない4番めの答でも全く問題はない)


追記:

これに、主語、動詞、目的語、補語、時勢などを入れ替えて練習すれば完璧だけど、その組み合わせは膨大な数になる。自分で振り返ってみてそんな練習はしてこなかった。。。

ただ、思うに、英語圏で暮らすようになったとき、Yes/Noに飛びついて誤解を生じさせるよりは、少し時間がかかっても上記のような段階を頭の中で辿るように努力していた。あまり意識していないが今もそうかもしれないな。。。


追記その2:

Yes/Noクエスチョンだけでなく、疑問詞を伴う質問でも段階を追って経路をたどれば、例えば“What would you like?”(何になさいますか?)という丁寧な質問に対し、つい”Beer.”と尋ねられたことを「一言」返すだけで精一杯の、ぶっきらぼうな返事をしてしまうというようなことを避けられるようになる。

質問:What would you like?
返答:
1,What would you like?
2,What would I like?
3,I would like what?
*ここで自分の望む答(whatの内容)を選ぶ
4.I would like beer. whatをbeerに置き換えるた平叙文の答)
5,I’d like beer. (wouldを短縮した答)
6,I’d like beer, please. (pleaseを付けた丁寧な答)
7,Beer, please. (主語・動詞を省略した答)
8,Beer. (最も簡略だがぶっきら号な答)

(こちらも4番目で既に十分丁寧な受け答えになっている)


ムイタ ナポア スンワ

昨日の、いや、一昨日か、、、の夢見が悪くて、どうも気持ち悪い。画像はザラザラだし、編集にも瑕疵がある。。。あ、いや、夢を見た僕の頭の構造の問題だ、ということにしといて、、、

あれこれ白昼夢か黒夜夢か知らんけど、ちょっと気合入れて夢の見直しをした。「額に汗して」とまではいかないけどね。これでぐっすりアタフアバエ イリピハに寝れる。

上記は720p。フルHDバージョンもあるけどちょっとヘビーすぎる。

 


英語のインタラクティブ教材

英語の教材に『絵で見る英語』(I.A.リチャーズ/クリスティン・ギブソン [1975] IBC出版、原題:”English Through Pictures”)を端末機器で自習できる方法を考えている。

前にも書いたが、この本はシンプルなイラストと簡潔な英語の説明だけで学習者の母国語を介さずに英語を身につけることができる優れものだ。

著者は絵だけでなくネイティブ・スピーカーの発音に耳を傾けるよう促している。それは母国語の発音に引きずられないように(そしておそらくは思考を母国語から切り離すために)、ネイティブ・スピーカーのアシストが得られるまでは声に出すなとさえ言い切っている。

とはいえ訛のない英語を話す人を簡単に連れてくるわけにもいかないから録音に頼ることになる。この本が世に出たころはレコードの時代だったが、オープンリールの録音テープからカセット、CD、さらに今はMP3などの音声ファイルをPCやスマホから使える。この本にもCDが付いていて、ページのイラストと音声を対照させながら勉強できる。

ただ、CDの音声をPCやスマホ、タブレットなどの端末に取り込んだとしても、本と機器の両方を同時に扱うという面倒くささがある。そこで端末だけですべて完結できるようにならなかと考えた。

始めは本を自炊してPDF化し、イラストに対応した音声を埋め込む方法を模索した。ネット環境に依存しないので保存したファイルを簡単に開くことができる。しかしファイルが重くなるのと、埋め込んだ音声の操作性が思わしくない。

そこでインタラクティブなWebページを作って画像をクリックすると音声が流れるようにした。それがこれだ↓(但し、著作権の問題があり、音声と画像はオリジナルではない)

http://okamoo.com/English/AudioBook/FB_Special/audiobook1FB.htm

画像と音声ファイルを読み込むことになるが、一度に何十ページも読み進むものでもないのでダウンロード量は知れている。

使い方はシンプルに4つのエリアに仕切られたページの各イラストをクリックするだけで対応する音声を聴ける。勉強が進むと本の中程からは情報量が増えて音声も長くなるが、再生途中でクリックして一時停止や再開ができる。また、中断して別の音声を聴くことも可能。ダブルクリックまたは画面上部のボタンをクリックしてリセットもできる。

なお、著作権の問題で元の本のイラストや音声は一般に公開できないので、上記にリンクしたサンプルは実際に使う教材とは異なり、僕のでっち上げたものだ。

Webページを記述しているHTMLもそれを支えるCSSもJavaScriptもある種の言語なのだけど、僕は習ったことも体系的に独学したこともない(って奴が英語を教えるってのも皮肉だなwww)。それでも、場当たり的に必要な情報をネットから拾ってきては適当に改変し使っている。これらの言語の文法も作法も知らないのでまともに動かすには当然手間がかかる。しかも出来上がったソースはおっそろしく汚い。でも、内輪で使うものだから動けばいいんだ。(笑)

そんなわけで、借用したスクリプトやスタイルシートを我流で1ページに全部記述したので、めっちゃくちゃ乱雑で頭でっかちなHTMLファイルになってしまった。実際に使うときにはページ数も増えるから、もうちょっと整理して別添でjsとcssの定義ファイルを作るつもり。あと、サンプルは単ページなので「前へ」と「次へ」のボタンもまだ実装していない。目次ページも要るかな、、、 だんだん面倒くさくなってきた。。。


追記:
案の定、別ファイルにした途端、問題が爆裂!直すのに手こずった。しかも、手間の割に<head>〜</head>間の情報量がたいして減らない。。。

ま、いっか。