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『沢田教一展 −その視線の先に』

沢田教一展 入り口ファサード ちょっとベトナム戦争戦没者記念碑を思い起こさせる。。。

久しぶりに街。それも繁華街の河原町。観光客いっぱいで目まいがする。高島屋でやっている目当ての沢田教一の写真展も結構混んでいて、やはりベトナム戦争を知る世代が多く来ていた。

沢田教一展のポスターを見る初老の婦人

三沢の米軍基地で駆け出しだった頃の彼自身の姿や妻のポートレート、子守をする子供たちの姿、東京五輪、ロバート・ケネディ来日の取材などなど戦場以外の写真も含め、沢田のカメラマンとしての一生を網羅するような写真展だった。とはいえ展示されたのは必然的にベトナム戦争の写真が主だった。僕の青春時代に彼の地で起きていたことを如実に伝えてくれた、今でもよく憶えている多くの写真が、あれも、これも、沢田の撮ったものだったのだ、と実感した。

有名な『安全への逃避』がピューリッツァー賞を取ったときの報道を今もよく憶えている。新聞で見て、生き延びようと必死で川を渡る家族の顔に見える具体的な恐怖の表情とは裏腹に、『安全への逃避』というどこか日本語離れして抽象的な表現の題名が中学生の僕には違和感があったのと、加えて「ピューリッツァー」という全く馴染みのない賞の名前が奇妙な響きに聞こえたこと、それらの不協和音が不思議に新鮮だったのだ。

彼は僕が二十になる前に戦場で亡くなった。その年、1970年にちょうど英語の授業でロバート・キャパの「Slightly Out of Focus」をクラスで共訳する合宿があり、初めてキャパの代表作である『波の中の兵士』(ノルマンディー上陸作戦)を目にした。その時『安全への逃避』がありありと思い浮かんできたことも、またよく憶えている。

爆撃を受け焼き払われる村から命からがら逃げる無力な女性と子供も、重武装で波間に沈みそうになりながら命を機関銃の弾丸のように消費する戦闘の真っ只中へ突き進む若い兵士も、水から頭だけを出した彼らの姿は、進む方向が真逆なのに僕にはよく似てると思えたのだ。

というようなことを回想しながら、一枚一枚の写真を見て、外へ出たら2時間も経っていた。お陰でいろんなことをすっぽかすハメになったが、かまわない。

高島屋一階 コスメティクスのフロアじゃ我に返れない、、、

しばしのタイムトリップから我に返り、喧騒の河原町を北へ上がって丸善へ向かう。そういや、あの頃もよく丸善の洋書絵本売り場をうろついたもんだ。それが現実逃避の手段だったなあ。。。ああ、10代へのタイムトリップは結構濃かったのに、2時間じゃまだ足りないのか。

同展の高島屋特設サイトは↓(割引クーポンあり)
http://www.takashimaya.co.jp/store/special/event/sawada.html