遅まきながら、早くも還暦

いやはや、なんとも、、、 20年前にチベットで出会った友人T君が発案で、僕の還暦祝いをやってもらった。

同宿だったもう一人Zさんと、やはり同じ宿に居た前衛舞踏家の虫丸君を日本でサポートしていたNさんを巻き込んで、うちで何かやろうという話だった。結局、言いだしっぺのT君はいわき市にいる彼の友人を案じて「一人救援隊」として東北へ行っちゃったので、金欠になり不参加。代わりに、というわけでもないがNさんの連れ合いでやはり舞踏家の伊織君とカワイイ娘のIちゃんが来てくれた。さらに、三条河原で原発反対の催しで出会ったシタール演奏家の南沢さん(初対面なんで「さん」付け)も。

Zさんのアイデアで四川火鍋パーチー。これが真っ赤(還暦色?)、メチャ辛!メチャ美味!さらにZさん、Nさんの手作り料理が、、、 インドがどっぷり染み込んだ南沢さんにサモサを包んでもらって、うま味が倍増。最後の仕上げにうちの碗子を皆に飲んでもらった。

欠席だったけどT君からは還暦祝いに日本手ぬぐいが届いた。ラサのヤクホテルで出会ったとき、僕らはお互いに日本人とは認識できない格好だったので、胡散臭そうに「ハロー」とあいさつを交わした。ややしばらくしてT君のベッドの横に「祇園祭 鯉山保存会」と染め抜かれた日本手ぬぐいを僕が見てやっと日本語の会話が始まったのだった。T君は根っからの日本手ぬぐい党で、僕とのなれそめを思い出してのプレゼントとなったそうな。あれから20年かぁ、、、昨日のことのように思える。(てぬぐいは三越で買ったといってたけど、同宿だった志麻ちゃんが三越のデパガだったってことに引っ掛けたのかなあ、、、。あ、うちわの話)

Nさんはとある野良猫横丁で「マタタビ洋服店」をやっているアパレル作家。T君とZさんに巻き込まれての参加なんだけど、とんでもないものを作って来てくれた。チベット風ジャケット(作務衣?)!!! ていうか、ブータン東部のBrokpaが着る上着のようだ。Brokpaのそれと違うところは袖口の折り返し。ここはブータンの標準服ゴに似た格子模様の生地になっている。さらに、帯からさげるウェストバッグもチベット風の生地で縫ってくれた。色といいデザインといい素晴らしく、こんなの貰っていいの。。。

そのジャケットとウェストバッグを飾るワッペン(古!)、、、エンブレムっていうのかな、、、を手縫いしてくれたのがZさん。ジャケットの背中に着いた一つ紋のような丸いのにはヤクの頭。今は上等になってしまったらしいけど当時はお手軽だったラサのヤクホテルに掲げてあったヤクの頭の作り物を思い出す。ヤクホテルの日本人6人とキレーホテルの+1、タッチャン、、、 おもろい輩ばっか。。。 このZ嬢、東京芸大→北京の中央美術院留学の才媛。彫金や大型の金属造形も手がけるが、そんな大作家にチクチクお針仕事をしていただき、申し訳ないやらありがたいやら。。。 背裏のネームタグは銅製で、記念の文字の刻印入り。(これも赤金)

手ぬぐいもジャケットも赤が基調で、やっぱ還暦かあ、、、と実感。それを身につけて、もう60歳かと思うと少しとほほな気分にもなる。でもその時限りで二度と着ないちゃんちゃんこより、どれだけ嬉しいことか!持つべきものは友。ありがとね。

写真はZ嬢提供


リハビリ

退院して、右腕は動かないままだけど、まあ、何とか生きていられる。。。 日々の生活で、例えば風呂上がりに着ようとしたシャツが背中に引っかかって降りてこないのにはまいったけど、、、それより、自分にあったリハビリ施設を探すのに苦労している。

理学療法、作業療法は医師が処方して、をれを療法士が実行することになっている。頚椎手術に伴うC5麻痺を理解してそれに対応した療法を行ってくれる病院を探すのは容易でない。実際、まだ決めかねているところ。。。

退院直前に病院の都合で突然主治医が代えられ、新しい医者(医師とは呼べないな、、、)は「リハビリなんか関係ないです。やってもやらんでも、治るもんは治るし治らんもんは治らん」と言い放った。血腫や感染なども、施術に過誤もない、言ってみれば神経の混乱みたいなもんだから、日にち薬で、そりゃあそうかも知れないけど。。。 じゃあ、なんでその病院に入院中、院内の施設でリハビリを受ける必要があったんだろう、ということになる。

もう退院しちゃったし、もとの主治医、つまり執刀医はリハビリの効果を強調していたから、そっちを信じておこう。週明けには3軒目のリハビリ施設を訪ねる。手間のかかることですわ。。。(入院していた医療センターは外来のリハはやらないそうな。。。もっとも、遠いので通う気もないけど)