ミュージシャンの友人に誘われて、箕面まで彼とその友人たちのライブに行ってきた。
東地中海音楽と彼が呼ぶトルコやクルドの曲をまったりと聴きき、紅いチャイやトマトのチョルバをすする。ガラス戸越しには暮れゆく西の空がゆっくりと染まってゆくのを見る。エキゾチックな微分音と変拍子の旋律にのせて異国の言葉で詠われる歌詞の意味は解からないが、かつて訪れた西方の土地や人のことを懐かしく思い出す。
それだけだったら、至福の夕べを過ごせたと言える。確かにここち良い時間があったことは間違いない。
しかし、友人の奏でる美しいサズの音色やエルバーネの軽やかな響きに合わせて歌姫の透き通った声が紡ぎだす繊細な旋律に僕の耳と体は酔いしれているのに、心は遊離して、まるで黄昏てゆく外の薄闇に沈んでいくかのように思えた。
来る前から、誘われた時からそれは判っていたこと。彼らのライブに来れば過去の辛いことが蘇るのだ。有り体に言えば、この十年のあいだ乗り越えられずにきた辛さの根源そのものに対面することになるのだ。
賢く思慮深い友人は当然その事情を知っていながら、口には出さないけれど「そろそろ引きずるのは止めにしては」と僕を誘ってくれたのだし、僕自身もその思いやりを受け止めて、心して来た、、、つもりだった。
が。。。とうとう演奏が終わるまで彼らに目を向けられず、ガラス戸の向こうで暮れなずむ空の下に青から黒へと沈殿するテラスや街路樹を眺めながら、季節外れに冷える外気に心を溶かし込んでいた。
そのままなら安心して外をさまよっていられたのに、聞き覚えのある曲が演奏される度に意識は呼び戻された。音楽とともに蘇る記憶に、赤く開いたままの傷口が疼く。純粋に耳を委ねられる未知の曲に変わるまでのあいだ心此処に在らずにならんと腐心していた。皮肉な状況に、いったい何をしに来たのだろう、と自問しつつ、、、。
いつになったらこれら全てを懐かしいと言えるようになるのだろうか。
いや、もういい。もう書くまい。ほんの数分だけでも彼らの音楽を何の拘泥も抵抗もなく楽しめたのだから。