異境に果てたカッシーニへの複雑な想い

人の行けぬ遠い惑星や衛星からカッシーニが送り届けてくれた貴重な情報と美しい画像に僕は魅了されてきた。そして今、20年にも亘る旅の果てに土星の深い大気に沈んだ探査機の最期を想う。

カッシーニ以前に、誰がこんな土星の後ろ姿を想像しえただろう。

遥かに遠のき、小さくなった太陽を掩蔽する土星の綺麗で寂然とした背面。

カッシーニの映し出す淋しげな土星と同様に、昔々、ソ連のルナが初めて軟着陸して撮りジョドレルバンク電波天文台が傍受して発表したモノクロの荒涼たる月世界も、月に向かうアポロが振り返って見た暗黒に浮かぶ小さく青いマーブル玉のような地球も、それは美しくまたどうしようもなく心もとない光景だった。子どもだった僕は遠い異境を旅する彼ら孤独な探査機を想い夜空を見上げては心震わせたものだ。

大人になっても、地球を旅立って太陽系のあちこちに赴いたガリレオ、ユリシーズ、ニュー・ホライズン、もう太陽系を離れて深宇宙へ足を踏み入れたパイオニアやヴォイジャーなど、カッシーニの仲間たち惑星間探査機のもたらす旅の知らせに、僕は変わらず胸踊らされる。

ただ、彼らがその力をプルトニウム熱源の原子力電池に依存していたことには心が痛む。彼らがくれた無類の感動も貴重な情報も、打ち上げ失敗時に放射能汚染のリスクを伴う原子力電池無しには得られなかったことを考えると複雑な感情を持たざるをえない。

どこか、殺人兵器でしかない戦闘機の姿を美しいと感じてしまう時に抱く後ろめたい心の矛盾に似ているように思う。


Fiat 500 ドア塗装

前のオーナーが変なクッションみたいなゴムパッドを助手席ウィンドウの下に貼っ付けてので、引っぺがしたら、ケロイドみたくなってしまった。

スポンジやら接着剤やら汚い色とりどりで醜いし、助手席に人を乗せると、みな「ゲッ!?」みたいな顔するんで、残渣も金属スパチュラでこそげ落としてやった。

クッションの剥がし跡。スポンジやらボンドの残渣が醜い。

いかんせん、やり方が荒いもんでボンドやスポンジの残りカスをゴリゴリ剥がしたら鉄の地肌までいっちゃった。もう塗るしかない。ちょうど前の修理の時板金屋さんから、余った色合わせ済みペイントをボトルでもらっていたので、塗ってやった。

とりあえず完成。タッチアップ跡は遠目にはわからない。でも助手席からは新旧塗色の差が丸見え。ま、夜しかパッセンジャーを乗せなきゃいいんだ!

剥がし跡をサンディングして平らに均してから、2年も放ったらかしてあった塗料を安物刷毛で、ほぼ「なすくりつける」ように手塗りしたら、案の定ムラムラ。それで良しとしようと思ったが、やっぱ目立つ場所だし、、、

手塗りしたらこの有り様、、、

ちょっと時間ができたので、昨日から何度か塗り重ね、サンドペーパーでムラの砥ぎ落とし、また塗るを繰り返して、さっき最後に水研ぎで平滑化。。。したつもりが結構傷が浮き出てくる。塗料に水滴でも入ってたか、それとも、付着した虫を無視したのがわるかったのか、、、

600番の耐水ペーパーに当て木をして荒研ぎサンディング
左側(奥)が荒研ぎ済み、右側(手前)塗りっぱなしのムラが酷すぎ。
800, 1000, 1200と番手を上げて研ぐ

あと、もらった塗料は日焼けして少し黒ずんだエクステリアの塗色には完璧だったけど、内装の塗膜は色あせしてないので、微妙に違う、、、くっきり境目が出てしまった。汚れじゃないからコンパウンドで磨いても消えるはずもないし、、、

コンパウンド磨き
タッチアップ塗料の色が暗い。外部の日焼け色に合わせた調色だった、、、

ま、元が小汚い雑巾みたいな有り様だったこと思えば1000倍もマシ。きっと次に助手席に乗る人はわかるまい。


Alsace 再訪

久しぶりに一乗寺のAlsaceへ行く機会を得たので誘った知り合いを乗せて北大路を東へ向かっていたら、下鴨辺りで後ろから追いついてきた車が信号で横に並んでウィンドウをおろし始めた。何?

真っ赤な車からニコニコと顔を出したのは、おお、中東のひーちゃんやん!先日の山椒オイルの礼や、また行きまっさ、なんて言っている間に信号が代わり、たいした話も出来ぬままビューンと行ってしまった。

不思議なもので、先日店の前で彼を見つけて立ち話をしたのが20年ぶりだったのに、あれから半月もしないうちに今度は彼が僕を見つけてくれた。それにしてもよく僕だと判ったもんだ。多分あの時に僕がちっこいFiat 500に乗っているって話したんだっけか、、、それで目ざとく見つけてくれたんだろな。。。こりゃ、本当に行かなきゃ。

同乗の知り合いは、ひーちゃんの「草喰なかひがし」が憧れの店で、かねがね行きたいと思っていたそうで、成り行き上、これはもう誘うしかない。あ、成り行きってのは、しょうことなしに、とか、いやいやだけど、という意味はない。この偶然、このタイミング、この縁、これはもう「そういうこと」になっているというわけ。

閑話休題。まだ予約が取れるかどうかさえ判らないなかひがしはまた今度に置いといて、今日向かったのはAlsace。

いつもは4、5人でワイワイ来るのだけど今回はべっぴんさんと差し向かい。まあ、何人で来ようがAlsaceのお兄ちゃんの楽しい軽口は相変わらず終始絶好調。そのうえ一緒に来てくれた知り合いもよく食べ、ワインもそこそこ飲んで(僕は水だけど)、それによく話をする人だった。

旅のことや、互いに美術をやっているので作品の技法のこと、何故か突然に近江商人のことなど、話題は尽きず、いつの間にか心地よく時間が過ぎてしまった(彼女の話の飛び具合、散らかり具合はどこか僕と似ているなと思った)。開店から居座った僕達が結局いちばん最後に店を出た客だった。

実際、よく考えたらものすごい量を食べたと思う。
イワシの香草オイル焼き、ビーツのサラダ、牛タンとシュークルート、豚のホルモンソーセージとシュークルート、ミートボールのトマトソース煮、そしてデザートにガトーショコラ、モモのパルフェ、、、二人でたらふく、なんだけど、これがストンと胃に落ちる。そこへ持ってきて、目の前で美味そうにワインを飲んでいる人がいて、、、普段、飲めないことを悔やんだりしないが、今日ばかりはやはり残念に思えた。

どれだけ食べた後でも、ここのガトー・オ・ショコラの美味しさは変わらない。しっかりと吟味したチョコレートを使ってあり(以前何度か聞いたのにブランドを忘れたが、、、)、しっかり濃厚なんだけど、絶妙の焼き加減で上面のサックリ感と舌に纏わりつかない中身の軽さでが、もうたまらん。。。

デザートの後、〆にいただいたコーヒーは素敵にほろ苦くて、あれこれお喋りしながら闇雲に食ったものをもう一度きちんと舌と胃と脳で整理をするのにちょうど良かった。

独居老人なのでいつもは飯を5分でかっ食らうし、酷いときはキッチンで立ったまま食うなんてこともある(これはアメリカで貧乏学生やってた時に付いた悪い癖だ。キャンベルのスープ缶からスプーンで直に食べてたのを思い出すと、まるでホームレスのオジサンたちみたいだったなあ、、、)。かといって外食には1人で行けないタチなので、たまにこうやって3時間も4時間もかけてゆっくりと会話できる人と一緒に質の良い食事を満喫するのもときには必要だな。。。

美味しくて、楽しくて、そのうえ向かいの席はぺっぴんさん。これで何の不満を言えようか。ただ、それがカノジョであれば人生文句はないのだが、世の中そうはなってないのです。


山歩き案内+温泉回想

 早朝一番のバスを降りて長い林道のアプローチを終え、登山口と書かれた道標と営林署の注意書き看板の前を通り過ぎ、暗い植林の谷に入る。よく手入れされた杉林の中を伸びている、油が乗って滑りやすい木馬道を上り詰めると、終点で左手の沢に降りる。水量の豊富な流れを右岸へ渡渉し、ナタ目のある大きなブナの木の横からそのまま背丈ほどもあるササ藪の急斜面を直登する。
  
 藪漕ぎを終えるころ斜度が緩くなり辺りは広葉樹のまばらな明るい林にかわる。間もなくよく踏まれた古いユリ道に飛び出る。左はもと来た登山口へ、右へは石仏を経て一本杉のある峠へ続いている。
  
 平坦で歩きやすいユリ道を右に取りしばらく行くと、斜面に埋もれるようにして小さな石仏が2体並んでいる。峠まではもう少しで、樹々の間からは背の高い一本杉が見えるが、峠からは眺望がないので、ここで再び斜面に取り付いて分水嶺の稜線を目指す。石仏に向かって右手から入るケモノ道のような踏み跡が見つからない場合は峠経由で稜線を辿るもよい。
  
 混合樹林を抜けて痩せ尾根の稜線上に出たら道を左へ登る。登り切った頂上は10畳敷ほどの草地で、5万の地図には独標の表示があるが道標も標柱もなく、生い茂った草の様子からあまり人が訪れていないように思える。しかし標高はさほどでもないが周囲は落葉樹の灌木ばかりなので冬は特に眺めが良い。ここでちょうど昼になる。
  
 そのまま尾根を縦走すれば登り下りを繰り返して次第に高度を下げ、途中で道は尾根筋を離れて先に横切ったユリ道と合流する。続けて下ると登山口に戻る。
  

 山頂から尾根道を取らず尾根と直交するように乗越すし、もと来たのとは違う水系の斜面を下る。周囲の植生が劇的に変わるので中央分水嶺を越えた実感が湧く。またこの辺りにはシカの鳴き声やキツツキの音がよく響いているし、木の幹にはところどころクマの爪痕も見られる。運が良ければカモシカにも出くわすことがある。
 

 斜面を下り始めてほどなく暗く大岩の多い谷に出会う。後は谷に沿って下るだけなので道に迷うことはないが、小滝が連続しているので巻道を見失わないよう注意する必要がある。冬期は、積雪が登ってきた側と比較にならないほど多いので、輪カンジキの着用と長時間のラッセルで登り以上の体力消耗を覚悟しなければならない。

下るにつれて踏み跡から小径になり、それが轍のある細い林道に変わる。下りきった谷が開けて扇状地になる所に10軒ほどの小さな半農半林の集落があり、地方鉄道駅へのバスも来ているが休日運休どころか、週に3日だけ朝夕1本ずつの運行であることに注意。さらに積雪期は運休になるので事前に問い合わせしておくべきだろう。スケジュールが合わなければ駅まで、アプローチの林道以上に長く退屈な歩きが必要となる。

中央分水嶺を越えるコースを辿ってその日の内に家に帰り着けたら幸運である。ただ、途中で寄り道して、神社前のバス停がある三叉路でバス道を離れ、さらに奥まった山中にある一軒宿の温泉に浸かるのも良い。年寄り夫婦のやっている数部屋しかない小さな温泉宿だがいつも空いていて居心地が良い。入浴と休憩だけもさせてもらえるが、どうせバスは無くなっているし、のんびりしていると歩いて駅に着いたとしても最終列車の時刻も過ぎてしまっているので、そのまま泊まって帰ることになる。

話下手で腰の曲がった主人に案内されて、ギシギシとうるさくきしむ渡り廊下を渡った先の小さな古い木造の離れが浴室。3人がやっとの狭い湯船の枠は檜のようだが温泉の成分で黒く変色している。温泉とは言うものの実は冷泉で沸かし湯だが、ほんのり硫黄の匂いがする肌当たりの良い泉質だ。ぬるくてしっかり長湯ができる。

湯上がりに、二の腕に擦り傷ができるほどバリバリに糊の効いた浴衣を着て、老女将が摘んだという山菜の田舎っぽいがどこか懐かしい手料理をいただいたら、後はもう寝るしか用事がない。新聞は来ないらしく、宿に一台きりの食堂のテレビは5年前の落雷で壊れたままだというし、他に客もおらず、主人夫婦は食事を片付けたらさっさと寝てしまうので、このあたりの山や村の面白い話も聞けない。早寝して翌朝また街道へ出て、バスか歩きで駅に向かうことになる。

 渓流のせせらぎが聞こえる部屋に戻り、少し湿った重い布団に潜り込んで目を瞑ると、今まで歩いて来た山の情景が思い浮かぶ。
 

 

なんちゃって、、、