オスロを去る日に思う
(投稿は一週間後だけど。
しかも翻訳は一年後だし、、、)

去年、英語で書いた日記を翻訳してみた。和訳は難しいなあ、、、

ほんの10日前までスウェーデン北部高地で、KungsledenのU字谷の底に延びる小径を辿っていた。

それが今は、北海に溺れた無数のU字谷フィヨルドの国、ここノルウェーで岸辺に座って海を眺め、小舟を漕ぎ、クルーズ船に乗っている。

そのどちらも同じだけ楽しんできた。

先日、ロフォーテン諸島にいた時のこと、日がな一日iPadにへばり付いて何もしない僕を見かねて、年老いたホステルの主人が、彼の小舟に乗って一人で沖に漕ぎ出してみろよと言ってくれた。「今行かないでどうするんだ、天気はいいし海はベタ凪なのにこれ以上何を望む?何をグズグズしてるんだ?」と。

Kungsledenのある場所で幅1kmもある湖でのこと。ボートが3艘用意されていて、どちらかの岸には1艘しか置かれていないことになる。はたして僕は運悪く1艘の側に到着してしまった。常に湖の両岸にそれぞれ最低1艘のボートが置かれるためには、一度渡って対岸の1艘を曳いて戻り、それを残して今一度対岸へ回漕ぎ渡るはめになる。あれ以来、ボートはうんざりだった。

一度目は岸辺でモーターボートを待っている老人たちが寒さに震えていると対岸の小屋の主人に伝えるため大急ぎで、二度目は余分のボートを1艘曳き、待っている人にモーターボートは来ないと伝えるため、三度目は二人の老人カップルとバックパックを満載して、横風とうねる波を越えて必死で漕いだ。最後の接岸後、浜に残した自分のバックパックを持ち上げるのもやっとの握力しか残っていなかった。人生を終えるまで金輪際とは言わないまでも、もうボートは漕がないぞと思ったのだった。

にも拘らず、主人のアドバイス、いやもうほとんど命令を受け入れた。彼は目の前に広がるこの美しく(そして時に気まぐれな)海の全てを知っている。その彼の言葉に抗う理由がどこにある?で、一も二もなく即漕ぎ出した。とは言うもののさほどの沖遠くでもなく、だが。ほんの1時間かそこら港周辺でロフォーテンの先端が見えるあたりを目指して。

その数日後には「沿岸急行」と呼ばれるクルーズ船のひとつに乗っていた。トロルフィヨルドの壮大な景色と、その最奥にまで船を操って航行する船長の技術の素晴らしさについては聞いていた(それは以前のFacebookの投稿記事でも書いた)。しかし、この船旅は、たとえ一週間に渡るクルーズ全行程のほんの一部にすぎなくても、自分の旅のスタンダードからして贅沢すぎるのだった。それでもこの船を選んだことを決して後悔したりしなかった。

もうオスロで3夜目になる。あまりに物価が高いので、もともとは1日かそこらのつもりだった。なのに、ロフォーテンでもそうだったけど、滞在をのばしてしまった。なぜなら、ここの美術館、博物館で本当に観たいものを訪ねるには最低でも2日はかかると判ったから。極地探検船フラム号、筏のコンチキ号、ヴァイキングの船、それにムンク美術館と国立美術館のムンク、、、

ムンク以外では、特に船に興味があった。ロフォーテン諸島ではたくさんの地元の船を見たが、ボート、ヨット、大小新旧の船、ほとんどどれもが伝統的な、むしろクラシカルなと言ってもいい工法やデザインで造られていた。それらはノルウェーが持つ海運国としての伝統の「匂い」を醸し出していた。オスロでもまたそれ以上に多くの「同種」の船を見ることになった。ああ、どれも素敵だ。

残りの旅の日は数えるほど。これからハンブルクに向かい、友人に会う。その後、10月5日にストックホルムからロンドン、香港経由で大阪へ。大洋を二つ越えて船で帰れたらなあ、、、

ムンクについてはまた別の機会に。