FIAT 500 ブレーキ・マスターシリンダー液漏れ修理

症状:

6月に、ブレーキフルードが減るので、その原因が不良(不適切)素材のホースにあると投稿を書いた。そして実際、使われていた「燃料用ホース」からは汗をかいたように液がにじみ出ていたから、それ「も」液が減る原因の一つには違いなかった。

しかし、ホースを取り替えた後もフルードは減り続けていたので、わずか4ヶ月でリザーバータンクにトップアップする必要になった。もちろんリザーバーの新しいホースは何ともない。となれば、どこかから漏れているに違いない。これだけ漏れていれば車体の下に滴っているはずだが地面にその痕跡は無く、ボンネット内部のマスターシリンダーから床下まわりのブレーキホース、4つのホイールにも滲みすら見られない。

昨年、スレーブシリンダーは全て交換したのでブレーキまわりは大丈夫(のはず)。しかし、ブレーキラインとマスターシリンダーまでは手を入れていなかった。マスターシリンダーがヘタると、たとえ走行中に通常のブレーキ操作をして制動力に問題がなくても、停車中にブレーキペダルを踏み続けるとじんわり沈み込んで床に着いてしまう現象が起きるが、そのようなことも全く無かった。そんなヘタリはシリンダー内部のことで、外部への漏れには直接関係がないはず。

では、リザーバータンク1杯分のブレーキフルードはどこへ行ってしまったのだ?

原因:

手っ取り早く言うと、マスターシリンダからの漏れだった。

汚い!こんな汚れに何ヶ月も気づかなかったのは失態だった。

ブレーキペダルからの押しを伝えるプッシュロッドのラバーブーツが劣化し、そこからブレーキフルードが運転席側に流れ出ていた。しかし、バルクヘッドを流れ下った液はすぐにフロアマットの下に潜り込んでいたため外部からは判らず。ブレーキフルードは塗料を侵すのでよく見ると床の塗膜が凸凹している。慌ててマットを剥がすと液でベトベトになってしまっていた。

処置、修理1:

塗膜保護は急を要するので、とりあえず床を水洗いをして液を除去。さらに、浮き上がってしまった塗膜をマイナスドライバーの先やワイヤブラシで剥離した。

もともと水が溜まりやすい場所だ。悲しいかな漏れた液が流れ、溜まった部分はサビも発生してひどい状態だった。ある程度のサビはワイヤブラシでこそげ取ったが、途中で諦めて錆転換剤で対処することにした。駐車場所が若干運転席側が下がるように傾斜しているので、床面全体に液が広がらなかったのだけが不幸中の幸い。

サビ転換剤でごまかす。。。錆転換剤が硬化した後は錆止めの下塗りとラッカーで塗装しておいた。もちろんマット類もよく水洗いしてある。

浮いた塗膜除去とサビ処理の後、塗装。

処置、修理2:

床とは別に、液漏れを起こしているマスターシリンダーの交換作業も当然行った。

まず、現状ではFIAT 126用のマスターシリンダーが取り付けられているので、これを外す。が、本来の正規部品より倍ほど長く、これを収めるためにバッテリー近辺の壁面に孔を穿ち、そこからシリンダーの頭が飛び出すようにしてあるので簡単には外れてくれない。ペダルを外せばよいのかもしれないが面倒な作業をこれ以上増やしたくない。そこで孔をペンチでコジて少し広げ、シリンダーがプッシュロッドの分だけ前方に移動出来るようにした。それでもブレーキラインの取り回しが不自然だったりフィッティングの取り付け位置が壁面と干渉したりしして外すだけで数時間を要した。(シリンダーの取り付けボルトはわずか2本なのに!)

126用のマスターシリンダーが使われた理由は知る由もないが、おそらく前輪と後輪を別系統で制動するタンデムシリンダーにすることで安全性を向上するためだったと思われる。交換するにあたって126用の安全性を取るか、オリジナルに戻して後々のメンテナンスの容易さを取るか少し悩んだが、点検や整備をし易いし、いつかまた交換が必要になっても作業が楽なオリジナルのマスターシリンダーに戻すことにした。

うちのチンクはマスターシリンダー以外に、ブレーキラインもオリジナルの銅管や鉄チューブではなくメッシュのフレキシブルホースに替えられている。しかも、ブレーキホース先端のフィッティングが126用のタンデムシリンダーに合わせるためにL型になっていたりバンジョーボルトだったりと、いろいろ面倒なことがされている。このままでは自分としてはあまり面白くないのだが、改めてブレーキラインの引き直しとなると、またまた作業日数がかさむことになる。今までのところ、このラインで問題なかったので、とりあえず現行のものを引き継ぐことにした。(早晩交換しなくちゃ)

126用のマスターシリンダーに送られるリザーバータンクからのホースは先端が前輪用、後輪用に二股になっていたので、これを分岐から先を取り去ってシンプルにした。

部品交換の結果、ラインとフィッティング以外はオリジナルに戻り、液漏れもなく、機能ももちろん問題なく、メデタシメデタシ。

ちゃんちゃん!

P.S. ブレーキランプは、オリジナルではマスターシリンダーの先端に取り付けた油圧スイッチで点灯させるが、126用のマスターシリンダーにはこれが無く、ペダル側に機械的なスイッチが付く。ところが、チンク先達のKitaさんによると、油圧スイッチに不具合が出て交換する際にブレーキラインのエア抜きが必要になり面倒だとのこと。

せっかくマスターシリンダーをオリジナルに戻したので勢いで油圧スイッチも取り付けたのだが、ペダル側スイッチも現状で問題なく機能しているのだから、これも残しておくことにし、後日油圧スイッチへの配線をパラレルで延長することにした(が、未実施)。延長配線ができたら、ブレーキランプスイッチの二重化となり、どっちが壊れてもランプは点灯する。(ブレーキラインの二重化をやめた尻拭きには全くならないのだが、、、)


before “To Kill a Mockingbird”

以下は以前の投稿「『アラバマ物語』の前に」に英訳をつけたもの。

Following is a translated version of my former post “『アラバマ物語』の前に.”


中学一年だったと思う。学校の映画鑑賞で観た『アラバマ物語』は、その穏やかなモノクローム映像のオープニングとは裏腹に、中学生にもなって未だ単純で世間の狭い子供だった僕には、理解を超えた差別社会の不条理が渦巻いていて観るのがしんどい映画だった。

It was in my first year at jr. high, I guess; I vaguely remember. I saw the movie “To Kill a Mockingbird” in an extracurricular class of school. Contrary to its tranquil opening scene in monochrome, the main story– full of absurdity in the discriminatory society beyond my perception– was very heavy and hard on my mind, since I, as a jr. high student, still was merely a simple and naïve kid.

主人公スカウトの父親アティカスはそんな映画の中で、僕にも解りやすい実直な弁護士として描かれていた。父のいない僕には、黒人青年の冤罪を晴らすために法廷で理路整然と反証をあげる姿が頼もしく、そしてそんな父をもつスカウトが羨ましくもあった。

The protagonist Scout’s father Atticus, even in such a movie, was depicted straightforwardly as an honest attorney who even I could easily understand. Fatherless, I saw him as a dependable figure who was logically bringing up counterevidence in the court to prove a black youth’s innocence of false charge, and I also felt envious of Scout who had such a father.

映画化のあと、暮しの手帖社から小説の和訳版が出ていたけど、映画で植え付けられた「しんどさ」の所為か、ハーパー・リーの原作は読んでいない。そのころ母が購読していた『暮しの手帖』に『アラバマ物語』の広告が出ていて、表紙にはスカウトの写真が使われていた。ストーリーのしんどさとは裏腹に、映画の登場人物は魅力的だったから、その写真を夢中になって鉛筆で模写したのを今もはっきり思い出す。

Although there is a translated version of the novel published by Kurashinotecho company after the cinematization, I haven’t read the original story by Harper Lee probably because of the “hardship” implanted by the movie. My mother used to subscribed to “Kurashinotecho” (a Japanese counterpart of “Consumer Reports”) those days, and in the issues of the magazine was an ad of the novel “To Kill a Mockingbird” with a photo of Scout appeared on the cover of the paperback. I clearly recall today that I would eagerly facsimile her portrait, for the characters in the movie were so fascinating in spite of the hardship I suffer out of the movie.

絵には描かなかったけれど、理不尽な社会に立ち向かうアティカスの姿は僕の理想の大人として心のなかに刻まれることになる。原作を読まずに原作を語る資格は無いが、少なくともあの映画は僕に社会の理不尽さを教えてくれたし、謹厳実直なアティカスの姿はそれに呑み込まれない生き方をしたいと思わせてくれた、と言える。

Though I didn’t draw him, Atticus’s image was to be deeply engraved in my heart as an ideal adult. Knowing that I am not qualified to talk about the original novel without reading it, I can at least tell that I have learned from the movie how unjust this world is, and that serious and Atticus’s honest figure made me wish I would live so as not to be drowned in such injustice.

今日、ニュースでハーパー・リーによる続編の小説が出たことを知った。『アラバマ物語』の20年後、そこに描かれたあの正義の弁護士は年老いて、こともあろうに白人至上主義結社KKKに傾倒しているという。アメリカの「良心」(そんなものが実際に存在するかどうかは別にして)を象徴してきた、あのアティカスが。。。と、失望の声が上がっているという。

Today, I found out in a news article that the sequel novel by Harper Lee has just published. 20 years later since “To Kill a Mockingbird,” that righteous lawyer described in there allegedly has an esteem for KKK, a white supremacist cabal, of all things. “That Atticus… the one who embodied the “Conscience” of America (no matter if such a thing actually does exist)”– they are said to be dismayed with disappointment.

人が不変たり得ないのは百も承知。誰しも歳とともに頑迷になったり、ときには信条や人格まで変わってしまうこともあるのも分っている。だから、僕にはアティカスの変節自体に戸惑いはない。ただ、心の中では不変だと思っていた大切な礎石をひとつ失くしたような淋しさを覚える。

I am fully aware the fact that man cannot possibly be unchanging. I also know any one of us gets bigoted with age, and even the belief and the personality may degenerate in some cases. Seeing that, Atticus’s defection itself is not appalling to me. However, I cannot help feeling desolated as if I have lost one of the important base stones that I considered changeless in my mind.

『アラバマ物語』も未読の僕が、今すぐ続編『Go Set a Watchman』を読まないだろうが、もしも読んだら、50年前の映画に感じたのと同じ「しんどさ」を背負い込むことになるだろう。なにしろ続編の内容を伝えるニュースだけですらこんなことを書かせるほどなのだから、、、

Having not even read “To Kill a Mockingbird,” I probably won’t read “Go Set a Watchman” right away; but should I read it, I would incur the same “mental burden” as I felt in that movie fifty years ago, since even a mere piece of news reporting the contents of the sequel makes me write this much after all.

『Go Set a Watchman』は『アラバマ物語』(原題:”To Kill a Mockingbird”)より前に書かれていたという。アティカスの変節を逆順で描いたハーパー・リーはきっと非凡な作家なのだろうなと思う。

I hear “Go Set a Watchman” was written before “To Kill a Mockingbird.” Harper Lee, who wrote Atticus’s defection in the reverse-chronological order, must be an author of prodigy, I suppose.


追記(2023,11,17):ハーパー・リーが「アティカスの変節を逆順で描いた」のは、先に書かれた、つまりリーの初作(というかドラフト)である『Go Set a Watchman』が未成熟だと判断した編集者のテイ・ホホフが、スカウトの少女時代を物語にするよう提案したからだ、と当時のNewsweekの記事に出ていた。

postscript (2023,11,17): The reason for Harper Lee to write “Atticus’s defection in the reverse-chronological order” is that her maiden work (or more like a draft) “Go Set a Watchman” was regarded immature by the editor Tay Hohoff, who suggested Lee to instead write a story of Scout in her girlhood days, according to an article of the Newsweek then.

漫画や小説、エッセイなど出版される作品への編集者の影響力は相当大きく、編集者の力量が文字通り良くも悪くも作品の質まで決めてしまうほどだ。全てがそうだというわけではないが、名前の出ない共著者と言っても大袈裟ではない。ホホフについてはよく知らないが、Newsweekの記事を読む限り、かなり見識の高い編集者だったのだろう。それはホホフの関わらなかった、というか出版を許さなかった『Go Set a Watchman』が、その出版から8年後の現在ではもはや誰もその名を口にしなくなったことが逆に彼女の功績を際立たせている。

Editors’ voices in the works, such as manga, novels and essay, to be published are so influential that the quality of the works, for better or worse, literally depends on the editors’ competence. Although not in all the cases of course, it is no exaggeration to call editors the uncredited coauthors. I don’t know much of Hohoff but, as far as I read the Newsweek’s story, I think she was a considerably knowledgeable editor of talent. Her deed is shown in the fact that, in eight years after the publication of “Go Set a Watchman”, no body any more seems to talk about this novel that Hohoff didn’t take part in, or rather, that she didn’t allow to be published.

まあ、書かれた順、作品の出来はともかく「アティカスの変節を逆順で描いたハーパー・リーはきっと非凡な作家なのだろう」という僕の感想は変わらない。

Well, regardless of the sequence of writing or the quality of the works in any ways, my thought‐‐ “Harper Lee, who wrote Atticus’s defection in the reverse-chronological order, must be an author of prodigy”– has not and will not change.

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