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ボブ・ディランのレクチャーについて

ボブ・ディランのノーベル文学賞の受賞記念講演が発表されて2週間が経ち、日本語訳がソニー・ミュージックのサイトで発表された。その翻訳はそれなりの質に仕上がっていて、細かい用語のぎこちなさや歴史的なバックグラウンドを押さえきれていない誤訳などはさておき、全体としてはディランの意図や言い回しを良く伝えていると思う。

しかし彼の歌と同様に、この「講演」(口演と書くべきだろうか)は本来、文字に書かれて目で読むものではなく、彼自身によって語られた言葉として耳で聴くべきものだ。単に訳を読んで文章の意味を知り、彼の意図を理解したつもりになったとしたら、それは大間違いだ。

音楽CD半分にも満たない僅か27分の彼の声を、解ろうが解るまいが最後まで聴き通した人がはたして何人いるだろうか。歌手のアルバムを買ってきてライナーノートと歌詞を読んでおしまい、という人はいないだろう。外国語の歌を聴く時に歌詞カードと首っ引きで意味を読み取ろうという人も少ないだろう。逆に意味も知らずに歌だけしか聴かない人は多いはずだ。なのにボブ・ディランの「講演」という空前絶後のパフォーマンスを最後まで全部聴かずにいるとしたら、何ともったいないことか。(前半の彼の音楽人生を振り返るくだりは素晴らしいし、後半の『白鯨』、『西部戦線異状なし』、『オデュッセイア』の深い洞察を踏まえた語り口も流石に「声」の表現者だと思う)

ノーベル賞受賞講演はノーベル財団によって例外なく文字化され公表される。だからそれを知りつつ彼がこの講演をわざわざ「録音」で行ったのは、おそらく文字に書かれた「文章」とライブ・パフォーマンスとしての「口演」との中間を狙って、CDや配信などによる楽曲の発表方法に擬えたのだろうと思う。そしてその中で「歌は文学とは違う。歌は歌われるべきものであり、読むものではない。」と言っているのだ。なのに彼の声を聴かずに英語であれ翻訳であれ文字として「読むこと」は何という皮肉。

追記:
ノーベル財団はこの講演の第三者による利用許可を許可する権利を(ディランから)得ていないし、唯一の例外を除き出版その他の方法での使用を認められない、と財団のサイトnobelprize.orgに書かれている。その例外とは受賞講演を録音したオーディオファイルのことである。つまり、ボブ・ディランは「彼自身の語り」だけを聴いて欲しい、ということだ。


『絵で見る英語』English Through Pictures

ずっと探していた英語の教本『絵で見る英語』(“English Through Pictures”  I. A. Richards / Chirtine Gibson)をやっと手に入れた。

初版は70年も前だからもう出版されてないと思い、そのイラストを思い出しながら苦労して幾つかの人称代名詞の教材を作ったが、実際に本物を手にしてみたら、まずまず当たらずとも遠からずのものができていた。しかし、やはり本物にはかなわない。

この本はシンプルであるが故に時代を越えて今まで使い続けられてきたと思う。今、あらためてそのイラストを見ても古さを感じない。もちろん、描かれた自動車の型は時代物だし、パソコンやスマートフォンは出てこない(かろうじてテレビとプッシュフォンは改訂版で追加されているが、、、)。イラスト一つ一つが実によく考えられていて無駄がないのに、ときにはユーモラスでさえある。

僕がAmerican Cultural Centerの図書館で初めてこの本を手にし、どうしても欲しくて丸善で買ったのは中学生のときだった。学習の方法は誰かに教えてもらわずとも、ページをめくってイラストを目で追えば使い方など自明のこと。そんなことは子どもでもわかる。ていうか、子どものほうが直感的な理解を好み、おせっかいな使い方の手ほどきなど却って邪魔だと感じるだろう。事実、僕はそうだった。

日本語版として出ている『絵で見る英語』には著者による「初心者への提案」という、学習方法を記した前書きより先に、片桐ユズルの「この本の使い方」という説明が付いている。これははっきり言って蛇足だ。著者によるシンプルな説明があるのに屋上屋を架して長々と余計な説明をするのは、学び手の思考を制限したり固定化して自由な学習をスポイルしかねない。

たった850語で英語に取り組むというミニマルな言語である”BASIC English”などとも縁の深い片桐ユズルともあろう人がそんなことも気づかなかたのだろうか。それとも大人はこの手の「能書き」や「取り説」を必要としているとでもいうのだろうか。少なくとも日本の出版社はそう考えたのだろう。それに片桐というネームバリューを利用しようとしたのだろう。

片桐の説明のキモは「イラストを真似る『身ぶり手ぶり』を恥ずかしがるな、そしてCDの音声を真似て口に出せ」ということだ。赤ん坊は周りの大人の身振りや言葉を真似て成長する。彼の説明はそれと同じで理にかなったことなんだけど、それを敢えて言われないとできないような頭の固まった大人たちには、ハナからこの本で独習することなど無理な話だ。

いくら大人らしく「説明を理解する能力」があっても、子どものような柔軟性と洞察力と積極性がなければ、このシンプルな『絵で見る英語』で使われているせっかくのイラストもメソッドも役にたたない。そんなことに言われて初めて気づくようではこの本の中に埋まっている宝を嗅ぎ当てて掘り起こすことなど不可能なのだ。


三人称単数 “they”と英語資料の改定

探していた英語の教本がFBフレンドのお陰でめでたく見つかった、までは良かった。もうシコシコとイラストを描かなくても済む。と思いきや、英語のプロの友人から「単数they」の指摘を受けたことで描き上げたイラストをそのまま何もせずに捨て置くわけにもいかなくなってしまった。

第三者を話題にするとき、その人の性別が判らない場合の代名詞は、伝統的にはheだけど、今はもうそういう時代じゃないから、替わりに単数theyを用いるということ。ただ単に「判らない」だけじゃなく、その人自身が「男か女かに決めてほしくない」という場合もある。そういう人たちは外見も中間的な出で立ちだったりする。

はじめ、heとsheだけしか描いてなかったときは女性にスカート穿かせるという陳腐だけどひと目で判る手法を取った。それは単に元になった本がそうなっていたからというだけの理由だった。ただ、1945年に書かれた本から離れて性的多様が進む「今」の英語のトレンドを盛り込むとなると、安易にスカートに頼るような「見た目」の分別はできない。あれこれ試行錯誤した結果、「he / she / they」を表すのに(「Stickman」改め「Stick Figure」の)外見による性別の描き分けをやめてしまった。

それでも男と女を指すheとsheという表現も残っているから、性別記号の「♂」と「♀」をそれぞれのフィギュアに添えた。しかし多様な単数theyに当てはまる記号は「⚢、⚣、⚣、⚥、⚦、⚧・・・」など多すぎて、全部書いたらシンプルなイラストによる説明が台無しになってしまう。これもあれこれ頭を捻ったのだが、結局、性別が判らないのだったら説明や記号など「何も添えない」ということにした。

何の事はない、多様化で複雑になるのを何とか補おうと思い、何時間もかけて色々と変更や付け加えをやったけど、最終的にはシンプルな引き算で終わった。(教本が見つかったので使わない可能性の高い自作資料の改定に一日かかってしまった、、、(;´д`)トホホ… )


  追記:
あれこれ調べるうちにちょっと面倒くさいことにぶち当たった。資料のイラストでは動詞を扱ってないが、複数形と単数形が同じtheyにおいて「主語と動詞の一致」はどうなるのだろうか、つまり単数theyの場合、一般動詞に付く「三単現のS」の要不要や、 be動詞の「不規則な変化」(areなのかisなのか)がよくわからない。

単数theyの欠落を指摘してくれた米国の友人に問い合わせ中だが、返事はまだない。

追々記:
結論、三人称単数のTheyに伴う動詞に「三単現のS」は不要。同様にbe動詞の現在もareである。これは、単数のYouも複数のYou同様にbe動詞の現在形がareであるのと同じこと。

単数なのにbe動詞の複数形であるareは理屈にあわない。おかしいじゃないか、と考える前に、単数のYouにareを受け入れているのなら、もうそれでいいんじゃね?と。文法なんてそんなもんでしょ。(笑)

 


三人称単数 “they”

英語の人称代名詞のことで米国の友人から指摘を受けた。僕の描いた人称代名詞のイラストから「三人称単数の”they”が抜けてる」とのこと。最初、それは三人称複数のtheyのことか、もしくは三人称単数の”it” の書き間違いだと思って、いやちょっとまってよ、まだ描いてる途中なんだから”it”については次にアップするよ、と返事した。

どうやら彼女の指摘は間違いではなく「三人称単数の”they”」というものが存在していて、普通に使われているらしい。「”it”は人に使うと失礼だから、先行する名詞の性が不明の場合にそれを受けるために”they”を単数の代名詞として使う」のだと説明してくれた。そう言われれば、、、どっかで聞いたことがあるような、、、

たまたま毎日新聞の電子版にこれに関連する記事が出ていた。米国AP通信が単数の”they”の使用を認めるとある。それによるとLGBTなどの人が男女どちらかに限定されたくない場合などを考慮した結果だという。また、すでに2015年にはWashington Post紙が単数theyを採用していて、米国の流行語大賞にもなったとか。

すっかり忘れていたが、以前に件の友人から単数theyのことについて聞かされていたような気がする。彼女もLGBTに理解のある人だし、かつてはUW-Madisonで広報に関わる仕事をしていた人だから、単なる英語のネイティヴ・スピーカーとしてでなく、その筋の専門家としても指摘は当然なのだ。(と書いていたらFBのコメントで「生徒に質問されたら言語学修士に聞いたと言いなさい」と言ってきた(笑))

と書くと単数theyはフェミニズムからLGBT啓発に至るここ数十年の新しいトレンドの産物(例えばChairman⇒ChairpersonとかPoliceman⇒Plice officerなど)のように思えるが、Wikipediaやその他の情報を読むと、古くから英語の(性別を区分する)Gender-specificな用語方や単語についての議論があり、実際にtheyを「he or she」または「s/he」の代わりに使われてきていたようだ。

ところが、日本語の英語シーンで単数theyの扱いはいったいどうなっているのか、、、平均的な日本人よりは英語に注意を向けているつもりの僕でも、すっかり忘れてしまう程度の情報としか受けとめられていない気がする。実際、Wikipediaの”Singular they”(単数they)の項目は英語で詳しく説明されていて、各外国語のバージョンがあるのに日本語版が存在しない。おそらく中学・高校の授業でも、よほど教員がリアルな英語に精通して熱心に教える人でない限りは、単数theyは取り上げられることはないだろうと思う。これじゃいかんな。

英語を教えることを通じて、日々英語を勉強する今日このごろ。。。です。


追記:
Wikipediaには単数theyの日本語項目が無いんだけど、Wallstreet Journal紙電子版に解説記事があった。
http://jp.wsj.com/articles/SB12553795185919473670004580581551868398446


英語資料 その後

英語のレッスンの教科書の使いたかった本が見つからず、仕方なしに記憶を頼りに「似たようなもの」を描いていたら、Facebookで友人が件の本を見つけてくれた。

1945年初版というから僕より年上。。。しかも絶版にならず今も売られている

『絵で見る英語 Book 1 改訂新版』
English Through Pictures Book 1
I・A・リチャーズ (共著)、クリスティン・ギブソン (共著)

なんと、CDの付録まで付いてるし!!!

これでやっと、手間のかかるイラスト描きから解放される!(でも、結構楽しかったな)

ちなみに、50年の隔たりからイラストのStickmanの容姿は僕の頭の中で相当に変貌していた、、、。ま、それはそれでご愛嬌。

50年経ってもはっきりと思い出す一場面がこれ↓。
クマから一目散に逃げる格好がおかしい。

http://www.ibcpub.co.jp/imgt/9784896842654.jpg
IBCパブリッシング(株)Websiteより

本の出だしはこんな感じ↓
なんと「English through pictures」というWebsiteもある。