ラージサイズのサンカヤー・ファクトーン(สังขยา ฟักทอง)、カラメルソース添え

北海道でお世話になった農家からいただいたカボチャでタイのお菓子サンカヤー・ファクトーンを作ってみた。なにぶんカボチャがデカイので、今まで見たこともないサイズのサンカヤー・ファクトーンになってしまった。夕食後だったのでさすがに一気喰いはしなかった。でもまだまだあるので明日も喰えるぞ〜!
\(^o^)/

材料も作り方も適当:カボチャ、ココナツミルク、卵、砂糖、ラム酒、バニラエッセンス、ゆで小豆(レストランで供されるサンカヤー・ファクトーンに入ってるのを見たことないけど、好みで入れた)
後で蓋になるようにヘタの周囲をくり抜く。
蓋を外す。
中にはタネと「ワタ」が一杯。
タネとワタをスプーンで掻き出す。ヌメヌメは繊維が多いので丁寧に取る。
プディングの量を知るためにタネを取ったあとの空洞に水を入れて容積を量る。
480ml、、、って、めちゃ多いな。水を出した後はカボチャの内部をよく拭いておく。
全卵3個(後で1個追加して計4個)に砂糖とバニラエッセンスを加える。
ラム酒も加える。
ココナツミルクは分離して固まっているので、温めながらよく撹拌しておく。
卵などにココナツミルクを加え、480mlのカスタードのタネを作る。
カスタードのタネをボウルに移し、泡立てないように撹拌する。
泡立て器に卵が纏わりつくうちは未だムラがある。
泡立て器に絡まなくなったらOK。
カスタードのタネを大まかに濾す。
砕けきらなかったココナツミルクの欠片を取り除く。
硬めに茹でた小豆が無いので安物のレトルトパックのゆで小豆の汁を濾してみる。
さすがに安物の小豆はみな腹が割れている、、、良さそげなのをいちいち選って使う。
小豆をカボチャの空洞の底に敷く。
カボチャの中にカスタードのタネを注ぎ込む。
蓋の底の位置まで入れる。
切り取っておいた蓋をする。
カボチャの下ごしらえ完了。
蒸し台の中敷きを入れた鍋はかなり大きいがカボチャも大きいので、茹で上がってから取り出しやすいように布巾を敷いておく。
カボチャを布巾で包む。
蒸し器に圧力鍋を使っているが、圧力をかけない。ガスコンロの中〜強火で沸騰させる。
沸騰し湯気が出たら、ストーブの上で1時間蒸す。(ガスコンロなら弱〜中火くらいか)
蒸し器から取り出し金串を突き刺して茹で加減を確かめる。
カボチャ茹で上がり。粗熱を取ったら冷蔵庫で冷やす。
カボチャを冷ます間にカラメルソースを作る。砂糖と同量の水を浅鍋に入れて火にかけ撹拌する。
色がつき始めたら火を止める。余熱で更に色が濃くなる。沸騰が止まったらラム酒と水を加えながら濃度を調整する。
再度火にかけてムラが無いようにかき混ぜる。
切り分けたサンカヤー・ファクトーンに冷ましたカラメルソースをかける。
カスタードが2段になってしまった。底の小豆とで3層。
人生最大のサンカヤー・ファクトーン!
味はまずまず、、、カスタードがもう少し甘くてもよかったかも。でも、カラメルソースが十分甘くて香ばしいので、これで良しとしよう。
蓋にたっぷりカラメルソースを絡めて。。。
本体のカボチャとカスタードが分かれてしまった、、、(;´д`)トホホ…

なんちゃって豚丼

この肉厚、、、照り、、、豚丼に見えるっしょ!

ふと昔住んだ十勝のことを想っていたら、急に豚丼が食いたくなった。おお、安売りで買った厚切りベーコンが冷蔵庫に。。。塩分過剰摂取覚悟で即席の豚丼「のようなもの」を作って喰ってまった。

豚丼の良いところは豚肉と調味料以外に何も要らないこと。ベーコンだって豚肉だし、フライパンで焼いてもスモークの香りが炭焼き「もどき」の香ばしさを添えてくれる。

肉は百グラム100円の安物だけど、みりんの代わりに使った剣菱(どっかの宴会の飲み残しを料理酒用にもらってきたもの)と後から振り掛けた草喰なかひがしの山椒油と白梅町長文屋の七味(山椒多め)のお陰で、見た目だけでなく、何だかそれらしい味になった、、、ていうか、美味いじゃん!これ。 続きを読む なんちゃって豚丼


安藤榮作展 LIFE @堺町画廊

画廊の通り庭から奥のギャラリースペースに足を踏み入れたら、一瞬それより前へ進めなくなった。これほどの「場」の圧力を感じさせるインスタレーション作品に出会ったことは久しくなかった。

何だかよく解からないガラクタ集めてテレビやモニター転がしておけば「新しいアート」だと思いこんでるようなものが今だにある。そんなのはNam June Paikが半世紀も昔にやって、今や歴史となってしまったインスタレーションの古典なのに。そういう意気がった小ざかしいのに遭遇するとサムい思いをするだけなんだけど、、、

しかし、これは違う。何よりイコノグラフィーの直截さが、余分な理屈を排除し、それを観る者、いやそこに居る者に作者の気合がストレートフォワードにのしかかってくる。さらに道具はナタ一丁、絵筆一本という作者の潔さもこの作品の大きな力になっている。

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草喰なかひがし

先月始めに何とか予約を取れた銀閣寺道の「草喰なかひがし」にやっと行くことができた。

店主の中東久雄さん(ひーちゃん)は、若い時分、花脊で一緒に遊んだ頃はあんなにもオヤジギャクを飛ばすことはなかった(お互い若かったもんね)。昔から決して言葉上手という人ではなかったし、むしろ北山の山奥育ちで純朴な青年というのがピッタリだった。今も立板に水の喋りをかましまくるのではない。使い古されたギャグ・駄洒落の類を臆面もなく繰り出してくるようで、でもどこか「遠慮しいしい」が見え隠れする。

店のしつらえ、料理についてはいちいち書くまい、いや僕ごときが四の五の書けるわけがない。ただ、一緒に行った友人Iさんが「空間もお料理も、静かで芯のある感じでした。そして素材がうれしそうでした!」と言うように、店の造りには無駄がなく、あるべきものがあるべき姿であるべき場所に配置されて、どれもが必然の素材でできていると言える。

また、そこで働く主人のひーちゃんをはじめ料理人、女将、お運びさんまで無駄のない動きをしているのが見て取れる。だからカウンターの内側は忙しい。なのに「静かで芯のある」緊張感もみなぎっている。

料理も同じく。しかし、スキがなさすぎて客に緊張を強いることもない。なぜなら、不必要に手を加えたりこれ見よがしではなく、各素材の「こう料理してくれたら」という望みを叶えてやるような仕事がしてあるから、ただただ素直に美味しいと言えるのだ。

ひーちゃんは言う「作物は、調理方法を煩く語ります。『食べられる物は全て食べ尽くせ』と。「美味しい物だけをつまみ喰いするな』と。」と。同行してくれたIさんをして「素材がうれしそうでした!」と言わしめたのはまさに彼がそれを成し得ている証拠だ。

草喰なかひがしの評判については、いまさらここで繰り言するまでもないが、ちょっとググればいくらでも褒める言葉に行き当たる。加えてミシュランの星だの高名な評論家や有名人の評価だのを聞いてしまうと、客の中には何か異次元の高級料理を食べに来たと構える人はいるだろう。事実、入店前のIさんはテンションが上っていた。

そこへひーちゃんのオヤジギャクがなんとも言えない脱力をもたらす。数分ごとに発せられる彼のダッサイ冗談が絶妙の箸休め。ピンピンに尖った高級京料理や高級フレンチではないのだよ、と優しく我に引き戻してくれる。

Plat principalのメザシが出たらコースも大詰めだ。僕は調子に乗ってご飯のおかわりを5杯。一応3膳目にはそっと出したのだが、、、。ふと見たら隣のIさんもおかわりを重ねている。ひーちゃん以外の若い料理人が彼女におかわりを持ってきて、ひーちゃん譲りの駄洒落をかましてる。おおっ!全ての料理を出し終えて彼も緊張が解けたか。カウンターのあっちもこっちもみんな笑顔でごちそうさま。

優に2時間半を超えるお昼ごはんの後。Iさんと中東ひーちゃん

P.S. この頃、時々東京からやってきては粉もんを異常に欲しがる友人Tくんと一緒に食事に出ると、以前は決してやらなかった、むしろ他人がやるのを軽蔑さえしていた、スマホでの「メシ撮り」をするようになった。すると「おかもっさん、変節しましたねえ」と言いやがる。うっさい!変節でも変態でもええわい。美味いもん喰って、その記憶を大勢とシェアするために、周囲に嫌悪感を与えない限りはOKだろが。。。っていうのが自分なりの言い訳なんだけど。

不思議と今日はスマホを取り出さなかった。上記のぐだぐだ書いた文を読んでもらったら解るかもしれないが、なかひがしの料理は写真に写らないファクターがあまりにも大きい。写真を撮れる雰囲気じゃない、とか禁止されたというわけでもなく、実際、撮ってる人もいたし。でも、無粋とか迷惑とか関係なく、そんなことにかまけているより眼も鼻も口も舌も喉も耳も、つまり全身で感じ、味わっておきたい料理を目の前にしたら、写さないことをこれっぽっちも惜しいと思わかなった。


スープ屋さん!ありがとう!!ごちそうさま!!!

いつものようにバタバタっと来て、ぐーって寝て、今朝、あっという間に帰っちゃった。でも、置き土産がうれしい。

マサコちゃん、カフェインだめだからと中国茶葉の美味しいのも置いていってくれた。それに、昨日の左京ワンダーランドで「完売しちゃったので、少ししかないんですけど」って、、、ヒロくん、僕のために残してくれたんじゃないか?だったら申し訳ない。(売上削った彼らにも、食いっぱぐれたお客さんにも)

ふらりとやって来て店を構えた彼らが、またふらりと京都からいなくなって何年経つのだろうか。京都には時々戻ってきて今回のような臨時の店を出すんだけど、今の若い学生の客は鞍馬口通りにあった昔のスープ屋さんを知らないのだという。でも、ノスタルジアなんぞ関係なく、美味いものは美味いので人気は衰えない。味も変わらない(いや、実はいろいろ工夫、試行して変わってはいるのだろうけど、、、いつも期待通りに美味い)。何より、素敵な彼ら自身があの頃とちっとも変わらない(いや、子供たちが増えに増えてw、そりゃ大変なんだろうけど、、、どうしてあんなにスレないでいられるのか)。