I/Oパネル自作

パソコンの後ろの各種ポートのコネクタから情報を出し入れするところは中身のマザーボードごとに配列が違うので、カバー(I/Oパネル)は固有の形態のものがついてくる。が、中古で買った今回のボードにはついてなかった。

七夕の短冊ほどのペラペラの金属板に孔が開いてるだけなのに、前にメーカーに聞いたら1500円とか2000円とか言われた。。。無くても特段困ることはないんで、そのままスカスカにしておこう、、、と思ったけど、ボール紙で塞ぐことにした。

お菓子の箱を潰して、孔の位置やサイズを描き入れた紙を貼っつけて、カッターナイフで孔を切り出し、、、おお、そうだ、アルミテープの残りがあったっけ、、、それを貼って「らしく」見えるようにして、、、

ジャジャ~ン♪!

完成。

ふふふ、、、まさかお菓子の箱には見えまい、、、。

追記:
アルミテープをボール紙全体に貼り付けた後、開口部のアルミテープは開口部より少し内側で切り、裏に巻き込むようにして貼り付けると切り口がきれいに見える。(図参照)



異境に果てたカッシーニへの複雑な想い

人の行けぬ遠い惑星や衛星からカッシーニが送り届けてくれた貴重な情報と美しい画像に僕は魅了されてきた。そして今、20年にも亘る旅の果てに土星の深い大気に沈んだ探査機の最期を想う。

カッシーニ以前に、誰がこんな土星の後ろ姿を想像しえただろう。

遥かに遠のき、小さくなった太陽を掩蔽する土星の綺麗で寂然とした背面。

カッシーニの映し出す淋しげな土星と同様に、昔々、ソ連のルナが初めて軟着陸して撮りジョドレルバンク電波天文台が傍受して発表したモノクロの荒涼たる月世界も、月に向かうアポロが振り返って見た暗黒に浮かぶ小さく青いマーブル玉のような地球も、それは美しくまたどうしようもなく心もとない光景だった。子どもだった僕は遠い異境を旅する彼ら孤独な探査機を想い夜空を見上げては心震わせたものだ。

大人になっても、地球を旅立って太陽系のあちこちに赴いたガリレオ、ユリシーズ、ニュー・ホライズン、もう太陽系を離れて深宇宙へ足を踏み入れたパイオニアやヴォイジャーなど、カッシーニの仲間たち惑星間探査機のもたらす旅の知らせに、僕は変わらず胸踊らされる。

ただ、彼らがその力をプルトニウム熱源の原子力電池に依存していたことには心が痛む。彼らがくれた無類の感動も貴重な情報も、打ち上げ失敗時に放射能汚染のリスクを伴う原子力電池無しには得られなかったことを考えると複雑な感情を持たざるをえない。

どこか、殺人兵器でしかない戦闘機の姿を美しいと感じてしまう時に抱く後ろめたい心の矛盾に似ているように思う。


Fiat 500 ドア塗装

前のオーナーが変なクッションみたいなゴムパッドを助手席ウィンドウの下に貼っ付けてので、引っぺがしたら、ケロイドみたくなってしまった。

スポンジやら接着剤やら汚い色とりどりで醜いし、助手席に人を乗せると、みな「ゲッ!?」みたいな顔するんで、残渣も金属スパチュラでこそげ落としてやった。

クッションの剥がし跡。スポンジやらボンドの残渣が醜い。

いかんせん、やり方が荒いもんでボンドやスポンジの残りカスをゴリゴリ剥がしたら鉄の地肌までいっちゃった。もう塗るしかない。ちょうど前の修理の時板金屋さんから、余った色合わせ済みペイントをボトルでもらっていたので、塗ってやった。

とりあえず完成。タッチアップ跡は遠目にはわからない。でも助手席からは新旧塗色の差が丸見え。ま、夜しかパッセンジャーを乗せなきゃいいんだ!

剥がし跡をサンディングして平らに均してから、2年も放ったらかしてあった塗料を安物刷毛で、ほぼ「なすくりつける」ように手塗りしたら、案の定ムラムラ。それで良しとしようと思ったが、やっぱ目立つ場所だし、、、

手塗りしたらこの有り様、、、

ちょっと時間ができたので、昨日から何度か塗り重ね、サンドペーパーでムラの砥ぎ落とし、また塗るを繰り返して、さっき最後に水研ぎで平滑化。。。したつもりが結構傷が浮き出てくる。塗料に水滴でも入ってたか、それとも、付着した虫を無視したのがわるかったのか、、、

600番の耐水ペーパーに当て木をして荒研ぎサンディング
左側(奥)が荒研ぎ済み、右側(手前)塗りっぱなしのムラが酷すぎ。
800, 1000, 1200と番手を上げて研ぐ

あと、もらった塗料は日焼けして少し黒ずんだエクステリアの塗色には完璧だったけど、内装の塗膜は色あせしてないので、微妙に違う、、、くっきり境目が出てしまった。汚れじゃないからコンパウンドで磨いても消えるはずもないし、、、

コンパウンド磨き
タッチアップ塗料の色が暗い。外部の日焼け色に合わせた調色だった、、、

ま、元が小汚い雑巾みたいな有り様だったこと思えば1000倍もマシ。きっと次に助手席に乗る人はわかるまい。


Alsace 再訪

久しぶりに一乗寺のAlsaceへ行く機会を得たので誘った知り合いを乗せて北大路を東へ向かっていたら、下鴨辺りで後ろから追いついてきた車が信号で横に並んでウィンドウをおろし始めた。何?

真っ赤な車からニコニコと顔を出したのは、おお、中東のひーちゃんやん!先日の山椒オイルの礼や、また行きまっさ、なんて言っている間に信号が代わり、たいした話も出来ぬままビューンと行ってしまった。

不思議なもので、先日店の前で彼を見つけて立ち話をしたのが20年ぶりだったのに、あれから半月もしないうちに今度は彼が僕を見つけてくれた。それにしてもよく僕だと判ったもんだ。多分あの時に僕がちっこいFiat 500に乗っているって話したんだっけか、、、それで目ざとく見つけてくれたんだろな。。。こりゃ、本当に行かなきゃ。

同乗の知り合いは、ひーちゃんの「草喰なかひがし」が憧れの店で、かねがね行きたいと思っていたそうで、成り行き上、これはもう誘うしかない。あ、成り行きってのは、しょうことなしに、とか、いやいやだけど、という意味はない。この偶然、このタイミング、この縁、これはもう「そういうこと」になっているというわけ。

閑話休題。まだ予約が取れるかどうかさえ判らないなかひがしはまた今度に置いといて、今日向かったのはAlsace。

いつもは4、5人でワイワイ来るのだけど今回はべっぴんさんと差し向かい。まあ、何人で来ようがAlsaceのお兄ちゃんの楽しい軽口は相変わらず終始絶好調。そのうえ一緒に来てくれた知り合いもよく食べ、ワインもそこそこ飲んで(僕は水だけど)、それによく話をする人だった。

旅のことや、互いに美術をやっているので作品の技法のこと、何故か突然に近江商人のことなど、話題は尽きず、いつの間にか心地よく時間が過ぎてしまった(彼女の話の飛び具合、散らかり具合はどこか僕と似ているなと思った)。開店から居座った僕達が結局いちばん最後に店を出た客だった。

実際、よく考えたらものすごい量を食べたと思う。
イワシの香草オイル焼き、ビーツのサラダ、牛タンとシュークルート、豚のホルモンソーセージとシュークルート、ミートボールのトマトソース煮、そしてデザートにガトーショコラ、モモのパルフェ、、、二人でたらふく、なんだけど、これがストンと胃に落ちる。そこへ持ってきて、目の前で美味そうにワインを飲んでいる人がいて、、、普段、飲めないことを悔やんだりしないが、今日ばかりはやはり残念に思えた。

どれだけ食べた後でも、ここのガトー・オ・ショコラの美味しさは変わらない。しっかりと吟味したチョコレートを使ってあり(以前何度か聞いたのにブランドを忘れたが、、、)、しっかり濃厚なんだけど、絶妙の焼き加減で上面のサックリ感と舌に纏わりつかない中身の軽さでが、もうたまらん。。。

デザートの後、〆にいただいたコーヒーは素敵にほろ苦くて、あれこれお喋りしながら闇雲に食ったものをもう一度きちんと舌と胃と脳で整理をするのにちょうど良かった。

独居老人なのでいつもは飯を5分でかっ食らうし、酷いときはキッチンで立ったまま食うなんてこともある(これはアメリカで貧乏学生やってた時に付いた悪い癖だ。キャンベルのスープ缶からスプーンで直に食べてたのを思い出すと、まるでホームレスのオジサンたちみたいだったなあ、、、)。かといって外食には1人で行けないタチなので、たまにこうやって3時間も4時間もかけてゆっくりと会話できる人と一緒に質の良い食事を満喫するのもときには必要だな。。。

美味しくて、楽しくて、そのうえ向かいの席はぺっぴんさん。これで何の不満を言えようか。ただ、それがカノジョであれば人生文句はないのだが、世の中そうはなってないのです。