5年後の東京五輪自体が無駄だと思うけど、これはその無駄の象徴。
一昨年、Facebookで投稿した批判はたまたま10月10日、つまり51年前の東京五輪開会式の日だったなあ。
https://www.facebook.com/koji.okamoto/posts/10201613295873322?pnref=story
ここに来てまだ揉めている。ゴリ押しして造っても見苦しいだけじゃなく、危ない建造物にならないかと心配する。桁違いに金がかかるのは単に大きいからだけでなく、構造的にものすごい無茶な造りになってるからだと、シロート目にも判る。
アーチというのはそれ自体は単純で丈夫な建築要素だけれど、地面に向かう鉛直方向の荷重を円弧に沿って横方向のベクトルで逃す必要があり、通常は側面の壁、地面のアンカーやブロックで押さえつけるか、あるいは弓の弦のようにタイバーで両端を結び引っ張って支える。国立の売り物、キールアーチは高さ70mに対して長さが地上部だけで370mもある平たい形状なので横方向にかかる力は半端じゃない。
神宮周辺は地盤が弱く(だから旧競技場下には杭が1万5千本も打たれている)アンカーやブロックでは難しそうだし、タイバー入れるとしたら地中部分でアーチが更に伸びて600mにもなるとかで隣の地下鉄ブチ抜いちゃうとか、その辺は専門家にメディアでも指摘されている。下記のブログにわかりやすく解説されている。
http://ameblo.jp/mori-arch-econo/entry-11827236840.html
僕が危惧するのはそれだけじゃない。新国立競技場の2本の長大なキールアーチはそれぞれ外側へ傾斜していて、セカンダリー・トラスという倒れ止め(中央部につっかい棒と両端に引っ張りの梁)の支持体を入れている。これって本末転倒じゃね?アーチって元々、橋なり門なりの建造物を支えるための構造要素なのに、競技場の天井を支えるはずのアーチが自分で立っていられなくて支えてもらうなんて。。。もちろんアーチのなかにはトラス構造を持つものもあるけどそれは強度を増すためであり、よろけて独り立ちできないなんてのは無い。
構造的に難しすぎてゼネコンは本音では建設に関わりたくないのではないか。だから吹っ掛けてるのだろう。よしんば出来たとしても僕は近づきたくないな。
そもそも最初のデザインがけったいなものだった。選考基準もデタラメで、建設予定地や予算などいろんな条件を無視して、とりあえずコケオドシ的なものを花火みたいに打ち上げてオリンピック誘致のダシに使いたかったのだろう。福島の汚染水は「アンダー・コントロール」だと言った馬鹿野郎の大嘘と同じレベルの壮大なホラ話。
東京五輪は勝ち取った(騙し取った?)ものの、フクイチの汚染はダダ漏れだし、新国立競技場はこの有り様。。。とてつもない見積金額に驚いて規模を縮小したが修正案はチンケで安物感満載、元の姿に輪をかけて酷い「ドンガメ」の甲羅みたいなものになった。「大幅な修正は国際的な信用を失う」などと言う奴がいるが、もうこの時点でアウトやろ。