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便利屋さん

はたして自分は何者なのか?という問を自らに投げかけることはめったに無い。自分が生きていく上でさほど重要じゃないからね。

たまに取材を受けるなどで肩書が必要になると僕は「彫刻家」を名乗ることにしている。ひょんなことからさほどの努力もせず(しかし知らず識らずに人を踏み台にしたかもしれないけれど)大学の学部じゃ彫刻、院では3D(立体)アートの研究させてもらったから、まるっきり嘘というわけでもない。そもそも芸術なんて学歴と何の関係もないもんだから、それにかじりついて肩書にハクを付けようって魂胆もイヤラシイ。だから、立体芸術作家でも3Dアーチストでも、何でもええわけなんだけど、ま、彫刻家と言っておけば面倒な説明をせずに済む場合が多い。(中には「メディアは何ですか?」と食いついてくる人もいるけど、それはそれで話が弾むから良しとしている)

芸術と学歴と言えば、知り合いに、理系の大学院で博士課程にありながら民族音楽に目覚めてしまい、「二足の草鞋は履けない」と学業を捨てた人がいる。今ではプロの音楽家として成功しているからマスメディアに取材されることもあり、そのあたりのことを聞きつけた記者の中には「それはもったいない」みたいなことを言うバカがいるらしく、紳士たる彼はそれでも丁寧に受け答えしたが、内心は煮えくり返っていたらしい。(今はなき裏アカで激しく怒っていたのを読んだことがある)

そんな劇的な路線変更から比べたら、僕は学業の延長上に今やっていることがあるので、平穏無事な人生を歩んでいると言える。ただ、じゃあ肩書=職業とすれば、プロと言えるほど彫刻家として世間に認知されてるのか? 彫刻が職業ならそれなりに稼いでいるのか?と訊かれたら答えに窮してしまう。あまり正面切ってそういうことをズケズケ質問する人は少ないんだけど、それでもちょっと探りを入れてくる人はいる。

それ以前に、学歴や肩書という関連付けではなくもっと浅いレベルで、たとえば昔からの友人が僕を他人に紹介するときにいつも困った顔をして「この人、いろんなことができて、いっぱい外国語が話せて、世界中を旅してはんねん、、、けど、何してる人かよう判らへん」という、訳の解らんことを言うのが常。しかもそれは半分ウソ、ていうか不正確。確かにいろんなことをやっているが、喋れる外国語はいっぱいではないし、海外への旅は普通の人よりは多いかもしれないが世界中というほどでもない。

長年の友人ですらこの程度。いや、それは責められない。僕自身が「何やってんだか、、、」と、自分の「仕事」に呆れてしまうこともしばしばなんだから。挙げ始めたらキリがないのでいちいち書かないが、こまごま雑多な「用事」を人から頼まれて、有料無料でご奉仕させていただいている。儲からないけど飢えるほどでもないから、まだこうやって生きながらえているわけ。けど、その多くは間違っても(僕が拡大解釈している)「彫刻」にはカスリもしない分野ばかり。ただし不平は言うまい。世の中の多くの人は、若い頃の夢の通りには生きられていないだろうし、必ずしも学校で勉強した専門分野の職に就いているわけでもなかろう。

時折、楽器の修理や改造を頼まれることがある。楽器は僕の専攻分野の「彫刻」、ていうか、大学院での研究テーマ「彫刻・道具・玩具の曖昧な境界領域」にスッポリ嵌まるもので、寡作ながらもこの四半世紀の僕の作品はほぼこの形態を採っている。でもそれが故に、頼まれごとが既成の楽器の修理・改造となると複雑な思いを抱かざるを得なくなる。正直言うと先ずは断る言い訳を探し、でも気が弱いので断りきれずに仕方なく受けるのだ。もうそうなると上述の雑多な用事の一つとして割り切るのだが、、、作業しながら「何やってんだか、、、」のため息がつい出てしまう。

ため息ついても、頼まれてやっていることを決して馬鹿にしたりしないし、頼む人に悪気も落ち度もないから責めているわけじゃない。僕を楽器が作れる「器用な人」と認識しているのだろうし、それは事実だ。ただし、僕自身の自己認知とは決定的にズレがある。どうせズレるならパソコンやウェブデザインあたりの仕事のほうが割り切りやすい。楽器修理や改造の仕事が来るたびに何だかトホホな気分と、便利屋としてはやり甲斐のある仕事で且つある種の知的・技術的好奇心をくすぐられて張り切る気持ちが交錯するのを覚えるのだ。(FIAT500やCiaoの修理に注力するのは完全に「趣味と実益」だが、難問に出くわすと若干似たところがある)

これからも人から勘違いされて「便利屋」稼業を続けていくのだろうか、、、


追記:

書き終わってから「便利屋さん」というタイトルでもう一つ思い出した。先に理系の博士直前でミュージシャンに転向した知り合いを引っ張り出したが、もう一人、僕の青春期に大きな影響を与えてくれた人のこと。

その人は猛烈な読書家で、文字中毒と言ってもいいほどの多読・乱読をする人だった(と僕の記憶にはある)。そして大学で心理学を専攻したが、どういう訳か僕の親の家業(アミューズメント機械のオペレーター、つまり遊園地業)に就職した。文学とも心理学ともまるで縁遠い現場での接客や機械の修理が仕事だった。後にうちの会社を辞めて、いわゆる便利屋さん業を旗揚げした。最近、何十年ぶりかに連絡を取り合って元気にされている様子だったが、はたして彼はこの数十年、自分の仕事に文学や心理学をどう位置づけていたのだろうか、それを聞くのは失念した。

学歴なんかクソ喰らえ、と思いつつも、こうやって今の自分と過去の学歴(あるいは他人のそれと)を紐付けようとするのは、結局自分の立ち位置や仕事を学歴で修飾しようとする未練たらしいことなのかもしれない。それでもいつか件のミュージシャンや便利屋さんに聞いてみたいな。。。(第一行目に書いた「自分が生きていく上でさほど重要じゃないからね。」というのが空々しくなっちゃうけどね。W)