昔、パックパック担いで旅していたとき、いろんな国でお茶をいただくことになった。
今でも思い出すのは、動物の膀胱や生皮に包まれて強烈な臭いを発するバターが入ったチベット茶。焼き締まっていない素焼きカップの土が溶け出していても見分けのつかない色と、スパイスの香りとねっとりした甘さのインドのチャイ。怪しい絨毯屋に引っ張り込まれて毒盛りを疑いつつ儘よと呷ったトルコの甘酸っぱいエルマチャイ。モンゴルの草原で遠くにゲルを見つける度に馬を寄せては厚かましく無心した塩っぱいスーテイツァイ、、、
まだまだ、シベリアの入り口のイルクーツクで飲んだジャム入り茶やら、北パキスタン・フンザのカワチャイ、ヒマラヤの麓・ダージリンの紅茶やら、、、思い返すと、それぞれが一冊の本になりそうな勢いでお茶の味と香りと当時の情景が湧き出てくる。
’90年に初めて行った中国では、新疆のカシュガルやチベットのラサなど、地方の中心都市といえども国際電話をかけるのには下手すると一日掛かり。いや、それどころか一日待たされたあげく「本日は接続出来ませんでした」と追い返されることもフツーにあった。「一日に一つ何かできればヨシ。後はオマケ」というのが僕の旅の鉄則だったから、通話の可否に拘わらず、電話(郵便)局へ行くという「用事」はともかく達成されたことになる。電話に限らず、郵便局や役所の仕事も交通機関も全くあてにならず、一事が万事その調子なので、その後の予定が全てポシャったとしても別に怒るでも悲しむでもなく、同宿の気の合った友人と街へ繰り出して淡々と茶をシバくのであった。
そんな時、重宝したのが回教徒のやっている清真食堂。そこで出されるお茶「碗子」は、茶碗蒸しの陶碗に似た蓋碗に数種類のドライフルーツと氷砂糖、緑茶葉を入れたもの。そこに魔法瓶でお湯を注ぎ、被せたままの蓋で具を濾しながら啜るのだが、乾燥した彼の地ではフルーツの酸味とゴロリと沈んだ氷砂糖の甘味が心地よく、同じく乾いたトルコやイランで飲んだチャイを思い起させる。しかも嬉しい事に、そのお湯が無制限に無料でお替わりできるのだった。
ひと日の「仕事」が成就してもしなくても、友人と今日の成果や明日の目論見を延々語り合いながら午後の時間を湯水のように垂れ流す至福。バックパッカーだった僕にとって、氷砂糖がすっかり溶けきり、痩せて小さかった干し杏子がブヨブヨになって、お茶がまさに湯水そのものになっても、碗子はこの上ない飲み物だった。