(1)より
僕は科学者でも技術者でもないから、物理学、化学、工学といった学問について人より特別詳しいわけではない。
ただ、客観的な方法で系統的に物事をとらえ、考え、理解することが前提の科学的な説明は、超自然的とかスピリチャルとか言われ「根拠なく」語られる言説より、僕にとってはるかに理解しやすい。
断っ ておくが、僕の理解できないこと、説明がつかないことがすべて嘘っぱちだと否定するつもりもない。それはだいいち科学的な態度ではない。科学的にあり得な いと思われる現象に対する無理解が、単に僕の知識欠如や勉強不足によるものでないとは言い切れないし、世界の最先端の研究者が間違っていたり、それまでの 科学的常識や定説が覆されることも、歴史の中で当たり前に起きているのだから。
僕の身近 に、僕にとって異次元にも思える「あっち系」の人たちは大勢いる。彼らとは普段、何の問題もなく普通の会話が成立するし、よしんばその「あっち」の世界に 話が及んだとしても僕は否定したり、まして嘘つき呼ばわりしたりすることもなく、わりと自然に受け入れられる。それは、僕がその人たちの人となりを知って いて、何やら下心のあるマヤカシを語っているのではないと信じれるからだ。
彼らは彼らにとっての「真実」を真摯に語っているのであって、浅学な僕の生半可な科学知識で理解できないからとか根拠がないからというだけで頭から全否定するようなことではないのだ。
そ んなわけで、科学的に説明がつかない、再現や追試ができないこと、など、つまり科学の領域の外にある現象を、正直、僕は在るとも無いとも言い切れずにいる。 そういう不可思議なことで満ちている「あっち」側の世界に住みたいとは思わないが、僕には見えない、感じることすらできない世界へ行き来できる「あっち系」の人たちはスゴイなあという、ある種の尊敬みたいなものが無いでもない。ただ、堅物で理屈好 きな僕には今のところ「こっち」側に居るほうが心地良い。
問題は、本来、理屈などどうでもいい、というか理屈の及びもつかない「あっち」の話を、恰も「科学のような」皮をかぶせて説明しようとする人たちがいること。いわゆる「疑似科学」だ。
もちろん、僕の身近な「あっち系」の友人たちも「エネルギー」だの「波動」だのという科学の語彙で僕の知らない事象を説明することがある。はじめのうちは「それおかしい」と突っ込んでいたけど、この頃は他に適当な用語が無いので借用しているのだろうと思うことにしている。
と ころが疑似科学はそんな単語レベルの話ではない。あることないこと、シロートには理解できないだろうとばかりに、コケオドシの学術用語を散りばめて、一見 科学的な論法でまくし立てる。さらには有名な学者や大学、研究所などの名前を挙げてその論文を恣意的に剽窃する。そして、もちろん学会のジャーナルではなくSNS やブログ、チェーンメールなどで「科学」として流布されるのだ。
(3)につづく