Went to my old house today– forty-year-old and decaying all over.
Used to live there during my former marriage but moved out as we broke up. The house had not been taken care of well enough by the renters until recently the last family moved out.
No fun at all to see something– which was (and still is) a part of my life– crumbling away.
Have no guts to live there any more, for there are too many things to be remembered about the house … It hurts a lot.
Now, only thing I can do for the house is to fix the damages so as to preserve it along with those reminiscences.
But removing the rotten wood from the veranda seemed like ablation of infarct from my brain… It hurts, too.
Having had done for today, went to the shrine of the village. On the way from the torii gate to the precincts was my favorite place: the sloped path surrounded by the terraced rice paddies. With the rice ears of rice, they would have been golden yellow by now.
However, the paddies were abandoned years ago and the wild Japanese silver grass has taken over. It was sad to see the decline of Japan’s agriculture; nevertheless, the scenery as such, whether with rice or grass, was beautiful.
Walked up to the end of the path, visited the modest village shrine in the woods. Glad to find the shrine standing unchanged.
札幌から京極へ向う途中にも廃屋が数件見られます。
私の家は跡形無いのですが、時々わき道にそれ立ち止まり、心象風景の中に自分を置くことが多くなりました。
車外のまだ形を残す廃屋を見ながらここにどんな家族が住んでいたのか、いやどんな人生を生きていたのかと勝手に思い巡しますが、少しずつ崩れてゆき、気がつくとそこに家があった時とは別な風景に気がつきます。そして家があったことも人が居たことも消えて記憶を呼び起こすことも出来ません。それでいいのかも知れませんね。
koujiさんの人生の一部をあの家から思い巡らしています。
Chiekoさん、
うちの家は、お貸ししていた家族が出られて、空き家になってまだ半年で間がないのですが、築40年を経て相当に傷んでいます。家は人が住まないと早く傷むので、自分が住むか人に貸すかしないといけません。貸すのならそれなりに手を入れないといけないので、今、連日往復50kmくらい車で走って作業をしているわけです。
僕はこの家に10年住みました。その後4組の家族がこの家をつかって来ました。片付け、掃除、改修をしていると次々にその痕跡が出てきて、Chiekoさんと同様、その人達の生活に想いを巡らしてしまい、その都度しばし手が止まります。
ただ、打ち捨てられた廃屋ではないのでこのまま崩れてもらっては困ります。でも、一所懸命に修理しようとは思うのですが、なかなかはかどりません。
いっそ人に貸さずに自分で住めば面倒な補修も必要なく、昔の生活に戻れるなあ、、、と夢想したりしていますから、余計はかどらないこと甚だしい限りです(笑)。
>昔の生活に戻れるなあ、、、と
住んでいたってろくに手入れしないのに、本当に家は住まないとあっと言う間に崩れてゆくのはなぜでしょう?
戻れたらと思う昔の生活は結婚の人生ではなく、父が他界する前かな~。無償の愛に包まれていた頃です。私の価値観も性格も何もかも作られた時代。
10年間が前に書かれた、埋もれていた品物のの数々から思い起せるのはkoujiさんだけ。奥さんへのプレゼントの生活感が印象に残っています。
家も、記憶も、時々リフレッシュしないとどんどん劣化していくものなんですねえ。。。
屋根の破れた倉庫の中で、他の物が朽ち果てる中、前の連れ合いに作ってあげた壁掛けの食器置きは奇跡的に残っていましたが、さすがにこれはリフレッシュして使う勇気はありません。怨念でもこもってるのかしらん、、、(笑)