堺町画廊で「カレンダー・カフェ」という催し。
友人の絵本作家、伏原納知子さんの絵も入ってる「核なき子どもの未来を願って、日本を代表する人気絵本作家12人によりつくられた2016年カレンダー」と、その相方でゴリラの研究で知られる山極寿一さんが日本支部代表を務める「コンゴ民主共和国のNGOのポレポレ基金(ポポフ)のカレンダー」の販促イベント。
僕の大好きな珈琲とお菓子の二人、杉山佳苗珈琲焙煎のかなえちゃんとカイラスセイカのまりこちゃんのおいしものも出てくるってさ!
堺町画廊で「カレンダー・カフェ」という催し。
友人の絵本作家、伏原納知子さんの絵も入ってる「核なき子どもの未来を願って、日本を代表する人気絵本作家12人によりつくられた2016年カレンダー」と、その相方でゴリラの研究で知られる山極寿一さんが日本支部代表を務める「コンゴ民主共和国のNGOのポレポレ基金(ポポフ)のカレンダー」の販促イベント。
僕の大好きな珈琲とお菓子の二人、杉山佳苗珈琲焙煎のかなえちゃんとカイラスセイカのまりこちゃんのおいしものも出てくるってさ!
個人的には、リアルな絵の中に見えないはずの応量器の重なりあった断面がうっすら見えているってのが良いかなって思うんだけど。
それぞれ別々に描いたもので、片やリアルに現物の器を一つ一つ実測して線におとしたもの、片や妄想空間をパソコンのソフト上で構築したもの。
なのに、重ねたら縦横比以外ほぼピタッと一致。これには驚いた。いちばん外側の器の外輪郭だけじゃなく内側まで、映り込みの壁と床の境界その他のラインと線画の曲率が「え?ホント」って描いた本人がびっくりするほど同じで、全く破綻していない。
もっとも、本当に映り込んだらこんな曲線にはならないんだけどね。
それにしてもまあ、できすぎの話に聞こえるだろうな、でも重ねてみたときは、ちょっとゾゾッとした。
ひと月も前のことなので忘れていたけど、以前にUPした本物の応量器を撮影した写真が間接的には下敷きになっていると思う。記憶を頼りに描いたものと見比べたら天井の高原ランプの位置関係はかなり近いが、見る角度や輪郭の丸みがかなり違う。(苦労した小皿の映り込み、、、この写真を見て描けばよかった!あ、でも、写真は5個セットなので小皿が映って無いか、、、)
皮肉なことに、この時の撮影ではカメラと撮影者である僕自身を写り込みから排除するのに腐心している。(笑)
レンズ1個の写真と両眼で見る実物では感じがかなり違う。もちろん実測図とも違うから、リアルなイラストをでっち上げるときはある種のデフォルメが必要になる。
今回の応量器の絵も丸みを強調して輪郭を描いたつもり、、、なのに、写真より実測図にぴったり合致したってのは、、、何だろね〜?
先にUPした記事
http://wp.me/p68xee-LT
の追記:
単純化を旨として描き始めたけど、だんだんいたずら心が起きてきて、バックに小物をすこし置いてみた。あまり過ぎると、ごちゃごちゃして見栄えが却って悪くなるから、この辺で打ち止め。画像も新しいものに差し替えた
そうそう、それから、反射した僕の姿が鏡像なのに左右裏返ってないってことには誰も気づいてくれなかった。嘘だウソだと書きまくったんだけどなあ、、、(後から追加した小物も。わかる人にはわかると思うんだけど。。。)
コンセプト的には、ぶっちゃけて言うと、応量器の中に居る僕が絵を書いている僕の写真を撮っているということ。
喜捨を受ける托鉢の粗末な鉄碗でしか無いはずの器がいつの間にか漆の高級品になっている皮肉。(これは僕の勝手な解釈だけど)黒漆を鉄の代用とみなす方便も 嘘っちゃあ嘘わけで、そんな応量器の中にケッタイなオッサンが住んでいて、嘘ばっかついているけったいな分身にカメラを向けて、虚像ならぬ実在の世界を写 すって寸法です。
黙っておけばいいものを、ああ、言っちゃった。ちょっと喋り過ぎか。でも、まあ、偽絵かきなんで、、、ごめんちゃい。
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