台所の掃除、片付け始めたら収拾がつかなくなった

捨てようとした使わない調味料のビンに母の字を見つけたら、断捨離もへったくれもなくなってしまう。この台所に母が立ったことはないけれど、引き継いだものが多すぎる。

僕の趣味ではない薬味入れの手提げ盆も処分しようと思いうっかり裏返すと、、、
「昭和五十年四月 下呂温泉にて」
こういうのを見てしまうと、もう「はあぁ~」とため息ついて時間が止まってしまう。

下呂へ行ったときのことははっきりと憶えている。母は豪気なひとだったから、社員の慰安旅行なのにアルバイトどころか、ちょくちょく店に遊びに来ていた隣の会社の若い子まで連れて行ったなあ。。。

あのときは車何台か連ねて分乗して行ったっけ。僕の車は幌付きのジープで名神高速ではディーゼルの騒音も相まってうるさくて閉口した。母の車は赤いフィアット850スポーツというちっこクーペ。ほんとはポルシェ911かフェアレディ204Z-Gが欲しかったんだそうな(ガレージが狭くて入らないという、ホントかウソかわからない理由で諦めたとか、、、)。

母は5速のマニュアル・トランスミッションでないと乗る気がしないと豪語する運転好きだった。70代後半から80代に最後に乗ったのはオートマのフィットだったけど、やっぱり赤かったなあ。

僕がちゃんと会社を引き継いで赤いポルシェに乗せてあげれたらよかったんだけど。。。(プレイバックPart2より数年早くにねw)

とかなんとか、あちこち引っかき混ぜる度に出現する母親の影に触発されてよみがえる記憶。その海を漂いながら台所とまるで関係のない想い出にふけっていたら、全く片付く気配すらない。

台所は危険な場所だ。

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で、やっとのことで数時間後↓

2015-12-28 23.49.19写真ではわからないけど、妄想の合間に棚を組み直したりもして大変だった。。。


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