Universe of Stars 星の界

It’s been a while since my son Kenji went back to Morioka, Iwate pref., and having done with refurbishing the Hanase house, I am idling these days, just sitting in front of a computer all day long. Just now, I stumbled on a Youtube movie that showed my name, and it turned out to be a promotion video Kenji made for a comic artist.
息子の賢治が岩手の盛岡に帰ってしばらく経つが、花背の家の直しも済んで僕は日がな一日コンピューターの前に座ってだらけている今日このごろ、、、。した らついさっき僕の名前が出てくるYoutube動画に出くわした。そんでそれはある漫画家のために賢治が制作したPVだった。

I provided Kenji with a piece of music that I played with a morin khuur and a karimba couple of months ago so as for him to use it in the background of the video. When he phoned me, he explained that the video would be used in a local manga event in Morioka. If I knew the video would be uploaded to Youtube, I should have played it better (or at least edited it to make the sound better)… Uh… I wasn’t able to in anyway, was I?
何ヶ月か前に、盛岡で開かれるローカルな漫画イベントで馬頭琴の音楽を使いたいと賢治に頼まれ、カリンバも添えて録音して送ったことがある。まさかYoutubeにアップされると知っていたら、もうちょっと上手に演奏(少なくとも良く聞こえるように編集)したのに、、、あ、そんなのハナから無理か。。。


Forest of Giant Cryptomerias Revisited 片波川源流巨大伏条台杉群再訪

I visited the forest of the “naturally layered” cryptomeras (杉)  a few years ago. The photos of that time is shown in a slide show in Youtube. A Couple of weeks ago, my son and I went there again.  数年前、伏条更新を繰り返してきた杉の巨木の森に行ったことがある。その時のスライドショーはYoutubeにあげてある。数週間前、今度は息子と一緒に行ってきた。

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Shizuka 静香

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There is a cozy coffee shop near the corner of Sembon and Imadegawa street crossing: Sizuka is my favorite place though I am not a frequenter and usually go there only when accompanied. The mistress of the shop is an old lady and she likes talking very much, and I like to listen to her conversation with a regular customer, while I am chatting with my pal.

千本今出川の交差点ほど近くにある静香という喫茶店、僕は常連でもないし連れがいる時にしか行かないのだけれど、居心地よくてお気に入り。そこの店主は年配の女性で話が好きで、僕は彼女が常連さんと話しているのを自分の連れと駄弁りながら片方の耳で聴くのが好きだ。

I once asked her about the shop’s name “Sizuka” which sounded like a feminine name, and I guessed it was hers. She explained that, when her father bought the shop, the name was succeeded along with the premises from the original owner who was a former geisha called Sizuka, thus the shop’s style.

一度、女性の名前のような店の屋号について、彼女の名前かしらと思って尋ねたことがある。彼女のお父さんが静香という名のかつて芸者さんだった元のオーナーから店を買ったときに、そのまま名前も引き継いだそうだ。

The owner is a rather short lady and the shop’s counter is too high for her; yet, she stretches to reach for the tea tray on the counter when she serves coffee and pancake. I always like to see her demeanor which is like a cute little girl, standing on tiptoe, helping her parents to set the table for dinner of something.

オーナーは背の低い女性で、お店のカウンターは彼女には高すぎる。それでもコーヒーやホットケーキを客に運ぶときに、カウンターの上のトレイに背伸びする彼女のしぐさは、まるで可愛らしい女の子が両親のお手伝いで晩ごはんの配膳か何かを手伝うのにつま先立ちしているようだ。

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However, rarely has it been seen any more for her to walk around in the shop. Last couple of times I visited, she wasn’t spry as before. She seemed to have a physical problem in her knee or hip joint, had somebody else help her with fixing drinks, and just sat on a seat all the time as I was there; nevertheless, she was in high spirits and chatting with the customers as usual.

ところが、この頃は彼女が店内を歩くところをめったに見かけない。訪ねたここ数回、以前のような活発さがなく、膝か腰に問題を抱えているように見受けられた。店のことは他の人に手伝ってもらって、僕の居るあいだ中ほとんど座っていた。それでも、気持ちはしっかり元気で、いつもどおりお客とあれこれ話をしていた。

So, I didn’t  (or at least, try not to) worry about her health condition as long as she is full of pep– until recently when I noticed Sizuka was closed on a weekday, not once but consecutively…

なので気の張りがあるかぎり、彼女の健康にあまり心配はしない(少なくとも、しないでおこうという)ことにしていた、、、最近、静香が平日に、それも連続して閉まっていることに気付くまでは。

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Takoyaki Rokuchan near Sanjo Shotengai was closed down unnoticed, and Tomoe restaurant on Horikawa street was gone and the building was taken down completely flat. I am anxious for my favorite shop mistresses who are at about my mother’s age. I just hope Shizuka’s owner is OK and her coffee shop will reopen soon.

三条商店街近くにあったタコ焼六ちゃんはいつの間にか店じまいし、堀川のともゑ食堂も閉まって建物さえ無くなってしまった。母ぐらいの歳の僕の好きなおば(あ)さんたち、今頃いったいどうしているのだろう。静香のママさんは元気でいてくれて、じきにお店が再開されることを望むばかり。。。

 


のんびりのあとに

秋田の友人が関わっていた『のんびり』という雑誌が16号でひとまずの区切りを迎え、3月に最終号が出た。

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先月、ちょうど岩手の盛岡から息子の賢治が来ていたので一緒にレティシア書房へ『のんびり』を貰いに行ったら『てくり』という「盛岡のふだんを綴る本」が置いてあった。無料なのに信じられないほど高品質な内容としつらえの『のんびり』とちがって有料で且つ簡易な中とじだけど、記事や写真、紙面づくりは『てくり』も負けていない。『てくり』にも共通の「におい」を感じた。僕は盛岡周辺の山の特集号を買った。賢治はその『てくり』編集者とのつながりがあって書店のオーナー夫妻と4人であれこれ話が弾んだ。

一昨年のオシラサマ馬頭琴の旅で岩手から北海道へ渡り、札幌の友人、嵯峨治彦さんに出来上がった馬頭琴を演奏してもらった折、『のんびり』のバックナンバーを見せてもらい、帰りには是非秋田に寄って会ってほしいと紹介されたのが最初に書いた友人のTamiさんだった。

ここでは書ききれないが秋田ではTamiさんはじめ、初めて出会った新しい友人たちと大盛り上がりとなり、知らなかった不思議なつながり発覚し、さらに昨年、2度めの秋田の旅でもさんざんお世話になった。

『のんびり』は入荷してもすぐになくなるというので、ここ数号はTamiさんに教えてもらったレティシア書房に発行されたら取り置きしてもらうよう頼んでいた。

最後の号を受け取るときに『てくり』を見つけ、そこに盛岡から来た賢治がいたり、レティシア書房には何度も来ているけど初めてお会いしたご主人と話ができたり、、、一昨年来の「人の芋づる」をいまだに手繰っているような気がする。


さて、その芋づるとは少し離れた京都市北部の山間地に花背と広河原という地区がある。ここ半年、修理に明け暮れた僕の三角屋根の家は花背の最南端、別所という集落にある。広河原はその反対、花背よりさらに北にある。その北限の佐々里峠は日本海にそそぐ由良川水系と大阪湾から太平洋へつながる淀川水系の分水嶺になっていて、京都市の最北部にあたる。

2016-05-10 09.52.04Mod僕が米作りのために花背別所へ移り住んだのは40年前。今回、ここで育った賢治に手伝ってもらい、傷んだ家の長い修理の最後の仕上げを終えた。お披露目パーティーに、新たに入居する人を紹介してくれた地元の漆芸作家、川勝五大さん一家が来てくれた。その時はじめて五大さん夫妻が中心になって発行している『OKU京都の暮らし』のことを知った。

『てくり』よりさらに小さい、表紙も入れて全16ページの小冊子だけれど、これまた『のんびり』に通じる「におい」を漂わせている。今年の3月に出た第3号と、バックナンバーの1、2号を五大さんから直接いただいた。

『OKU京都の暮らし』には「〜花背・広河原のいま〜」というサブタイトルが付いている。手にとって開いてみると、蕎麦の栽培、笹や林業の衰退、製材所の廃業、、、、花背を離れて30年の僕が知らない、まさに「いま」の情報が溢れている。

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僕のいた頃の花背別所は移住者や子どもが増える傾向にあった。正直言うと、静な山村暮らしを求めて来た僕には今ひとつ嬉しいということもないだったが、それは山間僻地のコミュニティーがまだ健常で、僕をその「お客さん」でいさせるだけのゆとりがあったからだろう。しかし時が経って、やがて子どもたちは街へ出て行き、地元の人も他所からの移住者も高齢化して、この地を、この世を去って、お客さんどころではなくなっている。

それでも、五大さんたちのようなここで生まれ育った人たちが地域をもり立てる試みを続けていることに、いまさらながら頭の下がる思いだ。「お客」としてあぐらをかいて、そのうち出て行ってしまった僕は、この冊子を読みながら顔から火の出る思いをしている。

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家を直しながら、息子の賢治と「いいなあ、こんな緑豊かな景色のなかで、こんなきれいな家に住めるなんて、、、」と、他人事のような(いや、貸してしまうのだから、実際に住むのは他人なんだけど)冗談を言い合っていた。以前から賢治は「いつか帰って来たい」と言っていたが、自分で手をかけたらなおのことだろう。しかしインターネットの光回線どころかADSLすらもない環境では彼の現在の仕事はできない。賢治も『OKU京都の暮らし』の既刊3冊を盛岡へ持って帰った。さてそれらは彼の「いまの花背」への思いにどのようなインパクトを与えるのだろうか、、、

 


Com Ngon コム・ゴン

I love Vietnamese cuisine as much as Thai food.

When I was living in the outskirts of L.A., I frequently ate out at Vietnamese restaurants. There were so many good ones because L.A. had a big Vietnamese community near by in the Orange county.

In Madison, Wisconsin, I enjoyed being a student in an international community that boasted a you-name-it variety of ethnic restaurants. I loved to eat fresh spring rolls (or summer rolls) from one of vender stalls just by the Memorial Library. (I also liked the orange juice of another vender, but that should be left for another time.)

There used be a multinational cafeteria sort of shop called Cafe Sua near my Nishijin Tea House. Cafe Sua served a good Vietnamese Coffee, and I went there quite often to have a sip of it. Now that both Cafe Sua and my Tea House are gone, I rarely visit the area any more.

There may be some more Vietnamese restaurants in Kyoto other than Com Ngon; however, I only know this place, but it’s good enough– way better than expected, so that I don’t dare to search for the others, anyway. If only Com Ngon were in the vicinity of my place in Haradani…

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