用事で鴨川の川端を走っていたら、空がきれいだったので用事も車もほったらかして川堤へ。
その後なんとか用事を済ませて帰ろうとしたら、今度は川の向こうに月と宵の明星が。
月は三日月なのに地球照でiPhoneのチャチいカメラでも全体が写った、さすがに欠けた金星はムリ。
いまどきのラグビーボールは合成素材だけど、昔は革製だった。
初めて触ったのは学生のとき。練習後のボール磨きは、革の上に「ツバ」を吐いて古パンストで擦るという、知らない人が見たらおぞましい方法でやっていた。臭くて不潔な方法なんだけど、不思議にツヤツヤに光る。汗臭い部室に唾液で汚れたパンストが散らかっている風景はあまり美しくはなかったなあ、、、
あれは二十歳の頃の話。その後三十代の後半にも、ウィスコンシン、マディソンのローカルなラグビークラブでちょっとだけプレーしたことがあった。その頃もまだボールは革だった。練習後にどうやって磨いたか、、、思い出せない。ツバじゃなかったような、、、。でもうっかり革磨き剤なんか使ったら伸びてダルマさんみたく変形しちゃうし、スベスベで扱いにくくなる。ツバだったかなあ、、、
ある時、旅の途中でコロラドのアスペンという街を通りがかったらラグビーの試合をやっていた。急ぐ旅ではなかったので車を停めて、ロッキーの澄んだ空気の中、きれいな芝生で行われている試合をずっと観ていた。アスペン、冬は高級スキーリゾートだけど、夏はラグビー合宿で有名な菅平みたいな感じなのかな。
話はそれるが、当時アスペンはメッチャクチャ物価が高くてハンバーガーの値段もL.A.あたりの倍はするんじゃないかというほどで、さっさと通りすぎるつもりだった。そしたら地元のクラブチームとイタリアだったかスペインだったかのチームが戦っていて、そのゲームが面白く、目が離せなくなったというわけ。
何が面白いかというと、アスペンは物価が高いだけでなく「標高」も二千数百メートルと高く、空気が薄いので平地からやって来たビジターは息切れで全然走れない。技術に勝る外国チームを相手に下手くそなローカルチームが互角に戦っていい勝負をしていた。どっちが勝ったか憶えてないが、、、
草ラグビーに毛の生えたようなものだったが、何故か土産物屋の屋台も出ていて、三々五々集まってきた観客がお菓子やグッズを買っていた。僕も、ずっと欲しかったニュージーランド製Adidasブランドのボールを見つけて、思わず散財してしまった。
あれから30年、、、そのボールは前の家でずっと飾っていたけれど、いつの頃か空気が抜けてしまっていた。チューブのパンクを、さっき思い立って修理してみた。大成功。さあ、ツバで磨こうか、、、どなたかパンストくださぁ〜い(変態か、、、)。
ガモフはロシア生まれのアメリカ人物理学者だけど、東北地方のある地域ではうっかり口に出せない名前であるとか、ないとか、、、しかし京都人の僕にその意味は判らない。(フェラガモもいけないらしい、、、)
それはともかく、ジョージ・ガモフのことを知ったのは中学生の頃。京都の三条にあったアメリカ文化センターという、米国商務省の宣伝広報機関に併設された図書館に出入りして、メカ好き少年や飛行機小僧向けのPopular Mechanics、Aviation Week、ボーイスカウト向けのBoy’s Lifeなど珍しいアメリカの雑誌を飽かず「眺め」たものだ。(英語、読めんかったもんね、、、)
J.F. ケネディーが大統領だったころだ。。。アメリカ経済がベトナム戦争で疲弊する前で、アメリカ文化センターも潤沢に予算があったのだろう。図書館の書架には雑誌だけでなく、政治経済、科学技術、芸術文化、文学などの入門書から専門書まで、原書訳本取り混ぜて並んでいた。
その中に『ガモフ全集』という分厚くて黒い重厚な装丁の本が十数冊、セットで置いてあった。巻を取っ替え引っ替えランダムに取り出して、恐る恐る開いて読んでみたが日本語なのにちんぷんかんぷんだった。後に大人になってから読んだ『ファインマン物理学』のほうがまだ理解できた。まあ、勉強嫌いな劣等生だった中学生の僕に『ガモフ全集』は難しすぎた。それに懲りてガモフについては以後触手をのばすことはなかった。(あの敗北感は決して忘れることはなかったが、、、、)
昨年12月、大学院で宇宙物理をやっていた友人に「ガモフってどんな人?」っていう、まるで子供みたいな質問をしたら『不思議の国のトムキンス』という一般人向けの物理学啓蒙読み物を書いた人、と教えてくれた。ガモフはビッグバン理論の黎明期に関わった高名な学者だって。友人は、ビッグバン理論を支えた「アルファ・ベータ・ガンマ理論(α-β-γ理論)」という言葉も出してきたが、相変わらずちんぷんかんぷんのまま。。。(ただ、後から。α-β-γ理論の研究を論文化する時のエピソードなんかを知ったらガモフっておちゃめ、って思う)
帰ってから一般向け入門書の『不思議の国のトムキンス』くらいなら平易で読めそうかなと調べてみたら、なんと、それはあの『ガモフ全集』に収められていたんだって。全然憶えてない。十数巻もある全集を網羅して読んでいたら行き当たっていたかも。。。と思って、古書を当たってみたら全集の他の話もまとめて『トムキンスの冒険』とされた訳本をヤフオクで見つけた。全く競ることなく程度の良い一冊を落とすことができた。
実際手にとってみたら、『不思議の国のトムキンス』初版は戦前だったから、戦後の翻訳とはいえ文章の表現は古めかしい。中学生だった僕が『ガモフ全集』の中でこの話に行き当たっていたとしても、おそらく数ページも行かずに投げ出したことだろう。でも、あれから幾らも賢くなったとは言えないにしても、今なら湯水のように時間はあるし、根気だって少しはましになっている。四、五百ページはありそうだけど、パラパラめくってみたらそれなりに面白く読めそうな感じ。
今さら物理学を「啓蒙」されたくもないけど、半世紀も前のやり残しを反芻する、、、っての、どこかでやったなあ、、、(そっか、、、昨秋に行ったスウェーデンへの旅も、そういや中三の時に観た映画『Kungsleden』の舞台の地を訪ねるセンチメンタルジャーニーだったしなあ、、、)
ちょっと前のことだけど、信号待ちで見かけた立て看。
京都マラソンで「交通混雑が予想されます。う回・自動車使用の自粛にご協力下さい」だって。
「自粛」って、辞書によると『自分から進んで、行いや態度を改めて、つつしむこと』だとか。「自粛に協力下さい」って、言い換えたら自分でやることを控えるという行為に協力する、、、、う~ん、変な表現だ。
「自粛してください」ってのがあまりに押し付けがましいと思うのなら「自粛をお願いします」くらいで良いんじゃね?
自粛という行動の意志の主体はドライバーで、協力するってのもドライバー。京都マラソン実行委員会は(ったって、その実態は京都市役所だけどね)自分たちがやることに対して市民に向かって「控えめに、遠慮がちに」お願いする、という気持ちはサラサラ無くって、ひたすら「協力」を押し付けてやがる。それでいて自分たちの姿はこの文にはどこにも無い。
と思って、実行委員会のHP見たら「お願い」という言葉を使ってる。でも、やっぱ変な言葉で、、、
「大会当日はノーマイカーデーにご協力をお願いします」
だって。。。 バッカじゃね?
なんだか、こういう、読んでいて気持ちの悪い、尻のもぞもぞする言葉遣いが京都風なんか?