旅先で、のんべんだらりと時を過ごすのに碗子はピッタリだった。
しかし、母の世話などにかまけて最後の旅からもうずいぶん久しくなっていた。ただ、遠出はできないけど時間は湯水のようにあった。で、4、5年前に思いついたのが茶店の開業。旅に出られないのだったら旅先で入り浸った茶店をここにでっち上げ、碗子を出せばばいいのだと。
そして、来た客にダラダラと碗子や旅にまつわるウンチクを垂れる。まあ、楽しむのは僕であり、僕自身の暇つぶしとしてやっているものだから、客は 延々と駄弁りを聞かされ、碗子の具のようにふやけるまで湯を飲まされて、話と茶に辟易して帰る。というわけで、心や安らぐひと時を提供する喫茶店などでは 断じてなかった。
遊びに付き合わされた客はたまったものじゃなかったろう。そういう僕も、最近はさすがに飽きてきていた。旅先の碗子だって永久に居座って飲んでいたわけじゃない。いつかは宿に帰る時が来る。茶店もぼちぼち潮時かと。でも、それだけが閉店の理由ではない。
茶店を開店するにあたって、どうせなら材料や道具、店の設えには凝ってみたかった。そのためには手間を惜しまなかった。
例えば、かつて中国どこへ行ってもイヤというほど置いてあったのに、今ではあまり見かけなくなったという旧式の魔法瓶を上海の人に頼んで持ち帰ってもらい(割れぬように6本を手荷物機内持ち込み!)、それを四半世紀前のチベット・ラサ以来の友人に羽田で受け取り京都まで運んでもらった。そして彼ともう一人のラサ友と3人して神戸の南京町へ仕入れにも行った。清真食堂のあの白い茶器は見つからなかったけど、なんとか安物の蓋碗が手に入った。乾物屋の店中に無造作に置かれた袋詰食品の中から目当ての日なた臭そうなドライフルーツ類も見つけた。
たとえニセモノの茶店であっても、客が碗子のことを何も知らなくても、出すものはあの清真食堂で飲んだあの碗子に出来るだけ近づけなくちゃ、、、というこだわりがあったのだ(実際にはフルーツ類が若干豪華目に奢ってあるが)。
今更だが、、、ドライフルーツが日なた臭いのは大いに結構として、はて、干葡萄や、杏子、無花果などの果実がはたして大丈夫なのか?と、、、。かの国の農産物や食品の安全事情には、報じるメディアの偏向を差し引いても、疑うに足る不安を持っている。僕自身も旅の途中で、エゲツナイ量の農薬をを被った畑とか、人がペッペと痰を吐き散らかし、犬や子どもがウンチをする路上に直に置かれた野菜など、実際に目にしたものだ。
くだらないかもしれないが「本物」にこだわり、凝れば凝るほど、安物で怪しげな中国産のものでないといけない。そして不安を持ちながらそれを使うという矛盾が生じる。
しかし、やっぱりそれはイカンやろうと。そう思うと、もう自分でも碗子を飲む気が無くなってしまった。ましてや客になどすすめられない。(何を今ごろ、って怒られそ。。。m(_ _)m )
高価な、しかし信頼のおける無農薬・有機栽培のドライフルーツや茶葉を使う手もあるが、もうそれは僕の遊びの範疇から外れて真面目な仕事になってしまう。いい加減でインチキな遊びは楽しかったけど、それも程々にしておかないといけないな、と。
でした。ちゃんちゃん。。。
その1、その2、読ませていただきました。
茶店に伺うことはもう叶わぬ夢となりました。
それでいいんですよね。