「偽道具」カテゴリーアーカイブ

おうまさんの里帰り

20年前に作って、広島へ送り出した「おうまさん馬頭琴」が改造依頼で二度目の里帰り。一度目は糸巻きを機械式のペグに換装するためだった。今度はネックを短くしてほしいとのこと。。。いや、しかし、弦楽器のネックってそう簡単に伸び縮みするもんじゃねえし、、、(汗)

オーナーの佐伯さんはやたら弦楽器がお好きで、ウードやらなにやらいろんな種類の楽器をお持ち。それも、ただコレクションするだけじゃなく、おうまさんの「もうひとりの生みの親*」である馬頭琴奏者の嵯峨さんたちとAsian Wingsというユニットに参加して海外まで出かけて演奏したり、最近では劇団態変の公演で音楽(各種弦楽器)を担当されたりと活発に演奏活動をされている。おうまさんも気に入って弾いていただけるのなら改造でもなんでもします。。。

* 嵯峨さんがマウス使って描いたおうまさんの元絵は嵯峨さんのCDジャケットの中で使われている。おうまさんの馬頭は僕がそれを立体化したもの ( 下左 “おうまさんドローイング” by Saga Haruhiko/下右 “おうまさん馬頭琴” by Okamoto Koji)

さて、馬頭琴のネックをぶった切って短くするのは、スカーフィングという斜めに切った斜面どうしを接着すれば事足りる。で、スカーフィングの斜面の傾きは10:1であれば木材の強度を損ねることはない。しかしネックの厚みが3~4cmあるとスカーフィング全体では30~40cmにもなってしまう。

そこで金輪継(かなわつぎ)という木材接合方法で切り離して短くしたネックをつなぐことにした。金輪継でも一番簡単なバージョンだが、中央に込栓(こみせん)というクサビを打ち込んで部材どうしが密着するようにするのは正規バージョンと同じ。

出来上がりはまずまず上手くいった。強度的には全く問題ないし、審美的にも許容できるレベルだと思う。音楽部屋に持ち込んでブリッジの調整したり試しにチューニングしたり、おうまさんの兄弟たちと再会させてやったり、記念撮影もしたし、明日は西へ帰る旅に送り出す。

 


「自粛に協力」とな。???

ちょっと前のことだけど、信号待ちで見かけた立て看。

京都マラソンで「交通混雑が予想されます。う回・自動車使用の自粛にご協力下さい」だって。

「自粛」って、辞書によると『自分から進んで、行いや態度を改めて、つつしむこと』だとか。「自粛に協力下さい」って、言い換えたら自分でやることを控えるという行為に協力する、、、、う~ん、変な表現だ。

「自粛してください」ってのがあまりに押し付けがましいと思うのなら「自粛をお願いします」くらいで良いんじゃね?

自粛という行動の意志の主体はドライバーで、協力するってのもドライバー。京都マラソン実行委員会は(ったって、その実態は京都市役所だけどね)自分たちがやることに対して市民に向かって「控えめに、遠慮がちに」お願いする、という気持ちはサラサラ無くって、ひたすら「協力」を押し付けてやがる。それでいて自分たちの姿はこの文にはどこにも無い。

と思って、実行委員会のHP見たら「お願い」という言葉を使ってる。でも、やっぱ変な言葉で、、、

「大会当日はノーマイカーデーにご協力をお願いします」

だって。。。 バッカじゃね?

なんだか、こういう、読んでいて気持ちの悪い、尻のもぞもぞする言葉遣いが京都風なんか?


失敗ではない、、、ってさ。

原子力で見積もり通り、予定通りに運んだことってあるか?
たとえば原発の安全性、たとえば高速増殖炉、たとえば核燃料サイクル、どれも破綻してる。
 
既存原子炉をまともに廃炉もできるかどうかも怪しいのに、福島の廃炉計画に予算や期間が明記される。しかも案の定どんどん金額は膨らんで当初見積もりの倍になってるし、どうせ期間だってずるずる延びるに決まってる。
 

先日福島第一の2号機内部に東芝と国際廃炉研究開発機構の作ったさそり型の調査ロボットが投入されたが、炉内に入った途端あっさりと壊れた。高い放射線量で壊れるまえに、クローラー(いわゆるキャタピラ)に堆積物のカスが挟まって動けなくなった、だって。シロートの僕が見てもちゃちで壊れそうだったもんな。高専のロボコンレベルのシロモノ、、、(あ、高専の生徒さんに悪いわ。ごめん)

なのに東電は「失敗ではない」と言い張ってる。圧力容器内部を動き回って状況を観察し、底部に溶け落ちて溜まっている(いや、底を貫いて地中食い込んでるかも、、、)燃料デブリまで撮影できるかも、と言っていたはずなんだけど、実際に出来たのはレールの上を僅か数メートル進んだだけ。わずかな写真撮影と線量を測っただけ。ロボットが見た目通りに役立たずだったと証明しただけだ。(お値段おいくらなんだろ?)

失敗ではなかったのなら成功なのか?たとえば人工衛星を打ち上げようとして、ロケットの第一段目は点火したけど、発射してすぐ停止、二段目も衛星も海に落ちたら、それは成功とは絶対言わない。誰が見てもあからさまに失敗だ。こういう役人や政治家みたいな言葉の使い方が、東電の隠蔽したり事実を曲げたりする危険な体質を現している。(南スーダンで自衛隊が巻き込まれたのは「戦闘ではない」と言い張るどこぞの政府と同じ)

炉内偵察ですらこの体たらくで、内部のデブリの位置さえ判らないのに、対応する技術も実際の解体機器も開発はおぼつかない。それで「いついつまでに廃炉」なんてよく言えるなと思う。

絶対確実なのはあと数十年(いや百年以上かも)、マッチポンプみたいな原発メーカーは廃炉ビジネスで儲け続けられるってことだけ。ただ、東芝は来年まだ存在してるかどうか知らんけど、、、

英語つらつら

退っ引きならぬというほどではないけど、不本意ながら英語を教えることになってしまった。

正直、英語で苦労したことがないので教え方がよく判らない。もとより人にものを教えるってのが苦手。普段から好きなことしかやらないから、そりゃ人より得意なこともあるけど、好きこそものの上手なれ、と自然に身についたことばかり。

本当なら、苦手なことを努力で克服した経験があってこそ、同じことに苦労している人の気持ちが解り、良い教え方ができようかと思う。さて、どうしたものか、、、

とかなんとか考えていたら、全然関係ないけどひょんなことから手嶌葵という人の歌う「牧歌」(宮沢賢治作詞作曲)のYoutube動画を聴くことになった。これは以前テレビで観ていたが、とても良い。彼女の発音は賢治が使っていた南部弁を正確には反映していないが、そんなことはどうでもいい。口先の音ではなく声の、喉の使い方がとても心地よい。聴いているうちに引き込まれる。歌はこうでなきゃ、と思う。(少なくとも、彼女の選曲においては、、、)

流れで、手嶌葵の英語の歌を何曲か聞いた。やはり英語の発音にも問題があり、批判的なコメントをいろいろ書き込まれていたが、確かに「英語耳」を持つものからしたらとても変なのだろう。(Cheer up…がChill upに聞こえるなど、意味がまるっきり変わって聞こえるものもあるが、、、)

一方で擁護する意見も多く見られ、僕自身も細かいことなんか「別にええやん」とも思う。

ところで、僕は中高生のころに英語で最も影響を受けたのはSimon & Garfunkelだった。彼らの歌を聴き、意味が知りたくて辞書を引き引き歌詩を訳し、下手なギター抱えて真似して唱ったものだ。なのに学校の英語授業なんてくそくらえ。だいたい授業の時間割に合わせて教科書を揃えるのが面倒なので、全科目の教科書を教室の机の中に全部突っ込んでいた。だから家での予習復習宿題一切やらず、、、

それでも英語の成績だけは良かったのはレコードを擦り切れるまで聴き、目を瞑っても単語を探しだせるほど辞書を引いて歌詞の訳をして、声が涸れるまでガナリ唱ったSimon & Garfunkelのおかげだと思う。

たまに英語を母語とする人から僕の発音を褒められることがある。そして、そのことを羨むひとからはよく「岡本さんは耳が良いから」と言われるが、そんなことはない。僕はそれなりの発音で好き勝手に喋れるけれど、英語の聞き取りはひどく苦手(それにちっとも歌は上達しなかったし、、、)。一方、歌が上手な手嶌葵はきっと良い耳を持っているはずだけど、英語は、まあ、、、アレだし。いったい耳が良いというのはどの耳のことだろう。

さらに脱線するけど、最近、ヒマにまかせてYoutubeで「タモリ倶楽部」のバックナンバーをよく視る。マニアックな話題もさることながら「空耳アワー」の時間は思わず声を出して笑ってしまうことも多い。このコーナーを視ながらちょっと英語の発音とかをつらつら考えていたら、珍しくSimon & Garfunkelの「Old Friends」(旧友)の空耳投稿が出てきた。英語を習いたいという友人の中に坊さんもいるから、余計に面白かった。

P.S. 上のYoutubeは削除されたようなので、別のを貼っつけておく。(ただ、この声はP. SimonでもA. Garfunkelでもないけどね)

https://youtu.be/BL-Mvm-SnzY?t=167


Ah, Snow!

a musician shoveling show with a shovel-turned-into-musical-instrument utensil

One good musician friend of mine, Haruhiko Saga, composed a song “Ah, Snow”. He lives in Sapporo, where snow dumps on every winter, and his song is about his curse on it. Can’t blame him ‘coz he’s gotta lumbago from shoveling up the heavy, everlasting and unwanted gift of heaven.

Meanwhile, I am safely in Kyoto and have a snowfall once in a while, but it usually lays a inch thick or so. It’s so nice to see the snow-covered view of the Haradani valley from the verandah in an early morning. A phone call woke me up this morning. It was a freight service driver. He apologized that he couldn’t deliver a parcel due to the heavy snow from yesterday– the parcel that I expected to receive today. Now I started cursing at show.

from a room with a view

It dawned on me that the wipers of my cars could be damaged by the snow, and got out of the house to sweep the windshields, which turned out to be OK. On the road were a whole members of a neighbor family, enjoying and playing with snow. Most active was the father- he was rolling up the layer of snow on the tarmac to make what he called “snow tire”. After a few minutes of sweating toil, he had made the “snow tire” grow up, and it had become bigger than his kids.

making of the snow tire

He was so much absorbed in the “unproductive activity” and I was kinda worried about his back… but wait… I was smiling all over, walking along with him, and found thirty-year-old myself in him.

I used to live in a snow country, where everything was snowbound throughout winter. The local people didn’t like the snow; I on the other hand loved it and would play with my little son, since I was young and dared to choose to move there to live in the deep snow– but it was more than two scores of years ago, though…