演奏会の様子をUPしていなかったので写真を追加。
満席で、最前列中央の観客は奏者の嵯峨治彦さんから1mもない状態。通常は奥の映写スクリーン方向に舞台を設営するのだけれど、マイクを通さないオシラサマ馬頭琴の音量はとても小さくて最後列の方には届かない心配があり、今回は横広がりに座っていただいた。
ところがドッコイ、オシラサマ馬頭琴は皮張りで且つ共鳴胴が小さいのに、よく頑張って鳴り響いてくれた。それは、作った僕にもとても出せない音量であり音色。堺町画廊の土壁や三和土の床、木の柱、吹き抜け天井に渡る梁なども楽器の一部となって共鳴しているようだった。
思い返してみれば、札幌の札幌市厚別区民センター、秋田のココラボラトリー屋上、大仙の樫食堂、遠野の遠野郷八幡宮、それぞれ全く違う環境で、その場所に応じた素晴らしい演奏をしてくれた嵯峨さんの力に負うところも同じくらいあったと思う。
僕の馬頭琴演奏を聴いたことのある(そして、不幸にもそれ以外の「本物」の奏者の演奏は全く知らなかった)友人が今回の嵯峨さんの演奏を聴いて「こうちゃんの演奏は世界一やと思ってたけど、嵯峨さんの演奏を聴いたらあれは全然別のレベルやね」と。。。僕は馬頭琴を作るために最低限必要な音が出せるだけで、演奏者じゃないから、友人には「聞き苦しいだろうけど、ごめんね」という前フリで聴いてもらったはずなんだけどなあ、、、(笑)
閑話休題、いつかまた嵯峨治彦さんのコンサートが堺町画廊であれば、お願いして一曲くらいオシラサマ馬頭琴を弾いてもらえるかもしれない。楽器と空間と演奏者の醸し出す音を楽しみにしたい。
「偽道具」カテゴリーアーカイブ
オシラサマ馬頭琴の旅物語
昨年の秋、東北を旅して、まるで急かされているかのように「作らされた」オシラサマ馬頭琴をたずさえ、嵯峨治彦さんに弾いてもらうために北海道に渡り、札幌にたどり着いたのが丁度一年前。
そして、いよいよ動画撮影と録音(ってもiPhone4ですが、、、)をするために、樹々に覆われた自然の豊かに残るとある公園に忍び込み、極大は過ぎていて見えなかったけどオリオン座流星群の下で演奏してもらったのが一年前、10月23日の夜。
あれから奈良での嵯峨さんの予定に合わせてたまたま決まった昨夜の「オシラサマ馬頭琴の旅物語」まで丁度一年。偶然だけど不思議な縁を感じる。
札幌で嵯峨さんの企画してくれた「オシラサマ馬頭琴ナーダム」、秋田のTamiさん、いしまちゃんたちのcocolaboratoryと樫食堂、そして京都の堺町画廊の「オシラサマ馬頭琴の旅物語」・・・演奏者と楽器と制作者それぞれのホームグラウンドで三位一体パフォーマンスができて幸せだったし、形の上では一区切りついたことになる。
だけど、なんか、旅は終わっていない気がするなぁ。。。知らんけど。
告白
恥ずかしくて言えなかったのだけれど、、、以前から、うちの家には僕の親が誘拐同然に連れてきた子供が居て、酷いことにその子は玄関先から内に上げてもらえずにいる。逃げられないようにまるで犬みたいに紐で繋がれて。
実の親ながら情けないのは、親がよそでヤクザと喧嘩して負けて逃げ帰ってきたとき、追って来た奴らにその子を殴らせておいて、自分は家の中で震えていたくせに家族には出て行って追い返せと威張っていたこと。
それに、親は結局どうにも勝てないと悟って平謝りしたんだけれど、喧嘩相手のヤクザの子分が今も玄関に居座って、その子をなぶりものにしている。ご丁寧に、居座っている輩の飲み食いの世話まで家族にさせる始末。
親は、土下座して謝ったくせに今はそれも忘れて家族にまた威張り散らかして、僕らがその子に家族として接しようとするのを邪魔をする。それどころか終いにヤクザと一緒にその子を足蹴にする、、、それでも、その子のことを自分の家の子だと言い張る。全く狂ってるとしか思えない、、、と今は言えるけど、長いこと家ではこれが普通なんだと思っていた。
うちの親もカタギじゃないんだけど、そんな親の元に生まれた僕はこの家から出られずにいて、玄関の柱に繋がれて三和土でうずくまっている子には手も差し伸べることもできないから、親同様に恨まれていると思う。世間ではきっとヤクザな人さらい一家だと思われているんだろうな。
前に一、二度、親が家を出て行き、知らないおじさんが来て家の面倒を見てくれたことがある。少しほっとしたけれど、おじさんはその子や僕に特段なにかをしてくれたわけでもなく、また直ぐ親が帰ってきて元通りになった。
近頃は親からしきりに、外へ行ってヤクザの手伝いでもしてこい、とうるさく言われる。ひょっとしたら僕は知らない間にヤクザの手下にされてしまったのかもしれない。喧嘩や抗争に借り出されるのも時間の問題だろうな。そしたらきっと、玄関から出かけるときにその子を踏みつけて行くことになる。そんなことは死んでもいやだ。
ああ、もう我慢の限界。玄関の子の紐を切って親の寝首を掻き、一緒に逃げようと思う。それよりも、、、このところその子の目つきが違う。たとえ僕が手助けしなくても、近いうちに必ず自分で紐を断ち切って自由になってやる、という意思が感じ取れる。(それにしても、あの状況によく絶えられるものだ。僕ならとっくに気が変になっていただろう。)
何もしてあげられなかった僕も、親と一緒に寝首を掻かれるかもしれない。それは嫌だけれど、仕方のないことかもしれないなとも考えている。
オシラサマ馬頭琴×Cosmys セッション
8月30日、遠野郷八幡宮での演奏
到着が遅れ、共演のCosmysさんたちとはほんの数分しか打ち合わせの時間がなく、曲目もその場で初めて知らされて、ほぼぶつけ本番状態で臨んだセッションでの嵯峨さんの演奏、、、でも、何度聞いてもああ、ため息がでる。
オシラサマ馬頭琴が嵯峨さんの普段弾いている馬頭琴とはまるで違うサイズ、弾き心地なのに、それに遠野に着く前の秋田での2日間だって車移動の連続で(しかも嵯峨さんが運転手)、ほとんど練習で弾く間もなかったのに、作った僕さえ気づかなかった楽器が秘めて持つ音をどうやってこうまで自由に解き放てるのだろうか。。。
(コンサートを主催し動画をYoutubeにUPしてくださった八幡宮さん、ありがとうございます)
大発見!
前書き:
下記のURLから僕がポストしたFBの記事とそれに付いた、延々と続く対話コメントを読まないと、事の顛末が判らないと思う。。。(いや、読んでも解らないと思う。僕自身ですら何がなんだか、、、)
https://www.facebook.com/photo.php?fbid=10206994574161916&set=a.10205888375747647.1073741861.1206233148&type=3
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本文:
ノーヘル物理学賞を受賞した高名な科学者で『ご冗談だしょ、マフィンマンさん』(ラルフ・ローレン著)などで知られるリチャード・マフィンマン博士は、またシベリアの小国、チューバへのいちかばちかの冒険紀行(Attempt)を記した『チューバかオッパイか!』(原題:”Tuba or Brest!“)という変態的なタイトルの本にも登場するほど、彼の学者らしからぬオッパイ、ひいてはストリップ好きはつとに有名。
マフィンマン博士は多芸で美術や音楽にも造詣が深く、専門の学術論文の本数を上回るヌードデッサンを多数残している。またパーカッション演奏にも長けていたが、オッパイへの執着はボンゴという二連の楽器の選択にも現れている。英米で広く愛唱されている童謡「Do you know the Muffinman」は、彼がロンドンのコヴェント・ガーデン近隣に在住時に、ボンゴ演奏と似顔絵描きのストリートパフォーマンスの傍ら、米英比較文化研究の成果として作曲したものである。
そんなマフィンマン博士の業績の中でも特に重要なものに「マフィンマン・ダイアグラム」がある。僕は、マフィンマンの著作で物理学の入門書”The Muffinman Lectures on Physics“(邦題:『マフィンマン物理学』)を中学生の時に原書で読んでいたから、その後、彼の発案になるダイアグラムにも親しみ、そこからドローイングとヌードデッサンの基礎を学んだ。アメリカで美術の道へと進むにあたり、僕が受けた彼の影響は計り知れない。
実は今日、たまたま北大で宇宙物理を修めた友人とFacebookのテキストチャットをしていたら、マフィンマン博士の話題になり、ふと思い当たって彼の講義本”Muffinman’s Lost Lecture on Ahomic Motion“(邦題:『マフィンマンさん、馬鹿力学を語る』のページを開いてみたら、彼からもらったサイン入りのマフィンマン・ダイアグラムが出てきた。
これってすごくね?!!!
追記:このダイアグラムを見た前述の友人から僕のFacebookの投稿に「ねりこみ理論ですね!」というコメントが来た。さすが!
それに対する僕の返答:
マフィンマンの「ねりこみ理論」では、ブルーベリーと観察者の双方を融合させた場合におきる記憶の発散を防ぐのためにねりこみが行われるのですが、朝永振込郎による似たような名前の「ふりこみ理論」は最近では、老人の記憶の不確定性による銀行預金残高の放散を止めるため、オレオレ詐欺対策に応用されているよ うです。
ちなみに、これらの理論の相等性を証明したフリーマン・大損・ガイは、息子のキュリアス・ジョージ(aka ひとまねこざる)と協力して原子爆弾で推進するアトミック・バイダルカを発 案したことでもよく知られていますね。(そのことはケネス・ブラフマンの『宇宙船とか又一』に詳しい)