「Kungsleden」カテゴリーアーカイブ

Day 29 text / 0917

アービスコヤウレ→アビスコ

管理人のボッセさんとマルガレータさんに出発の挨拶がてら、オヤツの甘いものを買いに行く。チョコレーズンみたいなのを買おうと思ったら、お金はいいから持って行きなさい、って。ありがとう!最後の行程のエネルギーになります。

出かけて、いきなり道を間違える。小屋から100mも離れてないのに、、、。一度戻り、大久保さんを知っているアメリカ人の青年に方向を訊いて、再出発。最後の行程、気が緩んでるな。

湖の畔に沿って数km歩くとプライベートの山小屋らしい小さな建物がいくつか出てくる。そこを過ぎた辺りから今までのトレイルと違い、幾分か道が広くなる。トラクターの轍のような跡も出てくる。薪やその他の補給物資を運ぶのだろうが、だんだん「文明」の地へ近づいている感じがする。

Kungsledenの前半からスィンギ以南までは一日中歩いても数人しか人を見かけない日も多かったが、アービスコが近づくにつれ出会う人も増えてくる。中には高校生くらいの若者たちのグループが引率されて歩いてる。おしゃべりに夢中で「ヘイヘイ」っとスウェーデン風に挨拶しても一瞥もしない。まあ挨拶なんてしないといけないわけじゃないし、いいんだけれど、、、彼らはあまりこういう所へ来たかったわけじゃないんだろうな。。。携帯プレーヤーかスマホのイヤフォンで音楽聴きながら歩いてる子もいる。出会ってきた山歩きの人たちが言う「Civilizastion=文明」の地に戻るのも近い、ってことか、、、

それでも僕はこの最後のレグを楽しみたいから、これまでも早く歩かなかった(歩けない?)のに、今日はことさらペースを落としてる。できる限り周囲にそびえる岩山や遠くの残雪の景色を見、谷を吹き抜ける風や岩に跳ねる水音を聞き、そのせせらぎの水や敷き詰められたように実るベリーを味わい、森の空気をいっぱい吸い込んで木の葉や苔の匂いを嗅ぎ、Kungsledenに満ちているものを体中に染み込ませたい。

そうやって青空の下、明るいきれいな樺の樹林帯を歩続けていたら、僕の”Kungsleden”追想の旅は、貨物列車の警笛であっけなく終わった。映画『太陽のかけら』=”Kungsleden”の始めには、鉄鉱石鉱山のあるキールナとノルウェーの不凍港ナルヴィックを結ぶ線路を走る長い長い鉱石輸送列車が通過するシーンがある。今までと何も変わらない木立の陰のほんの数十m先に鉄鉱石を山積みした逆三角形の鉱石バケットの列が見え隠れするのを立ち止まって延々と眺めた。

第二次大戦中、スウェーデンがドイツにこの路線を通じて鉄を供給したことがこの映画の何かに結び付けられているのかも、ということは、何も知らない15歳の頃に初めて観たときは勿論、この旅に出る前に50年ぶりにDVDで観直した時も気付かなかった。しかしKungsledenを歩くうちに図らずも出会った人たちと語り合う中で、戦時中のドイツとの関係について、映画の作られた’60年代になってもまだスウェーデン人が心に持っていた複雑な感情について知ることになった。まさかその象徴的な貨物列車が出迎えてくれるとは、、、

線路の手前に、きっと映画が撮られた頃には無かったであろう、ログで作られたKungsledenの北端ゲートがある。特に仰々しいわけでもなく目障りなこともないが、、、出発した南端のヘマヴァンにはポツンと道標だけが立っていたなあ。多くの人たちにはこのゲートがスタート地点になるが、へそ曲がりの僕には終点。でも、ナルヴィックに向かう鉱石輸送列車を見送った後には映画の逆回しを観てしまったような気持ちがしたが、ゲートに至った時には特に何も感慨は無かった。普通にくぐり抜けてKungsledenをオフィシャルに終えた。

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ここで、29日間の旅の記録を終わらせるつもりだった。実際Kungsledenの旅はここまでだったし、これから先、残りはただの観光でしかない。ただ、北に向かってアービスコ至る道を辿り、途中の山小屋で何度も同宿だった、僕と同様にへそ曲がりのトレッカー達とアービスコ・ツーリストセンターで再会した顛末くらいは書いておこうと思い直した。

大きなメインビルディングを中心にコテージなどが立ち並ぶコンプレックスのアービスコ・ツーリストステーション(山岳ステーションじゃない!)は個室のベッドルームは勿論、ちょっと高めのレストラン、土産物や登山ギアのショップもある、ほぼホテル。ヘマヴァンの山岳ステーションが飛行場まであるスキーリゾートに建っていたのに、今は何と慎ましやかに思えることか。まさに文明へ戻った感じ。しかし、今夜はここに泊まるのかよ。。。と半分怖気ながらレセプションへ行ったら、ドミトリー式のホステルもあるって。だろうな、、、。ホッとして 見回したら普通の旅行客とトレッカーが入り混じって行き来している。

しかし、いきなり受付カウンターで嫌な思いをさせられた。僕の前にカウンターで手続きか問い合わせをしている人がいて、僕はその後ろで、あまり近づくといかにも急かせているように思われるのもナンだなと、ちょっと距離を開けて待っていた。女性の用事が済んで、さてと前に進もうとしたその瞬間、僕の目の前をダッシュでカウンターに飛びついて割り込んだ人がいた。日本人。。。おじさん、本能の赴くままに行動してる。おじさんに近づくのもやだな、って距離をとってたら、今度はおじさんが終わってないのに、僕の前に割り込んだ人がいて、日本人のおばさん。。。僕の方を振り向いて、あら、ごめんなさい、って言うけど退くわけじゃない。。。日本に来る中国人観光客を悪く言う人がいるが、何ほどの違いがあるのかねえ。。。何十年か前に話題になった『恥ずかしい日本人』という本を思い出した。

僕は日本を出るまで知らなかったが、アービスコは日本人の間でオーロラの鑑賞地として有名らしい(山小屋でスウェーデン人たちが言っていたとおりだ)。残念ながらその夜、ここ数日とは違ってベッタリの曇り空だった(アンドレアスくんの言ったとおりだ)。

アーレスヤウレで知ったKungsledenの伝説の日本人、大久保さんのことを思いながら、この北極圏の山の中に来る日本人も様々だな、、、と考えた。(アーレスヤウレやアービスコヤウレで、いろんな人から「次はお前が伝説になれ」と言われたが、、、僕は、大久保さんのような熱意と善意に満ちた影響を残すこともできないし、無邪気に振る舞っている観光客のような足跡の残し方もしたくはない。そっと気づかれず風のように通り過ぎるのが理想。しかし、その割にはいろんな人と関わり過ぎたなあ、、、)

夕方、キッチンでこれまでの小屋泊まりで一緒だった何人かと顔を合わせたので日本人の話題になった。彼ら日本人はアービスコにとっては良い客なんだろうけど、僕は、山から下りてきて一番見たくないタイプの人間がワンサカいてガッカリだと言った。ついでに、どうせ儲けるのなら「全天が曇りの日でもオーロラ鑑賞ができるように、雲底にレーザーでプロジェクションマッピングしてやればいい」って言ってやった。大ウケ。開始時間きっちり決めて、ガッポリ料金取って、、、あ、どこからでも見えてしまうからそりゃ無理か、、、

オーストリア人のアンドレアスくんも先に着いているはずだけど、見かけなかった。これまでの山小屋と違い、ホステルでも部屋が多すぎて出会わない可能性が高い。それとも、早く着いて列車で帰っちゃったんだろうか。。。一番ちゃんとさよならを言いたいヤツなんだけどな。。。


Day 28 photo / 0916

アーレスヤウレ→アービスコヤウレ

(詳細を読みたいならDay 28 textを)

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朝、トイレに行くと霜、、、

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ウナ・アラカスもきれいなとこらしい、、、でも、Kungsledenから外れずに最後の山小屋アビスコヤウレへ向かう

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後ろにサーミの集落が見える

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ハイシーズンには、この湖にボートのサービスがあり、5kmほど楽ができるとか、、、 今日の行程は22kmあるので楽したい人は乗るんだろうなあ、、、
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アンドレアスくんにまた抜かれた、、、

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もうすぐ昼なのに、日陰には氷が残っている。

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ブルーベリー食べ続け。軍手も染まる。。。
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リンゴンベリー(コケモモ)

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トナカイの柵を越えるゲート。ドア、横木、階段、、、と色んな種類がある。

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アーレスヤウレを早く出て、途中でテントを干していたおっさん二人組に抜かれたが、彼らもあまり早くないので、なかなか視界から消えない、、、
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またまた瞑想場所
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谷の向こうの斜面に一本だけもみじ。

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樹林帯に下りてきた。これより後はもう森林限界より上に行くことはない。

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すっかり日が傾いたが、高緯度なのでなかなか沈まない、、、

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ドイツ軍がノルウェーのナルヴィクを攻撃したことから、ナルヴィックからキールナ産鉄鉱石をドイツに積み出していた中立国のスウェーデンも、いつ責められるかと危惧してこのあたりに堡塁を築き、兵士を駐屯させた。とか、、、

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大きなメガホンのようなものが水流で回転していた。後で訊いたらアービスコヤウレの小屋に水を送るポンプだとか。電気無しで動く!他の山小屋では見たことがない。

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さあ、最後の山小屋。。。

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Day 28 text / 0916

アーレスヤウレ→アービスコヤウレ

昨日借りた、大久保さんが残していった資料をもう一度読み返してみる。大久保さんは、映画の画面から写した写真をもとに、スィンギなどで撮られたいくつかのシーンをここだと同定している。何年も何年も通いつめて、何日も何週間も滞在して探し当てたのだろうなあ、、、。凄い執念。僕も、同じ映画を観てここへやってきたのだけど、ただ通り過ぎるだけの旅人。脱帽。

資料を管理人のインゲル-リーゼさんに返して、出発する。今日は20km以上をカバーしないといけないが、、、夏ならモーターボートのサービスがあり、それに乗れば5kmほど楽ができるけど、今の季節はない。

アンドレアスくんが「また僕らが一番最後の出発だね」と言う。10時半に歩き始める。おそらく8時間はかかるだろう。

アーレスヤウレの小屋を出てすぐに湖沿いの道を歩く。対岸にはサーミの人たちが住んでいる集落がいつまでも見えている。道は岸辺の波打際まで近づいたり、少し高みを巻くようになったり、変化があり、対岸の山の形が歩くにつれてかわるし、飽きることはない。

鳥が鳴き、トナカイが草を食み、クモが地を這っている。Kungsledenに来て一番たくさん見かけた動物はクモ。石やぬかるみで足元が悪いので、下を見ている時間が長いが、それにしても忙しく地べたを這い回るクモは5分〜10分に一度は見かける。冬の準備で大変なのだろうけど、餌になる昆虫はまるっきり見かけない。彼らはいったい何を食べているのだろう。。。(夏の間は帽子に防虫ネットが必要なほど蚊が大量に飛ぶらしいけど、オフシーズンの今はまるっきり見かけない)

湖から道が離れる前に、トナカイの柵を越えるところで、昨日サウナであったスウェーデン人の中年二人組みを追い越す。のんびり日向ぼっこしながらテントを干してるんだとか。一人はザンビアに住んでいたことがあり、もう一人は北海道に行って釣りをしたことがあると言っていた。小一時間 もしないうちに彼らに追い越され、樹林帯へ降りていく頃にはその姿も見えなくなる。

過去歩いた中で、もっと地面の状態が良い。捻挫の危険はうんと減った。それでも、うっかりよそ見や、ぼーっと考え事もできない。時間はいっぱいあるのに、纏まった考えや、思いついたことを順序立てて整理したり組み立てたりは危なくて出来ない。京都の疎水べりの哲学の道を散歩しがら思索に耽るようにはいかない。。。本当は映画”Kunsleden”に織り込まれたユダヤ人とドイツ人、それにもちろんスウェーデン人、さらにはサーミの人たちの関係や、それらがストーリーを通じていかに第二次大戦中のドイツ・スウェーデンの関係を読み解くアレゴリーとなっているのか、、、みたいなことをじっくり考えたいのだけれど、、、。(中立と言いつつ、キールナの鉄鉱石をアービスコ経由の鉄道でノルウェーのナルヴィックへ運び、そこからドイツへとせっせと運んだ、スウェーデンの罪悪感や後悔が下敷きになっているのではないかと思っているのだが、、、それはまたいつか別の機会に書きたい)

長い長い行軍が終わりに近づいてきて、林の中から見上げる周りの岩山が、これまでの森林限界より上の世界とはまるでちがってみえる。吊橋をすぎ、コンスタントに下ることがなくなって、ゆるい登り下りしていると、不意に小屋が見える。6時半を回っているから、今日は8時間も歩いたことになる。

アービスコヤウレの小屋より少し手前に第二次大戦中の防衛監視土塁か陣地のようなものがあったらしい。先にも書いたが、中立国だったスウェーデンは、ドイツに向けてキルナの鉄鉱石をノルウェーのナルビックから輸出していた。東方へ移動するドイツ軍が自国内を通過するのも許したと以前、別の山小屋で聞いた。その一方で、ナルビックを攻撃、占領したドイツ軍に対する防衛の最前線として、アビスコヤウレに兵員を駐屯させて監視に当たったと、森の中の案内板に書かれている。なるほど、、、兵隊たちはまさに目の前の山小屋で寝起きしたとある。強国ドイツに対して中立国として寛容に接し、ある意味狡猾に立ち回りつつ、防衛は怠らなかったと、、、。

アービスコヤウレの小屋の管理棟でチェックインの時、日本人か、と訊かれる。管理人さんものボー(ボッセ)さんとマリガレータさんは大久保さんのことを知っているとか。何度かアーレスヤウレで会ったことがあると話してくれる。スィンギ以南、いや、それより北のセルカでもチェクチャでも、大久保さんのことなど聞いたことなかったのに、、、一度ヒットするとこれだ。。。生きる伝説なんだそうだ。

それどころか、食事を終えてのんびり雑談していたら、同宿のアメリカ人親子の息子の方が、去年Kungsledenで大久保さんに会って、東京にいったとき、大久保さんの家を訪ねたこともあるとか。住所を知っているので、見つけたら教えてくれるという。ちなみに親父さんのほうは、ウィスコンシン出身で、僕が居たマディソンの北、1時間ほどのところに住んでいたとか。大学も同じウィスコンシン大学。。。87年卒だから、ちょうど入れ違い。。。その後、カリフォルニアのLA郊外、トーランスで伊藤忠関係の仕事をしていたというからびっくり。僕も同じトーランスで1年間働いていた。かすりまくり。。。

そんな話を聞きつけて、食事の同じテーブルにやってきたデンマーク人のおじさんは、札幌と東京に住んでいたことがあり、海洋上から海底の地中深くボーリングをして地質探査をする、海底(地底?)探査船「ちきゅう」での職についていたという。マディソンのことも知っていて、どういうわけか僕の大学院での専門をサイエンスだと思い込んでいる。そうじゃなくて「けったいなオモチャ」だって作品の説明したらめっちゃ面白がってくれる。

スウェーデン北部の山の中でやたら日本色の濃い夜になる。。。日本に行った人たちは、日本人の間ではアービスコがとてもよく知られている、と言うが。。。知らなかっがのは僕だけ?何れにしても、日本人が大勢やってくるアービスコからここまで大した距離でもない。シーズン中はアービスコヤウレにもきっと日本人が溢れているのだろう。

さて、明日はほんの十数kmで終点のアービスコ。いよいよ文明への復帰。そこから先はまだはっきりしたプランを決めていない。ま、明日は明日の風が吹く。


Day 27 photo / 0915

チェクチャ→アーレスヤウレ

(Text本文はこちらから)

Kungsledenトレイルの北端アービスコまでこの日を入れてあと残り3日。。。

映画「Kungsleden」(邦題『太陽のかけら』)については次回ポスト予定。

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いいなあ、このストーブ。。。ていうか、山小屋の薪ストーブはみんな良い。
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トイレの中の写真、、、真ん中、下の袋は消毒アルコール。上の写真は何十キロも続く氷結した細長い湖や川を、クロスカントリースキーならぬ、クロスカントリースケートで滑って旅をする様子。英語ではTrip Skating/Tour Skatingというらしい。。。
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続、トイレの中
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まだまだトイレの中。iPhoneのカメラじゃオーロラはまともに写らない。代わりにこれをご覧あれ。

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もう、何を見ても同じ写真に見えるでしょう。。。

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Gott&Blandat。美味しいものミックス、、、っていう意味だけど、要はグミ。黒いのはリコリス味。リコリス(甘草)殆どの日本人の口には合わない。だまして食べさせるとまず10中8、9は吐き出す。僕は好きだけど、、、(変態)
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グミとか食って、のんびりしてたらオーストリア人青年のアンドレアスくんに追いつかれる。
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アンドレアスくんに追い抜かれる。。。

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このあたりの河原は映画「太陽のかけら」に出てきたような、、、、
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アーレスヤウレストゥーガンが川向うの台地に見え始める。
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アーレスヤウレは映画に登場する地名。やはり吊橋を渡ったところに小屋があったはず。ただ、この山小屋は場所が2kmほど移されているとのこと。それでも吊橋はある。。。

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アーレスヤウレストゥーガンの管理棟。ここで、とんでもない情報が待っていた。。。

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相変わらず野菜が足りない。。。

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サウナ小屋と残照

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Day 27 text / 0915

チェクチャ→アーレスヤウレ

朝、管理人のステファンさんが、同宿のスウェーデン人にセルカへ行く横道の説明をするとき、その道の近くにある山のひとつが、最新の測量で2004mであると判明したと言っている。それが単に以前の測量ミスだったのか、氷河の去った後の重量軽減で隆起したものなのか、は聴き漏らした。ともかく、スウェーデンで数少ない2000m級の山がひとつ誕生したというわけ。

チェクチャの小屋でも標高は1000mくらいある。すぐ下の谷には残雪があり、今までで初めて目線より下に雪を見る。キッチンの壁に「2015の冬は特別だった。春になっっても雪は減らず、結局、春は来なかった!」と書かれた写真が貼ってある。。。。

日に日に出発時間が遅くなる。今朝は11時発。今日の距離は13km。空は晴れ、風も穏やかで気温も低くなく、気持ちの良い日。ほとんど登り無し。今日はどんどん距離が稼げる。

ずいぶん下ったが、まだまだ森林限界より上。今日の目的地アーレスヤウレまで数km手前から小屋が見え始める。あまり手前から見えると、なかなか着かないので困る。

アーレスヤウレの小屋は、吊り橋を渡った小高い所にある。映画『太陽のかけら』の中でアレスヤウレという言葉が出てきたので、ここが撮影地かもと思っていたが、チェクチャのステファンさんから、この小屋は建て替えられて、場所も数キロ移動されていると聞いているから、目の前の建物そのものではない。

橋のすぐ手前でアンドレアス君に追いつく。やっぱり、今日の僕はいつもより早く歩いたようだ。橋を渡り、小屋のレセプションへ宿泊の手続きに行く。山小屋というには設備が整い過ぎ。。。

受付の女性は僕と同年輩か。。。ここにもう毎夏、12年勤めているという。小屋の位置が変わったと聞いたが、以前のもやはり橋を渡った所にあっのか訊くと、そうだと言う。ダメ元で映画のことを訊いてみる。すると、思いもよらない答えが返ってくる。彼女自身が映画Kungsledenを観たばかりか「昔ある日本人がその映画に魅せられて、毎年のようにここアレスヤウレを訪れる。長いときは数週間滞在して周辺をトレッキングして過ごす。」と言うのだ。

ああ、ついに映画を観て、憶えているスウェーデン人に巡り合えた。しかも、日本人でそこまであの映画に入れ込んでいる人がいることを知らされ、なんか、とても幸せな気分!!!

管理人の女性はインゲル-リーゼさんといい、その日本人の方は大久保信夫さんといい、東京かその周辺にいらっしゃると教えてくれる。しかも、大久保さんはここに来るたびにいろんな資料を残していかれてる。日本から持ってきた映画『太陽のかけら』公開当時のパンフレットのコピーや「主題歌」(実際には映画の中で一切使われていないが、、、)の楽譜やレコードジャケットのコピー、彼が寄稿した雑誌の記事、さらには彼のことを伝えるスウェーデンの新聞記事の切り抜き、トレッキングの写真や地図などなど、、、。

インゲル-リーゼさんが、その資料のファイルの束を、部屋か食堂で読みなさいと、貸してくれた。今、手元に3冊のファイルブックがある。いくらアレスヤウレが文明的な山小屋といえど、さすがにコピー機はないので、iPhoneのカメラででバシャバシャ撮っておく。

これはもう、日本に帰ったら大久保さんに連絡をとらなくては。いや何がなんでも是非会いに行かねば!!!

大久保さんは去年まで、毎年のように来られていたのに、今年はご高齢のせいか、いらっしゃらなかったとのこと。。。急がねば。

この旅の準備段階で、といか、ずっと以前から映画『太陽かけら』については、いろいろと調べてきている。が、そこにはネットの落とし穴がある。大久保さんはおそらく僕より年上のはず、こういった個人的な思い入れを、実際の行動として実現されても、それをネット上に公開されるということはないのだろう、と考えられる。いくらGoogleが優れたアルゴリズムで僕の必要とする情報を調べ上げても、出てくるはずもない、、、。だからこそ、僕が自分の個人的な思い入れを実行に移し、わざわざここKungsledenまで来た甲斐があったということだ。

小屋の管理人さんも、STFも、メンバーやゲストの個人情報を教えてはくれまい。けど、何か大久保さんとコンタクトをとる方法がないか。またダメ元でインゲル-リーゼさんにお願いしてみる。すると、仲間の山小屋ホストの中に大久保さんと個人的な繋がりを持つ人がいるので、聞いといてあげる、との答え。非常い嬉しい。日本に帰ったら大久保さんに直接お目にかからねば!

少し、、、いや、非常に興奮気味だけど、これでゆっくり寝られる、明日はアビスコヤウレまで20kmの長丁場。サウナに入って早くベッドに潜り込もう。

と思ったら、夜、オーロラが出始める。同宿のイタリア人とスウェーデン人は三脚持ち出して、タイムラプスで動画を撮るらしい、時刻は10時、満月に近い月が山の端に出かかり辺りは明るいが、オーロラは御構い無しに輝いている。北東の空から北斗七星の柄杓の底をかすめて北西の空まで、まるで大きな虹のように、弧を描き、横たわっている。いままでとちがい、あまり動かず、地平、、、いや、山の端に近い所でカーテンのようにゆるりとうねっている。わずかに薄霞があるため、くっきりとはしない。オーロラは気まぐれでそのうち見えなくなる。

それ以上眺めるのは諦めて、食堂にもどり、この文を書いていると、アンドレアスくんが、また出てるよ、と教えてくれる。今度はダウンベストもジャケットの下に着込んで、外へ出てみると、相変わらず月は煌々と明るいが、霞は減ったよう。オーロラの断片が風にはためく旗のようにあちこち、山の上から天頂まで広がっている。大きいものの縁取りにはかすかな赤い色も。。。真夜中を回り、とっくに氷点下。霜がおりている。。10分ほどで、またオーロラは消えてしまう。。。

生まれて初めてミネソタで見た時と同じく、何度見ても、心が空に吸い込まれるような感覚に襲われる。。。

宿泊棟に戻る時、北の空から振り返り、南中している満月が眼下の水面に映っているのを見る。月の光に草の霜がキラキラ光っている。いつのまにか体の芯まで冷えた感じ。今度こそ寝なくっちゃ。。。