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映画『草原の河』

『草原の河』スペシャルサイトより

http://moviola.jp/kawa/

友人に勧められて『草原の河』を観てきた。遊牧民の小さな女の子の目から見た、アムド(青海高原)に暮らすチベット人家族の日常を淡々と、でも微妙に深く描いた映画だった。

@Junko Takeuchi

教えてくれた友人、竹内淳子さんはチベットを題材にした絵を描く画家だけど、主人公の女の子はその竹内さんの絵に出てきそうな「まさにチベットの子ども」という風貌。彼女の天才的にナチュラルな演技にどんどん引き込まれて、ヘタな記録映画より臨場感があった。

この映画に出てくる人たちは誰もが「頭のてっぺんからつま先まで」すべからく善人でもないし悪人でもない。皆わがままで、小心な普通の人間がつい自分可愛さに口にしてしまう嘘や苛立ちの悪態にまみれていてる。日々の生活に疲れた少女の両親は罵り合う(それでも次の赤ん坊を授かるのだが、、、)し、「立派な修行者さま」である祖父も「我を通し」て仏道を優先し連れ合いの死を見届けなかったし、無垢な可愛さに満ち溢れている女の子も動機はどうあれ「嘘」をつく。

逆に、ささやかな優しさも描かれていたりもする。憎たらしい悪ガキたちが全編でいじめているように見えるが、少女から取り上げた縫いぐるみを、村を出て行く別れ際に何気にポンっと投げ返してくれたりする。

そういや、ガキンチョたちが少女に対して彼女の父親を悪し様に言う心無い罵り言葉は、実は一面「真実」だったりするし、少女もそれを本当のことだと知っていたり、父親のトラブルの元々の原因が彼女自身であったり、、、と、複雑に入り組んだ描写になっている。

僕たち普通の人間は毎日小さな善悪を積み重ねて生きているのだ、ということをこの平坦で結末のない映画は言いたいのだろう。それはチベットの社会に限ったことではない普遍性を持っているが、その一方で、多くは描かれないが仏教への帰依の深さが垣間見られるし、日々の不徳を償うような後悔の行動でささやかなソナム(功徳)を対比させるのはいかにもチベット仏教徒的だとも言える。

映画は現代のチベットを扱っていることから、穿って見れば、、、半農半牧民である女の子の両親が新しい村に住み、バイクやオート三輪、トラクターを持っているとか、若い頃に坊さんだった女の子のお祖父さんが文革で還俗させられ、今また僧衣をまとい修行者となって山に籠もっているという設定に、チベット人の「定住化政策による経済的繁栄」や「信教の自由は保証されている」という中国政府のプロパガンダが見え隠れしないでもないが、、、。ただ、それもまた「一部」ではあるがチベットの現状を伝えているとも言える。(地域差や民族間、さらには少数民族内部での富の偏在と、当局による宗教への締め付けとあざとい懐柔政策が頭に在ることが前提として)

『草原の河』予告編動画より
『草原の河』予告編動画より

それより、一家が放牧をするチベットの高原(28年前に僕が行ったのはチベット自治区だが、青海省もチベットだ)と黒いヤク毛のテントの何と懐かしいことよ!ああ、またいつか、あの目の粗い蚊帳のようなテントの屋根の隙間から星を眺める夜は来るんだろうか、、、

『草原の河』予告編動画より
『草原の河』予告編動画より
『草原の河』予告編動画より
『草原の河』予告編動画より

Fiat 500のタイヤ履き替え

明日、車検だというのに、のんびり整備していたら前輪のタイヤがすり減って、溝が規定(1.6mm )に足りない可能性があると判明。贔屓目にみたらありそうな気もするが、、、どっちにしてもギリギリなので替えておくべきだ。けど、今から街に出てもミシュランやピレリの12インチタイヤなんてどこにも売ってない。通販だったら最低でも数日はかかる。。。(ま、陸運支局に頼んで持ち込み車検の日時を変えてもらえばいいんだけど、それもメンドクサイ)

たまたまだけど、車検とは関係なく数日前にヤフオクで、めったに出てこない中古のチンク用ホイールを落札していた。それは、ここ数年雪に閉じ込められる事がちょくちょくあるので、スタッドレスタイヤを履くために買ったもの(火曜日発送予定だったものを出品者が気を利かせて土曜に出してくれたので、今朝到着していた)。4本セットで8分山のノーマルタイヤ付き。とりあえずスタッドレスは後にして、こいつを流用してぶち込んでみた。

オマケで付いてきたタイヤ(135/80−12)はオリジナル(125/80−12)より幅が1cm広く、外径も1.5cm大きい。車検で計測される40km /hのメーター読みで実際には41.4km /h出ている計算になる。もっとも、メーターは実速度より多めに表示される事がおおいし、1〜2km /hの誤差は容認されるから、全く問題ない。

問題は、タイヤの幅、外径ともに大きくなったことでタイヤハウス内での車体との干渉。特に、ハンドルを左右に一杯切ったときの前輪がどうなのか、、、これは取り付けてみないと判らない。(前のオーナーがこのタイヤをFiat 500で使っていたのだから大丈夫なはずだが、ネット情報では古いFiat 500には「個体差」があり、内側が擦れるものもあるとか、、、工業国イタリア、大丈夫か?)

実際に装着した結果は、全く問題なし。タイヤと車体の間には未だ余裕がある。。ただ、買ったホイールには車体色に合わない色が塗られているのはちょっと、、、。が、まあ、これは目を瞑ろう。(車検準備のためにホイールキャップを外してあるので余計に目立つが、、、)

近所を試運転してみたら、思わぬ副次効果があった。これまで前輪に着けていたミシュランも後輪のピレリも古いラジアルらしいゴツゴツした乗り心地だったが、ブリジストンのスニーカーという銘柄は安物だけどはっきりと乗り心地が良くなった(単に腰のないぐにゃぐにゃタイヤってことかも。でも低速でしか走らないチンクちゃんにはどうでも良いこと。逆に衝撃が減って故障しにくくなるかもw)。

このサイズでも車検や普段の使用がOKなら、なにもオリジナルのタイヤサイズにこだわって普通に売ってないミシュランやピレリの高い輸入品を買わずとも、そこらで半額で買える国産品で十分だな。しばらくこのまま履いておこう。

追記:ホイールは雪道用のスタッドレスタイヤを履くつもりで買ったのだけど、考えてみたらメッチャクチャよく錆びるチンクちゃんで塩である融雪剤の撒かれた所を走るってのは、ダメだろな、、、


なんちゃって豚丼

この肉厚、、、照り、、、豚丼に見えるっしょ!

ふと昔住んだ十勝のことを想っていたら、急に豚丼が食いたくなった。おお、安売りで買った厚切りベーコンが冷蔵庫に。。。塩分過剰摂取覚悟で即席の豚丼「のようなもの」を作って喰ってまった。

豚丼の良いところは豚肉と調味料以外に何も要らないこと。ベーコンだって豚肉だし、フライパンで焼いてもスモークの香りが炭焼き「もどき」の香ばしさを添えてくれる。

肉は百グラム100円の安物だけど、みりんの代わりに使った剣菱(どっかの宴会の飲み残しを料理酒用にもらってきたもの)と後から振り掛けた草喰なかひがしの山椒油と白梅町長文屋の七味(山椒多め)のお陰で、見た目だけでなく、何だかそれらしい味になった、、、ていうか、美味いじゃん!これ。 続きを読む なんちゃって豚丼


草喰なかひがし

先月始めに何とか予約を取れた銀閣寺道の「草喰なかひがし」にやっと行くことができた。

店主の中東久雄さん(ひーちゃん)は、若い時分、花脊で一緒に遊んだ頃はあんなにもオヤジギャクを飛ばすことはなかった(お互い若かったもんね)。昔から決して言葉上手という人ではなかったし、むしろ北山の山奥育ちで純朴な青年というのがピッタリだった。今も立板に水の喋りをかましまくるのではない。使い古されたギャグ・駄洒落の類を臆面もなく繰り出してくるようで、でもどこか「遠慮しいしい」が見え隠れする。

店のしつらえ、料理についてはいちいち書くまい、いや僕ごときが四の五の書けるわけがない。ただ、一緒に行った友人Iさんが「空間もお料理も、静かで芯のある感じでした。そして素材がうれしそうでした!」と言うように、店の造りには無駄がなく、あるべきものがあるべき姿であるべき場所に配置されて、どれもが必然の素材でできていると言える。

また、そこで働く主人のひーちゃんをはじめ料理人、女将、お運びさんまで無駄のない動きをしているのが見て取れる。だからカウンターの内側は忙しい。なのに「静かで芯のある」緊張感もみなぎっている。

料理も同じく。しかし、スキがなさすぎて客に緊張を強いることもない。なぜなら、不必要に手を加えたりこれ見よがしではなく、各素材の「こう料理してくれたら」という望みを叶えてやるような仕事がしてあるから、ただただ素直に美味しいと言えるのだ。

ひーちゃんは言う「作物は、調理方法を煩く語ります。『食べられる物は全て食べ尽くせ』と。「美味しい物だけをつまみ喰いするな』と。」と。同行してくれたIさんをして「素材がうれしそうでした!」と言わしめたのはまさに彼がそれを成し得ている証拠だ。

草喰なかひがしの評判については、いまさらここで繰り言するまでもないが、ちょっとググればいくらでも褒める言葉に行き当たる。加えてミシュランの星だの高名な評論家や有名人の評価だのを聞いてしまうと、客の中には何か異次元の高級料理を食べに来たと構える人はいるだろう。事実、入店前のIさんはテンションが上っていた。

そこへひーちゃんのオヤジギャクがなんとも言えない脱力をもたらす。数分ごとに発せられる彼のダッサイ冗談が絶妙の箸休め。ピンピンに尖った高級京料理や高級フレンチではないのだよ、と優しく我に引き戻してくれる。

Plat principalのメザシが出たらコースも大詰めだ。僕は調子に乗ってご飯のおかわりを5杯。一応3膳目にはそっと出したのだが、、、。ふと見たら隣のIさんもおかわりを重ねている。ひーちゃん以外の若い料理人が彼女におかわりを持ってきて、ひーちゃん譲りの駄洒落をかましてる。おおっ!全ての料理を出し終えて彼も緊張が解けたか。カウンターのあっちもこっちもみんな笑顔でごちそうさま。

優に2時間半を超えるお昼ごはんの後。Iさんと中東ひーちゃん

P.S. この頃、時々東京からやってきては粉もんを異常に欲しがる友人Tくんと一緒に食事に出ると、以前は決してやらなかった、むしろ他人がやるのを軽蔑さえしていた、スマホでの「メシ撮り」をするようになった。すると「おかもっさん、変節しましたねえ」と言いやがる。うっさい!変節でも変態でもええわい。美味いもん喰って、その記憶を大勢とシェアするために、周囲に嫌悪感を与えない限りはOKだろが。。。っていうのが自分なりの言い訳なんだけど。

不思議と今日はスマホを取り出さなかった。上記のぐだぐだ書いた文を読んでもらったら解るかもしれないが、なかひがしの料理は写真に写らないファクターがあまりにも大きい。写真を撮れる雰囲気じゃない、とか禁止されたというわけでもなく、実際、撮ってる人もいたし。でも、無粋とか迷惑とか関係なく、そんなことにかまけているより眼も鼻も口も舌も喉も耳も、つまり全身で感じ、味わっておきたい料理を目の前にしたら、写さないことをこれっぽっちも惜しいと思わかなった。


スープ屋さん!ありがとう!!ごちそうさま!!!

いつものようにバタバタっと来て、ぐーって寝て、今朝、あっという間に帰っちゃった。でも、置き土産がうれしい。

マサコちゃん、カフェインだめだからと中国茶葉の美味しいのも置いていってくれた。それに、昨日の左京ワンダーランドで「完売しちゃったので、少ししかないんですけど」って、、、ヒロくん、僕のために残してくれたんじゃないか?だったら申し訳ない。(売上削った彼らにも、食いっぱぐれたお客さんにも)

ふらりとやって来て店を構えた彼らが、またふらりと京都からいなくなって何年経つのだろうか。京都には時々戻ってきて今回のような臨時の店を出すんだけど、今の若い学生の客は鞍馬口通りにあった昔のスープ屋さんを知らないのだという。でも、ノスタルジアなんぞ関係なく、美味いものは美味いので人気は衰えない。味も変わらない(いや、実はいろいろ工夫、試行して変わってはいるのだろうけど、、、いつも期待通りに美味い)。何より、素敵な彼ら自身があの頃とちっとも変わらない(いや、子供たちが増えに増えてw、そりゃ大変なんだろうけど、、、どうしてあんなにスレないでいられるのか)。