「旅」カテゴリーアーカイブ

異境に果てたカッシーニへの複雑な想い

人の行けぬ遠い惑星や衛星からカッシーニが送り届けてくれた貴重な情報と美しい画像に僕は魅了されてきた。そして今、20年にも亘る旅の果てに土星の深い大気に沈んだ探査機の最期を想う。

カッシーニ以前に、誰がこんな土星の後ろ姿を想像しえただろう。

遥かに遠のき、小さくなった太陽を掩蔽する土星の綺麗で寂然とした背面。

カッシーニの映し出す淋しげな土星と同様に、昔々、ソ連のルナが初めて軟着陸して撮りジョドレルバンク電波天文台が傍受して発表したモノクロの荒涼たる月世界も、月に向かうアポロが振り返って見た暗黒に浮かぶ小さく青いマーブル玉のような地球も、それは美しくまたどうしようもなく心もとない光景だった。子どもだった僕は遠い異境を旅する彼ら孤独な探査機を想い夜空を見上げては心震わせたものだ。

大人になっても、地球を旅立って太陽系のあちこちに赴いたガリレオ、ユリシーズ、ニュー・ホライズン、もう太陽系を離れて深宇宙へ足を踏み入れたパイオニアやヴォイジャーなど、カッシーニの仲間たち惑星間探査機のもたらす旅の知らせに、僕は変わらず胸踊らされる。

ただ、彼らがその力をプルトニウム熱源の原子力電池に依存していたことには心が痛む。彼らがくれた無類の感動も貴重な情報も、打ち上げ失敗時に放射能汚染のリスクを伴う原子力電池無しには得られなかったことを考えると複雑な感情を持たざるをえない。

どこか、殺人兵器でしかない戦闘機の姿を美しいと感じてしまう時に抱く後ろめたい心の矛盾に似ているように思う。


Alsace 再訪

久しぶりに一乗寺のAlsaceへ行く機会を得たので誘った知り合いを乗せて北大路を東へ向かっていたら、下鴨辺りで後ろから追いついてきた車が信号で横に並んでウィンドウをおろし始めた。何?

真っ赤な車からニコニコと顔を出したのは、おお、中東のひーちゃんやん!先日の山椒オイルの礼や、また行きまっさ、なんて言っている間に信号が代わり、たいした話も出来ぬままビューンと行ってしまった。

不思議なもので、先日店の前で彼を見つけて立ち話をしたのが20年ぶりだったのに、あれから半月もしないうちに今度は彼が僕を見つけてくれた。それにしてもよく僕だと判ったもんだ。多分あの時に僕がちっこいFiat 500に乗っているって話したんだっけか、、、それで目ざとく見つけてくれたんだろな。。。こりゃ、本当に行かなきゃ。

同乗の知り合いは、ひーちゃんの「草喰なかひがし」が憧れの店で、かねがね行きたいと思っていたそうで、成り行き上、これはもう誘うしかない。あ、成り行きってのは、しょうことなしに、とか、いやいやだけど、という意味はない。この偶然、このタイミング、この縁、これはもう「そういうこと」になっているというわけ。

閑話休題。まだ予約が取れるかどうかさえ判らないなかひがしはまた今度に置いといて、今日向かったのはAlsace。

いつもは4、5人でワイワイ来るのだけど今回はべっぴんさんと差し向かい。まあ、何人で来ようがAlsaceのお兄ちゃんの楽しい軽口は相変わらず終始絶好調。そのうえ一緒に来てくれた知り合いもよく食べ、ワインもそこそこ飲んで(僕は水だけど)、それによく話をする人だった。

旅のことや、互いに美術をやっているので作品の技法のこと、何故か突然に近江商人のことなど、話題は尽きず、いつの間にか心地よく時間が過ぎてしまった(彼女の話の飛び具合、散らかり具合はどこか僕と似ているなと思った)。開店から居座った僕達が結局いちばん最後に店を出た客だった。

実際、よく考えたらものすごい量を食べたと思う。
イワシの香草オイル焼き、ビーツのサラダ、牛タンとシュークルート、豚のホルモンソーセージとシュークルート、ミートボールのトマトソース煮、そしてデザートにガトーショコラ、モモのパルフェ、、、二人でたらふく、なんだけど、これがストンと胃に落ちる。そこへ持ってきて、目の前で美味そうにワインを飲んでいる人がいて、、、普段、飲めないことを悔やんだりしないが、今日ばかりはやはり残念に思えた。

どれだけ食べた後でも、ここのガトー・オ・ショコラの美味しさは変わらない。しっかりと吟味したチョコレートを使ってあり(以前何度か聞いたのにブランドを忘れたが、、、)、しっかり濃厚なんだけど、絶妙の焼き加減で上面のサックリ感と舌に纏わりつかない中身の軽さでが、もうたまらん。。。

デザートの後、〆にいただいたコーヒーは素敵にほろ苦くて、あれこれお喋りしながら闇雲に食ったものをもう一度きちんと舌と胃と脳で整理をするのにちょうど良かった。

独居老人なのでいつもは飯を5分でかっ食らうし、酷いときはキッチンで立ったまま食うなんてこともある(これはアメリカで貧乏学生やってた時に付いた悪い癖だ。キャンベルのスープ缶からスプーンで直に食べてたのを思い出すと、まるでホームレスのオジサンたちみたいだったなあ、、、)。かといって外食には1人で行けないタチなので、たまにこうやって3時間も4時間もかけてゆっくりと会話できる人と一緒に質の良い食事を満喫するのもときには必要だな。。。

美味しくて、楽しくて、そのうえ向かいの席はぺっぴんさん。これで何の不満を言えようか。ただ、それがカノジョであれば人生文句はないのだが、世の中そうはなってないのです。


山歩き案内+温泉回想

 早朝一番のバスを降りて長い林道のアプローチを終え、登山口と書かれた道標と営林署の注意書き看板の前を通り過ぎ、暗い植林の谷に入る。よく手入れされた杉林の中を伸びている、油が乗って滑りやすい木馬道を上り詰めると、終点で左手の沢に降りる。水量の豊富な流れを右岸へ渡渉し、ナタ目のある大きなブナの木の横からそのまま背丈ほどもあるササ藪の急斜面を直登する。
  
 藪漕ぎを終えるころ斜度が緩くなり辺りは広葉樹のまばらな明るい林にかわる。間もなくよく踏まれた古いユリ道に飛び出る。左はもと来た登山口へ、右へは石仏を経て一本杉のある峠へ続いている。
  
 平坦で歩きやすいユリ道を右に取りしばらく行くと、斜面に埋もれるようにして小さな石仏が2体並んでいる。峠まではもう少しで、樹々の間からは背の高い一本杉が見えるが、峠からは眺望がないので、ここで再び斜面に取り付いて分水嶺の稜線を目指す。石仏に向かって右手から入るケモノ道のような踏み跡が見つからない場合は峠経由で稜線を辿るもよい。
  
 混合樹林を抜けて痩せ尾根の稜線上に出たら道を左へ登る。登り切った頂上は10畳敷ほどの草地で、5万の地図には独標の表示があるが道標も標柱もなく、生い茂った草の様子からあまり人が訪れていないように思える。しかし標高はさほどでもないが周囲は落葉樹の灌木ばかりなので冬は特に眺めが良い。ここでちょうど昼になる。
  
 そのまま尾根を縦走すれば登り下りを繰り返して次第に高度を下げ、途中で道は尾根筋を離れて先に横切ったユリ道と合流する。続けて下ると登山口に戻る。
  

 山頂から尾根道を取らず尾根と直交するように乗越すし、もと来たのとは違う水系の斜面を下る。周囲の植生が劇的に変わるので中央分水嶺を越えた実感が湧く。またこの辺りにはシカの鳴き声やキツツキの音がよく響いているし、木の幹にはところどころクマの爪痕も見られる。運が良ければカモシカにも出くわすことがある。
 

 斜面を下り始めてほどなく暗く大岩の多い谷に出会う。後は谷に沿って下るだけなので道に迷うことはないが、小滝が連続しているので巻道を見失わないよう注意する必要がある。冬期は、積雪が登ってきた側と比較にならないほど多いので、輪カンジキの着用と長時間のラッセルで登り以上の体力消耗を覚悟しなければならない。

下るにつれて踏み跡から小径になり、それが轍のある細い林道に変わる。下りきった谷が開けて扇状地になる所に10軒ほどの小さな半農半林の集落があり、地方鉄道駅へのバスも来ているが休日運休どころか、週に3日だけ朝夕1本ずつの運行であることに注意。さらに積雪期は運休になるので事前に問い合わせしておくべきだろう。スケジュールが合わなければ駅まで、アプローチの林道以上に長く退屈な歩きが必要となる。

中央分水嶺を越えるコースを辿ってその日の内に家に帰り着けたら幸運である。ただ、途中で寄り道して、神社前のバス停がある三叉路でバス道を離れ、さらに奥まった山中にある一軒宿の温泉に浸かるのも良い。年寄り夫婦のやっている数部屋しかない小さな温泉宿だがいつも空いていて居心地が良い。入浴と休憩だけもさせてもらえるが、どうせバスは無くなっているし、のんびりしていると歩いて駅に着いたとしても最終列車の時刻も過ぎてしまっているので、そのまま泊まって帰ることになる。

話下手で腰の曲がった主人に案内されて、ギシギシとうるさくきしむ渡り廊下を渡った先の小さな古い木造の離れが浴室。3人がやっとの狭い湯船の枠は檜のようだが温泉の成分で黒く変色している。温泉とは言うものの実は冷泉で沸かし湯だが、ほんのり硫黄の匂いがする肌当たりの良い泉質だ。ぬるくてしっかり長湯ができる。

湯上がりに、二の腕に擦り傷ができるほどバリバリに糊の効いた浴衣を着て、老女将が摘んだという山菜の田舎っぽいがどこか懐かしい手料理をいただいたら、後はもう寝るしか用事がない。新聞は来ないらしく、宿に一台きりの食堂のテレビは5年前の落雷で壊れたままだというし、他に客もおらず、主人夫婦は食事を片付けたらさっさと寝てしまうので、このあたりの山や村の面白い話も聞けない。早寝して翌朝また街道へ出て、バスか歩きで駅に向かうことになる。

 渓流のせせらぎが聞こえる部屋に戻り、少し湿った重い布団に潜り込んで目を瞑ると、今まで歩いて来た山の情景が思い浮かぶ。
 

 

なんちゃって、、、


オスロを去る日に思う
(投稿は一週間後だけど。
しかも翻訳は一年後だし、、、)

去年、英語で書いた日記を翻訳してみた。和訳は難しいなあ、、、

ほんの10日前までスウェーデン北部高地で、KungsledenのU字谷の底に延びる小径を辿っていた。

それが今は、北海に溺れた無数のU字谷フィヨルドの国、ここノルウェーで岸辺に座って海を眺め、小舟を漕ぎ、クルーズ船に乗っている。

そのどちらも同じだけ楽しんできた。

先日、ロフォーテン諸島にいた時のこと、日がな一日iPadにへばり付いて何もしない僕を見かねて、年老いたホステルの主人が、彼の小舟に乗って一人で沖に漕ぎ出してみろよと言ってくれた。「今行かないでどうするんだ、天気はいいし海はベタ凪なのにこれ以上何を望む?何をグズグズしてるんだ?」と。

Kungsledenのある場所で幅1kmもある湖でのこと。ボートが3艘用意されていて、どちらかの岸には1艘しか置かれていないことになる。はたして僕は運悪く1艘の側に到着してしまった。常に湖の両岸にそれぞれ最低1艘のボートが置かれるためには、一度渡って対岸の1艘を曳いて戻り、それを残して今一度対岸へ回漕ぎ渡るはめになる。あれ以来、ボートはうんざりだった。

一度目は岸辺でモーターボートを待っている老人たちが寒さに震えていると対岸の小屋の主人に伝えるため大急ぎで、二度目は余分のボートを1艘曳き、待っている人にモーターボートは来ないと伝えるため、三度目は二人の老人カップルとバックパックを満載して、横風とうねる波を越えて必死で漕いだ。最後の接岸後、浜に残した自分のバックパックを持ち上げるのもやっとの握力しか残っていなかった。人生を終えるまで金輪際とは言わないまでも、もうボートは漕がないぞと思ったのだった。

にも拘らず、主人のアドバイス、いやもうほとんど命令を受け入れた。彼は目の前に広がるこの美しく(そして時に気まぐれな)海の全てを知っている。その彼の言葉に抗う理由がどこにある?で、一も二もなく即漕ぎ出した。とは言うもののさほどの沖遠くでもなく、だが。ほんの1時間かそこら港周辺でロフォーテンの先端が見えるあたりを目指して。

その数日後には「沿岸急行」と呼ばれるクルーズ船のひとつに乗っていた。トロルフィヨルドの壮大な景色と、その最奥にまで船を操って航行する船長の技術の素晴らしさについては聞いていた(それは以前のFacebookの投稿記事でも書いた)。しかし、この船旅は、たとえ一週間に渡るクルーズ全行程のほんの一部にすぎなくても、自分の旅のスタンダードからして贅沢すぎるのだった。それでもこの船を選んだことを決して後悔したりしなかった。

もうオスロで3夜目になる。あまりに物価が高いので、もともとは1日かそこらのつもりだった。なのに、ロフォーテンでもそうだったけど、滞在をのばしてしまった。なぜなら、ここの美術館、博物館で本当に観たいものを訪ねるには最低でも2日はかかると判ったから。極地探検船フラム号、筏のコンチキ号、ヴァイキングの船、それにムンク美術館と国立美術館のムンク、、、

ムンク以外では、特に船に興味があった。ロフォーテン諸島ではたくさんの地元の船を見たが、ボート、ヨット、大小新旧の船、ほとんどどれもが伝統的な、むしろクラシカルなと言ってもいい工法やデザインで造られていた。それらはノルウェーが持つ海運国としての伝統の「匂い」を醸し出していた。オスロでもまたそれ以上に多くの「同種」の船を見ることになった。ああ、どれも素敵だ。

残りの旅の日は数えるほど。これからハンブルクに向かい、友人に会う。その後、10月5日にストックホルムからロンドン、香港経由で大阪へ。大洋を二つ越えて船で帰れたらなあ、、、

ムンクについてはまた別の機会に。


それぞれの旅

ここ数年、夏が終わりに近づくと旅に出ていた。今年は早々とまだ寒いうちから四国八十八ヶ所の霊場を歩き遍路で回りたいという願望に取り憑かれていた。しかし思わぬ定期の仕事が入ったために、当面は延期ということにしておいた。1年や2年延ばしたとしてもまだまだ体力は残っているだろうし、望外の収入を旅の路銀に貯めておけばいいやね、と。

しかし、また日が少しずつ短くなるのを感じる季節になり、どっかと地に据えていたはずのお尻がムズムズし始める。週にたった一度の仕事なんぞ打っちゃって、御免っ!と一言いって人でなしをやればいいんだよ、という甘い誘いが聞こえて来る。寒くなる前に出かけないと、、、と季節に駆られるように旅の妄想が始まる。

妄想だけではない。ふと気づくとスマホやパソコンで具体的な旅の算段をやっている。しかもそれは何故か四国遍路ではなく、去年行った北欧のトレッキングトレイルKungsledenへの回帰。あの旅で中学生の時に夢見た憧れのトレイルとの邂逅を果たしただけでなく、旅の動機となった映画『太陽のかけら(原題:Kungsleden)』に散りばめられた謎が、半世紀を経て旅路を辿る中で次々に解けたのだから、かの地への想いは十分に燃え尽きていたはず、なのに。2016-09-03-14-06-08

結局は今日まで人でなしの一言は切り出せず、スマホのアプリで見つけた関空⇔ストックホルム往復7万円という格安航空券も予約しないまま、9月下旬には全ての山小屋が閉鎖されるので丸ひと月かかるKungsledenの旅は幻夢に終わろうとしている。(まだ「今すぐ」なら間に合うぞ、という声も耳をよぎるのだが、、、)

そんな時、昨年来堺町画廊で行われてきた「民映研の映画上映会」で知り合った正木隆之さんの本『ちゃりんこ日本縦断』(副題:アクティブシニアの小さな冒険)が届いた。正木さんは長年の勤めを退職して、新たに起業する前の「垢落とし」として日本縦断自転車旅を敢行した人で、執筆から編集、装丁まで1人でこなされたとのこと。パソコンよる組版もそのためにIndesingを勉強して仕上げられたという。人当たりの良いやさしいオジサンの正木さんだが、見かけによらぬ(すんません、、、)情熱の持ち主なんだろうな。

まだ読み始めたばかりだが本の出来もすばらしい。「日本縦断」、「自転車」、「本の自力編集」、「自費出版」という頑張りの原動力はその情熱なのだろうけど、本の中身は好奇心に溢れた人らしいたくさんの写真とともに、自分自身をよく知る還暦過ぎた人ならではの適度に脱力した旅の体験談が淡々と描かれている。読み始めたばかりだが、ページをめくる度になんとも旅心をくすぐられる。

正木さんの本を注文してから届くまでの間に、東京の友人Tさんから彼のチベットでのフィールドワークとその後の研究の集大成の論文を読んで欲しいと連絡があり、ほどなくPDFファイルがメールで送られてきた。迂闊にも正木さんの本が間もなく届くことを失念していて、すぐダウンロードして読むよと気軽に返事してしまった。

しかし、Tさんの論文は本文だけでも5万文字と10ページ及ぶ注釈、さらに地図などの図表と現地の写真多数。ここに詳しくは書かないが、彼が長年断続的に行ってきた広範囲にわたる彼のチベット単独踏査行は標高4〜5000メートルの無人の荒野を補給なしに歩くなどサバイバルの極限と言っても過言ではない凄まじさだし、日本での文献調査も地理学書や地図は言うに及ばず仏典を含む専門書などを多岐にわたり、それらを深く読み込み考察してまとめた論文はフォールドワークに裏打ちされた圧巻の内容である。しかもTさんはその研究内容を弛まず吟味し続けているのだ。論文はこの数年の間に何度も改稿され、僕も節目には読ませてもらってきた。そして今回もまた感想や意見を求められたというわけだ。

だから、先にTさんの濃厚かつ膨大な論文を読んだらその後に正木さんの旅行記を読むエネルギーは残らない恐れがある。申し訳ないけどTさんには、後回しにするからと詫びを入れておいた。とまれ、期せずして全く性質も分量も異なる2つの「旅行記」を読むことになったが、読み耽って僕の旅行熱を冷ますにはちょうどいい時に来てくれたものだ。(逆効果の恐れも大なのだけど、、、)


追記:正木さんにTさんの論文のことを書いて知らせたら、ご自分の著書と比較して「満漢全席とお茶漬け」と表現された。「軽さだけがとりえ」、「ミントの効いたシャーベットくらい爽やかだったらよかったのだけど」とも。猫舌の僕には冷ご飯に鮭や海苔や霰やワサビを載せて冷茶をぶっかけた茶漬けが軽く爽やかで何よりも美味しい。正木さんの文章はまさにそんな細やかな具が散りばめられた茶漬けのように軽く、ミントシャーベットのように爽やかだ。

でも、その絶妙な喩えから窺えるように文章の具としての個々の表現は吟味されエスプリに満ちているし、紙面の半分以上を占める豊富な写真もなかなか味わい深いので、ついつい読みながら妄想の世界を漂ってしまう。お茶漬けのようにサラサラっと掻き込んではその美味しさを牛のように反芻していると思ったほど早くは読み進まない。これは望外に楽しい手強さだ。はたしてTさんの大論文に行く着のはいつになるやら。


追記の追記:Tさんとのやり取りで、正木さんの『ちゃりんこ日本縦断』の写真目次ページに使われた見開きの写真(海沿いの原野の中を走る一本の道路)を見て、これはサロベツ原野だろうか、猿払原野だろうか、という話になった。これが北海道のどこかであろうということだけを言い当てるのは、さほど難しい話ではないのだが、、、

本を手にしていないTさんは、僕が送った写真(上)から目次の端にかすかに写っている九州、中国、四国 近畿、北海道、東北、北陸、京都へ、と並んだ地方名から走行ルートやフェリーの航路を想定し、写真に写った道路の規格と彼の記憶と比較した考察をメールで送ってくれた。多分、かなりの時間を割いて彼の頭の中で旅をしたことだろう(いや、地理の専門家で博識、日本中を歩き回った彼にしたら一瞬のことかもしれないな)。読んでいるこちらも思わず彼の「その旅」に引き込まれる。普通の人には「何も写っていない」写真1枚(正確にはその写真が載った本の目次の写真)でこんなに楽しめて、また楽しませてくれる友人がいてくれて嬉しい。僕にも何かしら似たところがあるので、正木さんの本にも「手こずる」ことになるのは見え見えだ。

ちなみに、Tさんと正木さんには日本縦断という共通点がある。ただしTさんは歩いて。