「旅」カテゴリーアーカイブ

Day 25 text / 0913

スィンギ→セルカ

スィンギの小屋を出る前に、同室のスウェーデン人やドイツ、オーストリア人の青年たちと話をする。話題が第二次大戦時のスウェーデンとドイツの関係やアメリカと日本のその後の関係になったとき、犬連れのシエルスティンさんが割って入ってきて、アメリカを悪く言う人が多いけど、いざとなったらアメリカに住みたがるって輩がいる。嫌いだと言いながらアメリカで働きたい、留学したい、ってのが大勢いる、って。彼女もシカゴの郊外で2年間仕事していたそうだが、もう2度とあの国には戻らない、とも言う。彼女がアメリカを嫌いなのか好きなのか、、、判らないけど、僕がアメリカに持っている複雑な感情と似たものを持っているのかもしれない。

ケブネカイセ山岳ステーションへ向かう彼女とはここでお別れ。先に発つシェルスティンさんとワンちゃんたちを外まで見送る。写真を撮らせてもらっていたら、他のトレッカーも写真を撮らせてもらいにやってくる。彼女はそれに気軽に応じている。気難しい人嫌いとは違っていた。。。ちなみに、モーターボートの運行に融通を利かせてくれなかったから、その場では料金支払いを拒否したが、ケブネカイセの大きな山岳ステーションに行って、テウサヤウレで十分なサービスを受けられなかったことの顛末事情を話して支払うつもりだとのこと。なかなかうるさ方、というか筋を通す人なんだな。

スィンギを出て、しばらく行くとシェルスティンさんが皆親戚だと言っていたサーミの集落が見える。十軒ほどあるがどの家からも煙が出ていない。この季節は誰も住んでないのかも。トナカイのフェンスも支柱だけ残して、網は巻き取って置いてある。今も、方法は変わっても季節ごとの移動があるのかな。

さらに進むとKungsledenから右にそれる道の先に吊り橋が見える。よく見るとあの年配夫婦が手を振っている。どうやら彼らは別のコースを行くらしい。さよなら。

今日の行程の半分くらいのところに避難小屋がある。僕が向かうセルカから逆に降ってきた人達も数人いて賑やか。小屋の中はゴミが一杯。Kungsledenでこんなのは初めて。外で昼飯にしようと座っていたら、スィンギで同室だったオーストリア青年に追い越された。

もう少し北へ行くと右手の谷の奥にケブネカイセの北峰と南峰が見えるはず。氷河も見たいので、コースを外れて右手の山腹へ登っていくと、先を行くオーストリア人が下の方から笛を吹いて手を振っている。僕が道に迷ったと思って心配してくれているようだ。手を振り返して大丈夫と知らせる。2〜30分登っただろうか、ようやく南北の頂(だと地図からはうかがえるのだが、、、)と大きな氷河が一望できるところまでたどり着く。スウェーデンの最高峰を見たからって、どれほどのこともないのだけれど、、、

セルカの小屋は思いの外賑やかで、設備も整っているようだ。直接ショップのある管理棟に行くと管理人のヤンさんが、もう閉める直前なので、品切れが多いと言う。明日のチェクチャには、またショップが無いので買いだめをするが、晩飯用のインスタントパスタとかが無いので困ったな、と思っていたら、ヤンさんがが、18日に小屋を閉めた後、いつもなら歩いてアビスコへ戻るのだけれど、今年はヘリコプターなので携帯食料が要らなくなったから、自分用のを安くわけてあげる、と言ってくれる。今夜のと明日の分、2食もらってまずは安心。ここにはシンバ(スワヒリ語でライオン)という名の巨大な犬がいる。もうおばあさんなのか、いつも寝転がってる。仔牛くらいある!!!

さて、指定された部屋に行ったら、例のオーストリア人くんが居る。宿泊棟はいくつかあって、数十人は泊まれるのに、またまた偶然。初めて彼の名を訊くと、アンドレアスくんという。一番遅く起き、小屋を出るのも最後、ノンビリと歩く速さも僕と同じぐらい遅く、そして何より帆布のクラシカルなリュックサックが好もしい。今の時代に、僕が高校生の頃に使っていキスリングザックに似て、外に飛び出したポケットの付いたやつ。僕のバブアーの重たい綿布製オイルジャケットへのこだわりに通ずる所があるかもしれない。ただ、ぼくと違っていつも静かで、でも全く話さないわけでもなく、聞けば知りたい十分なことを話してくれる。(ゆったり景色を見ながらゆっくり歩いているから、彼より後ろにいる僕が変な方向へ行ってるのも気づく。いい感じのペースだね)

彼によると、オーストリア、とくにザルツブルクには日本人がいっぱいやてくる。サウンドオブミュージックのツアーとかが目当てだけど、オーストリア人はそんなの誰も知らないと言う。まあ、ベルギーへ行ってフランダースの犬のこと訊いても誰も知らないようなもんだろう。彼からこの先の終点アービスコもオーロラ鑑賞ツアーの日本人で賑わっているとか聞く、、、。知らなかった。アンドレアスくんは皮肉も言う。日本に行った時、アビスコがその特殊な地形で曇りの日が少なく、オーロラ鑑賞に最適の地だという「プロモーション」に出くわしたが、自分の経験ではあそこも結構曇る、って。

そんな話しをしていたら、同じ棟のメキシコの若者がオーロラ見たこと無いと言う。どうも、アンドレアスくんもメキシコ人くんも理系らしく、話が、太陽から来る電離した粒子が地球の磁場に捉えられ、磁力線に沿って南北の極から落ち込む時に大気と衝突して発光するとか、太陽の活動で地磁気が乱れる磁気嵐のような状態が起きると、オーロラもダンスを始めるとか、、、あまり神秘的でない話になる。僕は好きだが、、、

いましたが、寝る前に小便しに外へ出て、用を足しながらふと振り向いたら、、、あらま、オーロラが出てるじゃん!急いで部屋へ走って戻り、メキシコ人くんに、オーロラ見たい?なら、今だよ。と言うと、他の同宿者も一斉に飛び出してくる。僕が見た瞬間は、緑のカーテンの裾がほの赤く染まっていて、誰かが幕引きをしてるかのように左から右へ縦筋の光の帯が揺れながら走っていた。が、皆んなが出てきたときには、薄雲のせいであまりくっきりは見えなくなる。。。。残念。

30分くらい白い息を吐きながら見たが、最後まで雲はどいてくれない。諦めて戻る。夜中12時まえじゃん。明日も12kmと距離は大したことないが、こちらから行くときつい登りがあり、けっこうタフなコースだとか。なので、もう寝なくっちゃ。。。


Day 24 photo / 0912

カイトゥムヤウレ→スィンギ

(本文はこちら

途中、歩けないどころか立ってもいられないほどの強風が吹いて、岩陰に避難。。。

テウサヤウレ、カイトゥムヤウレと同宿だった犬連れのおばさんについてはDay 24 Textを。

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カイトゥムヤウレの夜明け。(ヤウレはサーミ語で湖)
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カイトゥムヤウレの山小屋管理人シーアさん、CIAの名札。。。「ちょっと危険な名前でしょ」って。

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宿泊する部屋のテーブルには体を拭くための洗面器が引き出し式に備え付けられている。  2016-09-12-09-27-07

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氷河が岩を削った跡
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一昨日スタートしたヴァッコタヴァーレからこれから向かうシンギまでは北へ向かうトレッカーは少ない。

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サーミの小屋の跡? 保存したものか、再現したものか、わからない、、、

 

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このあたり、恐ろしいほどの強風に見舞われる。。。15分ほど岩陰に避難。

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シンギの小屋が見え始めた

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スィンギストゥーガン管理棟には ショップがない、サウナもない、、、そのわりにソーラーパネルが何処よりもやたら大きい。

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この三角小屋は映画「太陽のかけら」に出てきたかも、、、
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テウサヤウレの湖畔でモーターボートが来ないことにメッチャクチャに罵ってたおばさんの連れてた犬たち。
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怒れるおばさん、シェルスティンというサーミの人。もう落ち着いたのか、にこやかに色々と教えてくれる。ワンちゃんたちがなつくようにと、餌を渡してくれた。おばさんと違ってとてもおとなしく、よく躾られている。

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ガイドブックに「ボートをひっくり返したような」って書いてあったなあ。。。この山
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やはり映画で見たかも。。。この小屋そのものかどうかは判らないが、、、スィンギは映画の撮られた50年前には避難小屋しかなかったとのこと。。。きっとこれじゃね?

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Day 24 text / 0912

カイトゥムヤウレ→スィンギ

(写真はこちら

目を覚ましたらちょうど管理人のレナさんが今日の天候についてみんなに知らせているところだった。強い西風と時々雨。昨夜の強風よりずっとましな今朝の風。このまま行って欲しい。

ここの管理人さんは、夜ガスの栓の確認に来たり、明朝7時に天気の情報が入ると説明してくれて、今朝そのとおり、きっちり7時に西風強く、にわか雨少々と伝えてくれる。それから、次の山小屋シンギストゥガンには食品を売るショップがないと教えてもらう。そのついでに聞いた話。以前彼女が今日これから行くスィンギにいたとき、ある日本人がケブネカイセ(スウェーデン最高峰)山麓の山岳ステーションにヘリコプターで飛んできて、歩いてスィンギの山小屋にたどり着き、言った言葉が「レストランはどこですか?」だったそうだ。。。でも、人のことを笑えない。僕もスィンギにショップが無いをの知らなかったんだから、、、。

昨日のよくしゃべるおじさんは、今日もこの小屋泊まりらしく、あさからずっとしゃべっている。とても物知りで、親切に教えてくれるのだけれど、こちらの都合は御構い無しに、説明が延々と続く。まあ、僕は時間があるからいいのだけど、、。急ぐ人は困るだろうな。(でも、実は自分の胸に手を当ててかんがえてみると、僕自身の振る舞いを鏡に映したようなところでもある。心しておかないと、、、)

年配のカップルは早めに出て行ったが、僕は今日の距離が13kmほどなので、おしゃべりおじさんの話しを聞いたりして、ぐずぐずのんびりして10時過ぎに出発。

緩やかな登りだが、沢を越えるたびに起伏があるので、登っている感じはしない。吊り橋を渡り、大きな谷の反対側を歩く。川の水は白く濁った薄い灰緑色をしている。氷河を水源とする川の色だ。雨は大したことはなく、パラパラ。

行く手にU字谷が見える。ふと気がつくと目の前3方がU字谷。この辺で氷河が合流してたのか、、、。この辺りで向かい風がめちゃめちゃ強くなる。夜中の風に相当する強さでないか。バックパックカバーが剥がれて飛ばされそうになるわ、オイルジャケットのフードはめくり上げられるわ、もう立ってもいられない。なんとか大きな岩の陰に身を屈めて風を避ける。15分ほどひたすらじっと風が収まるのを待つ。台風のときみたい。

まだまだ強いがなんとか歩けそうになったので、前へ進むが、よろよろ。。。風が息をつくように強さが変わるので、この旅2度目の大転びをやらかす。今回は横風にあおられて、倒れ、膝を打ったが、幸いブルーベリーの生えてる場所で自然のクッションの上。軍手が青く染まった。

スィンギの小屋が数km先に点のように見え始める。あれだけ遠いと見えてる方が、歩いても歩いても着かないので余計に遠く感じる。

今日は大した登りも下りもなかったのに、小屋についたとき、桁外れの向かい風のおかげでやたら疲れてる。早いとこ飯を食って眠りたい。

管理人さんから犬のアレルギーはあるか?と訊かれる。そう、あの犬連れのおばさんと同室。ここスィンギはどうやら犬用の別棟が無いらしい。なんか、気難しい人と一緒は嫌だなあ。

はたして、当てがわれた棟につくと、窓から見慣れた3人が手を振っている。老カップルは別部屋だが、犬のおばさんは同じ部屋。オーストリア、ドイツ、スウェーデンの若者が3人と僕は同じバンクになる。おばさんと犬は隣のバンク。

薪を取りに行き、夕食の準備をしていると、おばさんから話しかけてきた。人嫌いというわけではなさそう。ていうか、よくしゃべる。この辺りは何度も来ているし、冬はスキーやソリで犬と一緒にハイキングをするのだとか。カメラの写真で真冬のKungsledenの景色を見せてもらう。彼女はイェリヴァーレという町が本拠だけど、今はストックホルムに住んでいるそうだ。話を聞くうちに、この辺にも居たことがあるとか、、、この辺って、、、?スィンギの小屋から少し離れたところにサーミの小屋が幾つか見えるが、かつてここには学校もあり、住んでいる人はみな親戚だとも聞かされる、、、。あ、おばさん、サーミ。。。

このトレッキングの後はイェリヴァーレに居る家族のところでこの冬用にトナカイやムースの肉を調理してストックホルムに持って帰るそうだ。

先日のボート騒ぎのときに、おばさんのやたら口汚く罵るその口調がどうもアメリカ臭いと思っていたが、シカゴに住んでいたことがあるという。子供のころは、日本やドイツにペンフレンドがいたとも。ペンフレンド、、、なんと懐かしい!どんな日本人がサーミの女の子と文通をしていたんだろう。。。アラスカでトレッキングした事もあるとか、犬たちはアラスカンハスキーとシベリアンハスキーの混血で、今までいろんな犬と一緒だったが「ハスキーこそ私の犬」とか、、、話が終わらない。

彼女の名前はシェルスティン(Kerstin)といい、英語のクリスティンに相当するとのこと。不動産を持っているのでストックホルムに居るが、家にいると「何か」に呼ばれてじっとしていられなくなり、年に何度も犬たちとトレッキングに出かけるのだとか。いま69歳(げ!僕よりずっと年上)だが、16の頃までは、サーミの人は今のようにヘリコプターや電子機器を使わないで、彼女も家族と一緒に季節ごとに草を求めトナカイを追いながら移動する生活だったそうだ。その時に両親や祖父母から自然の中で生きていく術を習ったのだとか。僕が生木に近い湿った薪をストーブで燃やせるのに感心してくれた。

モーターボートの時間が変わったことや、ルールについても実はシェルスティンさんは知っていて、そのうえ、出かける前に時間外のサービスについても確かめてから来たのだとか。バスで到着するのとは違う時間帯にヴァッコタヴァーレを出て早めに湖に着くことを、STFに問い合わせて、以前同様白いポリタンクを掲げたら迎えが来る、との返事をもらっていたとのこと。

小屋の管理人さんと、STFと、シェルスティンさんと、どこかでボタンのかけ違いが起きてしまっている。もう怒っている風はないが、STFの上層部に報告するとは言っていた。

それより、彼女をルールも知らず情報も持たないで、勝手に自分の経験をふりかざす老人たち、とか思い込んでいた僕が思考硬直して一番老化していたという、情けないオチ。トホホ。恥ずかし。。。

クマのこと、野イチゴのこと、トナカイ肉の処理方法のこと、、、ケルスティンさんの話は食事の後も止まらないが、どれも面白く、ずっと聞いていたい。昨夜、おしゃべりおじさんが教えてくれたブルーベリーとクローベリー以外に、同じように青黒い実があって、それは食べられないとのこと。毒があるの?食べたらどうなるの、と聞いたら、死なないけど、食べてみたら判る、、、って、笑って教えてくれない。。。でも、夜が更けてきたので、残念ながら、この辺でおやすみなさい。


Day 23 photo / 0911

テウサヤウレ→カイトゥムヤウレ

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食欲のない朝はこれだけ。っても、チョコムース食っとるけど。
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クネッケブレッド(乾パン)は、持ち歩いても割れることがない。といっても歯が折れそうなほどでもない。慣れるとなかなか美味い。(が、何かのせないとボソボソして食べづらい)
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テウサヤウレのエクササイズルーム入り口。

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マサカリをシロートが振り回すと危ないけど、オモリの垂直落下でクサビを薪に打ち込むこの方法なら誰も怪我をしない。

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テウサヤウレストゥーガンの管理人、レーナさんとベニットさん。べニットさんはロビン・ウィリアムズに見えてしかたなかった、、、

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森永チョコボールに見える。。。金のエンジェルとか出てきたりして、、、

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雨ざあざあで、あらぬ方向いて写真なんか撮ってる場合か?

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カイトゥムヤウレストゥーガン
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サーミの土小屋を復元したもの。泊まりたかったけど、もう破れてた。。。

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テウサヤウレのレーナさんから、預かり物の手紙をカイトゥムヤウレのレーナさんへ配達する。
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風雨止まず
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水汲み場。掛樋になって汲みやすいが、こういうのは少ない。大抵の小屋は、川や沢からいきなり汲む。
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水浴び場。。。夏ならねえ、、、

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晩飯。マカロニと二日間持って歩いたバナナと、、、クネッケブレッド。
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説明好きでよく喋るスウェーデン人が夜晩くにベリーの違いを説明するために採ってきてくれた。上のブルーベリーに似た小さい実はcråbär。あまり美味しくない。葉っぱが大きく実も大きいのがブルーベリー。赤い実はリンゴンベリー。リンゴンベリーは酸っぱいがジャムにすると美味しい。

 


Day 23 text / 0911

テウサヤウレ→カイトゥムヤウレ

テウサヤウレの小屋を出る前に、昨日見せてもらった薪小屋で「エクササイズ」をやる。太い薪は節があって、なかなか割れない。それでも、僕が使ったよりずっと多くの薪を作る。

出かけるときに、管理棟へ寄ってほしいと言われ行ってみたら、昨日の犬連れの女性は怒って支払いを拒否して出発したとか聞かされた、、、。あ、用事はそれでなく、次の山小屋カイトゥムヤウレへ届けてほしいという封筒を言付かった。こんな所で山の郵便配達夫をやるとは、、、。彼らの居住室に入れてもらい、ついでに色々話をする。今日の行程は9kmと短いので、のんびりできる。

モータボートの朝の時刻が5時半から、と異常に早いのは、ヴァッコタヴァーレのバスが今年からお昼頃の1本になってしまったからだという。そのバスに間に合わせるには朝の早く出ないといけないし、逆にバスでヴァッコタヴァレに着いて、こちらに来ると夕方6時半とかになる。バス会社の都合でおかしな時間になってしまったが、自分たちはどうしようもない、と管理人さんたちは言う。昨日の老人たちはそのことを知らなかったために、泊まったヴァッコタヴァレの小屋からずいぶん早く出てしまったというわけ。しかも、何度もここに来てるので、小屋での情報確認を怠って、長く待たされるハメになったと。。。結局、自業自得なんだけど、それを認められないのが老化なんだろうな。

のんびりしていたら10時を随分過ぎている。午後から風雨が強くなるとのこと。管理人のレナさんとベニトさんに別れを告げて、小屋の裏から急坂を登る。

小一時間ほどで道は緩やかな登りに変わり、あとは高原上の開けたところをあるく。向かい風が段々はげしくなってくるが、今日の最高地点の鞍部に到達すると風が緩む。3つの頂に挟まれた特殊な地形のせいかもしれない。しかし、下りに差し掛かると雨。風もまた強くなる。

下りがまた少しずつ急になる頃、下の方に湖らしい水面が見える。2、3百mは下らないといけないな。せっかく、今朝ガシガシ高度を稼いだのに。

やがて、また樹林帯に入り急流の右岸に至る。川沿いに木立の中の道を進むとトナカイの金網柵に沿うようになる。途中に木でできた出入り口があり、丸太の横棒を引き抜いてそこを通り抜けないといけないのに、サインを見落として柵に沿ったまま数分歩いてしまう。それまでぬかるみにあった登山靴や犬の足跡が無くなっているのに気付き、こりゃおかしいと思って引き返す。柵を越えてしばらくすると吊り橋があって左岸に渡り、1〜2kmも行くと前方の高みに木の葉の間から今日の目的地、カイトゥムヤウレストゥガンの小屋が見える。

小屋は2人の女性が管理していて、最初に出迎えてくれたレナさん(偶然、テウサヤウレのレナさんにと同名)に封筒を渡す。朝の薪割りで遅くなったと言うと、ここでもやってね、と。でも「超重い封筒」を運んだんだから、今日はいいっしょ、ということに。

もう一人の管理人はシーアさんで、スペルはCIA、危険な名前でしょ、と名札を見せながら冗談を言う。

客室棟に行くと、先の小屋で一緒だった老夫婦が先に着いている。犬と一緒の女性はやはり別棟泊まり。一切本棟には顔をださない。人嫌いなのかも。昨日、結構ずうずうしくボートに乗り込んで来た夫婦は、今日は意外と愛想よく、また僕の部屋へ薪を運んでくれたりと気遣いしてくれる。フィンランド同様、高齢者は英語がそれほど得意でないのかも。そのせいでボートでのやり取りがうまくいかないまま乗り込んで来たのかな。

小屋には他にもスウェーデン人やスイス人の男性がいる。夕食後、一緒にサウナで汗を流し、いろいろ話をする。とくにスウェーデン人のおじさん、っても僕より若いだろうが、は話好きで、かつ、英語が堪能なスウェーデン人一般のレベルよりさらに飛び抜けているので、いろいろ話しが弾む。彼の英語をアクセントを聞いていると、ミネソタにいた頃、スカンジナヴィアからの移民の子弟が大学に溢れていて、いや、町や村にスカンジナヴィア訛りの英語で話す人が苦労したことをおもいだす。

スウェーデンに来てからずっと、食堂などで皆がスウェーデン語で喋っているのが聞くともなく耳に入ってくるが、ふとした拍子にあの頃の英語をに聞こえてしようがない。たまに、僕の英語のアクセントが米中西部の北部のものだと言い当てる人がいるが、、、ま、そんなこたあ、どうでもいい。

昨日の小屋で買ったジャムがリンゴンベリーのだったので、ブルーベリーと一緒に木に生っていた赤い実がそうなのか尋ねてみたら、大きいのじゃなくて小さい赤いのだ、と話好きの人が教えてくれる。なるほど、僕は何度か赤い実を食べてみたが、まるで味がなかった。根が欲どおしいから損をしていた。でも、小さい本物のリンゴンベリーを食べてもやたら酸っぱいらしい。ちなみにブルーベリーのモドキ(kråbär=crawberry=カラスのイチゴ)があるそうで、こちらは小さい方が美味しくない、と、話の最中におじさんは外へ出て行き、戻ってきたら、ブルーベリーとkråbärとリンゴンベリーを積んできてくれた。さらに、幸運ならHjortronという黄色いベリーも見つかるかも、とか。とても高価なので、ブルーベリーとともに外国からの労働者が摘みに来るらしい。ソルセレンで見た、袖やズボンの裾が青く染まった作業着を着たタイ人の一団を見かけたが、タイ料理の屋台のオヤジさんがベリー摘みに来てる人らだと言っていた。

夜中になって、風がすごい。山小屋が揺れている。眠れるかねえ、、、(外でテント張ってる強者のドイツ人青年がいるが、大丈夫かね。。。)