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Day 09 text / 0828
シベリア鉄道を始点から終点まで乗り通すロシア人は少ない。殆どの乗客はそこそこの区間で乗ったり降りたり。足かけ一週間のうちに僕の周りの乗客も殆ど入れ替わった。ここに書かなかったけど、他にも挨拶や言葉を交わした人は大勢いる。ロシア人もいればロシア国籍の他民族や外国人、、、 キルギス、ウズベク、ブリヤート、エヴェンキ、モンゴル、中国、韓国・北朝鮮、イギリス、ドイツ、ポーランド、オーストラリア、、、書き切れないくらいインターナショナル。
日本の旅行社はシベリア鉄道の3等寝台切符を売らない。危険だとか、盗難の恐れだとか、いろいろ理由はあるのだろう。一番最初に出会った日本語を話し、日本に住んでいるロシア人女性からも、3等では気をつけて、とアドバイスされた。じもっちのアクバルくんですら席を離れるとき、充電中の携帯を見ておいて、と頼んできた。でも、それくらいのことは日本でも不特定多数の人が行き来する場所なら常識の範囲内。
外国人旅行者は3等に物好きで乗っている。貧乏でこれしか乗れないわけじゃない。いっぽう、ロシア人や出稼ぎの人たちは経済的に他の選択肢を取りにくいのかもしれないが、みんな普通の、、、というか、普通以上に親切で気さくな、好奇心の強い人たち。プライバシーもへったくれもない、言ってみれば昔の長屋暮らしのようなものだ。
一方、例えれば現代のマンションのように隔離されたコンパートメントの1等や2等に乗って、もしも一人なり三人なりの相方たちとウマが合わなかったら、、、それに、嫌な言い方になるが、手癖の悪い人が同室だったら、、、そんな可能性を考えてしまう僕は性格が悪いのかもしれないけれど、、、いくら3等より安全と言われても一向に居心地が良さそうには思えない。
今までパックパック背負ってよく旅したけど、僕は個室よりドミトリーが好きだ。世界中からいろんな種類の人間が集まってきて、面白い出会いがあり、ファーストハンドの旅の情報を交換できる。
シベリア鉄道の3等開放寝台の旅はそれより更に良い。乗客は様々。旅が目的の観光旅行者もいれは、仕事や勉強という生活の一端として移動のための旅をしているひともいる。旅先のドミトリーで溜まっていても得られない経験ができる、、、つまり、普通の地元の人たちが生活を引きずって、向こうから乗り込んで来てくれるのだから、物見遊山の旅人としてはたまらない。
てなことを書いていると、アジア系の若者に、モンゴル語で話し掛けられる。充電にアダプターを使いたいらしい。電気のお守りはもう引退させてよ。。。きのう、モンゴル人のバトエルデネさんと話して、ちょっとモンゴル語に自信がなくなってきたので、英語は?ってきいたら、普通にできるよと返事が。。。メシ前まで30分をど雑談。トゥプシンシントゥグス(トゥプショー)くんはモスクワの大学に留学中で休み明けに戻るところ。アニメ見て英語をおぼえたって。あと、英語ができないとロールプレイング・ゲームができないとも。彼の場合は英語がだけれど、オクサナさんやニコくんなどもアニメをきっかけに異文化への理解を深めた人たちに出会うと、たかがアニメと言って見下している人間の視野がいかに狭いか、、、と思わずにいられない。
実は列車の長旅に備えて、80年代に一度読んだことのある小林信彦「翻訳」、W.C. Franagan「著」の「ちはやふる奥の細道」を持ってきている。アメリカ人若手俳句研究者という触れ込みの架空の著者が、知ったかぶりの限りを尽くして、芭蕉の生涯を下敷きにして、有る事無い事、荒唐無稽な説を開陳するという本。最も簡単な例として、侘びと寂びが凝縮してワサビとなった、みたいな事や、江戸期日本や芭蕉に関する事柄をアメリカの音楽や映画・テレビなどの芸術芸能を引き合いに出して脱線しまくる、底が浅いにか深いのかわからないトンデモ比較文化研究などなど。しかし、シベリア鉄道3等開放寝台車輌内での生活は、想像をはるかに超えて多忙。 日記を書く時間にも事欠くほどで、今日までの一週間で僅か三分の一しか読めていない。
午後からずっと5号車のシン子さんと話し込む。話は多岐にわたるが、半分以上、僕の旅自慢話になってしまう。これはイケマセン。ただその中で、判ったのは、京都やウィスコンシンなどで彼女の人生の航跡と僕のそれとが何度も交わり、しかもそれらの交点は奇跡のように時期まで一致するということ。この次は、僕より十ほど若いけど、僕よりずっと人生経験の豊富な彼女の話を聞かせてもらいたい。単に、シベリア鉄道に20回以上乗ってるっていうだけで、もう「恐れ入りました!」でしょ?
さて、例の芭蕉本は読了できないので、シン子さんにお貸しする。ニコくんやオクサナさんには荷が重いだろう。それは日本語能力の問題ではない。小林信彦が一行ごとに埋め込んだ仕掛け、行間にまで溢れ出すパロディーのイタズラを咀嚼するには、少なくとも(「古き良き」アメリカの ニオイに満ちていた)80年代までの日本の空気を直に吸っていないと殆ど不可能だ。出版当時、クソ真面目にこの本の架空の著者の理解の浅さを批判した書評があったとか。日本人のプロでさえそんな有様だから、オクサナさんたち外国人 には無理、というのではなく、単にジェネレーションの問題。シン子さんは、ページを繰りながら、あ、これわかる、こっちも知ってる!と喜んでくれる。僕と同じ年頃のお姉さんとシェアして読み、分からない所は訊いてみるそうだ。喜んでもらえて嬉しい。いつか京都に来られる時に返してもらえたら、荷物の重さも送り返す手間も減って僕も嬉しい。
明らかに中央アジア系の若者が、いつの頃か時々僕の前の席が空いてるとやって来て座り、僕の顔やiPadを黙ってガン見する。初めのうちは若干キモい感じがしたが、当てずっぽうに、ウズベク?て聞いたら黙って頷く。モスクワへ?ってロシア語で訊いたら、また黙って頷く。。。あ、そうか、口をきかせる質問すればいいのだった。もう何度も使ったのでソラで言える、お名前は?の砕けたバージョンで訊いてやったらやっとサイーフと喋ってくれて、僕はコウジと返したら、二って笑う。でも何となくさびしい笑い方。僕は人の名前をすぐに忘れるので、メモ帳に書いてと頼むと、ささっと書く。それ以降はサイーフくんと顔を合わすと、お互いニッコリするようになる。
もう一人気になるひとがある。斜め向こうの席にいるスキンヘッドのおっさんくさい若者を見ていると、まるで日本人のように見える。 思い出せないけど、日本のどっかで会ったんじゃないか。。。ガタイはデカイが、目が合うとなんか柔和に微笑み返しててくる。こちらから名前は何?ってロシア語で聞いてみた。バザルバイ・カラバフショフ、キルギス人だって。。。えっ?またキルギス?名前が長いのでニックネームを聞き出すのに30分くらいかかる。僕のつたないロシア語とトルコ語ではラチがあかず、結局モンゴル人のトゥプショーくんに助けを求める。ほぼ絶望的に言葉が通じないのに、アクバルがいなくなって以来、一番仲良くなった人。FB友達リクエストまでのもらっちゃう。もち即ok。
通路向かいのおじさんエフソンさん一家もパンをシェアしてくれたり、しんせつ。彼ともロシア語とトルコ語しか通じない。日本を出る前に、トルコ語ネイティブ話者の友人から、僕のトルコ語はヨーロッパでとても大切な財産になるよ、と言われたけど、彼は買いかぶりすぎ。ああ、もっと勉強しておけばよかった。。。
Day 08 photo / 0827
Day 08 text / 0827
前にも書いたが、ここの文章はほぼ僕の覚え書きで、思いつくまま、あったことをダラダラしたためてるだけなので、めんどうなら別にアップする写真を見てもらえたら、と思う。
次から次にいろんな人と出会うので、飽きるどころか、書くことがどんどん増えて、夜にいっぺんに書き切れない。寝れなくなるとこまるので、昼間にも暇を見つけて記事を書いてると、作家と間違えられる。このとことと、ちょっとキーボードにへばり着きすぎてるな。。。でも、しまいには「今日も1日書き物して暮れた」だけでおしまいになるかも。
さて、今日は世話になったアクバルくんがチュメニで降りる。朝から色々と食べ物をすすめてくれる。車内販売のおばさんからサムサを二つ買って一つ僕の前に置いてくれる。彼はまだ22なんで、僕がお礼におごらなきゃならないのに、、、
サムサの中身はビーフと玉ねぎ。美味いねえ。お返しにミックスフルーツ&ナッツとチーズ、ソーセージを切って差し出しす。それ何の肉って訊かれる。え、、、し、知らん。あ、いかん!忘れてた。彼はムスリム。申し訳ない。。。ハラルについて知らないわけじゃないのに、うっかりすると危険だ。
今のいままでアクバルくんはキルギス人だと思っていた。彼はキルギスで生まれたのでキルギスのパスポートを持っているが、家族とロシアに住んでるからロシアのパスポートも持っている。しかも、家族はみなウズベク語を喋ってるって。。。その上、おばあさんはウイグル人だと、、、もう、意味わからん、、、
今日もコンセント争奪戦が激しい。僕のプラグ変換アダプタはふた口なので、日本仕様の平たい電極のプラグとヨーロッパ仕様の丸棒二本のプラグがそれぞれ一つずつ突っ込める。しかも日本から持ってきた大容量のAD-DCコンパータは、うUSBがふた口あるから同時に3人が使える。しかし、失敗したのは僕のコンパータががかさばって、プラグをコンセントにしっかり最後までさしこめない。ガムテープとビニールテープでなんとか壁にくっつけてあるが、直ぐに不安定になり、電気が途切れる。おかげで僕は電気番のおじさんと化して、数分に一度、必ず振り返って通電を確認しなければならない。
停車中に下車したら、ちょうど英国人のニコくん、ロシア人のオクサナさんと一緒に、うわさの日本人、シン子さんが立っている。隣り合わせの三等車に都合4人の日本語話者がいるなんて、、、。初対面のシン子さんは僕がこれから向かうスウェーデン北部に在住だそうで、いままでこの路線を20往復以上したけど、ほとんど日本人にあったことがないという。ううむ、、、。彼女が出会わなかっただけなのか、それともこの出会いはそれほど稀なことなのか。。。僕は、運命主義者じゃないけど、この099号はとってもマジカル・ミステリー・トレインだと思う。(惜しいな、あと一つ、0が9だったら、、、w)
シン子さんが、どちらから?って聞くので京都と言ったら、えー?わたし(京都市の)山科に長いこと住んでた、って。また、英語が上手だけどどちらで?とも尋ねられたのに、ウィスコンシンって答えたら、また、ええー?私、パークサイド!って。僕はマディソンで、それぞれウィスコンシン大学の分校と本校。
紅茶のお湯を汲みに行ったら、チャンくんが怖いと言っていた北朝鮮の人からロシア語で声をかけられる。僕が朝鮮語が少しできます、と答えるとダダーっと喋られて全くわからない。僕は日本人んで云々の自己紹介や初対面の挨拶をしたら(それくらいは何十年たっても丸暗記で音で覚えてる)、またダダダー、、、名前がキムさん、仲間とモスクワへ行くのだとか。しかし、僕を何者だとおもったのかな?(うっかり「韓国語」って言いそうになる。きをつけなきゃ。。。)
その次、どこかの駅で一人ぶらぶらしてたら、キムさんがベンチから手招きしてる。一緒に座れと言われ、腰掛けたらタバコをすすめられるが、タバコ=タンベは言えるが吸えないと表現をを思い出せない。申し訳ないけど、タバコを「する」ことが出来ません。と言ったらなんとか解ってもらえる。実はタバコはちょっと古臭い日本語と同じく「飲む」と言うのだけど、飲むという基本単語すら思い出せず、後の会話も四苦八苦。ただ、鉄道員という単語が聞こえたので、シペリア鉄道員には平壌につながる枝線があるから、極端に外国にに出にくい北朝鮮の人の中でも、鉄道員は別格なんだろうな。ランニングシャツを着て日焼けした小っちゃいおっちゃんたち、エリートなのかも。
列車の中で朝鮮人とは明らかにちがう、東洋系のおじさんが僕の側に座って何か聞いてきた。今度はバト・エルデネさんというモンゴル人。先日、プリヤートのツェレンくんとのやりとりで、ずいぶん思いだしたつもりのモンゴル語も、ネイティブの話者がちょっと凝ったことを聞いてくると全くわからなくなり僕が答え、に窮する。いっしょに来てる娘は英語ができるとのこと。
娘のシュルさん登場。英語は不自由なく話せる。おかげて、現在のモンゴル国やウランバートルの状況をきくことができる。驚いたことに、ウランバートルには20年ほど前まで戸別の住所表記が無かったのに、バト・エルデネさんはスラスラと住所を書いてくれた。むかし、お世話になったツェレンドルジさんのアドレス、今は何と表記するのかなあ。。。話は違うが、ツェレンドルさんの息子オロスにもしも今会えば、パト・エルデネさんと同じ位の年頃なんだろなあ。
オムスクで30分ほど停車中に、また日本語の四ったり集まって話する。ふたたびシン子さんが、新婚当時は一乗寺にも住んでいたとか言い出して、めっちゃローカルな話題に。。。
しばらく隣で一緒だったお父さんとお嬢ちゃんとはオムスクでさよなら。彼らからお菓子をいっぱいもらった。もらったキャンディーの包み紙で昨日折り鶴を折ってあげたら、本当に大事そうにオリガミを受け取ってくれたが、別れ際に名前を訊いたら、オリガちゃんだった。オリガにオリガミ、、、(す、すんません、、、)
5号車に初めて遠征し、すっかり暗くなるまで例の四人で話し込む。中国の人が一人加わっているのでほぼ英語。英国人のニコくん、米国留学経験のシン子さんはもちろん、オクサナさんも英語もできる。アニメ、食べ物、旅行、その他諸々の雑談だけでなく政治や民族の話になるが、ここでもまたお菓子がいっぱいでてきて、お腹が減らない。(したがって買い溜めたインスタント麺も減らない)
自分の席に戻る途中、連結部でたむろしてタバコを吸ってる。やんちゃな中高生が校舎裏に隠れて吸ってるるみたいだな。
真夜中、チュメニが近づきアクバルくんとブリヤートのアンドレイくんが起き出して、荷物まとめたりベッドの布団を丸めたり、シーツを車掌に返したり、忙しく落ち着かないそぶり、彼らもまた連結部へ行って一服してくる。禁煙したいって言ってたのに。
チュメニは思ったより大きい。市街地に入ってから駅に停車するまで時間がかかる。真夜中なのにそこら中が明るい。駅も立派。ガスや油田で潤ってるのかな。だったら何でアクバルくんたちは韓国へ出稼ぎに行ったんだろう。てなことを聞いてる余裕はなく、一緒に撮った写真の交換をFBですることを約束して、ホームまで見送りに降りる。いっぱい礼を言いたいのに、あまり言葉が出てこない。ただ、2年間も家を離れていた後にお母さんに会う彼の気持ちは、僕も学部生の時はお金がなくて丸2年日本に帰れずにいたから、よく解る。京都駅のホームまで迎えに来てくれた母をアメリカ風にハグしたら固まられたのを思い出す。アクバルくんと握手しながら、さっさと行け!母ちゃんに会いたいんだろう!って言ったら、彼にハグされた。笑
さよなら ハーヤ