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『アラバマ物語』の前に・・・

中学一年だったと思う。学校の映画鑑賞で観た『アラバマ物語』は、その穏やかなモノクローム映像のオープニングとは裏腹に、中学生にもなって未だ単純で世間の狭い子供だった僕には、理解を超えた差別社会の不条理が渦巻いていて観るのがしんどい映画だった。

主人公スカウトの父親アティカスはそんな映画の中で、僕にも解りやすい実直な弁護士として描かれていた。父のいない僕には、黒人青年の冤罪を晴らすために法廷で理路整然と反証をあげる姿が頼もしく、そしてそんな父をもつスカウトが羨ましくもあった。

映画化のあと、暮しの手帖社から小説の和訳版が出ていたけど、映画で植え付けられた「しんどさ」の所為か、ハーパー・リーの原作は読んでいない。そのころ母が購読していた『暮しの手帖』に『アラバマ物語』の広告が出ていて、表紙にはスカウトの写真が使われていた。ストーリーのしんどさとは裏腹に、映画の登場人物は魅力的だったから、その写真を夢中になって鉛筆で模写したのを今もはっきり思い出す。

絵には描かなかったけれど、理不尽な社会に立ち向かうアティカスの姿は僕の理想の大人として心のなかに刻まれることになる。原作を読まずに原作を語る資格は無いが、少なくともあの映画は僕に社会の理不尽さを教えてくれたし、謹厳実直なアティカスの姿はそれに呑み込まれない生き方をしたいと思わせてくれた、と言える。

今日、ニュースでハーパー・リーによる続編の小説が出たことを知った。『アラバマ物語』の20年後、そこに描かれたあの正義の弁護士は年老いて、こともあろうに白人至上主義結社KKKに傾倒しているという。アメリカの「良心」(そんなものが実際に存在するかどうかは別にして)を象徴してきた、あのアティカスが。。。と、失望の声が上がっているという。

人が不変たり得ないのは百も承知。誰しも歳とともに頑迷になったり、ときには信条や人格まで変わってしまうこともあるのも分っている。だから、僕にはアティカスの変節自体に戸惑いはない。ただ、心の中では不変だと思っていた大切な礎石をひとつ失くしたような淋しさを覚える。

『アラバマ物語』も未読の僕が、今すぐ続編『Go Set a Watchman』を読まないだろうが、もしも読んだら、50年前の映画に感じたのと同じ「しんどさ」を背負い込むことになるだろう。なにしろ続編の内容を伝えるニュースだけですらこんなことを書かせるほどなのだから、、、

『Go Set a Watchman』は『アラバマ物語』(原題:”To Kill a Mockingbird”)より前に書かれていたという。アティカスの変節を逆順で描いたハーパー・リーはきっと非凡な作家なのだろうなと思う。


追記(2023,11,17):ハーパー・リーが「アティカスの変節を逆順で描いた」のは、先に書かれた、つまりリーの初作(というかドラフト)である『Go Set a Watchman』が未成熟だと判断した編集者のテイ・ホホフが、スカウトの少女時代を物語にするよう提案したからだ、と当時のNewsweekの記事に出ていた。

漫画や小説、エッセイなど出版される作品への編集者の影響力は相当大きく、編集者の力量が文字通り良くも悪くも作品の質まで決めてしまうほどだ。全てがそうだというわけではないが、名前の出ない共著者と言っても大袈裟ではない。ホホフについてはよく知らないが、Newsweekの記事を読む限り、かなり見識の高い編集者だったのだろう。それはホホフの関わらなかった、というか出版を許さなかった『Go Set a Watchman』が、8年後の現在ではもはや誰もその名を口にしなくなったことが逆に彼女の功績を際立たせている。

まあ、書かれた順、作品の出来はともかく「アティカスの変節を逆順で描いたハーパー・リーはきっと非凡な作家なのだろう」という僕の感想は変わらない。

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煮桃

2015-07-23 01.51.16Mod僕はアレルギー反応が酷いので桃が食えない。

桃だけじゃない。反応が出るのは主にバラ科植物の生の果実、すなわち、桃、スモモ、サクランボなどなど。。。

ただ、熱を通したジャムやコンポートなどはOK。

だったら、モモも煮たらいいじゃん?!と去年やってみて大OK。甘味は失われず、皮もツルンとむき易い。

今年もモモをいただいたので、早速、桃煮に。

沸騰したら弱火で10分、都合15分ほど茹でたが、皮付きで煮るので果肉から甘味が水に滲み出さないので、めっちゃあま~い!!!

ただ、茹で上がって、皮を剥いているとそこはかとなくワイセツ感が漂うのでありまする。


Madisonの部屋

いつだったか、おふくろのフィルムスキャナで院生時代の作品スライドをスキャンしたことがある。その中に作品じゃないスナップショットも幾つか紛れ込んでいた。

古い写真を探していて、ネットワークにぶら下がっている別のマックを漁っていたら、散らかった学生アパートの部屋の一枚が出てきた。壁のカレンダーにはNovember 1989とあるが、はて、、、あのころは、Mifflin St. のアパートだったか、Marion Hallか、その裏のFrancis Apartment かも、、、

壁にはキャンパス・ムービーの予定表が4種類も貼ってある。学内のいろんな映画サークルが毎日どこかの教室や講堂で映画を上映していて、安い学期の通し券を買って名画のハシゴをしたものだ。小津や黒澤の映画を初めてちゃんと観たのもMoorheadやMadionのキャンパスだったなあ。

よく見ると机の上に日本語ワープロが立てかけてある。学部生の頃はコンピュータ・サイエンス学科に出向いてApple IIeでペーパーを書いていたが、もうこの頃はMacが出ていた。ただ、おっそろしい価格で学生の分際でおいそれと買えるシロモノではなかった。代わりにスペルチェッカーの付いたワープロ専用機を日本から持って帰って、ペーパーからレジュメ、スライドマウントのラベル作成にまで使っていた。機種は文豪ミニ5だったかなあ、、、アメリカの110Vの電圧に耐えられず煙を吹いたりしていたが、よう働いてくれた。

Liteのビール缶があるが僕のじゃない。誰かが遊びに来て残していった空き缶を、折れたカッターナイフの刃入れにしていたやつだと思う。救世軍のリサイクルショップで買った電気スタンドも懐かしいなあ。その横に学部生の頃から今も使っているスライドケースも写っている。まさにこの写真のスライドが入っているやつだ。電話機はTime誌を定期購読してもらった安物のちゃっちい景品。床のダンボール製書類ケースはまだウチの押し入れで現役だし。。。

ああ、、、とりとめもなく下宿部屋の写真を眺めているうちに、四半世紀前、地球の裏側で使っていたあの椅子やカウチの手触り、座り心地まで思い出してきた。

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