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2001 Space Odyssey, 2015 Apple iMac

A couple of weeks ago, a friend of mine asked me to soup up the RAMs of her iMac. It was nothing special– rather an easy job,  but for some reason, I couldn’t shake off a déjà vu sort of feeling as I was removing the lid and pulling out the movable rack with RAM slots.

白いエンドのレバーを引いて、メモリスロットのラックを引き出す

Aha! the EVA “pod”– in the movie “2001: A Space Odyssey”, there are a few scenes that depict the egress and ingress sequences of the pod at the bay hatch of the spaceship Discovery.

http://i.ebayimg.com/images/g/gy0AAOSwD0lUgmI6/s-l500.jpg

How the RAM rack comes out of iMac’s RAM bay resembles the way the pod is pushed out of the bay, and there are even a pair of levers that remind me of the pod’s robotic arms.

メモリ・ベイの蓋
RAMのラック(収納時)
RAMのラック(展開時)

Well, the pod is white, globular and stored behind the circular hatch, while shape of the iMac’s RAM rack is not even close to that of the round pod, and the lid of the RAM bay is rectangular. (BTW, the corners of the lid are rounded, which as such is another “space-ish” stuff, though.)

https://s-media-cache-ak0.pinimg.com/474x/52/bd/82/52bd82e409f67b3998bfb7f45dcc371d---a-space-odyssey-sci-fi-movies.jpg

You may not find what I’ve written above is reasonable. However, what I am talking about is just a matter of imagination. I you are lacking an imagination power,  I am not about to push my hallucinative fancy against you, though.


P.S.   (talking about the EVA pod and… )

There are some terminal devices that seem to be a kind of tablet PC. With their bezels and bodies so thin, those tablet PCs look more advanced than present day iPad and Android tablets. Although the iPod is the ancestor of all those iPads and iPhones, today’s iPod touch isn’t that big to be compared with the ones in the movie.

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iMac 27 inch 2015 lateのメモリ追加

去年の夏、僕が長期の旅行に出るので知り合いがあわててiMacの買い替えの相談を持ちかけてきた。長いこと(2006年から!)使ってきたポリカの白いiMacがいよいよヤバイかったので随分以前から新機種の導入を促していたのにぃ、ったくぅ、何でみんなケツが重いんだ?

古いマシンの入れ替えにしてもセキュリティにしても、カネはかかるが安全には代えられない。なのに平気で目を瞑れる神経が理解できない。

まだ使えるのにもったいない?そう、その通り!それなりに知識や技術があれば古い機械でもカネをかけずに大事に使い続けられる。けど、どなたもそういうことには頭も時間もエネルギーもこれっぽっちも使いたくないらしい。手間もかけず、勉強の努力もせずに財布にやさしくなんて、、、ご都合主義もいい加減にしてよ、ふんとにぃ。(と言いつつ、そういう人たちから古くなったMacをせしめて来ては使ってる僕は詐欺師か、、、極悪人やな(笑)

ま、それはともかく、知り合いは目出度くiMac 2015 27 inch Late モデルを導入。ところが購入時にiMacのRAMを標準の8GBから増設を依頼すると2〜3万円ふんだくられるので「んなもん、自分でやったら半額ですむわい」と他人の財布事だけど、ここはひとつ正義感からがんばってケチってしまった。(こうやって、いつも懲りずに手間を増やし、自分の時間を削ってしまう。
(;´д`)トホホ… )

白いエンドのレバーを引いて、メモリスロットのラックを引き出す

ところがそのまま旅に出て、その後彼女も僕もすっかりメモリのことを忘れてしまっていた。IllustratorとPhotoshopを同時に立ち上げて着物関係の結構ヘビーな仕事をする人なんで、たちまちメモリ不足が露呈。しかし元々がメモリ4GB(実質は3GB!)の超古いMacを10年も使ってきた人だから、メモリ不足によるスワップでの速度低下など気にならないらしい。

昔のマカーが黎明期のグラフィックソフトで1クリックしたら作業完了までタバコ1本吸えたとか、コーヒー飲みに喫茶店に行ったとか、豪語していたのを思い出した。実際、僕も20年以上前、当時最大級の128MBのRAMを積んだWin95機を使っていたのに、グライダーの図面を精密スキャンして合成しようとしたら、とたんに何分間も反応が無くなり、すわ故障か?と慌てて友人に相談したことがある。未熟だったなあ、、、あの頃(遠い目)

閑話休題。iMacのオーナーはメモリ不足の不具合なんのその、ガシガシと仕事をしていたのだけれど、ヒョンなことで僕がそのMacの設定をしていて件の問題に気付いた。幸いiMacのメモリ・ベイはどのモデルもアクセスが楽チン。今のは工具さえ要らない(ことになっている、が、指先ではとうてい開かないのでドライバーでも箸でも、尖った棒っこが要る)。

電源ケーブルを本体から抜き、隠しボタンを押すとメモリ・スロットを覆うカバーが浮き上がるので、それを剥がし、露出したレバーを引けばメモリ・ラックがせり出してくる。標準状態だと空きスロットが2列あるので、用意したDDR3のRAMを差し込む。レバーを押し戻し、カバーで蓋をして、電源ケーブルを差し込んだら作業完了。

使ったメモリはこれ。(Komputerbay 16GB 1866MHz SODIMM iMac ( Late2015 27インチRetina 5K )用メモリ8GB x 2)


痛風発作!!!(注意、痛いのが好きな人、必読。そうじゃない人、見ないでね)

昨日の夜、花脊の松上げが終わる頃、左足親指の付け根がムズムズし始めた。友人宅にもどって雑談しながら、だんだんと痛みに変化するのを感じたけど、心配させないように何食わぬ顔で車に乗り込み、帰途についた。。。が、実はこの時点でもう踵でしか立てないほどの激痛になっていた。

乗っていった車がオートマで良かった。。。花背へ行く前にFBで松上げに一緒どう?とお誘いをかけたけど、誰も来なかったので危うく小っこいやんちゃ娘のFiat Cinquecento嬢にするところだった、、、この足じゃクラッチ踏めんもんね。やべ。

10年ぶり?かそれ以上ぶりの発作。人生でまだ数回しか経験していないが、この「錆びた5寸釘が足を貫通した」ような痛さは絶対好きにはなれないな。ザリザリに錆びた釘が足裏に刺さったまま歩くのを想像してみ?よほどの変態でないかぎり嬉しくはない。

痛みといえば、、、ラグビーでの指や肩の脱臼とその整復に失敗して神経や血管を挟んだ時とか、バイク屋自転車の事故の怪我などいろいろあるが、それらより痛かったのが:

⑥麻酔なしで手のひらの3cmの傷を縫合 < ⑤人差し指の爪の下に刺さった木のトゲ除去のため麻酔なしで爪の切開と部分除去 < ④脊柱管狭窄の腰部鈍痛 < ③膀胱炎による膿と血液による尿道激痛 < ②痛風発作 < ①十二指腸穿孔による腹腔内への胃液漏出

つまり痛風はこれまでの人生で2番めの痛さ!

最近ずっと昼間は涼しい地下室に篭りっきり、そして昨夜の花脊はむしろ肌寒さを感じる程だったので汗などかくわけもなく、かと言って夏場は痛風を警戒して水分を良く摂るように心がけていたのに、、、もちろん痛風の処方薬をもらっているから欠かさず飲んでいる。全く心当たりがない。

原因はどうあれ、現実に親指から拇指球にかけてパンパンに腫れている。熱も持っている。じっとしていてもズッキンズッキンと自分の脈ですら痛みの元になる。そのうち足だけでなく脚全体も痛みはじめた。放散痛の一種かな。どうにかしなきゃ。

冷蔵庫の奥にいつのかわからない(おそらく10年以上前の)ボルタレン坐薬と6年前の頚椎手術で貰ったロキソニン錠剤があった。痛風の痛みにはボルタレンがよく効くが如何せん古くてキモい(だったら捨てろよW)。ロックスの方は若干新しいが果たして痛風に効くのか?それに胃に悪そうだし、、、。で、あれこれ天秤にかけたうえで後者を選択。

ロックスは腎機能を阻害するらしいので、尿が出にくくなるおそれがある。としたら尿酸排出もできなくなる。まあ、発作の急性期にあまり急激に尿酸値を降下させるのも炎症や痛みを激化させると聞いていたので、とりあえず少しずつでも尿が出てくれたら良しとして、まずは痛みと腫れの軽減。

僕は普通の人より痛みに対して耐性があるらしいが、6年物のロキソニンがなかなか効いてくれず、明け方まで寝付けなかった。かといって本でも読めるような状態じゃないし、お茶とたまたまあった百均のクエン酸入り梅ドリンクをがぶ飲みしてはトイレに行くのを夜中繰り返した。お茶のカフェインは利尿剤だし、クエン酸は血液のPh値を上げてアルカリ化し、析出した尿酸結晶の溶解を助ける。(寝れなかったのはお茶のせいかもw)

そのうえに、やはり6年前のフェルビナク経費鎮痛消炎剤をドボドボになるくらい塗布したり、冷凍庫から保冷剤出して患部を冷やしたり、、、それにしても痛みの夜は長かった。。。

空が白んで鳥とセミが鳴きだすころにウトウトし、トイレに行きたいと思いつつやっと眠り込んだ。朝8時半ごろ目が醒めて、かかりつけの医者のいる病院に連絡した。リウマチの名医だそうで予約診療しかしていないけど、事情を説明して無理やり予定に突っ込んでもらう。

で、ふと気がついたら痛みが半減してるじゃない!!!

薬が効いたか、水の大量摂取と尿の大量排泄のおかげか、、、なんでもいいけど、おかげで車まで歩ける。運転も問題なし。

病院で待つこと2時間。痛みはどんどん引いていく。診察の順番が回ってきたころには、ほんの少しびっこを引くくらいで済むようになった。案の定ボルタレン坐薬を処方され、現在使っている痛風薬を変えようということになった。血液検査を受けて次回の診察予約をして、薬局で薬を受け取り帰宅。

でも、結局のところ家に戻ってから鎮痛剤も貰った坐薬も使っていない。ロキソニンの効果はとっくに切れているはずだけど痛みも腫れも熱もほぼ皆無。今も水分の大量摂取は続けているのだけれど、それだけでこんなに劇的に治るもんかね、と首をかしげているところ。寝不足なので今日は早く寝よう。ってももう夜中の1時じゃん。ぐっすり眠れそうなのでその間の水分補給はできない。さてそれが凶と出ないことを祈りながら、おやすみなさい。


花脊八桝、一日遅れの松上げ

15日の雨で一日延期された花脊八桝の松上げに行ってきた。松上げの行われる河原の横を明るいうちに通ったら、ほんの数人のカメラマンたちが場所取りをしていただけで、早くから混雑する例年とは様子が違う。それでも高さ20メートルの大松明(灯籠木=トロ木)は既に立てられていて、周囲には1000本あるとも言われるたくさんの小松明(地松)も河原を埋め尽くしていた。

昔、松上げは火伏せ(防火)の愛宕信仰と盆の送り火が結びついたもののようだ。京都北山(市内〜府下)の各地で行われていたらしいが、現在は十数カ所のみという(こちらのブログに記事の末尾に他地区の松上げレポートのリンクがある)。僕は花脊地区に住んでいたので今回の八桝はもちろん、近隣の広河原、その先の中央分水嶺である佐々里峠を越えた由良川水系にある美山鶴ヶ岡の松上げも見たことがあるのだけれど、雲ヶ畑の松上げはまだ知らない。玉入れ競技のような放り上げ松を投げ上げて上空の松明に点火する他地区のとは異なり、雲ヶ畑のそれは広さ8畳もある大松明に年ごとに変わる火文字を燃やすといういもの。こちらもいつか見てみたいな。

さて、日暮れ前に八桝を通り過ぎ、大悲山峰定寺のある寺谷に住む友人ちへ。そこで古くからの知り合い夫婦も合流し5人で午後8時半ごろに八桝へもどった。9時ごろ点火と聞いていたが、夥しい数の地松は既に燃え盛っていた。祭りの初っ端、提灯を先頭に法被姿に草鞋履き、松明を手にした男集の列が川の対岸のお堂から灯籠木の待つ河原へ向かうところは見逃してしまった。

いつもなら川岸は大勢の見物客でごったがえし、場所取りに一苦労なんだけど、今年は松上げ開始時刻になっても閑散としていので好きなところへ行って、好きなだけ見られる。何年か前に一度やはり天気が悪くて空いていたことがあったらしいが、こんなの僕は初めて。日程延期に対処できない団体ツアー客は来ないし、京都の五山送り火と被ってるし、予想(期待!)していたとはいえちょっと拍子抜け。ゆっくり気持ちよく見れた反面、盛り上がりに欠ける、と言ったら勝手すぎるか。でも、松明を投げ上げる人たちも張り合いがないと思ったのか、心なしか勢がなかったように感じた。

それでも、やがて地上20メートルの大松明に投げ上げた火が入り、勢い良く燃えている真っ盛りに灯籠木を倒すクライマックスはいつ見ても迫力がある。ある年、倒れる方向の延長線上で見ていたら川を挟んだ対岸に居たにも関わらず、衝撃波のような熱気を感じたほどだ。いつもより静かだった  今年もその迫力は変わらなかった。

広河原の松上げでは男達数人で竿を抱えて地上に落ちて燃え盛る大松明の中に飛び込んで、炎を掻き上げる「突っ込み」ということをする。あれを見るといつも上海事変で長尺の爆弾を抱えて敵陣に突撃し爆死し英雄に祭り上げられた元祖特攻隊「爆弾(肉弾)三勇士」を思い起こすんだけど、まあそれはどうでもいい。突っ込みは八桝の松上げでも昔はやっていたというが、僕は憶えがない。

松上げに参加した男たちは火の始末を消防団に任せ、提灯を先頭に伊勢音頭を唄いながらお堂に戻り、その中で輪踊りを続ける。僕の隣に座っていた地元のおばさんは行列がずっと向こうの橋を回って僕らの目の前を通り、お堂へ戻るまでの間、ずっと小声で伊勢音頭を口ずさんでいた。

火祭は基本的に男の祭りで女性は参加できない。さらに、その年に不幸のあった家の人はもちろん、家人がお産をしてもその家の男は参加できないという。ちょっと今時あれだな、、、という人も出てきそう。伊勢音頭を口ずさんでいたおばさんは心で参加してたのかな。(下の録音に入ってるはずだけど聞こえないな、、、)

女性といえば、また広河原の話だが、あちらでは松上げの晩に参加できない女達が浴衣に前掛け姿で観音堂に集まり、輪になって、下駄で板張りの床を蹴って拍子をとるヤッサ踊りをする(ヤッサは坊主に恋した村娘の悲恋を伝える踊りだとか、、、)。そこへ松上げを終えた男衆が伊勢音頭を唄いながら戻ってくると、男女が共に踊るヤッサコサイというのに変わる(昔は夜が明けるまで踊ったとか。その勢いでイロイロあったんだろうなw)。友人は男ばっかりだけど妙におとなしい八桝の祭りを広河原より「上品」と表現していたが、、、品とかはどうでもいいけど、荒くれた突っ込みが消えた八桝にもかつてはヤッサやヤッサコサイのような踊りがあっんじゃないか、、、と思う。

下は広河原のヤッサ踊り、ヤッサコサイ踊りの動画↓


小銭入れ

根が貧乏性で、小銭入れごときに金を掛けたくない、、、だから、よけい金が入ってこないのだろう。。。(;´д`)トホホ…

数年使用した古い小銭入れ

母親がサプリなどのパウチを小銭入れにしていたのを思い出して、自分なりに使いやすく改良したものを、ここ数年使っている。袋そのままだと深すぎて、小銭をその都度ぜんぶ手のひらの上に取り出さないといけない。

改良、という程のことでもない、ちょっとした工夫。底を内側に折り返して、上げ底にすると人差し指と親指が届く範囲に硬化がある、という具合。しかも折り返した部分が内部で中仕切りになって、小銭と折りたたんだ紙幣を別けて入れておける。

物が物だけに長持ちしない、、、と思ったが、考えてみたらもう3、4年は使っただろうな。

しかし、なんでこんな変なサプリの袋がうちにあるのか、、、(ヒアルロン酸の空き袋がまだ1枚あるから数年後にもう1度使えるな)