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動画編集ソフトOpenShotのファイル名問題(解決済み)

この問題はすでにOpenShotのアップデートで解決されています。Windows環境で最新(2022年7月3日現在)のVer. 2.6.1で検証した結果、プロジェクトを日本語ファイル名で保存しても、問題なく開くことができました。


自分用じゃないのだけど、出先で初心者向けの動画エディターOpenShotを使ってみて気づいたこと。強力なAdobe Premiereなどとは機能的に比べものにならないが、簡略で直感的なインターフェイスは使いやすい。ただ、使い始めて一つだけ問題があった。それは動画を編集して一旦プロジェクトを保存したら、そのファイルは開けられないということ。編集した動画の書き出しは問題なく出来るが、後日プロジェクトを再編集できない。。。(解決策はこちら

同じ問題を抱えている人がないかググってみたが、日本語の情報では見当たらない。英語サイトでプロジェクトが開かないという報告があって、ファイル名に問題があったとのこと。それでハタと気がついた。日本語などの2バイト文字をOpenShotが読めないんじゃね?って。

プログラムを終了し、保存してあるプロジェクトファイル名を半角英数(シングルバイト文字)で書き換えてやった。それでも、ダメ。。。実はプロジェクトを保存したフォルダも1バイト文字で記述しないといけないのだった。

OpenShotはマルチプラットフォームなので、これはWindowsだけの問題なのかどうかは判らない。家に帰ったらうちのMacとDebian/Linuxで試してみよう。

とりあえずWindowsはユーザーフォルダ直下に置かれた「ドキュメント」や「ピクチャ」などのフォルダは始めから日本語表記だけど、実態は「Documents」や「Pictures」という風に英語名だ。だから、一見、プロジェクトファイルのパスには例えば「ビデオ」という日本語名のフォルダが挟まることになるけど、それは問題ない。

理由はともかく、OpenShotをWindowsで使う時は、くれぐれもプロジェクトの保存時にフォルダとファイル名を「半角英数(直接入力)」で。それさえ気をつけたら、とても良いソフトだと思う。

しかしOpenShotは特に手当をしなくてもインストール時に日本語を選ぶことができて、操作メニューもそれなりに日本語化されている。そしてプロジェクト保存時に「無名のプロジェクト.osp」という日本語名がデフォルトになっている(上の画像の上部に保存前のファイル名が表示されている)。OpenShotが自動で用意した名前だからと安心して、うっかりそのまま日本語を使うとそのファイルはそのままではどうやっても開かなくなる。

ただし、件のファイルと上位のフォルダも全て英数半角に書き直してパスを通してやると開けられるようになるので、がっかりして廃棄しないように。

僕はアンインストールと再インストール、バージョンを変えて、、、といろいろ試した結果、上記の解決策にたどり着いた。OpenShotはオープンソースで初心者フレンドリーなソフトだから好もしいのだけれど、思わぬ落とし穴にハマってしまった。有料のプロプライエタリ・ソフトではこういうことは少ないだろう。

でも、ハマるのもまた楽しい。(変態か?w)


追記:
Macにインストールして、日本語名でプロジェクトを保存してみたが問題は起きなかった。
Linuxはまだ試してないけど、OpenShotはもともとオープンソースだからLinuxとは相性がよさそうで、たぶん問題はないと思う。ていうか、Linux使う人なら自力解決するか、そもそもファイルやディレクトリに2バイト文字は使わんだろうな。


Debian GNU/Linux again

I got an old PC given to monkey around with, and was taken aback– finding out things had changed so much and other things stayed the same as they were. I have completed the installation with nostalgia. The distribution of Linux for me by all means must be stubbornly conservative and fundamentalist “Debian GNU/Linux”; not popular Ubuntu.

古いパソコンをもらったので久しぶりにLinuxで遊んでみようと思った。そしたら、昔とずいぶんと事情が変わっていて面食らったり、意外と前のままが残っていたり。懐かしく思いながらインストールした。僕のLinuxディストリビューションは人気の「Ubuntu」じゃなく、やっぱり頑固なまでに保守的で原理主義的な「Debian GNU/Linux」でなくちゃ。

追記:
懐かしさに駆られて、昔ながらのCUIインストールでやってみたが、無線LAN関連の周辺機器の認識が上手く行かず追加ファイルやパッケージがダウンロードできないし、GUIでも同じ。途中で面倒な事いろいろ聞いてくるのは、やっぱDebianらしい、、、だめじゃん、昔みたく1週間も徹夜してLinux入れる元気ないし。

おや?ふとみると「Advanced opthions」の中に「graphical automated install」ってのがあって、試したらほぼ全自動でインストール無事終了。10年前の古い機械でもさくさく動く!


The Okamotos

When I was a teenager, my uncle showed me an old photo (c. 1930) of the Okamotos– my grandpa, grandma, aunties, uncles, and my mom.

I borrowed the photo and copied it, using a camera close at hand with low quality film. The out come wasn’t too good– the original photo had severe cracks and the copy turned out with terrible granular noises all over– but it still managed to retain the folks’ images.

I returned the original to my uncle, and have never seen it anymore. I once asked him if I could copy the photo again, this time in better quality. The one he showed me was the very copy I had given him along with the original print. Now the uncle is too old and perhaps cannot remember where he put the old photo away.

My mom, the youngest of the three daughters,  loved the photo because it showed each of her family members so nicely, so that I retouched the cracks, blew up and made a photo panel of it for her. She’d put that on a shelf of her bedroom. When she died, I put the paneled family photo in her casket at the funeral before cremation.

I regret not having done a better job in the first place…

 

 


Something I Ate Yesterday

下鴨 宝泉 わらび餅

昔の職場の縄張りの中にあるんだけど、わらび餅については数年前に友人から教えられるまで知らなかった。とろりんぷるーんの食感はその友人がべた褒めするだけのことはある。ちょっと暑い日だったのでこういうものは最高だな。客が来てから練るので時間がかかる。できるまでの間に出てくるほうじ茶とツマミの黒豆もまた美味い。ここは茶寮だが本店の宝泉堂はもともとお豆の菓子屋さんだった。

 

田中 満月 本店 阿闍梨餅

言わずと知れた阿闍梨餅。タイミングよくホカホカ温かい出来たてだった。店を出て直ぐ食った。んんま!たまらん。本店じゃなくても、出町の枡形商店街にある販売所でも運が良ければ温かいものが手に入る。ま、オーブントースターで焼きゃええのですが。(高校の後輩が「あじゃら餅」と発音していたのが今も耳にのこっている。関係ないけど)

 

堺町 月ヶ瀬 桜抹茶クリームあんみつ

よく行く堺町画廊の少し北。簡単に見落としてしまう路地の中にある。品の良いおばさんがひっそりやっている。ぜんざい、亀山も食いたかったが、季節限定の桜餡に負けた。友人は粟餅ぜんざい。(京都の「ぜんざい」は濃い「おしるこ」のようなこし餡のこと。亀山とはつぶあんで関東の「ぜんざい」のようなもの)

 

柳の馬場 Yu La La ラオス料理

ラオスに長く住んでいたカップルの店。僕が通った幼稚園と中学校の学区だった地域にある。店の前の鉢植えバナナは堺町画廊のジャングル庭からのもの。料理はめちゃうま。タイ料理とも違うが、名前や味付けにその影響はある。

野菜、タケノコ、豚バラのスープ。とろみがある。名前忘れた。

 


ドナドナ チンクエチェント

ドナられるチンク嬢は、それでも笑顔だった。

ある晴れた昼下がり、Fiat 500で友達を迎えに行く途中、京都御所の横でクラッチペダルを踏み込んだとたん「ガスッ」っと音がして、ペダルが戻らなくなった。瞬間的にクラッチケーブルが切れたと思い、降りて押して路肩に停めた。

写真のワイヤ先端はペダルのアームから外れているが、切れたと思しき場所はその反対側(エンジン側)

先日、前輪の懸架と操舵回りを整備して「クルマとしての機能はうちに来て一番完成度が高い状態」と豪語したばかり。後ろのタクシーのクラクションをトホホな気持ちで背中に受ける。

運悪く交通量の多い烏丸通で、中立売御門の直ぐ横だったので、エンジンフードを開けているだけで、行き過ぎる車と外国人観光客の見世物と化してしまった。こんなところで、またFiatの床下に潜り込むのはとっても恥ずかしいし、何より危険だし、、、

ほんの2〜3km先で待っている友達に地下鉄で来てもらい、JAFのトラックでFiat 500と共に原谷の家まで運んでもらった。

しかし、カメラの人、たのしそうやな。何でそないに人の不幸が嬉しいんや?(笑)

 

追記:
一夜明けて、さっき家の前でもぞもぞと潜り込んだら、ケーブル切れではなくケーブル調整ナットが欠落していることが判明。
「はぁ?・・・」
レバーから外れた長ネジのロッドが虚しくブラブラしているだけ。(これであれば、通常のナットとワッシャーを調達できたら、応急的に走って帰ることも可能だったんだが、、、でも路上で車の下に這いずり込む勇気はなかっただろうな)

調整ナットは僅か500円の部品。故障車の移動はJAFの会員でなかったら2万円ちかくかかるところだった。

画面左下の白いネジがクラッチケーブルの先端。右側のバネが付いた部品がクラッチレリーズレバー。これらがつながっていないといけないのに、、、

「Fiat乗りた〜い!乗せて〜!」という友人のリクエストでチンク嬢を引っ張り出したのだけど、嫉妬されたか?
路上で駄々こねてるときも、ワイヤーで曳かれてトラックに積まれるときも笑顔。でもその下に隠された心の内は、、、そう思うと何があってもパッチリお目々と微笑む口元はちょっとコワイかも。。。