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汚名

ヒトラーが「退廃美術」として略奪した絵画を大量に隠し持っていた人がいて、それがふとしたことから発覚したというニュースを数年前にドイツのFOCUS誌が報じ、世界中で話題になった。絵画の持ち主(本来の持ち主じゃなく、隠していた)コルネリウス・グルリットは優れた芸術家を輩出している一族の家系に生まれ、父親ヒルデブラント・グルリットはまさに退廃芸術とされた美術品を集めて海外へ売りさばく責任者の一人だったという。

その経緯を「山田五郎教授」(以後「教授」)が発覚から数年後の2014年にラジオで面白く解説している(書き起こしはこちら)。教授の解説の裏を取ったわけじゃないけど、ドイツ語堪能で初期の「タモリ倶楽部」ではHüftewissenschaftler(笑)と名乗った教授のことだから件のFOCUS誌の記事も読んでいただろうし、BSの「ぶらぶら美術・博物館」での芸術に関する説明ぶりを見ても、彼がそう的外れなことを言うと思えないから、概ね正しいのだろうと思う。

1930年代後半に当時の「現代美術」を理解しなかった(できなかった)ヒトラーが権力を握ると、それまで新しい芸術への理解者、応援者であった父グルリットは、さっさと寝返ってヒトラーの手先になってしまった。でも彼は手元に集まってきた「退廃芸術」作品の多くを、本来なら国外へ売り飛ばすか焼却などの廃棄をするはずなのに、それをせず隠匿してしまった。

それだけだと父グルリットは単に芸術家と権力者に対する二重の裏切り者で、かつ略奪者の上前をハネた泥棒にしかすぎない。しかし教授はその裏を考えて、隠匿は作品を破壊や散逸、流失などから保護だったのではないかと言う。根拠は示されていないので教授の憶測なのだけど、、、。

ちょっと調べてみたら、ヒトラーが没収を進めるために作った『退廃芸術作品没収法』(Gesetz über Einziehung von Erzeugnissen entarteter Kunst)はドイツ敗戦後も、占領行政を統括する連合国管理理事会によって廃止されることなく、父グルリットの存命中も生き続けたそうだ。

もしも戦勝国が作品群の所在を知ったら、その法律を利用して彼の手元の作品を「再没収」して自国へ持ち去る可能性があると恐れたのかもしれない。また、彼は「有効な法」に基く没収品を保護し、管理する義務を負っていると思っていたのかも。

『退廃芸術作品没収法』は1968年になって廃止されたとか、いや現在もまだ有効だとかいう情報があるが、いずれにしても父グルリット(1956年没)はその法律が存在する限り、作品群を表に出すことはできないと考えたのではないだろうか。

そうすると山田教授の言う「保護のため」の隠匿を父グルリットがやったというの、もまんざら彼だけの思い込みではないのじゃないか、と。

教授曰く「みすみす作品を焼かれしまうよりもたとえ自分が裏切り者の汚名を着ても自分のナチスの高官と上手いこと渡り合って作品が海外に流出したり焼かれちゃったりするのを防ごうとしたんじゃないかな?

作品群を父から託された息子のコルネリウス・グルリットも「裏切り者の息子」という汚名も背負うことになる。職にも就かず、結婚もせず、半ば隠遁生活のようにして、彼曰く「何よりも大切なもの」である美術作品の管理を続けた。結局、彼が罪に問われることはなかったのは、皮肉にもナチス時代に『退廃芸術作品没収法』の元で「適法」に集められたものを持っていただけ、ということだからだろう。

彼ら親子はナチスの悪法に縛られていたというより、「隠匿」は芸術に関わる者としての作品群に対する愛情であり責務だと考えていたのかもしれない。愛の無い者が「1,000億円以上」とも言われる財宝を手に入れたら、あの手この手で売り飛ばしてしまうだろう。しかし、父も子も彼らの生活を維持するのに必要最低限の売却にとどめ、残りの作品群を「アパート内の薄暗い室内で古いジャムの瓶やがらくたと一緒」に秘蔵した。そのため専門家も驚くほど良い状態であったという。

「薄暗い」ってのを聞くと、誘拐してきた子供を閉じ込めるような状況を思い浮かべるかもしれないが、美術品にとっては最高のコンディションだ。食品やがらくたが置かれていたのなら、おそらく窓のない納戸のような所で、湿度温度の管理もしやすく、愛情をもって最高のもてなしをしていたと想像できる。

息子グルリットは、2010年に摘発され、2012年にFOCUS誌にすっぱ抜かれ、その僅か2年後に亡くなった。ヒトラーの遺産管理人の「職」を解かれて安心したのかもしれない。

ちなみに作品群は当局に差し押さえられることなく、息子グルリットの死後、彼の遺言にもとづき管財人の弁護士によって本来の所有者の特定できたものは返還され、残りはスイスのベルン美術館に寄付されたとか。(でも、なんでドイツじゃないのか?それって流出じゃん?謎、、、あ!そっか、、、件の悪法が今もまだ生きているのかも、、、)

それはともかく、「汚名を着ても」何かを護るというのは、辞めれば終わる「職を賭して」よりも、死ねばお終いの「命をかけて」よりも、ある意味さらに重い精神的苦痛を強いられる。僕は「芸術作品(と称する物)」を作ってはいるが、自分の作品を擁護するために命をかける覚悟ができているか、と問われたら甚だ心許ない。そんな自分が京都市美術館による所蔵作品廃棄予定のニュースを知って、作品を護ろうとしない美術館を悪く言い、学芸員何やってんだ?みたいなことを言うのは、おこがましくも彼らに「汚名」を着せているのかも、、、

でもやっぱり、、、 あ、、、 みすみす作品が壊されるのを黙って見過ごすわけにはいかない。。。


初めてのMac

型式が古くて、システムが不安定で、キーボードとマウスの機能も一部働かない、でもとてもキレイなiMacを友達からもらった。僕が初めて所有する「本物」のMacintosh。白いポリカーボネイトのiMac( 24 inch、Late 2006)はまるで新品のように見える。

白い筐体に白い入力機器。新しくインストールしたOS、スノーレパードによく似合う。(オリジナルOSはタイガーだった)

付属品の見た目も良いのだけど、故障中。修理しようとしたがAppleの製品は接着やカシメ、トルクスのビスが多用され、非常に分解しにくい。(以前、別の友達からもらったアルミのキーボードもなんとか途中まで分解したものの、結局直しきれないでいる)

今回も苦労してバラしたキーボードは、コーラのような飲み物をこぼしたらしく、内部の基板が錆びて駄目になっている。これは直しようがない。泣く泣く廃棄。同型だがUSキー配列で無線接続のをヤフオクで安く手に入れた。これはまずまずのコンディションのものだった。

マウスのほうはスクロールボール(っていうのかな?あの頃のAppleマウスはホイールじゃなかった)の上下スクロールが上向き1方向にしか働かなかった。

ケースが接着されているのでマウスの分解は面倒だなと思っていたら、ネットで「分解せずに、細く切った両面テープをボールに貼り付けて巻き込み、ゴミを粘着させて除去する」という荒業を見つけた。やってみたら大成功。

両面テープを引っ張り出したら、、、うげ! めっちゃゴミがズルズルと出てくる。

念のため無水アルコールでテープの糊も拭き取っていたら、さらにデカイ汚れの塊がゴソッと出てきた。あースッキリ!

アルコールで浮いた汚れも、、、

上下左右にスムーズなスクロールができるようになって、ユキヒョウさんもぐりぐり。

CPUは一応、Intel入ってる、、、 メモリは最大でたったの4GB(しかも実際にはその内の3GBしか使えないという話も)。OSはLionまでで打ち止めだとか、、、 初めてのMacだし、デザインも好きなんでずっと手元に置いておきたいんだけど、、、 さて、いつまで使えるんだろうか。


動画編集ソフトOpenShotのファイル名問題(解決済み)

この問題はすでにOpenShotのアップデートで解決されています。Windows環境で最新(2022年7月3日現在)のVer. 2.6.1で検証した結果、プロジェクトを日本語ファイル名で保存しても、問題なく開くことができました。


自分用じゃないのだけど、出先で初心者向けの動画エディターOpenShotを使ってみて気づいたこと。強力なAdobe Premiereなどとは機能的に比べものにならないが、簡略で直感的なインターフェイスは使いやすい。ただ、使い始めて一つだけ問題があった。それは動画を編集して一旦プロジェクトを保存したら、そのファイルは開けられないということ。編集した動画の書き出しは問題なく出来るが、後日プロジェクトを再編集できない。。。(解決策はこちら

同じ問題を抱えている人がないかググってみたが、日本語の情報では見当たらない。英語サイトでプロジェクトが開かないという報告があって、ファイル名に問題があったとのこと。それでハタと気がついた。日本語などの2バイト文字をOpenShotが読めないんじゃね?って。

プログラムを終了し、保存してあるプロジェクトファイル名を半角英数(シングルバイト文字)で書き換えてやった。それでも、ダメ。。。実はプロジェクトを保存したフォルダも1バイト文字で記述しないといけないのだった。

OpenShotはマルチプラットフォームなので、これはWindowsだけの問題なのかどうかは判らない。家に帰ったらうちのMacとDebian/Linuxで試してみよう。

とりあえずWindowsはユーザーフォルダ直下に置かれた「ドキュメント」や「ピクチャ」などのフォルダは始めから日本語表記だけど、実態は「Documents」や「Pictures」という風に英語名だ。だから、一見、プロジェクトファイルのパスには例えば「ビデオ」という日本語名のフォルダが挟まることになるけど、それは問題ない。

理由はともかく、OpenShotをWindowsで使う時は、くれぐれもプロジェクトの保存時にフォルダとファイル名を「半角英数(直接入力)」で。それさえ気をつけたら、とても良いソフトだと思う。

しかしOpenShotは特に手当をしなくてもインストール時に日本語を選ぶことができて、操作メニューもそれなりに日本語化されている。そしてプロジェクト保存時に「無名のプロジェクト.osp」という日本語名がデフォルトになっている(上の画像の上部に保存前のファイル名が表示されている)。OpenShotが自動で用意した名前だからと安心して、うっかりそのまま日本語を使うとそのファイルはそのままではどうやっても開かなくなる。

ただし、件のファイルと上位のフォルダも全て英数半角に書き直してパスを通してやると開けられるようになるので、がっかりして廃棄しないように。

僕はアンインストールと再インストール、バージョンを変えて、、、といろいろ試した結果、上記の解決策にたどり着いた。OpenShotはオープンソースで初心者フレンドリーなソフトだから好もしいのだけれど、思わぬ落とし穴にハマってしまった。有料のプロプライエタリ・ソフトではこういうことは少ないだろう。

でも、ハマるのもまた楽しい。(変態か?w)


追記:
Macにインストールして、日本語名でプロジェクトを保存してみたが問題は起きなかった。
Linuxはまだ試してないけど、OpenShotはもともとオープンソースだからLinuxとは相性がよさそうで、たぶん問題はないと思う。ていうか、Linux使う人なら自力解決するか、そもそもファイルやディレクトリに2バイト文字は使わんだろうな。


Debian GNU/Linux again

I got an old PC given to monkey around with, and was taken aback– finding out things had changed so much and other things stayed the same as they were. I have completed the installation with nostalgia. The distribution of Linux for me by all means must be stubbornly conservative and fundamentalist “Debian GNU/Linux”; not popular Ubuntu.

古いパソコンをもらったので久しぶりにLinuxで遊んでみようと思った。そしたら、昔とずいぶんと事情が変わっていて面食らったり、意外と前のままが残っていたり。懐かしく思いながらインストールした。僕のLinuxディストリビューションは人気の「Ubuntu」じゃなく、やっぱり頑固なまでに保守的で原理主義的な「Debian GNU/Linux」でなくちゃ。

追記:
懐かしさに駆られて、昔ながらのCUIインストールでやってみたが、無線LAN関連の周辺機器の認識が上手く行かず追加ファイルやパッケージがダウンロードできないし、GUIでも同じ。途中で面倒な事いろいろ聞いてくるのは、やっぱDebianらしい、、、だめじゃん、昔みたく1週間も徹夜してLinux入れる元気ないし。

おや?ふとみると「Advanced opthions」の中に「graphical automated install」ってのがあって、試したらほぼ全自動でインストール無事終了。10年前の古い機械でもさくさく動く!


The Okamotos

When I was a teenager, my uncle showed me an old photo (c. 1930) of the Okamotos– my grandpa, grandma, aunties, uncles, and my mom.

I borrowed the photo and copied it, using a camera close at hand with low quality film. The out come wasn’t too good– the original photo had severe cracks and the copy turned out with terrible granular noises all over– but it still managed to retain the folks’ images.

I returned the original to my uncle, and have never seen it anymore. I once asked him if I could copy the photo again, this time in better quality. The one he showed me was the very copy I had given him along with the original print. Now the uncle is too old and perhaps cannot remember where he put the old photo away.

My mom, the youngest of the three daughters,  loved the photo because it showed each of her family members so nicely, so that I retouched the cracks, blew up and made a photo panel of it for her. She’d put that on a shelf of her bedroom. When she died, I put the paneled family photo in her casket at the funeral before cremation.

I regret not having done a better job in the first place…