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オシラサマ馬頭琴の旅物語

昨年の秋、東北を旅して、まるで急かされているかのように「作らされた」オシラサマ馬頭琴をたずさえ、嵯峨治彦さんに弾いてもらうために北海道に渡り、札幌にたどり着いたのが丁度一年前。

そして、いよいよ動画撮影と録音(ってもiPhone4ですが、、、)をするために、樹々に覆われた自然の豊かに残るとある公園に忍び込み、極大は過ぎていて見えなかったけどオリオン座流星群の下で演奏してもらったのが一年前、10月23日の夜。2014-10-23 23.51

あれから奈良での嵯峨さんの予定に合わせてたまたま決まった昨夜の「オシラサマ馬頭琴の旅物語」まで丁度一年。偶然だけど不思議な縁を感じる。

札幌で嵯峨さんの企画してくれた「オシラサマ馬頭琴ナーダム」、秋田のTamiさん、いしまちゃんたちのcocolaboratoryと樫食堂、そして京都の堺町画廊の「オシラサマ馬頭琴の旅物語」・・・演奏者と楽器と制作者それぞれのホームグラウンドで三位一体パフォーマンスができて幸せだったし、形の上では一区切りついたことになる。

だけど、なんか、旅は終わっていない気がするなぁ。。。知らんけど。

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告白

恥ずかしくて言えなかったのだけれど、、、以前から、うちの家には僕の親が誘拐同然に連れてきた子供が居て、酷いことにその子は玄関先から内に上げてもらえずにいる。逃げられないようにまるで犬みたいに紐で繋がれて。

実の親ながら情けないのは、親がよそでヤクザと喧嘩して負けて逃げ帰ってきたとき、追って来た奴らにその子を殴らせておいて、自分は家の中で震えていたくせに家族には出て行って追い返せと威張っていたこと。

それに、親は結局どうにも勝てないと悟って平謝りしたんだけれど、喧嘩相手のヤクザの子分が今も玄関に居座って、その子をなぶりものにしている。ご丁寧に、居座っている輩の飲み食いの世話まで家族にさせる始末。

親は、土下座して謝ったくせに今はそれも忘れて家族にまた威張り散らかして、僕らがその子に家族として接しようとするのを邪魔をする。それどころか終いにヤクザと一緒にその子を足蹴にする、、、それでも、その子のことを自分の家の子だと言い張る。全く狂ってるとしか思えない、、、と今は言えるけど、長いこと家ではこれが普通なんだと思っていた。

うちの親もカタギじゃないんだけど、そんな親の元に生まれた僕はこの家から出られずにいて、玄関の柱に繋がれて三和土でうずくまっている子には手も差し伸べることもできないから、親同様に恨まれていると思う。世間ではきっとヤクザな人さらい一家だと思われているんだろうな。

前に一、二度、親が家を出て行き、知らないおじさんが来て家の面倒を見てくれたことがある。少しほっとしたけれど、おじさんはその子や僕に特段なにかをしてくれたわけでもなく、また直ぐ親が帰ってきて元通りになった。

近頃は親からしきりに、外へ行ってヤクザの手伝いでもしてこい、とうるさく言われる。ひょっとしたら僕は知らない間にヤクザの手下にされてしまったのかもしれない。喧嘩や抗争に借り出されるのも時間の問題だろうな。そしたらきっと、玄関から出かけるときにその子を踏みつけて行くことになる。そんなことは死んでもいやだ。

ああ、もう我慢の限界。玄関の子の紐を切って親の寝首を掻き、一緒に逃げようと思う。それよりも、、、このところその子の目つきが違う。たとえ僕が手助けしなくても、近いうちに必ず自分で紐を断ち切って自由になってやる、という意思が感じ取れる。(それにしても、あの状況によく絶えられるものだ。僕ならとっくに気が変になっていただろう。)

何もしてあげられなかった僕も、親と一緒に寝首を掻かれるかもしれない。それは嫌だけれど、仕方のないことかもしれないなとも考えている。