英語つらつら

退っ引きならぬというほどではないけど、不本意ながら英語を教えることになってしまった。

正直、英語で苦労したことがないので教え方がよく判らない。もとより人にものを教えるってのが苦手。普段から好きなことしかやらないから、そりゃ人より得意なこともあるけど、好きこそものの上手なれ、と自然に身についたことばかり。

本当なら、苦手なことを努力で克服した経験があってこそ、同じことに苦労している人の気持ちが解り、良い教え方ができようかと思う。さて、どうしたものか、、、

とかなんとか考えていたら、全然関係ないけどひょんなことから手嶌葵という人の歌う「牧歌」(宮沢賢治作詞作曲)のYoutube動画を聴くことになった。これは以前テレビで観ていたが、とても良い。彼女の発音は賢治が使っていた南部弁を正確には反映していないが、そんなことはどうでもいい。口先の音ではなく声の、喉の使い方がとても心地よい。聴いているうちに引き込まれる。歌はこうでなきゃ、と思う。(少なくとも、彼女の選曲においては、、、)

流れで、手嶌葵の英語の歌を何曲か聞いた。やはり英語の発音にも問題があり、批判的なコメントをいろいろ書き込まれていたが、確かに「英語耳」を持つものからしたらとても変なのだろう。(Cheer up…がChill upに聞こえるなど、意味がまるっきり変わって聞こえるものもあるが、、、)

一方で擁護する意見も多く見られ、僕自身も細かいことなんか「別にええやん」とも思う。

ところで、僕は中高生のころに英語で最も影響を受けたのはSimon & Garfunkelだった。彼らの歌を聴き、意味が知りたくて辞書を引き引き歌詩を訳し、下手なギター抱えて真似して唱ったものだ。なのに学校の英語授業なんてくそくらえ。だいたい授業の時間割に合わせて教科書を揃えるのが面倒なので、全科目の教科書を教室の机の中に全部突っ込んでいた。だから家での予習復習宿題一切やらず、、、

それでも英語の成績だけは良かったのはレコードを擦り切れるまで聴き、目を瞑っても単語を探しだせるほど辞書を引いて歌詞の訳をして、声が涸れるまでガナリ唱ったSimon & Garfunkelのおかげだと思う。

たまに英語を母語とする人から僕の発音を褒められることがある。そして、そのことを羨むひとからはよく「岡本さんは耳が良いから」と言われるが、そんなことはない。僕はそれなりの発音で好き勝手に喋れるけれど、英語の聞き取りはひどく苦手(それにちっとも歌は上達しなかったし、、、)。一方、歌が上手な手嶌葵はきっと良い耳を持っているはずだけど、英語は、まあ、、、アレだし。いったい耳が良いというのはどの耳のことだろう。

さらに脱線するけど、最近、ヒマにまかせてYoutubeで「タモリ倶楽部」のバックナンバーをよく視る。マニアックな話題もさることながら「空耳アワー」の時間は思わず声を出して笑ってしまうことも多い。このコーナーを視ながらちょっと英語の発音とかをつらつら考えていたら、珍しくSimon & Garfunkelの「Old Friends」(旧友)の空耳投稿が出てきた。英語を習いたいという友人の中に坊さんもいるから、余計に面白かった。

P.S. 上のYoutubeは削除されたようなので、別のを貼っつけておく。(ただ、この声はP. SimonでもA. Garfunkelでもないけどね)

https://youtu.be/BL-Mvm-SnzY?t=167


Ah, Snow!

a musician shoveling show with a shovel-turned-into-musical-instrument utensil

One good musician friend of mine, Haruhiko Saga, composed a song “Ah, Snow”. He lives in Sapporo, where snow dumps on every winter, and his song is about his curse on it. Can’t blame him ‘coz he’s gotta lumbago from shoveling up the heavy, everlasting and unwanted gift of heaven.

Meanwhile, I am safely in Kyoto and have a snowfall once in a while, but it usually lays a inch thick or so. It’s so nice to see the snow-covered view of the Haradani valley from the verandah in an early morning. A phone call woke me up this morning. It was a freight service driver. He apologized that he couldn’t deliver a parcel due to the heavy snow from yesterday– the parcel that I expected to receive today. Now I started cursing at show.

from a room with a view

It dawned on me that the wipers of my cars could be damaged by the snow, and got out of the house to sweep the windshields, which turned out to be OK. On the road were a whole members of a neighbor family, enjoying and playing with snow. Most active was the father- he was rolling up the layer of snow on the tarmac to make what he called “snow tire”. After a few minutes of sweating toil, he had made the “snow tire” grow up, and it had become bigger than his kids.

making of the snow tire

He was so much absorbed in the “unproductive activity” and I was kinda worried about his back… but wait… I was smiling all over, walking along with him, and found thirty-year-old myself in him.

I used to live in a snow country, where everything was snowbound throughout winter. The local people didn’t like the snow; I on the other hand loved it and would play with my little son, since I was young and dared to choose to move there to live in the deep snow– but it was more than two scores of years ago, though…


無為徒食

ああ、今年も元旦からぐうたらしてるうちに日が暮れた。。。いつも通り何も変わらず、また無為に一日が過ぎていく。

そこで、思い立ってひと歩き。 で、気がついたら7kmも歩いちゃってるし、、、


「とおいながめ」@「のわき」

先日、友人の娘さんの個展、山極千真沙展覧会「とおいながめ」に行ってきた。彼女を小ちゃい頃から知ってるけど大人になってからの作品はいつ見ても、すげ!いい!って言ってしまう。

京都の「のわき」で1月8日まで。
 

会場は川端御池からすぐにある小さい町家の「のわき」。5年前にできたのだそうだけど、知らなかった。京都にはこういう渋いギャラリー(っていうのかな)が裏道に隠れている。今回は個展を知って行ったのだけど、街をうろうろしていてこういう所に偶然行き当たるのもたのしい。

小物や古本も置いている「のわき」のオーナーさんは本に詳しい人だった。秋田のフリーマガジン「のんびり」のことも編集者の藤本智士さんのこともよく知っていて、あのクオリティの高さを褒めていた。

個展とは関係ないけど、東京から遊びに来ていた粉もん好きの友人と、出町の桝形商店街入り口にある屋台で買った300円(コスパ最高!)のお好み焼きを「のわき」の前にIAT500停めて、中で肘ぶっつけながら食べた。

静香 再訪

随分前のこと、ある日、千本今出川にある喫茶「静香」の前を通ったら張り紙がしてあって、「しばらく休む」とのことだった。

ほどなく改装が始まり、その後ドアや窓枠が赤く塗られて店は再開した。

誰の趣味なのかは知らないが、僕の中では静香に赤い色は似合わない。長年に渡り昭和の古色を積み重ねてきたオーナーのおばちゃんの趣味とも思えない。。。 近年、身体が見るからに衰えていたおばちゃんに何かあったに違いない。が、変わってしまった静香の中に入って聞く勇気もなかった。。。

もとより一人で飲食店に入れない質の僕だから、再開してから、前を通っても見ないようにして駆け抜けていたが、京都に来る度に一緒に静香へお茶しにいった友人が訪ねてきたので、二人して再訪。(何と気の弱いことよ、、、我ながら、ったく、、、)

お店の内部はほとんど変わりない。少し安堵。やはりおばちゃんの姿はない。スタッフの若い女性がカウンターの向こうとホールにいて、対応の感じは悪くなかった。変化は思いのほか「許容範囲」だな。

それに、クリスマスイブだったのでコーヒーや紅茶にクッキーと八ツ橋が付いてきて点数加算。(関西人の僕はこういうオマケにめっぽう弱い)

お茶を運んでくれた女性に思い切っておばちゃんの消息を効いたら、大きな手術をしてもうお店に立つことはないが、デイサービスに行ったりして、たまにお茶を飲みにもきますよ、とのことだった。

休業し、店の改装が始まった時は最悪のことを想像したので、とりあえずホッとした。ここにお茶をしにくれば、また会えるかもしれない。

かつて元気な頃は背の低いおばちゃんが自分の顔の高さくらいあるカウンターから背伸びしてトレイを取って給仕してくれたのを思い出す。ここ数年は、ホールの仕事をスタッフに任せて客席の一角に座り、馴染みの客と駄弁るのが仕事になっていた。そして、とうとう「たまに来る客」のようになってしまった。それでも、彼女が常連さんと世間話をしたり、初めてのお客に静香という名の由来やお父さんからお店を引き継いだ話などを聞かせたりするのが何気なく耳に流れてくる、あの心地よい時間にまだ少しでも浸れる機会があるのなら、また行ってみようかな。

しかし彼女は、赤く塗り替えられたドアや窓枠をどう思っているのかな。。。