映画「Kungsleden」(邦題:太陽のかけら)、その1

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KungsledenとはKing’s Trail、つまり王の小道。ガイドブックなどでは「王様の散歩道」などと訳される。しかしTrailとは踏み分け道のことだから歩く道には違いないが「散歩」などという響きはどこにもない。実際、スウェーデンで100年以上の歴史を持つトレッキングロードであり、よく整備されていて難しい登山技術や装備は必要ないが、決してぶらぶらと散歩するような遊歩道ではない。

さて、僕が映画「太陽のかけら」(原題”Kungsleden”)を観たのは中学3年生のころで、すでにその頃から独りで京都北山を歩くのが好きだったから、外国の山歩きの映画を観ようと、やはりハイキング好きの同級生や一緒によく映画を見た(後で述べる別の下心ありの)友人たちと誘い合わせて出かけていった。

映画の公開当時(50年前)はトレッキングという言葉は日本ではまだ使われていなかったし、また、日本で山歩きといえばほぼ必然的に、高低にかかわらず山の頂を目指す登山ということになっていた。当時の北山は笹が多く藪漕ぎが当たり前だったから、まさに視界を遮る緑の中に分け入るように登ったものだ。森林限界より上の岩肌が露出したトレイルを歩こうというのなら、中部地方の日本アルプスや北海道の大雪山系に登らないといけないが、京都の中学生の僕にはまだまだ遠いところだった。

しかしこの映画では、氷河の削った裸の岩稜の下、樹木の生えない広々としたU字谷の底に延びる比較的平坦なトレイルを山小屋に泊まりながら主人公が歩く。その情景は僕にとって非常に衝撃的であり、たちまち憧憬の対象として脳裏に焼き付いてしまった。

ただ、正直に白状すると、毎朝のように鼻血を出すようなエネルギーの溜まりまくったガキだった僕も、ハイキングや映画好きの同級生たちも、映画「太陽のかけら」鑑賞の目的の半分は「どうやらセックスシーンがあり、しかも18歳未満の入場制限がないらしい!」という、全くもって不純なものだった。

当時、うちは喫茶店をやっていて、店には「平凡パンチ」という青年向け週刊誌が置いてあった。週が変わると古い号をもらって部屋に溜め込んでいたので、よく同級生が何人も部屋に来ては記事を読みつつ、ちらちらとヌードのグラビアを鑑賞したものだ。それが、動く映画の画面で見れるとなれば、小遣い叩いてでも行こうということになるね。。。その頃の大人だって、今から思えばオボコいもんで、スウェーデン=フリーセックス、スウェーデン映画=ポルノ映画(ポルノって言葉もあったかどうか、、、「ブルーフィルム」だったか?)くらいの認識しかなかったはず。

しかし大いなる期待に反して、残念ながら(笑)「太陽のかけら」で肝心のシーンはカットこそされていないものの、フィルムのネガ・ポジを反転して何が何だか判らない映像となっていた。。。そりゃ、18未満OKにもなるな、、、。

それでも、その邪な期待のガッカリを補って余りある映画全編にわたるKungsledenの雄大な景色に、心底しびれて帰った。

いつか、あの道を歩きたい。。。

そう思ってから早50年!!! その間、何をやっていたんだろ?いや、実は高校生になって間もなくの頃に渡欧(もちろん目的地はスウェーデン)を目論んだことはある。ただ、まともにヨーロッパまで飛行機で行けばたしか片道で27、8万円だったと思う。当時の27万円は今ならいくらなんだろう。ともかく、とてもじゃないけど高校生には無理。シベリア鉄道なら安いだろうと調べてみたら、旧ソ連時代はウラジオストクが軍港で閉鎖都市だったのでナホトカまで不定期の貨客船で行き、飛行機に乗り換えてハバロフスク、そこからやっと鉄道でモスクワへという「パック旅行」しか切符の手配ができず、10万円くらいの値段が付いていた。。。しかも帰りは別料金。。。

普段ダラダラしてる僕は、今日思い立ったら(好きなことだけは)明日にも行動したい、そういう性格なので、用意周到に計画したり、そのために地道に貯金をするなんでことが出来る人間じゃない。もとより努力などしないから、たちまちシベリア鉄道による渡欧計画は頓挫し、いつの間にかKungsledenの小径は夢の中で彷徨うだけのまぼろしとなってしまった。

その後、半世紀を経て映画の舞台となったKungsledenの半分弱を歩くことになった。それについてはこのブログで8月22日以降に大量のテキストと写真をポストしている。
(Kungsledenの旅 目次)

肝心の映画については、DVDを入手したがスウェーデンのものなので当然字幕はなく、セリフの理解は不可能。ただ、50年前に観たときはまだ青二才のガキだったけど、複雑に交錯する過去と現在、現実と幻想の入り混じったストーリー展開の割にはよく憶えている。しかしそれをここに書き出すのは難しい、、、と思っていたら、救う神あり。下記のサイトには、パンフのあらすじに観た人の記憶を元に書き加えた、かなり正確な描写の文章が載っているので参考にされたい。

武蔵野日和下駄
http://d.hatena.ne.jp/toumeioj3/20080121/p1

次回は「その2」として、映画の面影を求めて訪れたKungsledenで思わぬ「すれ違い」が待っていた、という話。

P.S. 下の写真の末尾にYoutubeで見つけた映画「Kungsleden」のトレーラー動画を埋め込んである。何故か白黒だけど、、、しかも暴力的なシーン。。。この場面は重要だけど、もうちょっと違うイメージの映画だ、と付け加えておく必要がある。。。

さらに、もうひとつ、、、公開時に日本では独自に(勝手に?)バックグラウンドの音楽が差し替えられていた。もしも、この映画を記憶している人がいたら、おそらくこの動画とは違う曲(アルトサックスだかクラリネットだか、、、哀愁のあるメロディーだった)が耳に残っていることだろう。

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Youtube動画↓は(1954)となっているが(1964)の間違い。

 


組織と個人

「ボケ、土人が」と言った機動隊員は職務中だった。職務中の公務員は個人ではない。(勝手な言動をしてよいのなら、組織として成り立っていないということになる。公的組織の一員だから動画で顔を曝されても文句は言えない。ついでに氏名や所属もOK。)

機動隊員は「差別の意識はなかった」と言い訳しているって? なら、人の心臓に向けた銃の引き金は引いたけど「殺すつもりはなかった」という言い訳が通るわけね。

下品な顔したどっかのボケ知事が「叩くとへこむから」とか、苦労さんとねぎらったり、そのくらいの言動で社会的に抹殺するのはどうか、と話をすり替えてる。組織の歯車が暴走して非難されたら、都合の良い時だけ隊員への「個人攻撃はやめろ」と。仮にも件の大阪府警の機動隊員の長に当たる人間がこの程度のレベル。

こういう場合、非情な組織は普通、シッポ切りするんだけど、情の絡んだ古風な親分ヅラして子分をかばったつもりか。それじゃ組織じゃねえし。本当に情に厚けりゃ、まず至らぬ機動隊員に成り代わり沖縄の人に謝罪するのが筋ってものだろ。上も下も自分が何を言っているのか分からない輩ばっかり。。。あ、日本のソーリからしてアレだもんなあ、、、となると俺たち下々もそのレベルなのね。。。

相手もむちゃくちゃ言うから、言い返すのも仕方ない、とも。子供か、お前? むちゃくちゃなこと仕掛けてきたのは強大な権力と武力を笠に着た日本政府とアメリカ軍だぜ。その手先になってる暴力装置が警察・機動隊。「土地を取られ踏んだり蹴ったりされてきた沖縄の人が奴らをヤクザと呼んだのはまるで真っ当な言動だ。


Day XX / 1019

It’s been already ten days since I stumbled out from a boarding bridge of the Boeing 787 that brought me back to Japan. However, my heart still remains wandering on the Kungsleden trail up on the northern Swedish fells… Thanks to jet lag, I cannot shake off a feeling that the scenery in which I am now is of an unreal daydream, and all these Kungsleden dreams– that I have been continually having during the nights since my return home– seem so real.

I miss Kungsleden, but at the same time I love the weird feeling as if I were living in an “exotic land”,  though I AM acturally back in my home country– hey, it’s a free trip to Japan that lasts forever! say I to myself.

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When getting off the trans-Siberian train, Akbar, my new friend left me some food including candies, which I would eat on the trekking trail. Last week, I just found two of them still left in the backpack…
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The candy tasted good after all those days.
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I sent back the Eurail Pass cover on which I recorded my boardings on the trains I took in Scandinavia.
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The dusk view of the Kamogawa river looks unreal to me and makes me feel as if I am still traveling abroad.
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It’s fall (autumn). A fallen chest nut’s burred case will make me know it’s real, if I step on it.
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Setaria viridis, I prefer to call them green foxtails, especially when they become brown in the fall.
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The sky is full of autumnal clouds but the phoenix tree and the crisscrossed power lines remind me of foreign countries in the South… like Mexico or Thailand or somewhere out there– this is my house’s neighborhood. though.
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Chocolate cake and a Chinese meat bun… and of course Japanese bancha tea.
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Hey, my bedroom is really a “room with a view”!

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A tiny torii gate situated on a rock on the riverbed of Hanase district.
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A rice drying rack in Kuta village. The drying racks of this type– with the bored posts– were seen everywhere in Kuta when I was a kid but rarely found today.
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And of course, the thatched roof is also hard to find anymore. Glad to know that this house has got a newly thatched roof if just a part of it.

 


思春期 Puberty

2016-09-27-17-44-11スウェーデンでKungsledenを歩いた後は物見遊山のオマケ旅のはずだった。だからノルウェーは、スカンジナビアのユーレイルパスがあるから、といった程度の「ついでに来た」国で、もっと言うなら、ドイツの友だちを訪ねるために南下する単なる通過ルート。ところがどうだ。。。日本を出るときには頭の片隅にも無かった季節はずれ(ここがミソね)のロフォーテン諸島とオスロの博物館・美術館は(個人的な趣味という意味で)大当たりじゃん!!!

オスロに来るほんの少し前、のんびり海を眺めたロフォーテン諸島での5日間でも未だそんなことは思いもよらず、まして博物館と美術館に行くためにここでの滞在をまた3日に伸ばすなんて考えもしなかった。。。

博物館で、実際に使われ後に埋葬に供されたバイキングの船やナンセンやアムンゼンが極地探検に使ったフラム号、太平洋を航海したバルサ筏のコンチキ号を見ると、この国が大昔から今に続く海の国だと知らしめられる。いや、その前からこの国の船については色々と興味をそそられていたから、オスロに着いてすぐ地図でこれらの博物館をみつけて観に行く段取りをした。そのことは前の投稿で少し書いた。

ところが、地図を見ていたら街の真ん中にムンク美術館と国立ギャラリー(美術館)もあって、ああ、これも行かないと、、、と。。。ともかく、オスロに着くまでムンクがノルウェーの画家だということもすっかり忘れていた。ていうか、ムンクのムの字も頭になかった。

で、ムンク美術館と国立ギャラリーのムンク部屋に行ってきた。後者では「思春期」の少女と再会。ベタにムンクと言えば「叫び」だけど、僕にとっては二十歳のときに彼女と出会って以来、この作品がダントツ。2016-09-27-17-47-44-hdrmod

45年前に初めて見た時、見開いた眼で僕をなじるような少女の視線は衝撃だった。でも彼女に責められる理由は解らなかった、、、。

彼女の背後に寄り添う不気味な影は、初潮を期に身体と心の変化を迎えた思春期の少女の不安を表しているとよく言われるが、ただそれだけのことをムンクがシンプルに扱うはずがない。彼の常套モチーフとしての血や吸血鬼をこの絵では描かず、観るものを安堵させておいて、イミジャリーの外に在るものを逆に意識させてる。が、まあ二十歳のときにはそんなこと考えもしなかった。

思いがけずの邂逅ではっきり見えたものもある。この黒い影の中に塗り込められた顔、、、苦しそうに、喘ぐように口を開き、上目遣いに虚空を睨んでいる。これは誰だろう。。。

今思うに、二十歳といえば思春期を過ぎてまだそう遠くない時期なのに、もう既にその時の僕は彼女との共通項を失っていたのだろう。汚れちまつた悲しみも何も感じることのない、ノーテンキな大人に成り下がっていたにちがいない。

だから 彼女から「お前のような者の住む世界には行きたくもない」と言われてしまったんだな、きっと。しかし僕は責められる理由もわからない情けない半大人だった。

彼女は自分の変化に恐れ戦いているだけなのかもしれない。しかし、その表情、とりわけ視線が、ノーテンキのくせにどこか後ろめたい二十歳の僕にとっては刺すように痛かった。(ちなみに、影の中の顔は、当時の僕にも見えていたような気もするが、後付けの記憶かもしれない、、、いずれにしても、あの時は視線を痛みとして感じるほうが勝ていた。)

15歳の時に映画「太陽のかけら」を観て、純粋に、、、というか単純にKungsledenの風景に憧れ、僕より少し年上の青年と更にもう少し年上の女性とのぎこちなく不安定な恋愛や、大人になった青年の追憶の旅を「かっこいい」と感違いしてスウェーデンへ行くことを夢見た。

はたして50年後にKungsledenを歩いてみて、その映画の背景にあるスウェーデンの戦争への関わりや悔悟、ストーリーの行間に埋め込まれたユダヤ、サーミのことなどが、僕なりの解釈ではあるけれど、ある纏まりをもって帰結した。

しかし「思春期」の少女がいずれ否応なしに背負う(または取り込み、取り込まれる)であろう不可解で不気味なモノ、つまりアレゴリーとしてムンクが描いたどす黒い影のイコノロジカルな解釈は、まだ僕にはできない。ていうか、一生できないだろう。

幼少期から社会に上手く適合できない子どもだったうえに、さらに思春期の心と身体のアンバランスにより生み出された不可解で不気味な不安はムンクが抱えていた心の問題ほどではないにしろ、僕にもたしかにあった。

僕自身がそれを飲み込んでしまう前ならムンクの意図をこの少女とその影を通して客観的に観察できたかもしれないが十代の僕には荷が重すぎただろう。絵を観た二十歳の時はすでに僕自身の「旬」を過ぎて眼は濁り感性は鈍り始めていて、かろうじて痛みとしてだけ受け止められた。今ならあれこれ解釈する力は有るかもしれないが、こんどは、観察者である僕自身がすでにどろどろを呑み込み観察対象と同質化してしまっていて、客観的なイコノロジー解析は不可能じゃん。。。

なんて、空虚な堂々巡りの対話を自分と、そして絵の中の少女と交わしているうちに国立ギャラリーの閉館時間になってしまった。

本当に「青春」とか「思春期」と呼べる短い期間の初期に観た映画が元で始めた旅を、まさにその期間が終わり大人の入り口に足を踏み入れようとする時に観た絵画と再会して締めくくることになるとは、、、


Reflection on the day I leave Oslo (actually posted a week later, on the day I’m back to Gothenburg, Sweden)

Until just ten days ago, I was walking on the path down in the U-valleys of Kungsleden up on the northern Swedish fells.

Thereafter, sitting on a shore, gazing at the sea, rowing a tiny boat and taking a cruise ship, I have been here in Norway with countless fjords, another U-valleys that are drawn in the North Sea.

I have enjoyed both.

On one of the Lofoten islands the other day, the old host of a hostel I  had been staying in– finding out I was doing nothing but sticking to my iPad all day– told me to go offshore in his little boat, which I would row all by myself. “It’s NOW for you to go out there as the weather is fine and the sea is perfectly calm. What else can your ask for? What are you waiting for?” said he.

I had been sick and tired of rowing since, at one part of Kungsleden, I had to row across a one-km-wide lake back and forth three times in order to secure at least one boat on each side of the lake after my crossing; the first time in a hurry to tell the hut warden that there were shivering old people waiting for the motorboat, the second time with an extra boat towed behind and to tell the people that the motor boat won’t come, and the third time with two of the old people and their backpack in the vessel; in a cross wind and rolling waves. When I finally reached ashore and landed, I had little grip power left in my both hands barely enough to grab and pick up my backpack on the beach, and swore I would never ever row any more for a while if not the rest of my life.

Nevertheless, I took the advice, or rather an order, from this old man who knows of everything about the beautiful (and sometimes treacherous) sea in front of us– how could I resist it?– and immediately set off… well, not too far off, though. Only for an hour or so around the harbor, I tried to make it just far enough to see the tip of Lofoten.

A couple of days later, I found myself on a cruise ship, one of the “Hurtigruten (Coastal Express)” fleet. I heard about the spectacular landscape of Trollfjord and the captains’ amazingly superb maneuvers (which I have already written about in Facebook). They never had me regret that I had taken this ship even if it’s a bit too luxurious for my trip standard and if only on the short legs partially of the week-long journey along the coast of Norway.

I have spent three nights in Oslo. I originally wanted stay here only for a day or so because everything is so expensive, but I extended my stay, like I did so on the Lofoten islands, for it turned out it would take me at least two days to cover what I really wanted to see in the museums here: the polar ship Fram, the Kon-Tiki raft, the Viking ships, Munch’s paintings in the Munch Museum and in the Natioal Gallery.

Beside Munch, my interest lied mainly in ships, since during my stay on the Lofoten islands I saw many local vessels– boats, yacht, ship, big or small, old or new, most of which were built in traditional styles (or classical, if you will) and retained a “smell” of the Norway’s maritime heritage. Here again in Oslo, I find many more ships of the same kinds I saw in Lofoten, and oh I like them all.

Now that the days of my journey are counted, I am heading for Hamburg, where I will see my friends. I am going to take off from Stockholm on Ocrober 5th  for London, HongKong and the Osaka. I wish I could take boats to go across the Oceans on. the way home….

I will later write about Munch.