アーレスヤウレ→アービスコヤウレ
(詳細を読みたいならDay 28 textを)

















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昨日借りた、大久保さんが残していった資料をもう一度読み返してみる。大久保さんは、映画の画面から写した写真をもとに、スィンギなどで撮られたいくつかのシーンをここだと同定している。何年も何年も通いつめて、何日も何週間も滞在して探し当てたのだろうなあ、、、。凄い執念。僕も、同じ映画を観てここへやってきたのだけど、ただ通り過ぎるだけの旅人。脱帽。
資料を管理人のインゲル-リーゼさんに返して、出発する。今日は20km以上をカバーしないといけないが、、、夏ならモーターボートのサービスがあり、それに乗れば5kmほど楽ができるけど、今の季節はない。
アンドレアスくんが「また僕らが一番最後の出発だね」と言う。10時半に歩き始める。おそらく8時間はかかるだろう。
アーレスヤウレの小屋を出てすぐに湖沿いの道を歩く。対岸にはサーミの人たちが住んでいる集落がいつまでも見えている。道は岸辺の波打際まで近づいたり、少し高みを巻くようになったり、変化があり、対岸の山の形が歩くにつれてかわるし、飽きることはない。
鳥が鳴き、トナカイが草を食み、クモが地を這っている。Kungsledenに来て一番たくさん見かけた動物はクモ。石やぬかるみで足元が悪いので、下を見ている時間が長いが、それにしても忙しく地べたを這い回るクモは5分〜10分に一度は見かける。冬の準備で大変なのだろうけど、餌になる昆虫はまるっきり見かけない。彼らはいったい何を食べているのだろう。。。(夏の間は帽子に防虫ネットが必要なほど蚊が大量に飛ぶらしいけど、オフシーズンの今はまるっきり見かけない)
湖から道が離れる前に、トナカイの柵を越えるところで、昨日サウナであったスウェーデン人の中年二人組みを追い越す。のんびり日向ぼっこしながらテントを干してるんだとか。一人はザンビアに住んでいたことがあり、もう一人は北海道に行って釣りをしたことがあると言っていた。小一時間 もしないうちに彼らに追い越され、樹林帯へ降りていく頃にはその姿も見えなくなる。
過去歩いた中で、もっと地面の状態が良い。捻挫の危険はうんと減った。それでも、うっかりよそ見や、ぼーっと考え事もできない。時間はいっぱいあるのに、纏まった考えや、思いついたことを順序立てて整理したり組み立てたりは危なくて出来ない。京都の疎水べりの哲学の道を散歩しがら思索に耽るようにはいかない。。。本当は映画”Kunsleden”に織り込まれたユダヤ人とドイツ人、それにもちろんスウェーデン人、さらにはサーミの人たちの関係や、それらがストーリーを通じていかに第二次大戦中のドイツ・スウェーデンの関係を読み解くアレゴリーとなっているのか、、、みたいなことをじっくり考えたいのだけれど、、、。(中立と言いつつ、キールナの鉄鉱石をアービスコ経由の鉄道でノルウェーのナルヴィックへ運び、そこからドイツへとせっせと運んだ、スウェーデンの罪悪感や後悔が下敷きになっているのではないかと思っているのだが、、、それはまたいつか別の機会に書きたい)
長い長い行軍が終わりに近づいてきて、林の中から見上げる周りの岩山が、これまでの森林限界より上の世界とはまるでちがってみえる。吊橋をすぎ、コンスタントに下ることがなくなって、ゆるい登り下りしていると、不意に小屋が見える。6時半を回っているから、今日は8時間も歩いたことになる。
アービスコヤウレの小屋より少し手前に第二次大戦中の防衛監視土塁か陣地のようなものがあったらしい。先にも書いたが、中立国だったスウェーデンは、ドイツに向けてキルナの鉄鉱石をノルウェーのナルビックから輸出していた。東方へ移動するドイツ軍が自国内を通過するのも許したと以前、別の山小屋で聞いた。その一方で、ナルビックを攻撃、占領したドイツ軍に対する防衛の最前線として、アビスコヤウレに兵員を駐屯させて監視に当たったと、森の中の案内板に書かれている。なるほど、、、兵隊たちはまさに目の前の山小屋で寝起きしたとある。強国ドイツに対して中立国として寛容に接し、ある意味狡猾に立ち回りつつ、防衛は怠らなかったと、、、。
アービスコヤウレの小屋の管理棟でチェックインの時、日本人か、と訊かれる。管理人さんものボー(ボッセ)さんとマリガレータさんは大久保さんのことを知っているとか。何度かアーレスヤウレで会ったことがあると話してくれる。スィンギ以南、いや、それより北のセルカでもチェクチャでも、大久保さんのことなど聞いたことなかったのに、、、一度ヒットするとこれだ。。。生きる伝説なんだそうだ。
それどころか、食事を終えてのんびり雑談していたら、同宿のアメリカ人親子の息子の方が、去年Kungsledenで大久保さんに会って、東京にいったとき、大久保さんの家を訪ねたこともあるとか。住所を知っているので、見つけたら教えてくれるという。ちなみに親父さんのほうは、ウィスコンシン出身で、僕が居たマディソンの北、1時間ほどのところに住んでいたとか。大学も同じウィスコンシン大学。。。87年卒だから、ちょうど入れ違い。。。その後、カリフォルニアのLA郊外、トーランスで伊藤忠関係の仕事をしていたというからびっくり。僕も同じトーランスで1年間働いていた。かすりまくり。。。
そんな話を聞きつけて、食事の同じテーブルにやってきたデンマーク人のおじさんは、札幌と東京に住んでいたことがあり、海洋上から海底の地中深くボーリングをして地質探査をする、海底(地底?)探査船「ちきゅう」での職についていたという。マディソンのことも知っていて、どういうわけか僕の大学院での専門をサイエンスだと思い込んでいる。そうじゃなくて「けったいなオモチャ」だって作品の説明したらめっちゃ面白がってくれる。
スウェーデン北部の山の中でやたら日本色の濃い夜になる。。。日本に行った人たちは、日本人の間ではアービスコがとてもよく知られている、と言うが。。。知らなかっがのは僕だけ?何れにしても、日本人が大勢やってくるアービスコからここまで大した距離でもない。シーズン中はアービスコヤウレにもきっと日本人が溢れているのだろう。
さて、明日はほんの十数kmで終点のアービスコ。いよいよ文明への復帰。そこから先はまだはっきりしたプランを決めていない。ま、明日は明日の風が吹く。
(Text本文はこちらから)
Kungsledenトレイルの北端アービスコまでこの日を入れてあと残り3日。。。
映画「Kungsleden」(邦題『太陽のかけら』)については次回ポスト予定。
朝、管理人のステファンさんが、同宿のスウェーデン人にセルカへ行く横道の説明をするとき、その道の近くにある山のひとつが、最新の測量で2004mであると判明したと言っている。それが単に以前の測量ミスだったのか、氷河の去った後の重量軽減で隆起したものなのか、は聴き漏らした。ともかく、スウェーデンで数少ない2000m級の山がひとつ誕生したというわけ。
チェクチャの小屋でも標高は1000mくらいある。すぐ下の谷には残雪があり、今までで初めて目線より下に雪を見る。キッチンの壁に「2015の冬は特別だった。春になっっても雪は減らず、結局、春は来なかった!」と書かれた写真が貼ってある。。。。
日に日に出発時間が遅くなる。今朝は11時発。今日の距離は13km。空は晴れ、風も穏やかで気温も低くなく、気持ちの良い日。ほとんど登り無し。今日はどんどん距離が稼げる。
ずいぶん下ったが、まだまだ森林限界より上。今日の目的地アーレスヤウレまで数km手前から小屋が見え始める。あまり手前から見えると、なかなか着かないので困る。
アーレスヤウレの小屋は、吊り橋を渡った小高い所にある。映画『太陽のかけら』の中でアレスヤウレという言葉が出てきたので、ここが撮影地かもと思っていたが、チェクチャのステファンさんから、この小屋は建て替えられて、場所も数キロ移動されていると聞いているから、目の前の建物そのものではない。
橋のすぐ手前でアンドレアス君に追いつく。やっぱり、今日の僕はいつもより早く歩いたようだ。橋を渡り、小屋のレセプションへ宿泊の手続きに行く。山小屋というには設備が整い過ぎ。。。
受付の女性は僕と同年輩か。。。ここにもう毎夏、12年勤めているという。小屋の位置が変わったと聞いたが、以前のもやはり橋を渡った所にあっのか訊くと、そうだと言う。ダメ元で映画のことを訊いてみる。すると、思いもよらない答えが返ってくる。彼女自身が映画Kungsledenを観たばかりか「昔ある日本人がその映画に魅せられて、毎年のようにここアレスヤウレを訪れる。長いときは数週間滞在して周辺をトレッキングして過ごす。」と言うのだ。
ああ、ついに映画を観て、憶えているスウェーデン人に巡り合えた。しかも、日本人でそこまであの映画に入れ込んでいる人がいることを知らされ、なんか、とても幸せな気分!!!
管理人の女性はインゲル-リーゼさんといい、その日本人の方は大久保信夫さんといい、東京かその周辺にいらっしゃると教えてくれる。しかも、大久保さんはここに来るたびにいろんな資料を残していかれてる。日本から持ってきた映画『太陽のかけら』公開当時のパンフレットのコピーや「主題歌」(実際には映画の中で一切使われていないが、、、)の楽譜やレコードジャケットのコピー、彼が寄稿した雑誌の記事、さらには彼のことを伝えるスウェーデンの新聞記事の切り抜き、トレッキングの写真や地図などなど、、、。
インゲル-リーゼさんが、その資料のファイルの束を、部屋か食堂で読みなさいと、貸してくれた。今、手元に3冊のファイルブックがある。いくらアレスヤウレが文明的な山小屋といえど、さすがにコピー機はないので、iPhoneのカメラででバシャバシャ撮っておく。
これはもう、日本に帰ったら大久保さんに連絡をとらなくては。いや何がなんでも是非会いに行かねば!!!
大久保さんは去年まで、毎年のように来られていたのに、今年はご高齢のせいか、いらっしゃらなかったとのこと。。。急がねば。
この旅の準備段階で、といか、ずっと以前から映画『太陽かけら』については、いろいろと調べてきている。が、そこにはネットの落とし穴がある。大久保さんはおそらく僕より年上のはず、こういった個人的な思い入れを、実際の行動として実現されても、それをネット上に公開されるということはないのだろう、と考えられる。いくらGoogleが優れたアルゴリズムで僕の必要とする情報を調べ上げても、出てくるはずもない、、、。だからこそ、僕が自分の個人的な思い入れを実行に移し、わざわざここKungsledenまで来た甲斐があったということだ。
小屋の管理人さんも、STFも、メンバーやゲストの個人情報を教えてはくれまい。けど、何か大久保さんとコンタクトをとる方法がないか。またダメ元でインゲル-リーゼさんにお願いしてみる。すると、仲間の山小屋ホストの中に大久保さんと個人的な繋がりを持つ人がいるので、聞いといてあげる、との答え。非常い嬉しい。日本に帰ったら大久保さんに直接お目にかからねば!
少し、、、いや、非常に興奮気味だけど、これでゆっくり寝られる、明日はアビスコヤウレまで20kmの長丁場。サウナに入って早くベッドに潜り込もう。
と思ったら、夜、オーロラが出始める。同宿のイタリア人とスウェーデン人は三脚持ち出して、タイムラプスで動画を撮るらしい、時刻は10時、満月に近い月が山の端に出かかり辺りは明るいが、オーロラは御構い無しに輝いている。北東の空から北斗七星の柄杓の底をかすめて北西の空まで、まるで大きな虹のように、弧を描き、横たわっている。いままでとちがい、あまり動かず、地平、、、いや、山の端に近い所でカーテンのようにゆるりとうねっている。わずかに薄霞があるため、くっきりとはしない。オーロラは気まぐれでそのうち見えなくなる。
それ以上眺めるのは諦めて、食堂にもどり、この文を書いていると、アンドレアスくんが、また出てるよ、と教えてくれる。今度はダウンベストもジャケットの下に着込んで、外へ出てみると、相変わらず月は煌々と明るいが、霞は減ったよう。オーロラの断片が風にはためく旗のようにあちこち、山の上から天頂まで広がっている。大きいものの縁取りにはかすかな赤い色も。。。真夜中を回り、とっくに氷点下。霜がおりている。。10分ほどで、またオーロラは消えてしまう。。。
生まれて初めてミネソタで見た時と同じく、何度見ても、心が空に吸い込まれるような感覚に襲われる。。。
宿泊棟に戻る時、北の空から振り返り、南中している満月が眼下の水面に映っているのを見る。月の光に草の霜がキラキラ光っている。いつのまにか体の芯まで冷えた感じ。今度こそ寝なくっちゃ。。。
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